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2.姫、魔王と対峙する

 国境付近で漸く姫に追いつくことが出来たゼフィランサスだが、彼女は頑なに帰ることを拒んだ。揚句、魔王を倒すまでは絶対に城へは戻らないと宣言した。つまり、これは互いに退()くことが出来なくなってしまった親子喧嘩の産物であり、この護衛はそのとばっちりだ。


 しかし、その実、彼は決してこの任務を悪いものとは思っていなかった。


 吟遊詩人が月の女神と謳うように、ユズリハ姫はその容姿において完璧なまでの美少女だった。


 白く透き通った肌、月色に輝く瞳、まるで月光を編み込んだように真っすぐで艶やかな金髪、そして美姫と名高かった亡き母の面影を継いだ麗しい顔立ち。姫らしからぬと評されているそのさっぱりとした性格も、民に愛されている。


「姫様……とりあえず、先へ進みましょう。魔王を倒し、一刻も早く城へ戻りましょう」


「そうね……。魔王なんてさっさと倒して、父上に文句の一つでも言ってやるわ!」


 ぐっと拳を握りしめ、戦いやすいようにと一つにまとめられた高いポニーテールを翻した。


 長い廊下を突き進んでいくと、程なくして高い天井に向かってそびえ立つ巨大な扉が眼前に現れる。


 この先に魔王がいる――。


 思った刹那、扉は地響きをたて、来訪者を歓迎するかの如く自然に開かれた。


 二人は顔を見合わせてから、意を決してその奥へと足を踏み入れる。


 広間は薄暗く、ちろちろと蝋燭の炎が揺れている。暗いせいか少し赤黒く見える絨毯が、道標のように奥へと伸びていた。


 足音を響かせて進んでいく二人に、両端に控えている魔王の家臣と思しき魔物達の視線が注がれる。舐めまわすような視線にぞくりとするが、いきなり襲ってくる気配はなさそうだ。一先ず安心し、ユズリハはゼフィランスと共に奥へと歩を進める。


 そして最奥、幾段か高くなったところに玉座があり、漆黒の長衣に身を包んだ青年が座っていた。纏っている衣と同じように黒い髪、紅玉(ルビー)を嵌め込んだような赤い瞳。まるで人ではない証とでも言うように、その顔立ちは恐ろしい程整っている。


 間違いない、これが魔王だ。これまで見てきた、そしてこの場にいるどの魔物たちとも違う、静かで……重々しい気配。

 ユズリハは息を呑んだ。ゼフィランサスは何時(いつ)でも繰りだせるようにと、剣の存在を頭の隅に置く。


 魔王は深紅の双眸を細めると、口角を持ち上げ余裕の笑みを浮かべた。


「待っていたぞ……」


 重く、低い声が降ってくる。その視線は並んで立つ二人にではなく、何故かユズリハ一人に向けられている。


「ふ、やはり鏡で見るのとでは違うな」


 鏡? と、ユズリハは訝しげに視線を玉座からやや斜め横にずらす。魔王の強大な存在感で周囲が霞んでしまい気付かなかったが、気付かなかったことが不思議なくらい大きな鏡が飾ってある。


「この千里鏡(せんりきょう)はこの世界の全てを映す。これでそなたのことをずっと見ていた。我の差し向けた配下を、ことごとく打ち破っていく姿をな……」


 魔王の纏う気配が変わっていくような感覚を覚え、ユズリハの額に薄く汗が浮かんだ。


 魔王の怒りが昂ぶっていく――ユズリハは、覚えている呪文の数々を急いで頭の中に展開する。


 大丈夫、魔王が何を仕掛けてこようが、応戦できるっ!


 静寂と緊張が広間を支配する中、魔王の唇が動いた。


「可憐だ……」


 は? と、ユズリハはぽかりと口を開けた。


 空耳だろうか。この場にはそぐわない言葉が聞こえた。


「その輝かんばかりの金の髪を揺らし、我が配下をいとも簡単に屈服させていく姿、放たれる魔法の鮮やかさ……その一挙一動が可憐で、美しかった」


 可憐? 美しい?


 ユズリハは魔王の言葉をよく吟味した末、


「……………………は?」


 と、今度は声に出して言った。


 しかし、そんなユズリハには全くお構いなしに、魔王は更に意味不明な言葉を重ねた。


「愛の言葉が足りぬか」


 自嘲気味に笑い、


「ならば、我が愛の深さを示してやる」


 パーン、と手を叩いた。


「祝言の準備だ!」

 

 静まり返っていた広間が、一気に活気づいた――。


 翼の生えた魔物達が頭上を飛び交い、獣人や人に似た二本足の魔物達が慌ただしく広間を駆け回り、ユズリハもゼフィランサスも唖然とする。


「な……何?」


 困惑するユズリハを見て、魔王は笑った。


「決まっておろう。我とそなたの婚礼の準備だ」


「こ……婚礼!?」


「そうだ。我はそなたに一目惚れした。妃を持つつもりはなかったが、そなたを見て気が変わったのだ」


 魔王は酷薄な美貌に似合わない言葉を、その端整な唇から紡ぎ出した。


「なななな、何で私があなたと結婚しなきゃならないのよ!?」


「今言ったであろう。そなたに惚れたからだ」


「な……ほ、惚れた……って……」


「そなたにぞっこんだ」


「――っ」


 恥ずかしげもなく愛の言葉を囁かれ、ユズリハは真っ赤になった。


 冗談めかして言われたのなら、軽く受け流すことが出来ただろう。しかし、性質(たち)の悪いことにユズリハを見る魔王は真摯そのものだ。それも、今まで見たことのない程に美しく整った顔立ちのせいなのか、どうしようもなく心が乱される。


「ひ、姫様っ!?」


 ふらりと倒れそうになるユズリハの身体を、ゼフィランサスが慌てて支えた。


「姫様、お気を確かに!」


 そう言う彼も、明らかに動揺している。


「ありがとう、大丈夫よ」


 軽く目眩を起こしながらも、ユズリハは気を取り直し、魔王を見上げた。


 いきなり求婚してきたこの男は、本当に魔王なのだろうか。


「……理解できないわ」


 魔王が深紅の瞳をぱちりとさせ、ユズリハの言葉を聞き咎めた。


「何を理解できぬと申すのだ。我はそなたを愛した。故に、求婚した。何もおかしなことはあるまい?」


「わ、私はあなたを愛してないわ!」


「構わぬ。重要なのは我の気持ちだ」


 なんと勝手な……。


 この男が魔王かどうかを疑ったばかりだが、これはしっかりと魔王である。


 そんな気持ちが、ユズリハの表情に出てしまったのかもしれない。


 魔王は不思議そうに首を傾げた。


「我が妻となることが、嬉しくはないと?」


「当たり前でしょ!?」 


「ふむ……」


 魔王は顎に手を添える。


「では、条件を言ってみろ」


「条件?」


「そうだ。どのような条件ならば、我と結婚するというのだ?」


「え……」


 想定外の質問に、ユズリハは僅かに唇を開いたまま固まった。


「何だ、分からぬのか? 分からぬのに、そなたは……」 


「分かるわ! 分かるわよ!」


 つい勢いで言ってしまってから、あれ、と思う。


 これは、結婚する前提で話が進んではいまいか。


 こうなったら、ここは何としても上手いことを言って、諦めてもらおう。それしかない。


「あ……」


「あ?」


「あ……そう、愛よ! その愛が一番信用出来ないのよ!」


「ほう?」


「……つ、つまり……愛なんて、目に見えるものじゃないでしょ? どうやって信用しろって言うのよ。私は……目に見えるものしか、信じないことにしてるのよ」


「ふむ。では、我が愛が見えれば、そなたは我が妻になるのだな?」


「え? ええ……」


 そんな風に切り返されるとは思わなかったから、咄嗟にそう答えてしまう。


 魔王はにやりと笑い、豪快な笑い声を広間に響かせた。


「ふははは、面白いっ! すぐ手に入るものほど、つまらぬものはない。その条件、我が満たしてやろう!」


 ()くして、恋の炎は一方的に大きく燃え上がった……。


 婚礼の準備にかかっていた魔物達に一先ずやめるようにと指示し、場は再び静寂を取り戻すが、ゼフィランサスの悲痛な叫び声が沈黙を破って反響した。


「姫様っ! 魔王をやる気にしてどうするんですか!?」


「知らないわよ!」


 あの男が勝手にやる気を出したのだ。責められる(いわ)れはない。


「何だ、何を騒いでおる?」


「な、何でもないわ!」


 そう、今すべきことは燃え盛る恋の炎の鎮火だ。ゼフィーと争っている場合ではない。


「そうか? では、一先ず部屋へと案内させよう」


「へ、部屋!?」


「何を驚いておる。そなたの為に、南東の部屋を用意した」


「な!?」


「な? ……何だ、南東の部屋では不服か。見晴らしは悪くないぞ?」


 誰が景観を気にしてるのよっ! 


「そうじゃなくて、まさか、私をここに住まわせる気なの!?」


「帰るつもりであったのか?」


「当然で――」


 不自然に言葉を切ったユズリハを、魔王が怪訝な顔で見る。


「どうした?」


 ユズリハは魔王を顧みず、傍らのゼフィランサスの胸をがしっと掴んだ。


「考えてみたら、あいつ倒さないと帰れないじゃない!?」


「ええ、そうですね……」


 ゼフィランサスは、もう笑うしかないと言わんばかりの苦笑を浮かべた。


 どうしたのだ? と再び悠長に尋ねてきた魔王を、ユズリハは月色の瞳でキッと睨め付けた。


「あなたを倒さないと、私は国に帰れないのよ!」


 ユズリハが叫ぶように言うと、魔王は笑みを深め声に出して笑った。


「ふははは。そうであったな。そなたは我を倒しにここに参ったのであった。そなたの色香に酔いしれて、すっかり忘れておった」


 端々の恥ずかしい言に赤くなりながらも、ユズリハは気丈な態度を崩すまいと、魔王を更に強く睨み据えた。


「ふ……いいだろう」


 魔王は立ち上がりもせず、座したままその端整な口元に微笑を乗せた。


「相手をしてやっても良いぞ?」


 飄々と挑発的な気配を纏わせる。


 見下したようなその態度に、武人気質のユズリハの血がかっと熱くなる。


「その言葉、後悔しても知らないわよ!」


「姫様っ! 魔王の相手は私が――」


「ゼフィーは下がってて。私が倒さないと意味ないでしょ!」


 恥ずかしい台詞を散々浴びせられ、心が乱されっぱなしだったユズリハは、ゼフィランサスの制止も聞かず呪文の詠唱を始めた。


「魔王様、人間の相手は我々が! ご命令を!」


「良い、お前達は下がっておれ。姫君の相手は我がする。今後一切、手を出すことは許さぬ」


 ユズリハは精霊魔法によって高い天井に向かって跳躍し、右手に収束させた紅い焔を魔王目掛けて一気に解き放った。炎は龍の形となって咆哮をあげながら魔王へと襲いかかるが、魔王は一向に動く気配がない。笑みを刻んだまま、ユズリハを見つめている。


「な、()けないの!?」


 一発目の魔法から逃れた魔王を次なる精霊魔法でたたいてやろうと思ったのに、動く様子が全くない。束ねた髪をまるで黄金の尾のようにして舞うユズリハの姿に、魔王は魅入っている。


「美しい……」


 魔王の呟きは、しかし広間を一瞬のうちに駆け抜けた轟音にかき消され、ユズリハには届かなかった。放った魔法は確実に魔王をとらえ、炎の柱を噴き上げたのだ。


 ユズリハは身を翻し、鮮やかに着地する。玉座を確認しようと素早く顔を上げた刹那、辺りを取り巻いていた煙が、ぶわっと吹き抜けた一陣の風により散らされた。


「う、嘘……」


 魔王は玉座に座っていた。攻撃を仕掛ける前と少しも態勢を変えることなく、涼しげな笑みを浮かべながら。


「どうした、我が力に見惚れておるのか?」


 ん? と魔王は嫣然と微笑んでいる。


 信じ……られない……。


 ユズリハの放った精霊魔法は上級クラス。なのに、全くの無傷だなんて……。


「姫様っ!」


「くっ……」


 ゼフィランサスの声を無視し、ユズリハは腰に提げている剣を引き抜いた。(つか)に青い宝石を嵌め込んだ、女性でも扱うことのできる細身の長剣である。その銀色の刀身に指を滑らせ、ユズリハは呪文を唱えた。ぱっと光が弾け、剣は精霊の加護を得る。これで、本来の力以上の力で剣を扱うことができる――。


 地を蹴り、高みにある玉座へと飛翔する。携えた剣が魔法の光を放って、きらきらと星屑のような光を降らせる。


 足を組み悠々と座す魔王の前に着地すると同時に、ユズリハは瞬息の速さで剣を振り下ろすが、


「……っ」


 魔王は片手で難なくそれを受け止めた。


「そなたの瞳は美しいな。天上の月の如く、金色に輝いておる」


「は……離して……っ」


 魔王がもう片方の手で、剣の柄を握るユズリハの手首を掴んでいた。


 そのまま引き寄せられそうになり、ユズリハは渾身の力で剣にかけた魔法を更に強く発動させた。眩い光が刀身より溢れ、ユズリハは魔王の手を逃れた。魔王の表情が変わらなかったところを見れば、少しも本気を出していないことが分かるが、ここで退()くわけにはいかない。一太刀浴びせようと再び剣を振り下ろす。しかし、剣先は魔王へは届かず、それどころか魔王の身体より風のような力が放たれ、ユズリハの身体は風威に耐えきれずに吹き飛ばされた。


「きゃっ!」


 一瞬の出来事に、魔法で衝撃を和らげる間もなく宙に投げ出された。


 ――地面に叩きつけられるっ!


 呪文が間に合わず、ユズリハは訪れる衝撃を覚悟して目を瞑る。しかし、訪れるだろう痛みは何時(いつ)までたっても襲ってこなかった。


「……?」


 不思議に思い、ゆるゆると目を開くと。


「そなた、軽いな」


「――!?」


 間近に魔王の整った顔があり、ユズリハは息を詰めた。


 ユズリハは抱きかかえられていた。魔王の屈強な腕に、横抱きにして。


「おっと」


 思わず繰り出してしまった平手を、魔王はひょいと()けた。


「随分な御挨拶だな」


 そう言いながらも、魔王はくくくと楽しげに笑っている。ユズリハは、かーっと頬を赤く染め、魔王の腕の中で身をよじって暴れた。


「離してよ!」


「助けてやったのに、礼の一つも言えぬのか?」


「な……誰のせいで……」


「力を加減出来なかったのは我の落ち度だが、そもそも攻撃を仕掛けてきたのは、そなたではなかったか?」


「う……」


 それには返す言葉もなく、ユズリハは俯いた。


 魔王は何もしていない。座っていただけだ。そしてそれが何よりも腹立たしい。


「ところで、そなたの国では礼を言う代わりに平手打ちするのか?」


「そんなわけないでしょう!?」


 勢いよく振り仰ぐと、魔王の深紅の瞳がユズリハをじっと見つめてきた。


 目が、そして意地悪そうにつり上げられた口元が、訴えてくる。

 礼を言えと――


 確かに、あのままでは地面に叩きつけられ、怪我どころではすまなかった。それを助けてくれたのは事実だ。でも。だけど。


 ああ、もうっ!


 ユズリハは観念し、唇を開いた。


「…………ありがとう」


 そっぽを向きながら、漸く言葉を紡ぎだす。何故だろう。どきどきと鼓動が煩いほど鳴っている。


 そして、やっとの思いで礼を言ったユズリハに、魔王は楽しげに告げるのだった。


「何、礼はいらぬ」


 その言葉に、ユズリハは無駄と分かりつつも二度目の平手を繰り出した――

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