「魔法という理」
魔法使いが来る。
その知らせを聞いてからというもの、アルヴィスは落ち着かなかった。
かつて織田信長と呼ばれた男は、新しいものを好んだ。
南蛮から伝わった鉄砲。
異国の品々。
それまでの常識を覆す技術。
使えるものならば、出自など関係ない。
古い慣習に縛られるより、新しい力を取り入れる方がよほど面白い。
そして、この世界には魔法がある。
何もない空間に火を生み、水を浮かべ、大地を動かす。
前世の常識では考えられない力だった。
「……実に面白い」
アルヴィスは、書庫で魔法に関する本を開いていた。
だが、そこに書かれているのは、魔法の歴史や有名な魔術師の名前ばかり。
肝心の仕組みについては、ほとんど触れられていなかった。
「これでは何も分からぬではないか」
思わず、前世の口調が漏れる。
そのとき。
「アルヴィス様!」
侍女のマルタが書庫に顔を出した。
「お客様がお着きになりましたよ!」
アルヴィスは本を閉じた。
待ちに待った瞬間だった。
*
応接室には、一人の男が座っていた。
年齢は五十を少し過ぎた頃だろうか。
白髪交じりの髪を後ろに撫でつけ、細い眼鏡をかけている。
濃紺の外套には、銀糸で複雑な紋様が縫い込まれていた。
椅子の脇には、細長い杖が立てかけられている。
「久しいな、セドリック」
父グレゴールが笑った。
「相変わらず、妙な格好をしている」
「魔術師にとって、身だしなみも大切なのですよ」
男は涼しい顔で答えた。
「それに、あなたの服装も昔から変わりませんな」
「動きやすければ十分だ」
「だから奥様に叱られるのでしょう」
「余計なお世話だ!」
二人は顔を見合わせて笑った。
どうやら、かなり親しい間柄らしい。
「さて」
男がアルヴィスへ視線を向けた。
「こちらが噂の三男坊ですかな?」
「アルヴィスだ」
父が紹介する。
「アルヴィス。こちらはセドリック・ヴァイン。昔からの友人で、王都の魔術学院でも学んだ魔法使いだ」
「初めまして、セドリック先生」
アルヴィスは丁寧に頭を下げた。
セドリックは少し驚いた顔をした。
「ほう。随分と礼儀正しい」
「普段はそうでもないぞ」
父が笑う。
「書庫に入れば、食事の時間も忘れる」
「それは素晴らしい」
「褒めるところか?」
「学ぶことを好むのは、よいことです」
セドリックは、アルヴィスの前に膝をついた。
「魔法に興味がおありだとか」
「はい」
「では、一つお見せしましょう」
男が杖を手に取った。
その先端に、小さな青い石が埋め込まれている。
「よく見ていてください」
セドリックが杖を軽く振る。
次の瞬間。
何もない空間に、水の球が現れた。
「……!」
アルヴィスは目を見開いた。
水球は、宙に浮かんだまま形を変える。
丸から細長い形へ。
やがて、小さな鳥になった。
透明な鳥は、部屋の中を一周した後、セドリックの掌へ戻り、静かに消えた。
「いかがですかな?」
「……見事だ」
思わず本音が漏れた。
セドリックは楽しそうに笑う。
「普通のお子様なら、もっと大きな声で驚くものですが」
「驚いてるよ」
「そうは見えませんな」
アルヴィスは水が消えた場所を見つめた。
手品ではない。
少なくとも、見える範囲に仕掛けはなかった。
「先生」
「何でしょう?」
「今の水は、どこから出したの?」
セドリックの目が細くなった。
「よい質問です」
「空気の中にある水を集めたの?」
「それも方法の一つです。ですが、今の魔法は違います」
「じゃあ、何もないところから?」
「正確には、魔力を使って水を生み出したのです」
魔力。
その言葉は、本の中でも何度も目にしていた。
「魔力とは何だ?」
アルヴィスは尋ねた。
セドリックは一瞬だけ驚いたようだったが、すぐに説明を始めた。
「人や魔物の体内に宿る力です。魔法を使う際には、その力を消費します」
「使い切ると?」
「疲労します。無理をすれば、意識を失うこともある。幼い子供には特に危険です」
「なるほど」
無限に使える力ではない。
それならば、兵糧や火薬と同じだ。
限りあるものを、いかに効率よく使うか。
そこに工夫の余地がある。
「魔法は誰でも使えるの?」
「魔力そのものは、多くの人が持っています。しかし、魔法として扱えるかどうかには個人差があります」
「先生は何でもできる?」
「残念ながら、そうではありません」
セドリックは指を一本立てた。
「魔法には、大きく分けて六つの基本属性があります」
火。
水。
風。
土。
光。
闇。
「人には、それぞれ得意な属性があります。私は水と土が得意ですが、火は苦手です」
「火も使えるの?」
「小さな火なら。ただし、火属性に適性のある者には及びません」
アルヴィスは腕を組んだ。
「得意な属性なら、誰でも強くなれる?」
「それも違います」
セドリックは三本の指を立てた。
「魔力量。制御力。そして術式への理解。この三つが重要です」
「術式?」
「魔力を、どのような現象に変えるかを定める仕組みです。詠唱や魔法陣は、その補助となります」
「詠唱しなければ使えない?」
「熟練者なら、詠唱を短くしたり、省略したりできます。ただし、難しい魔法ほど制御が困難になります」
アルヴィスは考え込んだ。
火薬にも、扱い方がある。
ただ燃やすだけでは、大した役には立たない。
だが、鉄砲に詰め、弾丸を飛ばせば、遠くの敵を倒すことができる。
魔法も、同じではないか。
「先生」
「はい」
「小さな火を、遠くまで飛ばせる?」
「火球魔法ですかな?」
「もっと小さくてもいい」
「小さく?」
「その代わり、速く」
セドリックは、しばらく黙った。
「……なぜ、そのようなことを?」
「大きな火より、少ない魔力で使えそうだから」
「なるほど」
セドリックは、感心したように頷いた。
「確かに、小さな魔法は消費が少ない場合が多い。しかし、速く飛ばすには別の制御が必要です」
「じゃあ、練習すればできる?」
「理論上は可能でしょう。ただ、今のあなたには早すぎます」
「どうして?」
「まずは、自分の魔力を感じることからです」
アルヴィスは、少し残念そうな顔をした。
だが、内心では別のことを考えていた。
もし、小さな火を遠くへ飛ばせるなら。
もし、それを何人もの魔法使いが同時に使えるなら。
戦の形は、大きく変わる。
――面白い。
胸の奥が熱くなる。
セドリックは、そんな少年を不思議そうに見つめていた。
*
その日の午後。
セドリックは、アルヴィスの魔力適性を簡単に調べることにした。
「正式な適性検査は、通常六歳頃に行います」
「どうして?」
「幼い子供は魔力を制御しにくいからです。今日は属性の反応を見るだけにしましょう」
机の上に置かれたのは、小さな透明の水晶だった。
「この水晶に、手を触れてください」
アルヴィスは言われた通りにした。
ひんやりとした感触が、掌に伝わる。
「目を閉じて、身体の内側に意識を向けてください」
アルヴィスは目を閉じた。
最初は何も分からなかった。
だが、しばらくすると。
胸の奥に、小さな熱を感じた。
まるで、消えかけた炭火のような熱だった。
――火か。
そう思った瞬間。
脳裏に、赤い光景が広がった。
燃え盛る本能寺。
崩れ落ちる梁。
煙。
叫び声。
そして、最後まで自分を守ろうとした者たちの姿。
「……っ!」
アルヴィスは目を開いた。
水晶が、赤く輝いていた。
「これは……」
セドリックが息を呑む。
赤い光は、ゆっくりと強くなっていく。
やがて、水晶の内部に、小さな炎のような揺らめきが浮かび上がった。
「火属性……」
セドリックは呟いた。
「それも、かなり明確な反応です」
だが、次の瞬間。
炎が、不自然に揺れた。
まるで何かに引き寄せられるように、細長く伸びる。
そして。
水晶の中心に、一瞬だけ黒い点が現れた。
「……?」
セドリックが眉をひそめる。
だが、黒い点はすぐに消えた。
水晶の光も、元に戻る。
「どうしたの?」
アルヴィスが尋ねた。
「いえ……」
セドリックは、水晶を見つめた。
「少々、珍しい反応でしたので」
「珍しい?」
「火属性の適性は間違いありません。ただ……」
セドリックは言葉を切った。
「正式な検査は、もう少し成長してからにしましょう」
アルヴィスは頷いた。
だが、彼も気づいていた。
あの黒い点。
ほんの一瞬だったが、確かに見えた。
そして、その瞬間。
胸の奥で、何かが動いた気がした。
まるで、ずっと眠っていた何かが、目を覚ましかけたように。
*
夕方。
セドリックは、グレゴールと二人で話していた。
「どうだった?」
グレゴールが尋ねる。
「面白いお子様ですな」
「それは知っている」
「火属性への適性があります。魔力の反応も明瞭でした」
「そうか!」
父は嬉しそうに笑った。
「では、将来は魔法使いになれるかもしれんな」
「可能性は十分にあります」
セドリックは頷いた。
だが、その表情は少し硬かった。
「ただ……」
「何だ?」
「いえ。まだ確かなことではありません」
セドリックは、手元の水晶を見つめた。
あの黒い点。
長年、魔法を研究してきたが、あのような反応は見たことがなかった。
ただ、王都の魔術学院で目にした古い記録の一節が、なぜか頭を離れなかった。
その記録には、通常の属性検査では説明できない現象が記されていた。
だが、今の段階では、同じものだと断定できない。
幼いアルヴィスに、これ以上の検査を行うのは危険だろう。
「しばらく、アルヴィス様の魔法教育をお手伝いしてもよろしいでしょうか」
グレゴールは目を丸くした。
「お前が?」
「ええ」
「王都に戻る予定ではなかったのか?」
「少し、興味が湧きましてな」
セドリックは微笑んだ。
「この子が、どのような魔法使いになるのか」
そして、胸の内で静かに呟いた。
――六歳になるまで、慎重に見守るべきですな。
窓の外では、夕日が赤く染まっていた。
まるで、遠い昔の炎を思わせるように。
その光を見つめながら、セドリックは思った。
何かが、始まっているのかもしれない。




