第七話 鈴蘭の集い
第七話 投稿しました
公爵家は、朝から蜂の巣をつついたような大騒ぎであった。
公爵家から王室へと嫁いだ正妃イウローネは、誰もが認める『聖女』である。そして今回、その娘であるシャルロッテもまた、宣託の儀によって正式に聖女としての神託を下されたのだ。
王家に連なる二人の聖女が、共に公爵家の血を引いている。これ以上の誉れはないと、屋敷中が数日後に控えた祝いの宴の準備に追われ、浮き足立っていた。
だが、そんな歓喜に沸く外の喧騒とは対照的に――公爵邸の奥深くにある当主の執務室だけは、ひっそりと静まり返り、重い緊張感に包まれていた。
「――お呼びでしょうか」
執務室に招き入れられたのは、公爵家の取り仕切りを任されている執事長と侍女長であった。
老齢ながらも背筋が真っ直ぐに伸びた執事長と、隙のない優雅な所作を身につけた侍女長。長年この家を支え続けてきた二人の腹心は、分厚い扉が閉まるのを確認すると、静かに主へと向き直った。
「宣託の儀は、滞りなく済まれたとのことでしたが……何か気がかりなことでもございましたかな、坊っちゃん」
「……『坊っちゃん』ってのはよせ。まあ、今は他には誰もいないからいいがな」
執事長のいつもの呼び方に、若き公爵家当主――イウローネの兄は、大きなため息をつきながら苦笑した。だが、すぐにその表情から笑みを消し、鋭い眼光を放つ。
「二人に話がある。大至急、イウローネの元へ行ってくれ。シャルとヴィルの『家庭教師兼、護衛』を頼みたい」
その言葉に、侍女長の細い眉がピクリと動いた。
「護衛……。シャルロッテ様の身に、何かございましたの?」
「今は大丈夫だ。だが、昨日の儀式の時、シャルはまばゆい光を放ちはしたが……その直後、すぐに気絶しちまったんだ。問題は、その一部始終をあの忌々しいグランベルム侯爵と、ノックス魔導家の連中が見てやがるってことだ」
当主は苛立たしげに、机の上で指をトントンと叩いた。
「宮中では何が起こるか分からん。あいつらのような『頭のおかしい奴ら』は、何をしでかすか読めねぇからな。聖女の力がまともに使えないと知れば、確実に何かエグい手を仕掛けてきやがる。……それと、シャルロッテの教育は、イウローネと教会から派遣されるやつが見てくれる。ヴィルにはお前たちが教えてやってくれ。王室御用達の英才教育を頼む。イウローネからの頼みだ」
「あらら、そんなに厳しく育てて、王様にでもさせるおつもりですか、坊ちゃま? ……まあ、お嬢様からのお願いでしたら仕方ありませんね。ねえ?」
「そうですな。お嬢様からの頼みとあらば、お断りするわけにはまいりませんな」
「ったく、お前らは本当にイウローネに甘すぎるんだ。……どうにも嫌な感じがする。頼んだぞ」
当主の脳裏には、権力に執着する側室たちの歪んだ顔がよぎっていた。
「表向きは宴の準備で浮かれているように見せておく。だが裏では、最高戦力であるお前たち二人に、鈴蘭宮の守りを固めてもらいたい。……頼めるか?」
当主の真剣な眼差しを受け、執事長と侍女長は静かに顔を見合わせた。
二人の瞳に宿ったのは、単なる使用人としての忠誠心だけではない。幼い頃から見守ってきたイウローネへの深い愛情と、彼女に仇なす者への静かな、しかし確かな殺気だった。
「承知いたしました。我らがお嬢様たちに仇なす輩がいれば……」
「ええ。宮中の害虫どもは、私たちが跡形もなく『お掃除』して差し上げますわ。……坊っちゃま」
二人の頼もしすぎる言葉に、当主はふっと口元を緩め、深く頷いた。
「ああ、頼んだぞ。容赦はいらねぇ。公爵家の力、思い知らせてやれ」
一方、その頃。
王宮の奥に位置する、正妃イウローネと子供たちの住まう『鈴蘭宮』。その私室では、イウローネが窓辺で優雅にハーブティーを傾けながら、ふと独り言のように呟いた。
「実家の方は、お兄様にお任せして……と。まあ、爺や達なら二つ返事で来てくれるわよね」
安堵したようにふふっと小さく笑みをこぼすイウローネ。その言葉に、傍らで控えていた側仕えの若き侍女が、不思議そうに首を傾げた。
「正妃様。その『爺や達』とは、どなたのことでしょうか?」
「ああ、あなたにはまだ言ってなかったわね。実は、シャルとヴィルに家庭教師をつけようと思って、私の実家の執事長と侍女長の二人を呼んでもらったのよ」
「公爵家の……執事長様と侍女長様ですか!」
公爵家を長年取り仕切る重鎮が来ると聞き、侍女は思わず背筋をピンと伸ばした。イウローネはカップをソーサーに置きながら、懐かしむように目を細める。
「ええ。あの二人は、私や国王であるヴェル様の教育係でもあったのよ。これ以上ないくらい、ピッタリの適任でしょ?」
幼い頃の厳しい教えを思い出したのか、イウローネは楽しそうにくすくすと笑う。そして、少しだけ意地悪な笑みを浮かべて侍女を振り返った。
「そうね、ついでにあなたも二人から宮廷作法を教育してもらう? ……あの方たち、とっても厳しいわよ?」
顔を引きつらせてぶんぶんと勢いよく首を振る侍女の反応に、イウローネはさらに機嫌を良くして笑い声を上げた。
「ふふっ、冗談よ。……でも、本当に頼りになる二人だから安心してね」
「はい……! あ、あの、それでその方々は、いつ頃こちらへ来られるご予定なのでしょうか?」
「そうねぇ……お兄様なら手回しが早いはずだから。もうすぐにでも来るんじゃないかしら」
イウローネが壁の時計を見上げて事もなげに言うと、侍女は弾かれたように声を上げた。
「す、すぐですか!? そ、それでは急いでお出迎えの準備をしてまいりますっ!」
「あ、ちょっと……ふふ、あの子ったら本当に慌てん坊ね」
バタバタと足音を立てて部屋を飛び出していく侍女の背中を見送りながら、イウローネは静かに窓の外――広大な王宮の庭園へと視線を移した。
あの手強い側室たちや魔導家が、無力だと知れたシャルロッテや自分をこのまま放っておくはずがない。近いうちに、必ず何らかの手を打ってくるだろう。
だが、イウローネの瞳に焦りや絶望はなかった。
(頼りにしているわよ……爺や、婆や)
母として、そして公爵家の娘として。静かな闘志を秘めたイウローネの笑みは、確かな希望に満ちていた。




