第五話 正妃イウローネの決断
第三話 です
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「イウローネ、戻ったぞ」
扉を開け、ぐったりと気を失ったシャルロッテを抱えたヴェルナードが入ってくる。その背後には、枢機卿と腕を組んだレオンガルド公爵が続いていた。
ベッドで体を休めていたイウローネは、夫の腕の中の娘に一瞬痛ましげな視線を向けたが、すぐに正妃としての凛とした表情を取り戻した。
「おかえりなさい、ヴェル様。……枢機卿もお兄様もお疲れ様でした。宣託の儀は……やはり無理でしたか。シャルロッテを、そこのソファに寝かせてあげてくださいね」
ヴェルナードは静かにシャルロッテをソファに横たえ、苦々しげに頭を振った。
「そうなんだ。やはり魔力に身体が耐えられんようでな。予想はしていたが、実際に目の当たりにすると……何とも言えん。それで、三人で話をしていたのだがな。シャルは枢機卿の元へ、ヴィルは公爵家で預かってもらう案が出てな。それが一番良いと儂は思うのだが、イウローネはどう思う?」
夫の提案を聞いた瞬間、イウローネの瞳に鋭い光が宿った。
「それはいけません、ヴェル様」
「結果が予想通りだったというのなら、その先のことまでまず考えておくべきです。ましてや、結果が悪いからと子供たちを遠ざけて敵前逃亡するなど、相手に『自分たちは怯えている』と弱みを握らせているのと一緒ですよ。ヴェル様と枢機卿が守る方に考えがいってしまうのは仕方ありませんが……お兄様、あなたがついていながらどういうことですの?」
正妃としての冷徹な一言が、実の兄である公爵へと向けられた。
すると、公爵は怒られるどころか不敵な笑みを深め、ヴェルナードの肩をポンと叩いた。
「だから言ったろ、ヴェルナード。イウローネを誤魔化すなんて土台無理だってな。——レオンガルド公爵家に、一時的な撤退はあっても『逃亡』はない。そして最後には必ず勝つ! それが我が家の信条だからな」
「……お前、最初から儂に言わせる気だったな?」
呆れるヴェルナードを余所に、公爵は豪快に鼻を鳴らした。
「しかし、それではシャルたちはどうするんだ?」
腕を組み、眉をひそめるヴェルナードの問いに、イウローネは一切の迷いなく答えた。
「シャルの修行は、私自ら行います。神託が下り『聖女』となった今であれば、母親である私が教えても何ら問題はありませんわ。……聖女であれば、貴族としてのデビュッタントも免除されます。かつての私がそうであったようにね。そしてヴィルですが、あの子も当然、この宮殿で育てます。……お兄様、公爵家から『爺や達』をこちらへ連れてきてはいただけませんかしら?」
「爺や達」という言葉が出た瞬間、公爵の口元がニヤリと吊り上がった。
「なるほどな。未来の王となるなら、レオンガルド公爵家が直々に育てるってわけだ。まあ、あいつらならお前からの頼みを断るはずもない。……俺と違ってな」
「ちょっと待て。その『爺や達』というのは、一体誰のことだ?」
首をかしげるヴェルナードに、公爵が呆れたような視線を向ける。
「お前、忘れたのか? うちの執事長と侍女長のふたりのことだよ」
「……あのおっかない爺さんと婆さんか! まだ元気だったのか……?」
かつて公爵家に身を寄せていた頃の記憶が蘇ったのか、ヴェルナードが露骨に顔をひきつらせた。
「ええ。あのふたりなら、この子たちをまとめて面倒を見てくれますし、優秀な家庭教師兼護衛になってくださいますわ」
「まあ、あのふたりは長寿のエルフだからな。俺たちが老いぼれても、まだまだ元気で現役さ」
公爵が鼻を鳴らすと、それまで静かに耳を傾けていた枢機卿が、深く首肯しながら前に出た。
「シャルロッテ様の修行の件、教会側としても滞りなく進むよう取り計らうとしよう。進捗管理という名目で、こちらから最も信頼できる者をひとり、お側に遣わす。宮殿に住まわせてやってくれ。……それと、宣託の儀の結果についてだが『シャルロッテ様は正真正銘の聖女であられた』と盛大に公表するぞ。向こうの陣営が下品な邪推を口にする暇もないほど、派手に広めてやるとも」
「心強いお言葉、感謝いたしますわ、枢機卿。……ふふ、ちなみに、かつて私を導いてくださった『あの方』は、まだ現役でいらっしゃいますかしら? もし叶うなら、あの方にお願いしたいところですけれど」
懐かしむように尋ねるイウローネに、枢機卿は温かい眼差しで首を振った。
「……あの方は、ずいぶん前に神の元へ召されたよ。だが安心するといい。あの方の娘であり、最後の弟子となった優秀な者がいる。その者を貴女の元へ送ろう」
「まあ……そうですの。お心遣い、深く感謝いたします」
イウローネは胸に手を当てて優雅に一礼すると、最後に夫へと視線を戻した。
「ヴェル様。宰相と筆頭執事に、ここまでの決定事項をお伝えくださいな。宮殿内の備えは、これで不安はありませんわ。」
「……わかった。無理をさせてすまないな、イウローネ。では儂らは、これから宰相たちと詰めの話を進めてくる。またすぐ来るよ」
気丈に振る舞う妻の労苦を労うように、ヴェルナードはイウローネの手にそっと触れると、公爵と枢機卿を伴って力強い足取りで寝室を後にした。
重々しい扉が静かに閉まり、部屋に束の間のおとずれが訪れる。
イウローネはそっとベッドから抜け出すと、ソファで静かに寝息を立てるシャルロッテの頭を優しく撫で、続いて揺りかごの中で眠る赤ん坊のヴィルヘルムの小さな頬に指を寄せた。
「……これで、私に何かがあっても。この子たちを、立派に育て上げられますわね……」
ぽつりと漏れ出た呟きは、誰に届くこともなく静かな部屋に溶けていく。
自分の命に残された時間を自覚しているかのような儚さと、それでも大切な我が子を守り抜いてみせるという絶対に折れぬ母の愛。その瞳には、深く強い覚悟が宿っていた。




