第十八話 呪いの種と希望の種
「皆様、お疲れ様でございます。……やっと落ち着いてお話ができますよ」
室内へ温かいお茶の湯気が立ち上る中、侍女長が穏やかな声で一同に語りかけた。張り詰めていた空気がようやく解け、静けさが戻りつつある。
「ほんとに、もうこれ以上は誰も来ませんよね……来ないでくださいね」
胸に手を当てて深く息を吐き出し、不安と安堵が入り交じった声で呟くベゼラに、隣に立つ賢者が小さく口元を緩め、穏やかな声をかけた。
「大丈夫だよ、姫。さっきので一旦、奴らがここへ来る理由はなくなったからね。しばらくは手出しできないよ」
「なら……良かったです……」
ベゼラは胸を撫で下ろし、力なく肩の力を抜いた。その様子を静かに見守っていた侍女長が、優雅に一歩前へ出る。
「お茶とお菓子のおかわりをご用意いたしますわ」
「うん、お願いするね」
「かしこまりました」
深々と一礼した侍女長は、手際よく温かいお茶を淹れ直し、お菓子の皿をテーブルへと並べていく。その手元を見届けた賢者が、ゆっくりと一同を見渡した。
「じゃ、話を始めようか」
仕切り直す賢者の言葉を受け、執事長が背筋を正し、重々しい口調で口を開いた。
「では、まずは私どもの方から。お館様にご報告をいたしました。そこでお館様よりお二人へ、お願いがございます」
執事長は一瞬の間を置き、真剣な眼差しで賢者とベゼラを見つめた。
「現在の半壊した公爵邸を元に戻していただきたいのと、公爵邸の周りに人避けのための結界……そして、ここへ来た者には公爵邸がなくなり、ただの平地になっているように見える幻術をかけていただきたいのでございます」
その申し出を聞き、賢者はなるほどと顎に手を当てた。
「それは、エルフの隠れ里で使っているようなものだね。『迷い人』と『認識誤認』というところかい?」
「はい。公爵邸自体はすぐにでも直していただきますが、結界を張っている間は、王都内に完全な隠れ家を持つことができます。いかがでしょうか?」
「いいよ、わかった。結界は私が、邸の復元は姫がしよう」
思いがけない指名に、ベゼラは目を丸くした。
「え?? 私がするんですか!?」
「うん、そうだよ。私よりそっちの方が上手だからね。頼むね、姫」
「……わかりました……」
賢者の言葉に抗いきれず、ベゼラは少し困ったように息をつきながらも、しっかりと頷いた。
「姫様、賢者様。ありがとうございます」
執事長と侍女長が感謝を込めて深々と一礼すると、賢者は満足そうに首を振った。
「じゃ、次はこっちの話だね。姫、姫が解いた呪いは、一体どんなものだったんだい?」
賢者の問いかけに、ベゼラは表情を曇らせ、自身の幼い娘へ向けられた恐ろしい呪いの記憶をたどるように静かに語り始めた。
「ソフィーにかけられていたのは……体内の『魔力の器』に種を仕込むというものでした」
言葉を選びながら、ベゼラは続ける。
「その種に魔力が溜まるようになっていて、魔力が満ちれば呪いが動き出し、全身へと行き渡る……という仕掛けでした。ノックス家当主の祈りの際、ソフィーの頭上にも光の輪が浮かびましたでしょう? あれだと見た目には単なる祝福にしか見えません。ですが、その後ソフィーの魔力の動きがおかしかったので、深く診てみたら……その種が見つかったのです」
一呼吸置き、ベゼラは悔しそうに拳を握りしめた。
「種を完全に壊してしまうと、術者に気づかれてしまいます。ですので、種を私の魔力で覆い、ソフィーの魔力が種にいかないよう遮断いたしました。もしあのまま全身に呪いが行き渡っていれば……術者の思い通りに動かされる、ただの操り人形になっていたかと思います」
「そんな……! ご子息皆様に、そんな恐ろしい呪いをかけるなんて……! なんて酷い……!」
侍女長が胸の前で手を強く握りしめ、憤りに声を震わせる。賢者もまた、不快感を隠そうともせず低く吐き捨てた。
「ノックス家当主は……想像以上だね。」
そして、賢者は鋭い光を宿した瞳で二人に向き直った。
「それなら、ご子息全員に『プレゼント』を贈ろう。それをずっと身につけてもらっておくんだ。ヴィルヘルム様の生誕と、シャルロッテ様の聖女誕生という名目で、子どもたち全員に渡す。そうすれば、同じ手は防げる」
賢者は一瞬、記憶を確かめるように遠くを見つめた。
「ヴィルヘルム様には、種の呪いはないね。あの祝宴の時に壊したから。……もっとも、私が壊したのか、シャルロッテ様の魔力の暴走によって壊れたのかは確認できないけれどね」
ベゼラが不思議そうに首を傾げる。
「ですが……それ以外の何かが、ヴィルヘルム様にはかけられているはずです。現状ではまだ、力の制御を抑え込まれていることしか見えませんが……」
「そうだろうね。ちなみにシャルロッテ様だが、力の制御の呪いは半分ほど吹き飛んだと思うよ」
そこまで口にすると、賢者の表情が深く沈んだ。場の空気が一瞬にして凍りつく。
「……それで、イウローネ妃だが……」
言葉を濁す賢者に、侍女長が縋りつくような眼差しを向けた。
「ほんとに……それ……それしか手段はないのでしょうか……!?」
絞り出すような問いに、賢者は静かに、しかし残酷な事実として首を横に振る。
「……今のところは、それしか手段がないよ」
重く冷たい静寂が室内を支配する中、耐えかねたような悲痛な呟きが、ぽつりと溢れ落ちた。
「おいたわしや……お嬢様……」
「……ですが賢者様、『今のところは』とおっしゃいましたよね? 何か手立てが……!?」
侍女長が縋るような眼差しで賢者を見つめた。賢者はゆっくりと息を吐き出し、決意を秘めた瞳で全員を見渡す。
「そうだね、一度エルフの里に帰ってみるよ。何かあるかもしれない。まだこちらには時間があるんだ。私たちが諦めるわけにはいかないよ」
「左様でございますな」
執事長も力強く頷き、背筋を正した。ベゼラも悲しみを振り払うように胸の前で手を固く握りしめ、凛とした声で言葉を繋ぐ。
「イウローネ様やシャルロッテ様には、私なら王宮で直接お会いできますわ。諦めずに、私にできることを少しずつでも進めていきます」
暗闇の中にひとすじの光が差し込むように、守る者たちの心は再びひとつに重なった。




