第八話 約束
結論から言おう。この魔剣、操作性が「神」すぎる。
これまで握ってきた支給品の剣が、まるで「一回使ったら折れる百均の割り箸」だとしたら、今俺の手にあるこの黒い剣は「職人が十年かけて調整したオーダーメイドの最高級品」だ 。
重さ、バランス、手への吸い付き具合。
そのどれもが、俺の拙いイメージを先行して形にしてくれる。
剣の振り方なんてガキのチャンバラごっこレベルなのに、どう構えればいいか、どこに重心を置けばいいか、次の一手で何ができるかが、説明されるより先に感覚として脳内にダウンロードされてくるのだ 。
「まるで、失くしていた手足を思い出したみたいだ……。いや、元からこんな多機能な手足は持ってなかったけどな」
間違いなく、この胸に埋まった「罰」——魔剣の力だ 。こいつはただの武器じゃない。俺の意思を勝手に拾って、俺の非力さをチートスペックで補填してくれる、超高性能な外部デバイスチートである 。
そして、さらなるトンデモ現象が起きた。
刀身から、薄紫色の霧がじわじわと溢れ出し、砂の上を這うようにして闘技場を包み始めたのだ [。観客の歓声が急に遠のき、熱狂していた会場が、まるで防音室の中に閉じ込められたみたいに静まり返る 。霧の内側だけが、世界から切り離された別次元のようだ 。
これが何なのか、名前は知らない。……はずなのに、俺の脳内OSが勝手に名前をポップアップ表示してきた 。
〈抑鬱の魔障気〉
……いや、ネーミングセンス! アガナエル、お前が名付けたのか? ちょっあれだね、中二病的センスすぎん?
戦意を削ぎ、脱力を誘い、魔力を霧散させるデバフの極致 。本来なら戦うための力なんだろうが、今の俺は、これを「二人きりの対話空間」を作るために展開していた 。逃げ場をなくすためじゃない。聞きたいことがあったからだ 。
———
霧の中で、アリシアが構え直した 。
ただ正面から俺を見据える構え 。その瞳には、初めて「警戒」という、まっとうな人間が怪物を見るような感情が宿っていた 。
俺はアリシアをじっと見た。
何百回も殺されてきた相手だ 。顔を見るのも、声の気配も、剣の重心が移る瞬間も、全部知っている 。
だが、そんな俺でも、まだ手に入れていない答えがあった 。
「何のために戦ってるんだ」
霧の中で、俺の声は自分でも驚くほど落ち着いて響いた 。
アリシアは一瞬、眉を動かした。ほんの僅かな動揺。だが、すぐにいつもの「無敗の剣姫」という鉄の仮面を被り直す 。
「金のためだ」
即答。0.1秒の迷いもない回答 。
だが、今の俺には分かる。
その答えが、何千回も使い古されて、自分自身ですら嘘だと気づかなくなるほど磨かれた「マニュアル」であることを 。
「違う」
「……何が違う」
「その理由顔じゃないからだ」
アリシアが、わずかに動きを止めた 。
「俺はお前に何百回も殺されてきた。……自分で言ってて頭がおかしいと思うけど、事実だからしょうがない」
毎回、お前が俺の息の根を止める瞬間の顔を見てた 。
そこにあったのは、淡々と仕事をこなすプロの表情じゃなかった 。悲しみ、迷い、諦め。そして——何かを決意してる顔だ 。
「教えてくれ。お前の、本当の理由を」
霧がゆっくりと濃くなる 。アリシアは答えなかったが、剣を振るってもこなかった 。それが彼女の「肯定」だった 。
———
沈黙。
霧の向こうで、アリシアの呼吸が乱れる 。魔障気が戦意を削いでいることもあるだろうが、それ以上に、彼女はこの質問に一度もまともに答えたことがなかったんだろう 。
「……妹がいる」
ようやく絞り出されたのは、感情を無理やり押し殺したような、低い声だった 。
「オーナーに、預けられている。人質として」
「五年前から、ここにいる。百連勝すれば、妹を解放すると言われた。それだけを信じて、今日まで戦ってきた」
妹。その一言が、俺の胸に突き刺さった 。
アリシアが九十人を斬り続けてきた三年間、ずっとどこかに閉じ込められている子供がいるのか 。
「……いくつだ」
「十二だ」
「名前は」
「……アイリス」
その名前を呼ぶ時だけ、彼女の声がわずかに柔らかくなった 。
九十勝。あと十勝で自由になれる。彼女はそう自分に言い聞かせているようだったが、その言葉の端々には、五年間抱え続けてきた猛毒のような疑念が滲んでいた 。
……胸が痛いな、おい 。
理不尽な何かに縛られて、前に進むしかない。
俺はアガナエルというイかれたヤツに死を奪われ、彼女は妹を盾に戦いを止められない 。
形は違えど、俺たちは同じ地獄に繋がれた同類だったんだ 。
「お前を、助けたい」
俺は言った 。アリシアは、まるで宇宙人を目の当たりにしたような、理解できないものを見る目で俺を見た 。
「何を言っている」
「そのままの意味だ。お前を助けたい。妹も助けたい。オーナーとの約束なんか関係なく、ここから出したい」
「……できるわけがない」
「ああ、今すぐは無理だ」
正直に言った 。
俺には今、オーナーを動かす手段がない 。この場でアリシアに勝ったところで、アイリスは戻ってこない。闘技場の外側、このクソみたいなシステムそのものを変えなきゃ、何も変わらないんだ 。
「なら、何故そんなことを言う」
「約束したかったから。絶対に助ける、お前も。アイリスも」
霧が揺れる [5]。アリシアの目には、怒りか困惑か、それともずっと誰かに言ってほしかった言葉を初めて聞いた時の、処理不能な感情が宿っていた 。
「……馬鹿なことを言うな」
「よく言われるよ」
「死ぬぞ」
「慣れてる」
二十六年の人生で、これほど説得力のある「慣れてる」を言ったのは初めてだ 。
———
俺は魔剣を見つめた 。
こいつを使って戦えば、今日この試合を乗り越えられるかもしれない 。九十試合無敗のアリシアに、初めて傷をつけられるかもしれない 。
だが、それで何になる?
俺が勝っても、アイリスはオーナーの手の中にいるままだ。アリシアはまた次の試合に駆り出される。今日、この場で勝つことに意味なんてないんだ 。
必要なのは、やり直しだ 。
アリシアの本当の理由を知った。オーナーとの構図も分かった。次は——その外側を変える「攻略法」を考えなきゃいけない 。
俺は決めた。
霧の中で、魔剣の刃を自分の方へ向けた 。
アリシアが、驚愕に眉をひそめる 。
「何を——」
「やり直してくる」
意味は伝わっていないだろう。でも、いい。これは俺の選択だ 。逃げじゃない。
「救うために、一度終わらせる」んだ 。
「待——」
アリシアの叫びが最後だった 。
———
「武器は何にする」
耳に馴染んだ、武器は何にするおじさんの声だ。
目を開ければ、そこはいつもの薄暗い廊下。目の前には、帳面を持った職員のおじさん 。
俺は少しの間、答えずに頭を整理した [6]。アリシア。アイリス。オーナー。霧の中で聞いた、あの震える声 。
五年間、妹一人のために、九十人を斬り続けてきた女の話 。
俺は、大きく息を吐き出した 。
「剣で」
「そうか」
おじさんが帳面に書く。「初戦の相手があいつとはな。運が悪い」という、もはや様式美となった不吉な一言を添えて 。
手渡された果実 。
今回は、ただのカロリー補給として齧ったわけじゃない。
勝ち方じゃない。助け方を、考えていた。




