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第五話 死の学習曲線

「武器は何にする」


目の前の職員の声を聴くのは、これで何度目だろうか。

四十代くらいの、いかにも「異世界の公務員(現場担当)」といった風情の男だ。無精髭に疲れた目、帳面を持つ手に刻まれた古い傷跡。最初は「渋いおじさんだな」なんて思ったものだが、今はもう、彼の髭の数まで暗記してしまった。

数えるのをやめたのは、たぶん三桁の大台に乗ったあたりだったと思う。


「剣で」


「そうか」


定型文。完全にNPCの台詞回しだ。職員は事務的に帳面にペンを走らせ、数歩歩いてから、まるでお約束のイベントシーンのようにぼそりと言った。


「初戦の相手があいつとはな。運が悪い」


……知ってる。耳にタコどころか、耳の穴がタコで埋まりそうなほど聞いた。

確かに運は悪い。だが、これだけ同じ不幸が「固定」されていると、もはやそれは確率論の範疇を超えている。アガナエルとかいう運営が用意した、強制クソイベントだ。

俺は差し出された果実を齧った。

甘い。相変わらず、腹が立つほど美味い。この殺伐としたループの中で、唯一この果実の味だけが変わらずに「ご褒美」として機能しているのが、我ながら現金というか、社畜の悲しい性というか。  

ちなみに何回目が忘れたが他に食べ物はないのかと聞いたら、干し肉のようなものが出てきたが塩辛いし肉臭かった。


———


最初の頃の俺は、正直言ってただの「死ぬのが仕事の肉塊」だった。


二度目。「次こそは見てやる!」と意気込んだが、アリシアが動いた瞬間、彼女の姿は物理法則を無視して消えた。気づいたら三撃もらって、俺の意識もログアウトした。


三度目。「よし、逃げよう」。人生、戦略的撤退も大事だ。通路で必死に抵抗してみたが、衛兵たちにプロの技で床に押し付けられた。「お前は今日死ぬ運命だ」とかっこいい台詞を吐かれたが、こっちはそれどころじゃない。結局、闘技場に強制連行され、アリシアに三撃もらって終了。


四度目。逃げるのをやめた。労力の無駄だと、脳内のリスク管理部門が判断したからだ。


五度目。最終奥義「土下座」を披露した。二十六年の人生で培った、日本人の誇り(?)を込めた美しいスライディング土下座だ。しかし、アリシアは一切の感情を排したまま、無言で剣を振った。

「あ、この子、接待とか通じないガチのプロだわ」と確信した瞬間だった。


六度目。 普通に戦って、やっぱり三撃で死んだ。 [2]


———


だが、俺もただ無駄に死んでいたわけじゃない。

何度目かのリスタートで、俺は方針をガラリと変えた。

勝とうとするのが間違いなんだ。この詰みゲーに必要なのは、勝利ではなく「データ収集」だ。


アリシアの初手の踏み込み。足の角度。重心。剣のグリップの握り込み。

「死にながらデータを取る」という、コンプライアンス的にアウトどころか、倫理観が爆発四散しているような作業。だが、俺にはこれしかなかった。


変化が起きたのは、三十回を超えたあたりだ。


アリシアが踏み込む。相変わらず速いが——見えた。

ほんの少しだけ、彼女の体が右にずれる。

斬られた。痛みはある。でも、浅い!

これまでなら即死だった一撃が、「重傷」で済んだのだ。


その「夜」——便宜上そう呼んでいるが、死に戻った後のあの薄暗い通路で、俺は小さくガッツポーズをした。

「変えられた」

たった半歩。記憶を武器に、俺は初めて「確定した死」という名の現実を書き換えたのだ。


不思議なもので、そうなると「続ける気」になってしまう。社畜が深夜残業の末に謎のテンションになるアレに近いかもしれない。


———


そこからは、文字通りの地獄だった。

同じ相手。同じ砂の匂い。同じ結末。

でも、解像度は少しずつ上がっていく。


アリシアが動く直前、彼女の瞳、視線が動いていることに気づいた。

砂を踏みしめる音の強弱で、次の一歩の距離がわかるようになった。

呼吸を合わせようとして失敗し、「なぜ失敗したか」を分析して次に繋げる。


死ぬたびに経験値を、筋肉ではなく脳に直接叩き込む作業。

そしてついに、俺はアリシアの最初の踏み込みを、完全に回避した。


「——ッ!」


俺の横を、剣が空を切る音が通り過ぎる。

初めて聞く音だった。

世界がスローに見える……なんて便利な覚醒ではない。ただ、「当たらなかった」という事実が、砂の上に落ちた自分の影のように、やけに鮮明に感じられた。

まあ、その直後の二撃目で普通に首を飛ばされたんだけど。

でも、それでいい。今回はこれで十分な進歩だ。


———


さらに回数を重ねた。

「避ける」の次は「読む」。

アリシアの剣は速いが、そこには美しい「流れ」がある。何百回と繰り返される動作には、必ずパターンが宿る。

……まあ、普通の人間ならそれを覚える前に精神が摩耗して消滅するんだろうけど、俺には「憂鬱の魔剣」という名の強力な(嫌がらせのような)バックアップがあるからな。


二撃目の軌道が読めるようになり。

三撃目の重心移動が見えるようになり。


気づけば、俺はアリシアと「戦い」を成立させていた。

避けて、避けて、その隙間に自分の一撃をねじ込む。

浅い。爪を立てた程度の傷だ。でも、俺の剣が彼女の服の端を掠めた瞬間——彼女の目が、初めて俺を「見た」。


「ターゲット」としてではなく、一人の「敵」として認識された。

闘技場の真ん中で、何百回目かの死を前にして、俺は歪んだ達成感に震えていた。「ああ、やっと人間扱いされたな」って。


でも、そこが限界だった。


決定打が、絶望的に足りない。

俺の剣は、彼女の皮膚を裂くにはあまりに脆く、俺の腕力は、彼女のガードを崩すにはあまりに弱すぎた。

どれだけ読み、どれだけ避けても、最後には力負けしてカウンターで即死する。

長引けば長引くほど、素人である俺の集中力が先に削られていく。

結局、詰んでいた。


———


精神の限界が、すぐそこまで来ていた。

もう何度目かさえ分からない砂の上。足は鉛のように重く、頭は熱暴走寸前だ。

体はリセットされても、記憶に溜まった疲労だけは、ヘドロのように心に蓄積していく。


目の前には、呼吸一つ乱さない緋色の死神。

九十試合を無敗で駆け抜けてきた本物のバケモノは、俺のような有象無象の足掻きに揺らぐことはない。


膝が、ガクンと落ちた。


「……何やってんだろ、俺」


死に戻って、何百回も殺されて、それでも勝てなくて。

生きたいのか? それとも、ただリセットボタンを押されるのを待つだけの、壊れたレコードプレーヤーなのか?


終わりだ、と思った。

アリシアが、冷徹なトドメの一撃を放とうと踏み込んでくる。


その瞬間。

胸の奥が、これまでにないほど激しく、熱く、「じくり」と脈打った。


「——が……ぁっ!」


意識が混濁する中、俺の手は無意識に砂を掴んでいた。そこにあった小さな岩の欠片を、指が千切れるほどの力で握りしめる。

理屈じゃない。体が勝手に動いた。

手のひらに岩の角を押し当て、思い切り——引いた。


痛みはなかった。

だが、裂けた皮膚の下から溢れ出したのは、赤い血ではなかった。


「穴」だった。


俺の手のひらに、光を吸い込むような真っ黒な穴が開いていた。

そこから、青黒い、泥のような不気味な液体がドロリと溢れ出す。砂を汚し、消えていく液体の中から、それは現れた。


見覚えがある。

あの真っ暗な空間で、アガナエルが持っていた、あの忌々しい剣の柄。

それが、俺の肉体の内側から、外へと突き出していた。


「……来いよ」


俺はそれを掴み、引き抜いた。

魂を直接引きずり出されるような、重く不快な抵抗感。

ずるり、と現れたのは、黒く、そして青みがかった光沢を放つ刀身。刃に沿って、薄紫の不気味な光が揺らめいている。


完全に抜き放つと同時に、手のひらの穴は跡形もなく消えた。

俺の手の中には今、一本の魔剣があった。


「憂鬱の魔剣」


俺を生という罰に繋ぎ止める、呪いの象徴。


俺はゆっくりと立ち上がった。

正面、アリシアの目が、初めて「警戒」の色に染まった。

無敗の剣姫が、俺という存在に、初めて「死」の可能性を感じた瞬間だった。


「お待たせ。……第何回戦か忘れたけど、続きを始めようか」


俺は不格好に魔剣を構えた。

胸の奥が、もう一度だけ、じくりと鳴った。

ようやく、彼女の首筋に手が届く。そんな予感だけが、今の俺を支えていた。

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