第4話 ココナッツはまた実る
瓦礫の山の前で座り込んでいたら、朝になって周りは明るくなっていたが、私は動けないままだった。
背後から馬が走ってくる地響きが聞こえても、私の心は反応しなかった。
なのに。
「ヘカーディア…?」
ここにいないはずの声が私の名を呼んで、私はゆっくり振り返った。
駆け寄ってきた殿下は膝をつき、私の顔を見た。
「家、壊れちゃいました」
「ああ」
そっと手が両肩に触れた。
「なくなっちゃいました」
笑いながら言った。
ポタリ、ポタリ。
「ああ」
殿下の手はかすかに震えていた。
「がんばったのにな」
ポタリ、ポタリ。
笑っているのに、前が見えなくなっていくのはなに?
この落ちているものはなに?
殿下はそっと、そっと、とても優しく私を抱きしめた。
「それでも、君が無事でよかった」
私は声を上げて泣いていた。
この世界に生まれてからこの方、一番大きな声をあげて泣いたんじゃないかと思うくらいに。
殿下はずっと、優しく私を抱きしめたまま、ときおり背中や頭をなでてくれた。
私が初めて知る優しい手ざわりだった。
泣いて泣いて、声は枯れ目は腫れて開かないくらいになってようやく、いつもの自分が戻ってきて、そして恥ずかしくなった。
「ど、して殿下、が、ここに」
私はまだ殿下の腕の中だ。
「いろいろあって胸騒ぎがしてね。いてもたってもいられなかった」
殿下の声はこんなに甘かったっけ?
大泣きしてしまった恥ずかしさとは別の恥ずかしさがわいてきて、顔がとても熱い。
「あ、あの、ごめんなさい。服が」
「そんなこと気にしなくていい」
離れようとした身体が、スッと自然に再び抱き寄せられる。
「本当に、無事でよかった」
こんなに強く、誰かに心配されたのは初めてだった。
「だが、君が一番怖い思いをしたときに、そばで守れなかったのが悔しい」
「そんな!…殿下は王子様ですから」
「申し訳ありませんが殿下」
それはもう申し訳なさそうな声をかけてきたのはケネスさんだった。
「チッ」
今舌打ちした?!舌打ちしました?!殿下?
「この町の衛兵が、ヘカーディア嬢に話を聞きたいので、詰所に来てもらえないかと」
ケネスさんのそばには、まだ若い衛兵の使いが一人立っていた。
「私も同席させてもらって構わないだろうか」
許可を求めているが、有無を言わさない力強さで殿下も一緒に来てくれることになった。
衛兵詰所は見たことないくらい緊張に包まれていた。
それはそうだ。貴族どころか、王族が同席しているのだから。
担当の人が、私に聞き取りそれを書きとめていく。
「海賊どもと以前関わったことは?」
「ありません」
「奴らはあなたを名指しで誘拐しに来たようですが、ヒッ」
殿下がひと睨みするたび、担当の人が震えていて、だんだん私の方が申し訳ない気持ちになってきた。
それでも、私一人だったら、もっと雑な聴取だったかもしれない。
貴族の関与が濃厚で、うやむやにされたかもしれない。
だけど王族が同席して聞いたことで、この事件は適当におしまいにすることはできなくなった。
一通り事情聴取が終わると、私は家がなくなったので町の宿で休むことになった。
また安全のため、ケネスさんが護衛として私につけられ、一方殿下は領主に話を聞きに行くと言って他の護衛の人たちを連れて行き、私たちは別れた。
「では私は部屋の外で待機しておりますので」
ケネスさんはそう言って廊下に立ち、私は部屋の中で一人になった。
いつの間にか手配してくれた新しい服に着替える。
昨夜の騒ぎで、土やら砂やら頭からかぶり、ひどい有様だったのだが全く気がついていなかった。
こんな汚れたまま殿下の胸で泣いてしまったなんて。
殿下の胸で…。
ひゃああああああ!!
声にならない声でのた打ち回った。
声出したらケネスさんが飛び込んで来ちゃうからね!
あんなに素敵な人が、優しく抱きしめて、無事でよかったなんて囁いたら、誰だって好きになってしまう。
恋に落ちてしまう。
自分の気持ちに、気づいてしまった。
あの人は、王子様なのに。
夕暮れ時に、殿下は宿にやってきた。
「領主殿とはいい話し合いができたよ」
笑顔がなんだか黒い気がするのは気のせいかしら。
「それで、君の生活についてなんだが、ひとまず王城に来てくれないだろうか?」
「私がお城に?!なななななぜ」
「まずは誘拐事件はまだ解決していないこと。君のことは私の命の恩人として、そしてそのせいで狙われている可能性がある、ということにして王室で保護という形にしようと思っている」
「そそそそそんな、私は平民ですし!」
突然の申し出に、挙動不審になっても仕方ないと思う。
「いや、君はまだミケラート家の次女、ヘカーディアだよ。警備のため、君との面会は制限して、君の実家が接触できないように配慮する」
「…いいんですか、そんな」
「その方が、私も安心できる」
「毎回馬を飛ばして駆けつけるのは勘弁していただきたいですからね」
ケネルさんが存在をアピールしてきた。
「まあそういことで、私は明日一足先に戻って君を迎える準備をするよ。城まではここの領主が馬車を用意してくれることになった。君はそれで城まで来てほしい」
何から何までお世話になって申し訳ないと思ったが、不安なのは本当なのでありがたく申し出を受けることにした。
とはいえ、王城なんてもちろん初めてなので、不安しかないのだけれど。
2日後、豪華な馬車が私を迎えに来た。
街の乗合馬車くらいしか乗ったことのない私には、ふかふかの椅子も初めての経験だ。
実家にいた頃はろくに外に連れて行ってもらうこともなかったしな。
貴族らしい経験はほとんどしてないかもしれない。
一応家庭教師はついて、最低限のマナーや教養はつけさせてもらったけど。
馬車に乗っているのは私一人だけど、騎士様が馬で並走していた。
殿下の護衛として何度か顔を合わせた方なので、少し心強い。
そうして馬車はやがて王都に入り、前世ぶりの都会に私の口は開きっぱなしだ。
たくさんの建物に人、人、人、そして見えてきたのは遠目にもわかる美しいお城。
門を過ぎてからも馬車はしばらく走り、ようやく止まった。
馬車から降りた私の目に入るものは、すべてがすべてキラキラしくて眩しすぎる…っ。
「アルレリウス殿下の命により、お迎えにあがりました。ヘカーディア嬢」
聞き慣れた声がして、ケネスさんが立っていた。
「この方はアルレリウス殿下の命の恩人であるご令嬢だ。客人として丁重にお迎えするように」
「心得てございます、ケネス卿」
使用人たちが恭しく礼をする。
ケネスさんも偉い人だったんだ。
部屋まで案内される間も、目にはいるものすべてが美しくて、もはや目を開けているのか閉じて歩いているのか分からなくなるほどだった。
だけど表情だけは、澄ました顔でやり過ごせたと思う。
ありがとう、私の表情筋。
部屋もそれだけで私が住んでいたあの小屋が入りそうなほどの広さだった。
部屋に到着すると、さっそく侍女さんたちの手によって、私はドレスに着替えさせられた。
平民の服のまま王城で過ごすのは、あまりにも場違いで何の罰ゲーム?て感じだもんね。
短めの髪も、きれいにまとめて髪飾りをつけてくれたら、それなりのお嬢様に見えなくもない程になった。
すごいぞ侍女さんたち。
そして食事は、警備も兼ねて部屋で取るように手配されていて助かった。
テーブルマナーとか気になって、きっと味も何もわからなくなるもんね。
夜になると、人生で最高にふかふかなベッドに緊張したが、いつしか寝ていたようだ。
我ながらなかなか図太いんじゃないかしら。
などと呑気に自分を褒めていた私は知らなかった。
第三王子がうら若い女性を王城に連れてきた。婚約者候補なのでは?!と、噂がまたたく間に貴族たちの間に広がったことを。




