36話:存在意義(リミア視点)
前回の予告通り、今回はリミア視点となります!
以前リミア視点で書いた話から、彼女の動向が気になっていた方は必見です!
資格試験の為、次週日曜日の投稿は難しいと思われます……申し訳ありません。
〜人間界〜
人間界に転移し、古代竜との邂逅を経て、私は勇者についての逸話を聞き続けていた。
「……という訳で、私が勇者とやらに敗北したのは失態では無く、必然とも言える仕方の無い事だったのだよ」
「確かに……話を聞いていると、ドラゴンさんの言う通りですね」
目の前の竜の話は、勇者の実力を過剰評価して己の失態を誤魔化すという内容だったが、あまり愚直に突っ込むのも悪い気がするので適当に相槌を打った。
「ところで小娘よ。森の精霊たちの声が数日分の時の流れを我に伝えているのだが……確かお前は急用があるのでは無かったのか?」
「え……? って、あああぁ!」
私は古代竜の言葉で我に帰り、目の前の竜と長時間の会話をしている事に気がついた。
しかも数日分……? と言うことは、私は此処で非常に長い無駄な時間を過ごしてしまったという事になる。
いや、勇者の話を聞いた事は有意義だったけれど。
「わ……私としたことが! どうすれば……」
「……落ち着け小娘。まだセインガルド王国に用があるのであれば、この森の民――『長耳族』に要請して案内をさせてやろう」
頭を抱えて慌てふためく私に、竜はため息混じりに助言した。
「ほ、本当ですか!? では早急にお願いします!」
「分かった。では"精神感応"にて、優秀な長耳族を一人、此処に呼ぶとしよう」
竜は私の返答を快く受け入れ、一人の長耳族へ道案内を要請する。
"精神感応"は私も使えるので、竜から発生された特殊な波長を感知していた。
その巨大な体躯から発生する波長は私の"精神感応"よりも遥かに強く、少なくともこの森全域に届いているだろう。
そもそも"精神感応"は相手の位置を把握していないと意思疎通が出来ないのだが……目の前の竜は目に見えない長耳族達の位置を把握しているのだろうか?
そんな事を考えつつ、少しの間待機していると、やがて一人の長耳族がこちらに向かって歩いてきた。
意外な事に、その長耳族は小さい華奢な体躯の少女であり、薄い緑がかった肩までかかる長さの長髪、透き通るガラス球の様な透明感を醸し出す青色の瞳、きめ細やかで美しい曲線美を描く滑らかな白い肌――それら全ての特徴が神秘的な雰囲気を漂わせており、正に妖艶と言える美しさであった。
人間を基準に考えると、身長や顔立ちから推測するに……彼女の歳は十六歳あたりだろうか。
「あの……貴方が古代竜様の仰っていた方ですか?」
その少女は不安げに私の顔を上目遣いで見上げながら、慇懃な口調で問いかける。
「はい、竜さんから『美しく可愛い女性』だとご紹介頂いたリミアちゃんです! 宜しくお願いします!」
長耳族の少女に安心感を持って貰えるように、私は明るく親しい口調で自己紹介をした。
「いや、そんな紹介はした覚えが――」
「えぇ、分かってます。竜さんの素晴らしい紹介によって私の魅力が彼女に伝わった事は重々承知です! 改めて宜しくお願いします!」
気まずそうに呟く竜さんを横目に、私は少女に両手を差し出して握手を求める。
「お、お願いします……」
私と竜さんのやり取りを見ながら、長耳族の少女は差し伸べられた私の手を控えめな握力で握った。
「あ、あの……道案内はセインガルド王国までで宜しいのですか?」
「はい! こちらこそ宜しくお願いします!」
やはり不安げに私を見上げながら問い掛ける少女に、私は明るく返答した。
「……挨拶を済ませたのなら、さっさと出ていけ」
お互いにどこか緊張した挨拶を見て呆れたのか、竜さんは嘆息しつつ言い放ち、そっぽを向いた。
一見、無愛想に私達を追い出すように見えるその仕草も、私が最初に『急用』だと言った事に対して、無駄な時間を使わせないようにする竜さんなりの気遣いなのだろう。
冷静に考えると、最初は魔界の惨状に慌てふためき焦燥していた私だったが、竜さんの話に没頭している内に落ち着きを取り戻し、勇者について嘘偽りのない昔話に希望まで見出していた。
この竜との数日間の時間は、決して無駄な時間ではなく、僥倖としか言いようの無い有意義な時間だったと言える。
もしかすると、この竜さんは初めから私への気遣いを――
「分かりました。あと……」
「……なんだ? まだ何か話があるのか?」
私の呼び掛けに対し、竜さんはこちらを見向きせずに聞き返した。
そんな無愛想で不器用で……親切な竜さんの仕草に微笑みながら、私は自身の心情を伝える為に口を開く。
「お気遣い、ありがとうございます。機会があれば、今度またお話しましょう」
そう告げて、私は竜さんに向かって一礼した。
「フン、何の事だか。
……長耳族の小娘よ、その金髪の小娘の案内を任せたぞ」
相変わらずこちらを見ないままだが、私との別れを惜しみつつも、最大限の助力を尽くそうとする竜さんの優しさに私はハッキリと気づいていた。
「……はい! お任せ下さい!」
そして長耳族の少女も、その一言で古代竜の中で私の存在が重要なものになっている事に気づいたのか、明るい笑顔を浮かべて元気な声で竜さんに返答する。
まだ幼い少女にとって、初対面で素性も知らない人の案内など不安で仕方が無かったのだろうけれど、この短時間で既にそんな不安は解消された様だ。
古代竜が信頼する者なら、私も安心して付き合う事ができる――そう確信して。
「では行きましょう。私の道案内なら、明日にはセインガルド王国に到着していますよ!」
長耳族の少女は私の顔を見ながら、穏やかに笑った。
先程の頼りない態度からは一変し、現在の彼女は頼もしい限りだ。
「はい! ……ところで、貴方の名前を伺っても良いですか?」
お互いの信頼関係は自己紹介からだ。
短い付き合いだが、自分と関わりを持つ以上、相手の名前を知ることは欠かせないだろう。
「私はセーラと言います。貴方のお名前は……」
「私の名前はリミアです。道案内、よろしくお願いしますね?」
私はニコッ、と柔和な笑みを浮かべて挨拶する。
セーラちゃん……かぁ。外見に似合う可愛い名前ですね。
そんな事を考えながら、私はセーラと名乗った長耳族の後を追ってセインガルド王国を目指すのであった。
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それから暫く歩く事、およそ三時間。
私達は広大な面積を誇る森を抜けて、草本層の植物が辺り一面に叢生する平原を歩いていた。
古代竜の印象や世間話などで談笑を交えながら私の前を歩いていたセーラちゃんの様子に異変が起きた事を、私が即座に感づいた。
「はぁ……はぁ……っ」
いつの間にかセーラちゃんの頬は紅潮し、肩で息をする様になっていたのだ。
恐らく、休憩無しで長時間歩き続けた疲労が身体に現れたのだろう。
「だ、大丈夫ですか……? 大分疲れている様ですが……」
「すみません……少し辛いです。私たち長耳族は魔法の扱いには長けていますが、基本的に身体能力は人間よりも劣っているので……」
なるほど、この少女の体力が特別低い訳ではなく、殆ど長耳族も同じ事が言えるという事か。
しかし今は時間が惜しい。
唯でさえ古代竜との会話で数日間の時間を消費しているのに、ここで更に時間を消費する訳にはいかない。
と言っても、この少女に無理をさせるのも気が引ける。
「……少し失礼しますね」
一言告げてから、私はセーラちゃんの背中に掌をあてる。
次の瞬間、紅潮していた彼女の顔の血色が治り、肩で息をしていた荒い息遣いは落ち着きを取り戻した。
「……あれ? 身体が楽になりました!」
少女もその変化にすぐ気づいた様だ。
全力疾走した直後の疲れが突然無くなった様な感覚を感じているのだから当然だろう。
彼女が突然に体力を回復した理由は、体内の"魔力操作"による疲労回復効果を促す回復術を私が施したからだ。
本来は負傷の回復促進を促す為のものだが、他にも様々な医療的用途があり、体力回復はその用途の一部である。
「ありがとうございます! お陰様でまだまだ歩けそうです!」
セーラちゃんは満面の笑みで私にお礼を告げて道案内の再開を急いだ。
「どういたしまして。また辛くなったら教えてくださいね」
私は再び柔和な笑みを浮かべて、それに答えるのであった。
古代竜の命令とは言え、無償で道案内をして貰っている以上は当然のお返しだろう。
そんなやり取りを交わしてお互いの信頼関係を築きつつ、私達は再びセインガルド王国へ向けて歩き出した――その瞬間。
膨大な闇の魔力――魔界で体感した、驚異的な威圧感を放つ暗黒の瘴気――が遥か彼方に天まで届く漆黒の円柱を形成させる光景が目に映った。
「なっ……あれは一体……!?」
闇の魔力を透過する陽光が変質しているのか、漆黒の柱が渦巻く空は紅く染まり、余りにも高密度の魔力にて形成された柱の向こう側の景色を見通す事は出来なかった。
その余りにも膨大な魔力を目の当たりにし、私の隣でセーラちゃんが『有り得ない』とばかりに目を見開いて驚愕を露にする。
「まさか……あの魔力は……!」
かく言う私も、その魔力を前に驚愕を隠せなかった。
嘗て魔界で感知した果てしなく冷たく昏い絶望的な魔力が、この距離で更なる脅威を感じさせた事実を前に、冷や汗が背中を伝う感覚を覚える。
あれは間違いなく、この人間界に生息する生命体ならざる存在――魔王の魔力だと私は確信した。
「嘘……あの黒い柱、セインガルド王国から立ってる……」
明らかな動揺を示すセーラちゃんの口から、驚愕すべき言葉が発せられる。
よく目を凝らして遥か前方を眺めると、巨大な柱は巨大な岩石を幾つも重ねて造られている堅牢な石造りの外壁に囲まれた国から発生している事が確認できた。
あれがセインガルド王国という、人間界最大の王国なのだろう。
そして今、魔王の脅威が、その王国へと及んでいるのである。
「……セーラちゃん、ここから長耳族の里まで戻る体力は残っていますか?」
事態は既に一刻を争う。
私は端的に、必要最低限の質問のみをセーラちゃんへと向けた。
「え……? もしかしてセインガルド王国への入国を諦めて森へ戻るのですか?」
落ち着かない様子で、セーラちゃんは私に問い掛ける。
しかし今は、悠長にそんな質問に答えている暇はない。
「すみません……ここまでの道案内、ありがとうございました! 私はセインガルドへ向かいます! また機会があれば会いましょう!」
私はセーラちゃんにそれだけ告げると、彼女が安心して森に帰れる様に、先程の要領で"魔力操作"による一応の疲労回復を施した。
更にその刹那、魔力にて双翼を展開して地上を飛び立った。
「えっ!? あそこは危険で――」
私が咄嗟に飛翔した事に驚きつつも、私の身を案じるセーラちゃんの言葉を聞き流し、私は音速をも超える全力の速度にてセインガルド王国へと向かうのであった。
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ものの数秒でセインガルド王国の上空へと到着した私は、空から地上を俯瞰する。
とはいえ、濃い漆黒の瘴気によって視界を塞がれた状況では地上の様子など全く見えない上に、魔力の拡散が広範囲に及んでいるため、"魔力感知"を使用しても発生源の正確な位置も把握できない。
「これは……流石に、この瘴気が晴れてくれるのを待ってくれるしか無いですね」
焦燥感に駆られながら、私は上空にて停止した状況のまま、闇の瘴気の発生が収まるのを待つ事にした。
その直後、私は強力な魔力を放つ一つの生命体が上空に飛び上がり、私の方に接近する様を感知する。
魔力の質と量から考えて、その正体が魔王である事は明確であった。
まさか、空中に居る私の姿に気づいたのか――と考え、咄嗟にその場を離れようとした時、魔王の上昇は私の近くまで接近する前に止まった。
「私の姿には気づいていない……? では一体なぜ地上に――」
そんな私の疑問は、突然に発せられた魔王の言葉によって解消される。
「――聞くがいい、人間諸君!
私は全ての魔族の頂点に君臨する存在、『魔王』である!
私の望みは――」
それは、全人類に向けての宣戦布告であった。
この世から『勇者』を一人選定し、人類の存亡を賭けて魔王との戦いを命じさせよ、との内容だ。
正直、余りにも無茶が過ぎる。
魔王の側近という実力を持つ私でさえ畏怖する様な脅威に勝る人間など――いや、そもそも立ち向かう勇気のある人間など、存在する筈もない。
とはいえ、魔王の提示した条件に従わなければ、全人類に齎されるのは――死。
しかし、そんな絶望的な条件にも、私は一つの希望を抱いていた。
それはもう一人の魔王――私が忠義を尽くし、長い間側近を務めてきた御方――の存在である。
だが、私が仕えてきた魔王――即ち、サタンは人間となった後、この王国へと移住した筈だ。
新魔王と元魔王が同じ王国に訪れるなど、偶然な訳がない。
私は一抹の不安を感じながらも、目の前の状況を冷静に眺めていた。
やがて瘴気が晴れると、私の目には先程の魔力を発生させていた魔王の姿――サタンの外見と酷似し、髪と瞳の色のみが異なる存在の姿が遠目に映った。
その姿を見て、私は確信する。
間違いない、あの人物こそが魔界・人間界共に最大の脅威――新たなる魔王なのだと。
更にその魔王の姿を目で追うと、私は更に驚くべき光景を目の当たりにする。
何と、魔王が降り立った場所のすぐ側には、死神の"世界視"にて把握した、サタンが転生して生まれ変わった姿――白髪碧眼の人間の姿が存在していたのである。
「あの御方は……! あぁ……魔王様……やっとこの目でその姿を見る事が叶った……」
安堵感に思わず頬が緩み、緊張していた心が楽になる感覚を覚える。
この数日間、心の支えにしていた人物を目の当たりにし、私は感動に打ちひしがれていた――が、すぐに現在の状況を思い出し、冷静な思考を取り戻す。
何故なら、地上に降り立った新たなる魔王が元魔王の居る場所へと近づき、何かを語りかけている様子が目に映ったからだ。
「……感動している場合じゃありませんね。一体、新たなる魔王は何をするつもりなのでしょうか……」
私は"聴力強化"スキルを発動し、二人の会話を聞くことに専念する。
それと同時に右手の人差し指を新たなる魔王へと向けて、とある『魔法』の詠唱を行う。
「《全てを無に帰す雷霆の矢よ――其の一撃を以て虚空を駆け、我が敵を穿て》!」
私が扱える魔法の中でも遠距離狙撃に特化した攻性魔法――"消滅弓"を即座に発射できる様にする為の魔法陣を形成した。
この魔法程度の一撃で新たなる魔王を殺すには至らないであろうが、少なくとも何らかの形で重症を負わせて隙を作る事は出来るだろう。
今の私と人間となった魔王様が、新たなる魔王に勝てる勝算はゼロと言ってもいい。
だから一瞬でも隙を作り、私が魔王様を連れて逃げる。
とにかく、新たなる魔王を倒す可能性を秘めている魔王様を今、いかなる手段を用いても死なせる訳にはいかなかった。
私は"消滅弓"の発射先を新たなる魔王へと向けたまま、慎重に二人の話に耳を傾ける。
今、二人が行っているのはただの話し合いだ。
しかしお互いの表情に笑顔は無く、両者共に明確な敵意を含む視線で殺伐とした空気を醸し出している。
今すぐにぶつかり合いが起こっても可笑しくない、正に呉越同舟の状況であった。
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それから二人の会話が終わるまで、空中にて耳を傾けていたが……どうやらお互いに激しい衝突はせずに話し合いのみで済んだ様である。
しかしその内容は、今の魔王様が勇者となり、一年以内に新たなる魔王を倒す力を得て先程の条件で決闘を行う様に命ずる、一方的な話し合いであった。
これ程までに一方的な話し合いを強いられるという事は、魔王様も新たなる魔王の脅威を体感し、畏怖しているのだろう。
人間となって魔王としての力を失った今、それは仕方の無い事だと言える。
一見すれば、一年間の猶予を与えて、更にわざわざ魔王様を指名して勇者に仕立て上げるという、新たなる魔王にとって不利益にしかならない意味不明な約束だったが……どうやら、新たなる魔王は魔王様を絶望の淵へと陥れたいという狂気的な目論見の元に提案したらしい。
同じ力と容姿を持つ筈の魔王なのに、何故こうも人格が歪んでしまったのか――果てしない絶望感が私を襲った。
「魔王様……申し訳ありません。あの時、私が貴方の自殺を阻止できれば……」
そしてその絶望感は、自らを戒める自責の念へと変化し、私は自然と魔王様から身体を背けてしまっていた。
この事態を引き起こしたのは魔王様本人だが、あの場に居合わせた私にも重大な責任がある。
その責任を取れないまま、ノコノコと魔王様の前に顔を出す訳にはいかない。
だから――
「――私はこの王国で、魔王様との再開を待ちます。
運命が自然と私と魔王様を結びつけるまで……私は魔王様の元へ顔を見せることは許されないでしょう」
そう呟きながら、私は国内でも魔王様の居る場所とは正反対の区間へと飛翔し、誰にも見つからない様に細心の注意を払いつつ地上に降り立った。
降り立った場所は、人気のない廃れた居住区の中央――既に使われていないであろう民家が立ち並ぶ街の裏路地である。
今の私は、魔王様と再開できる権利はない。
かと言って、新たなる魔王へと対抗する責任を放棄する訳にもいかない。
この王国内を放浪し、魔王様との偶然の邂逅を果たすまでの、暫くの乖離――それこそが、今の自分への戒めのつもりだった。
しかし――流石に人知れず王国を彷徨い、一年間もの日々を飲み食いもせずに過ごしていては、いずれ飢え死にしてしまう。
生命力の高い魔族生命体とて、魔王を除いては不眠不休かつ断食で長期間の生活なぞ不可能なのである。
最低限の生活環境の確保。
今はそれを優先すべきだろう。
「まずは冒険者ギルドを探すべきですかね……。王国ともなれば、いくらでもギルドは建てられているでしょう」
最低限の生活さえ維持できれば、ギルドなど何処でも良い。
長い間、魔王様の側近として仕えてきた優秀な魔族生命体である私を受け入れてくれるギルドは多い筈だ。
そう考えて冒険者ギルドを探すべく、宛もなく歩を進め、裏路地を歩いて広い通りへと抜けた――その瞬間。
「……ありました」
私は前方に見つけた、二階建て木造建築の建物に取り付けられた看板に『冒険者ギルド』と書いてあるのを発見する。
しかしその建物は相当年季が入っているのか、壁の所々には小さな穴が開いている。
更には至る所にペンキか何かで描かれた落書きや誰かの血痕まで付着しており、これでもかという程の怪しい雰囲気を纏っていた。
しかし、古代竜が住まう洞窟にも平然と足を踏み入れた私にとって、外観が悪い建物に入る事には何の不安も感じなかった。
何よりギルドに入らなければ、こちらの生存が危ういのだ。
目の前に冒険者ギルドがある以上、それを避ける訳にもいかないのである。
「大丈夫……チラッと見るだけです。もしかしたら中にいる人も悪い人じゃないかも知れませんし……」
意味の無い独り言を呟いて気持ちを落ち着かせながら、私はそっとギルドへと近づき、その扉を開いた。
扉にも小さな穴が幾つか空いており、建て付けも相当に悪く、開く時にはギィ……と不安な音を立てていた。
「し……失礼します!」
戸惑いながらも、なるべく第一印象を良くする為にハッキリとした明るい挨拶と共に、周りの光景を見回す。
そして、目に映った光景――冒険者ギルドの中の様子は凄惨なものだった。
まず、目に映る人々は全員、身体の一部に刺青を入れたガタイの良い男性。
その殆どは無造作に置かれた木造の椅子に腰掛け、机の上に足を乗せるという行儀の悪い姿勢で白昼堂々と酒を飲んだくれており、出入口で挨拶する場違いな私を鋭い眼光で睨みつけていた。
バラバラに置かれた全ての机の上には酒瓶が置かれており、カウンターの棚には酒が並んでいたり……と、内装はギルドと言うよりもガラの悪い酒場と言える。
「何だぁ? 誰だこんな嬢ちゃん呼んだ奴ァ?」
そして室内の奥で、他の男達同様に行儀悪く椅子に座り、酒瓶を片手に持つ一人の男が、威圧的な目でメンチを切りながらジロジロと私の身体を嗜める様に見つめながら不機嫌そうに発言した。
「あぁ? 知らねぇよ。つーか、よく見ると可愛い娘じゃねぇの」
更に別の男が嫌悪感さえ感じさせるニヤニヤとした笑顔で私を見ながら、先程の男の質問に返答する。
どうやら予想以上に、このギルドの雰囲気は険悪そのものだった様だ。
よし、やっぱりこのギルドに入るのは止めよう。
そう固く決心し、何とかこの場を去ろうと私は口を開く。
「えっと……あはは……実は道に迷っちゃって……し、失礼しました!」
しかし上手く言い訳が考えつかなかった私は、適当に笑って誤魔化して扉に振り返り、さっさと退散しようとする。
「ちょーっと待てよ。アンタみたいな嬢ちゃん、俺らがみすみす見逃すとでも思ったの?」
気配が無かったのでその存在に気づかなかったが、出入口の扉の近くに居た一人のギルドメンバーが私の肩を掴み、扉に手を掛けようとした私の手を止めさせた。
「な……何ですか? 私は急ぎの用があるので……」
その男の、しつこく軽い態度に少しの憤りを感じた私は、つい怒りを声に反映させて男に素っ気ない反応をしてしまう。
「そんな嫌がらなくても良いじゃん? 折角来たんだから、俺らと少し遊ぼうぜぇ? 例えばこんな風になぁ……」
「――ッ!」
男は酒臭い息を吐きながら、気持ちの笑顔と悪い口調で言うと、私の肩を掴む右手とは反対の左手を動かし――私の尻を鷲掴みにする。
そして――その瞬間、私の中で何かが吹っ切れた。
「触らないで下さい! 変態!」
「ぐはっ!?」
私が怒りのままに咄嗟に放った旋風の如き超速の上段後ろ回し蹴りが風を切り、男の顔に炸裂する。
その身体の回転力から生み出される破壊力は周囲の椅子や机を吹き飛ばす余波を発生させ、長い間掃除されなかったのであろう室内に溜まった埃を巻き上げた。
そして私の蹴りを喰らった男の身体は奥の壁へと高速で吹き飛ばされ、ドンッ! という大砲の発射音の如き盛大な音を立てて崩れ去った。
「「「なっ……!?」」」
男達はそれを目で追う事は出来ず、私の蹴りを喰らった男が壁に激突した音に反応して奥の壁へと振り返る事しか出来ない始末である。
「お、おい……アイツの冒険者ランクはB+の筈だろ?」
「嬢ちゃんの動きが見えなかった……いや、辛うじて残像とアイツを蹴り飛ばす為に動きが止まる瞬間が見えた……」
ざわざわと周りが騒めき、男達は目に見えて動揺していた。
そしてそんな情けない男達に向けて、私が一喝する。
「何ですか、このギルドは! 白昼堂々と酒を飲んだくれているし、女性には何の良心の呵責も無く気安く触れるし……ちょっと全員、私の前に直りなさい!」
「「「は、はい……」」」
その場の全員はすっかり酔いが覚め、呆然とした表情を浮かべ、意気消沈した様子で返答し、私の前に正座するのであった。
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それから二時間ほど。
「――全く、いい歳した大人がこんなに堕落した生活を送るなんて言語道断です! 少しは生活態度を改めて下さい!」
私は当初の目的も忘れて、怒りのままに男達に向かい、後悔しない正しい人生の生き方、人並みの倫理観と価値観、人の幸せとは何なのかを根本的に説いて教唆していた。
こう見えても数十万年生きてきた私の人生経験から語られる言葉は相当に説得力があるらしく、全員が一途に私の言葉に耳を傾け、深淵の如き深く昏い眼をしていた男達は、明るく希望の光が灯った眼へと変化したのである。
「くぅ……嬢ちゃん……アンタ強くて優しいなぁ。まるでお袋を見ているみてぇだ……」
「そうだな……裏の仕事ばかりを引き受けていた俺達だが、明日に希望ぐらい抱けるよな!」
そして私の話に感動した者達は、それぞれの思いを綴って口にした。
「えぇ。まずはこのガラの悪いギルドを真っ当な正式ギルドへと変えましょう! まずは建物の改修からですね……」
恐らくここは、ギルドとは名ばかりで、本当は経営許可証も無い、裏仕事の依頼を請け負う為の、いわゆる闇ギルドなのだろう。
だからこのギルドを正式ギルドへ変えるには先ず、裏仕事の依頼の受理を止めて、ここが至極真っ当な組織である事を示す必要がある。
そしてこの怪しい雰囲気を変えて、依頼人が依頼を申し込みやすい環境を造るべきだろう。
幸いな事に、ギルドとしての人員は十分であり、裏仕事を請け負うだけあって一人一人の戦闘力も身についている様だ。
そして重要なのがお金だが、裏仕事では多額の報酬が手に入り、この闇ギルドでは割と多くの依頼をこなしているらしく、経営維持の為のお金は問題ないとの事だった。
当然、裏仕事の為の物騒な道具も揃えてある。
つまり、人員、経済、物品の条件は曲がりなりにも満たしていたのである。
この闇ギルドが正式なギルドと認定される為には、割と好条件と言えるだろう。
かくして――私を筆頭に、ギルドメンバーの全員が自分達の夢を、そして希望に満ちた人生を掴むために動き出したのであった。
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それから一ヶ月後。
体力自慢の男達が集うこのギルドに於いて、木造建築の建物一つの改修工事など容易なことであり、更に私の指示通りに建物内のコーディネートも完了。
ギルド内の雰囲気だけでも、廃れた酒場の様な殺伐とした雰囲気漂う犯罪者の巣窟から、照明道具の種類や位置、光量にまで気を配り、木造建築のメリットを最大限に活かした穏やかな空間へと生まれ変わった。
更に現在、カウンターに置かれているのは酒だけではなく、訪れたお客様にお洒落なカクテル等を提供できる休息空間になっている。
正式ギルドの様にギルドマスターを選定していないこのギルドでは、一人一人が自由に生活できる場となっており、彼らにとっては正に理想のアットホームな生活空間だった様で、何も縛るものが無い彼らの統率力はかなりのものであった。
元から全員の力を正しく使えていれば、私が来る前から正式なギルドとしての活動も成り立っていた筈なのだ。
そして――数日前。
遂にこの組織が正式ギルドとしての経営を認可される為の、国からの査定に見事合格し、日々を絶望と共に生きてきた男達は正しき道を本格的に歩み始めたのである。
そして私はこのギルドの看板娘として接客をこなし、仕事で疲れた仲間への癒しを与える日々を送っていた。
かくして、社会の闇に葬られて腐敗した人間を更生する私の物語は幕を閉じ、人間として大切なものを取り戻して人生の希望を見出した彼等と共に生きる私の幸せな日常が始まるのであった……。
……って、当初の目的と違ーう!?
そうだ。何故忘れていたのだ。
私は新たなる魔王の脅威から人間界と魔界を救うべく、魔王様に会うために人間界に来たというのに、なぜこんな所で油を売っているのか。
……いや、仕方の無い事だろう。
正直言って魔王様に会わせる顔も無いのだし、今は何処で何をしても結果は同じなのだ。
それに……新たなる魔王の存在を魔王様に知らせる私の役目は必要無くなったのだ。
魔界と人間界の危機を知った以上、あの御方は私がいなくとも新たなる魔王の討伐に向けて力を伸ばしている筈。
それは十万年もの間、魔王様の側近として務めていた私だからこそ確信を持って言える事だ。
だから――
「ふぃ〜、今日も疲れたぜ。リミアちゃん、何時もの一杯ね!」
「はい! ただ今ご用意しますね!」
――私はいつか魔王様に出会う日を、この人間界で見つけた自分の居場所で待望する事を決意したのであった。
恐らくタイトルを見て、今回は暗い話かと思った人は拍子抜けしている事でしょう。
クロトと同様にリミアも一ヶ月の間、充実した日々を送っていた訳ですね。
ギルドの事については余り詳しくは無いので設定は適当です……。
二人の再開は何時になるかは分かりませんが、再開を楽しみに次話も読んで頂けると幸いです。




