第5話 宝魚は無理だが…
池に落ちそうになったそのとき、腕を力強く掴まれる。
「きゃっ——?!」
引っ張られたと思ったら誰かに抱き寄せられ、その胸元に顔がぶつかり、イリビアは驚いて顔を上げる。そこにはアンドレがいた。
「あんた、こんな所で1人で何をしてるんだ」
「何って、魚を取ろうとしてただけですけど…。アンドレさんこそ、なんでここに?」
「俺は、配達の帰りにあんたを見かけたから…魚を取るって、ここのをか?」
「はい、前にここの池で、宝魚に似た綺麗な魚を見たことがあって。銀色で時々青色にも光ってて…!その魚を、宝魚の代わりに育てようかな!と!」
イリビアは、ずっとアンドレに抱きしめられたままで、見上げて話すのに首が痛くなってきたので、少し離れようとしてみる。
だが、分厚い胸元と意外と太い腕に、がっちりと固められて動けない。
「あの…そろそろ体を離してもらっても、いいですか…?ちょっと、力が強いです…」
「あ、ああ…!悪かった、すまない」
アンドレは慌ててイリビアの体を離すと、後頭部をかく仕草をする。
「それはそうと、ここの魚を宝魚の代わりにするってのは、やめた方がいい。というより、そもそも見た目が違い過ぎる」
「ええっ、でもっ、前に見たとき本当に綺麗で…!」
「その網を貸してくれるか」
差し出したアンドレの手に、イリビアは持ってきた網を渡す。
(手が大きいのね…)
イリビアが両手で一生懸命掴んでいた網の棒も、アンドレは片手で余裕で掴んで構える。
アンドレはじっと池の中を見つめていたかと思うと、急に素早く動き、まるで水面を切るかのように静かに網を横に動かした。
水面から離れた網からは、水滴がポタポタと垂れる。
「この魚のことか?」
「えっ!もう取れたんですか!?」
アンドレはしゃがむと、慣れた手つきで片手で虫かごの蓋を外し、虫かごを掴むと池の中で傾けて池の水をすくい、その中につかまえた魚をゆっくりと入れる。
イリビアは地面に両膝をつき、虫かごの中を覗き込むと、そこにはピチピチと元気に跳ねる——灰色の魚が。
「え…なにこれ、灰色なんですけど」
「当たり前だ。こんな池にいるのは、灰色の魚しかいない」
「うそうそっ、だって前に見たとき、銀色のような青色のようなキラキラ光ってたお魚がいて…!」
「その日は、気候のいいよく晴れた日だったんじゃないか?気象条件が揃うと、一時的に魚は光の屈折により虹色に光ってみえることがある。だが、それは目の錯覚で、実際はこういった鈍い色ってことだ」
「えぇ…うそぉ〜〜…」
体の力が抜け、へたり込むイリビア。
「分かったか。だから、もうこんな無謀なことは…」
「いけるでしょ」
「……やめ…え?」
「光の屈折で虹色に光って見えるなら、その気象条件だかなんだかが揃う日に王太子様に返せば、なんとかなるってことじゃない?」
「いや、無理だろ、絶対バレるだろ、おいおいおいおい、こんなの渡したら、それこそ自分から死刑してくださいっ、って言ってるようなもんだぞ?」
「——だって、どうせ死刑なら、何かして抗いたいじゃない。王太子様が戻ってくるまで、ただ何もしないで死刑になるのを待つなんて、絶対嫌!」
「だとしても、これを返すのは…。この魚は通称ドブ魚だぞ」
「え、ドブ…?」
「そうだ。どんな汚水の中でも、劣悪な環境の中でも生きていけるほど生命力が強いことから、ドブ魚と呼ばれている」
「ふーん。ていうか、それならむしろ宝魚ってこれで良くない?」
「……いや、無理だろ。国の宝にドブは」
「でも…!もう私にはこの手しかないの!このお魚を育てて、帰ってくるまでに綺麗な色にならなかったら、ん〜〜〜最悪、私がちょっとだけ一時的にでも色をつけるわ!宝魚らしく、キラキラさせちゃって〜筆でラメとかのせちゃえば…いける気がしてきたわ…!じゃあ、持って帰るわ。ありがとう、取ってくれて」
「え…いや、ちょっと待て…」
イリビアが立ち上がり縛ってあったスカートを解いていると、アンドレは口元に手を当て気まずそうに顔を横に向ける。
「それじゃあ、アンドレさん」
イリビアが虫かごと網を持って立ち上がると、アンドレも立ち上がり咳払いをする。
「……もっと綺麗な魚にしたらどうだ」
「えっ?」
「宝魚は無理だが、どうせ代わりに育てるなら、元から綺麗な魚の方がいいだろう。この後、時間があるならうちの店に見に来たらいい」
「えっ!いいんですか!行きます!アンドレさんて、意外と優しいんですね〜!」
笑顔になったイリビアがアンドレに駆け寄ると、アンドレは口元に手をやり照れくさそうに顔を背ける。
「意外って、なんだ、意外って」
「えー、だって最初お店で会ったときは、あんなに冷たい態度だったのに」
「初対面で宝魚売ってください、とかいうお客なら、普通警戒するだろ」
「あ…!あのときは、必死だったんです!」
「まあ、そんなことはいい。早く行くぞ、あー…あんたの名前はー…」
「イリビアです。イリビアと呼んでもらって構わないです。よろしくお願いしますね、アンドレさん」
アンドレはイリビアから虫かごを受け取ると、中の魚を池に戻した。イリビアは戻った魚を見つけようと池の中をじっと見つめていると、アンドレがイリビアの手から網も抜き取り、持って歩き出す。
「行くぞ、イリビア」
何気ないこのやり取りの先に、このあとイリビアは、アンドレの店で、元の世界と関係があるものを見つけるのだった。




