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7章 答えはずっと、奥のほう

「ようこそ、學び舎へ」


月曜の夜、あたしたちはまた下公したこうの藤棚の下に集まった。藤の花が咲き乱れ、いい香りが漂っている。

…さすがにもう人数増えなといいな…。でも、減らないの、地味にすごい。


「今日はみんなが、日常でどんな体験をしてきたかを聞かせてくれるかな」いちごミルクとジャムパンという日常感の権化みたいなものをはべらせて一道さんが言う。血糖値大丈夫なの、この人。


「はい! オレ、サッカーでめっちゃ活躍したっス!」


「せやなー、シュートは一本も決まらへんかったけどな」


「えー、実質優勝とか言ってくれたじゃないっスか」


「自分で持ち上げへんかったら、こっちが持ち上げたるから、焦らんと待っとき」


「ちぇー」


「浅田くんの試合、良かったみたいだね」


いちごミルクを飲み干した一道さんがあたしたちに話を振る。


「そ! スポーツ観戦ってちゃんとしたことなかったんだけど、めっちゃ良かった! 前は『なんでみんな、お金払って応援なんてしにいくんだろ』って不思議だったけど、やってみてわかった! 楽しいね、あれ」


「せやな、浅田がめっちゃ生き生きしてて、こっちまで元気もらえたわ。アツいな、サッカー」


「だろ? だろ?? 来月また試合あるから…」


ぜひ来て、という言葉を飲み込んだようだ。浅田、少しずつ学習してるっぽい。

吉野が、「わからん」という顔で腕組みをしている。スポーツにはあまり興味ないのかな。てか、奴は何に興味があるんだろ??


「しゃーない、また行ったるわ。今度はええとこ見せてくれるんやろな」


「え、やったー! めっちゃ練習するわ!」


あら、いい感じじゃないですか、お二方。




「あの、自分、塾に行ってるんですけど」


加藤らしい日常だわー。おつかれさまです。


「塾生同士で、ケンカがあったんです」


「物騒やなあ」


「それでそれで?」


「あ、はい。塾でトップ争いをしている二人の、最初は冗談半分の言葉の応酬だったんですけど、だんだんヒートアップしちゃって、最後は掴み合いのケンカになりかけたところを周りの生徒と先生が止めたんです」


わー…ハードだわ、受験戦争…。


「二人の論点はなんだったの?」


一道さんらしい質問が加藤に向けられる。ジャムパンは今食べ終わったようで、指を舐めている。


「えっと…、トップの男子は、東大に行きたいみたいなんです」


「成績やば」


「超高層エリートやわ…」


この街にもそういう世界の人、いるんだね…別世界の話かと思ってた…。

ん? 超高層?


「Aとしましょうか。Aは東大に行けなきゃ意味がない、みたいなわかりやすい学歴至上主義っぽくて、たぶん親の影響だと思うんです」


「うわ、そいつとオレ、ぜってー友達になれねー」


「浅田には脳筋フレンズおるから心配いらんで」


「ちょw言い方w」


「…で、2位の女子、Bとしましょうか、Bは『そんなことない、価値は東大にあるんじゃなく、その人が何をしたいかで決まる』って言うんですね」


「え、取っ組み合いしたの、女子と男子やったん…?」


「やば、その女子つよ」


「そしたらAは『何がしたいとしても、東大に入れない時点で世の中への影響力は限定的になる。そのやりたいことを東大で果たせ』みたいな論調で」


「マウントA太やな」


「で、Bは『たとえ東大に入っても賄賂や権力闘争で腐敗する人たちはたくさんいる。東大に盲信してはいけない』と」


「B子、真っ当やん」


「オレもそう思う。Bが正しいんじゃないっスか?」


「それで、Aの『じゃあ東大に行かないで東大を超えてみせろよ!』みたいな売り言葉に、『あんたこそ東大の中で腐敗せずに真っ当な大人になって見せな!』とBが買い言葉を言ってしまい…」


「あとはバトルやんな」


「二人ともストレス溜まってるねぇ」


さっちんが妙な気遣いをする。


「いくら言い合になったからって、女の子に掴みかかるとか男としてサイテーっスね」


「自分もそう思います。大人気ないというか…なんか、子どもですよね」


「ふむ」


一道さんがなんか考えてる。この人、どっちの方が正しい、みたいな話、あんまりしないんだよなあ。…けど、だから安心できるのかも。


「みんな、Aさんは何を言ってるんだと思う?」


しばし、思考の沈黙が場を支配する。


「…はい」


「浅田くん、どうぞ」


え、浅田が一番手か。珍しくない?


「えっと、A太は、人としてはオレは尊敬できないけれど、彼なりに世の中を良くしたい、って思って東大を目指してるのかな、っても思ったっス」


おおー、と幾人から声が上がる。


「彼にはゆずれない理想がある、という見方だね。いいね」


浅田が照れてる。うーん、そういう見方もあるんだね。


「はい」


「さっちん、どう思うの?」


「んーっと、アタシはA嫌い。まるで『東大の人しか世の中を変えることができない』って言ってるみたい」


うんうん、と数人がうなずく。


「アタシだって世界、変えてやるもん」


「まじか。どうやるん?」


「そのうちTikTokとかで大バズりする予定」


「ウケるww」


「うん、いいね。世界は誰でも変えられる。他には?」


「Aの言ってることは正論でしょ」


さああああ…

吹き抜ける風と共に、場の温度が数度下がった気がした。

出た、吉野…。空気読まない。


「うん、聞かせて」


一道さんがおだやかに促す。


「日本は所詮、お上に逆らえないトップダウン国家なんだから、本当に変えたきゃそれしか道はない。これは感情論じゃなく、事実だ」


こうも断言されると真っ向反論して否定したくなる。しないけど。怖いから。


「やっぱそうかなー…」


加藤が頭を抱えてる。吉野、人を悩ますのは得意そうだ。


「国全体は無理でも、地域くらいやったら変えられるやろ」


ほのかがわりとやんわりと意を唱えた。いいぞ、ほのか。もっと言ってやって。


「パパも言っとったけど、確かにトップでいろいろ決まる。でもだから、もっと身近なところで小さなトップになればええねん。ほんなら、その下にいる人たちくらいは幸せにできるやろ」


おおおおお。心の中でほのかに拍手を送る。


「無駄だね、国から潰されればひとたまりもない」


吉野は手厳しい。くっそおおお。あたしも何か一石投じられないものか…。




「ねえ」


さっちんの緊張感のない声が場をふっと緩ませる。


「トップって、総理大臣のこと? 誰のこと?」


「表面上のトップは総理でも、実際に動かしてるのは官僚たちだろ」


吉野が「そんなことも知らないのか」という感じで答えた。やっぱムカつくこいつ。


「カンリョー?」


さっちん、もしかして脳内で「官僚」って漢字変換できてないのかも。いや、言葉そのものを知らないの?


「官僚っていうのはね、各省庁で政策とかを実際に作ってる人たちのこと。経済産業省とか文部科学省とかで働いている人たちだよ」


「あー、そっか」


「おお、加藤っちさすがやん」


「でも、東大出たってみんながそのトップになれるわけじゃないんでしょ?」


「それは…そうだが…」


「じゃ、東大入ってー、トップのカンリョーになってー、しかも決めたことを曲げない人であり続けられたら、国を変えられる、ってこと?」


うん。無理ゲー感、別次元まで極まった。

吉野の視線が泳ぎ始めた。


「じゃさ、今のカンリョーたちはなんでこの国を変えないの?」


「そ、それは…」


わ、吉野が崩れた? さっちん爆弾、恐るべし。


「んー、じゃあ」


も一つ爆弾が落ちそうな予感しかない。


「今まで、だれもできなかった、ってこと?」




しーーーんんん…


「…じゃあ、Aの言っていた『東大に行かなきゃ世界は変えられない』って、もしかしてかなり怪しいのかも…?」


加藤がぽつりとつぶやいた。


「だ、誰も、ってことはないだろ…そもそも、戦争だってしてないし、まだいい国なとこも…」


「でも、おかーさんが『この国どんどん悪くなってる』っていっつもぼやいてるよ。お給料だってちっとも上がんないし。チョココロネなんて値段、倍になっちゃったんだよ?!」


チョココロネはさっちんの一大事だったか。


「少し、整理しようか」


そう言った一道さんにみんなの視線が集まった。




「まず最初は、世界を変えるには東大ルートで権力側に行く、もしくは何を求めるかが大事、という対立の話だった」


「あれ、最初はオレの活躍…」


「黙っとき」


「…浅田くんは、Aさんの本気をそこに感じ取り、さっちんはTikTokでも変えられる、と言ってくれた」


浅田、発言を拾ってもらえて嬉しそうだ。スポーツ以外で認められること、もしかして少ないのかな。


「吉野くんは権力構造を変えるには東大は必須、そしてほのかさんは地域レベルなら誰でも変えられると言ってくれた」


一道さんの発言を聞いているのかいないのか、吉野は黙って考え込んでいるようだった。さっきのさっちん爆弾がまだ効いてるのかなあ。吉野のこんな顔、初めて見たかもしれない。


「そしてさっちんが、そもそも東大ルートでも国をいい方向に変えてくれた人はいるの? と議論の最初の前提が正しいかどうか問題提起をしてくれた。なかなか本質を突いた視点だと思ったよ」


「マジで? やったー」


さっちんは平常運転で幸せそう。


「あの、いいですか」


加藤が割って入った。


「みんなの話を聞いていて、なんか腑に落ちたんです。なんで塾での喧嘩に心がざわついていたのか」


お。 なんだろ?


「自分、前に『今やってることに、意味なんかあるのかな、って不安になる』的なこと言いましたけど」


ああ、言ってたなあ。頭と感情がズレてるあたしに、共感してくれたやつだ。


「今回の違和感って、『一般に言われてることが、もしかして間違ってるんじゃないか』っていう、無意識の不安だったんだと思うんです」


「ああー、さっきの東大の話みたいに、『当たり前やと思っとったことが、実はそうでもないかもしれん』ってやつやんな?」


「うん、そう。親や先生、大人の言うことを聞いて一生懸命やっていれば、きっといい結果につながると思ってました。全部間違いだとは思ってないけど、もしかして今回みたいな落とし穴というか、大事な前提とか条件とか、何かが抜けてて、『頑張って東大に入って、キャリア官僚になって、信念も曲げずに頑張ったのに、それでもやっぱり願ったことは叶わなかった』みたいな事になるんじゃないか、みたいな…漠然とした不安を抱えていたみたい、です…」


「なるほど、目的のために選んだ手段は、本当に正しいのか、という不安だね」


一道さんがまとめる。確かに、手段をまちがったら結果には結びつかないもんね。




「加藤っちは何を目指しとるん?」


「えっ…いや、あれっ…? …もしかしたら、そこも深く考えてこなかったのかもしれない…」


あー、目的から確認必要なやつ、これ?


「加藤くんみたいに、深く考える機会すらないまま、大人に言われた通りにしてきてしまった、という人は、正直珍しくないと思う」


どき。


あたしも、耳がいたい…。


「でも、考えなくてもいい事…じゃあないよね、これ」


一道さんの言葉にみんな、うんうん、と同意する。


「受験対策と思ってここに来てみたけれど…まさか受験する前提そのものから見直す必要があることに気付かされるなんて…」


加藤、真面目だからなあ。うーん、あたしも他人事じゃない気もするけど…。


「今、それに気付けてよかったと思うよ。これから少しずつ、一緒に考えていこう」


そう言った一道さんの目は、優しかった。


そっか、これから少しずつ、でもいいのか。


じゃあ、あたしはもう少し先でいいや。

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