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5章 ゴッホとおはなし

「そういえばさ、美術館に今度ゴッホくるみたい」


昼休みにさっちんが唐突に言い出した。


「…ごっほ」


ごはんを咀嚼しながら、あたしは答えた。


「そ、ゴッホ。知らない?」


「いや、知ってるけど…何でまた急に」


おべんとの卵焼きを口に運びながらさっちんが答える。


「…興味ない?」


「…わかんない」


「じゃ、行こ」


「なんで」




そんなわけで、あたしたちは日曜日のゴッホ展に来たのだった。どんなわけやら。


「すごい列…全員入れないんじゃないの、これ」


さっちんの言う通り、全部入れたら美術館が満員電車みたいにならないか心配なほどだった。


しかし列の進みは早く、思った以上にあたしたちは早く中に入れた。


照明を抑えた館内では、ゴッホの自画像が迎えてくれた。


「うわ、なにこの存在感…絵って言うより、誰か中に入ってんじゃない、これ?」


さっちんがまた妙なことを言う、と思ったが…


「…いや、ほんとすごいねこれ…油絵ってこんなにインパクト強かったっけ…」


何とも言えない強烈な存在感に、あたしたちはのっけから圧倒されてしまった。


順路を進んでいくと、背の高い学芸員さんがしきりにこちらを見ているのに気づいた。


「えっ…ねえさっちん、あれ…」


「なに未来…うわ?!」


ひらひら、と笑顔で手を振っているのは一道さんだった。あ、バイトか…びっくりした…。


(こんなとこで会うなんて、びっくりです)


さっちんが小声で話しかける。


(僕もだよ。ゴッホ展へようこそ)


こんな所で会うと、なんか妙な感じだ。そのうち、どこかのコンビニとかでも出くわすんじゃないだろうか。


(一道さんは、ゴッホ好きなんですか?)


(うん、彼とはよく話すんだ)


…?


(え、どういう事ですか?)


さっちんが物怖じせずに聞いてくれる。いいぞ、さっちん。


(彼は人が好きだから、よく話しかけてくるよ)


説明になってない。さっちんも首を傾げている。


(次の部屋の展示は見ものだよ。ぜひ時間を取って見ていってね)


そう言うと、監視員ポジションに戻ってしまった。そうだね、さすがにお仕事中に長話をするのもよくないしね。…でも、なんかひっかかるな…。


次の部屋へ進むと、ものすごい人だかりができていた。そして、人だかりの向こうに、大きなひまわりの絵が飾られていた。


「…!!」


二人とも、その絵の前から動けなくなってしまった。


絵の前で、身動きが取れなくなる


そんな事が、本当にあるなんて


ひまわりの絵全体から発せられる命のエネルギーを、真正面からまともに食らってしまったような衝撃が、全身を襲った。


それは命の讃歌とでも呼べばいいのだろうか。躍動と歓喜が絵から溢れ出していた。


すごい


すごい、すごい


「たかが、絵」だと思ってたのに


こんなにも、見る者を捉えて離さない力があるなんて。


ゴッホが晩年へと向かう中で描かれた『ひまわり』

彼のいのちそのものが、この絵に塗り込められているのでは、と思えるほどのエネルギーに圧倒されてしまった。




「…すごかったね…」


ようやく入れたカフェに座り、あたしたちはケーキと紅茶を注文した。


「いや…すごかった…」


さっちんも絵のエネルギーに当てられて、だいぶ疲弊したみたいだ。




「未来、アタシ、ゴッホさんの声、聞こえたよ」


「…何て?」


「ゴッホの声。何て言ったと思う?」


いや、何言ってるのかちょっとわかんないんだけど。さっちんどした??


「あのね、『神秘はいつも、君たちの目の前にある。見ようとする者だけが、それを見る』だって」


「…さっちん…?」




「お、また会ったね」


一道さんが休憩に入ったらしく、カフェにやって来た。


「ご一緒してもいいかな?」


「いいよー」


さっちんは今日も軽やかだ。


カフェラテとチョコクロワッサンを手に、ニコニコしながら戻ってきた。甘いパン好きなんだな、この人。


「どうだった、ゴッホ」


「すごすぎて、ちょっと疲れました…」


「アタシもー」


一道さんはなんか満足そうだ。まふり、とクロワッサンを食む。


「なにか、聞いたかい?」


…いや、なにそれ…。


「あ、うん! 聞こえた聞こえた」


わーそうだった、さっちんもなんか受信してたんだ。あたし蚊帳の外?


「ゴッホは何て?」


「えっと、『神秘はいつも、君たちの目の前にある。見ようとする者だけが、それを見る』…って」


「さっちん、ほんとに聞こえたのそれ」


にわかには信じがたい。でも、わかってる。さっちんはそんな嘘は言わない子だ。


「うん、うん」


一道さんはさも満足そうな表情を浮かべた後、カフェラテをすすった。


「こういうことがあるから、美術館は楽しいよね」


…いや、ないでしょ…ええ? あるの??

あれ? これってあたしが変なやつ? 違うよね???


「一道さんは絵から声を聞くこと、よくあるんですか?」


んー、と一道さんは考えてから言った。


「まあまあ、あるかな」


…うん…あらためてこの人何者なの…。


「今回のゴッホ展では、ゴッホだいぶ性格丸くなったみたいでさ」


…絵の、性格が、丸く、なる、とな…?


「『お前、まだそんなところでくすぶってるのか、さっさとやるべきことやれ』ってさあ。丸くなっても、まだまだ手厳しいよね」


ははは、と笑っているけど、こっちはちんぷんかんぷんだよ。


「一道さんて、なんかすごいなー」


さっちんが当たり前のように受け入れてる…さっちーん、置いていかないでー。心細いよ。


「おっと、そろそろ休憩時間終わりだ。また學び舎でね」


そう言って、混乱し切ったあたしを残して彼は去っていった。

となりでさっちんが、ひらひらとにこやかに手を振っていた。





「ねぇ、さっちん。一道さんのこと、わかるの…?」


あたしはおそるおそる聞いてみた。


「え? よくわかんないよ」


「…そお? なんだか、通じ合ってた感じしたけど」


置いてきぼり感、やだなあ。


「んー、なんかゴッホが急に話しかけてきちゃったから、それはよかったかなー。わかってくれる人がいて」


…まあ、それは、よかった、ね…。


「でも、絵が話しかけてくる、なんて普通ないよね?」


「だよねー、おかしいよね。イミわかんない」


あははは、とさっちんはいつもの調子で笑う。あ、よかった、いつものさっちんだ。


「…でも、聞こえちゃったんだよね。だから、アタシが変なのかなって思ったけど」


そう言ってさっちんは、一呼吸置いてから言った。


「超絶ヘンな人からしたら、全然マシだった。なんか安心したー」


基準そこでいいの、さっちん…。





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