4章 天のおとずれとおとのずれ
うーん
ぎし、ぎし
自分の部屋で、あたしは考え込んでいた。
なーんか、一道さんの「學び舎」って、変。
だって、あの人あんまり教えてこない。
いや、教えはするけどさ。
こっちが話す時間が、圧倒的に長い。
質問はたくさんしてくるなあ。
ぎっし、ぎし
寄りかかっている椅子がきしむ。
会話を、時々変な方向に曲げるよなあ。
学校とは、全然違うなあ。
ぎし、ぎし
理に則って、生きる、幸せになるため…
愛の湧く、泉…?
ぎし、ぎ…
「ミクー、お風呂入っちゃいなさーい」
「あ、はーい」
ぎっ がたた
ちゃぷん…
口元まで湯船に浸かって、思考を巡らせる
ぴとん
前髪からしずくが落ちる。
…怪しい人じゃ…いや、むしろ抜群に怪しいんだよなあ…
ちゃぷ、ちゃぷ
変な宗教…うーん…いや、ありえる…
たぷん、たぷん
お金が目的…んー…でもそれなら、やっすいあんぱん食べるとことか見せるかな…?
ばたばた、ばたたたた…
弟たちが走り回る音が遠くで聞こえる。
洗脳…? んーーーーー…
…でもさっちん、なんかやわらかくなってたよな…洗脳ってそういうことするんだっけ…?
とぷ、たぷん…がちゃっ
「ねぇちゃーん! 次入るー!」
「あいよー、ちょい待ち」
バスタオルで髪を拭きつつ、一つ思い当たる。
大人に、相談しよう。
てか、した方がいい。
「おかーさん」
「…なあにー」
母は茶の間で本を読んでいた。いつもの推理ものだろうか。
「…あのさ、ちょっと話していい?」
「あら、珍しいこと。いいわよ」
本を閉じて置くと、あたしをまっすぐに見てくれた。
「えーと、
どっから話せばいいのかな…」
「ミク、最近なんか下公の集まりに行ってるそうじゃないの」
あり?
「知ってたの?」
「まあ、なんとなくは」
ポットからお茶を入れてくれる。湯気がほわっと昇って消えていく。
「誰から聞いたの?」
「さっちんのお母さんから」
「あー」
さっちんは、お母さんに何でも喋ってそうだもんなあ。
「そのこと?」
「あー…うん…。ちょっと、どう判断したらいいのかわかんなくて」
ず…お茶がおいしい。
「こういうの、お父さんの方が得意そうなのにね」
そう言って優しい眼差しを写真向ける。遠洋で働く父は、年に数回しか帰ってこない。
「ん…そうだね」
胸の奥が静かになる。また、話したいなあ。電話じゃなく、面と向かって。
「それで、どうなの? あの会」
「うんとね…」
話した。さすがに両親のを見ちゃった話だけはカットしたけれど、さっちんが大切にされたことや、お父さんとの関係を褒めてもらえたこと、よくわかんないうちに人が徐々に増えてきてること、一道さんは不思議な人なのにフリーターで菓子ぱんイーターなこと、性とかフリーターがどうとか、わりとセンシティブな話にも突っ込んでいくこと、吉野が謎なこと、ほのかと浅田がなんかいい感じぽいことも。
「…へーえ…ずいぶん変わってるわね」
「うん、でしょ」
「それで、聞きたいことは?」
「うん、えと、あの会…大丈夫なのかな…?」
「大丈夫、っていうと?」
「うん、なんかね、カルトだったりとか、騙されたり、入信を迫られたり、最悪さらわれたりとか…」
母はきょとん、とした顔でこっちを見ている。
「その人、何を求めて人を集めてるのかしら」
「…えっ…なんだろ…」
「人を集めるなら、何かしら人から欲しいものがあるんじゃないかしら…たとえば、お金とか」
「…それは、誘拐でもしないと無理じゃない? しがない高校生からいくら巻き上げられるのよ」
「じゃあ、女子高生との関係?」
「…だとしたら、男子も嬉しそうに歓迎はしてないと思う」
「じゃあ…信者?」
「信者…」
それはあるかも、と思った。今のところ、勧誘的なものはないけれど。
「あの人、聖書の話もしてた」
「クリスチャンなのかしら、その方」
「たぶん、そう」
「じゃあ、教会に誘われたりは?」
「今のところは、全然」
「献金の話とか」
「ない」
「聖書とか本とか、壺とか買わされたり」
「ないないない」
「…そう」
頬に手を当てて、母は考え込んだ。
きゃーきゃー、という弟達の騒ぎがお風呂場から聞こえてくる。
「あなたはどう思うの、ミク」
う、やっぱり聞かれたか。
「今のところ、ものすごくヤバい、とかは思わない。どっちかというと、大丈夫そうとは思う。それに、一道さんの言動を見る限り、いい人には違いないと思う。けど…」
「けど?」
「…あの人、いろいろアクが強すぎて…絶対大丈夫、って安心も、まだできてなくて…なんか、このまま接し続けても、大丈夫なのかな、って不安になっちゃって」
母は腕組みをして考える。
「今のところは様子見、でいいんじゃないかしら」
「大丈夫そう?」
「少なくとも話を聞く限りでは、あなたたちに危害を加えようとしているようには感じないもの」
母にそう言ってもらえて、少しホッとした。でも、まだ太鼓判をもらったわけじゃない、引き続き自分とさっちんを守るために目を光らせておかないと、と気持ちを少し引き締め直した。
「心配なら私も行ってあげるわよ」
「や、それは勘弁」
「…てなことがあってさ」
さっちんが身を乗り出してふんふんと聞いてくれる。
「あはは、未来ウケるー」
「いや、笑い事じゃないよ、相手は大人だしさ、いつの間にかコロッと騙されて…とか、いろいろしてもらって断るに断れなくて…とか、さ」
「なーいないないないない」
体をそらして右手をブンブン振って否定する。
「…だよね…言いながらあたしもそう思った」
「そんなに心配なら、誰か先生ひとり連れてけばバッチリよ。ははは」
「秒で解散させられるっしょ」
「なんの話?」
加藤が突然会話に入ってきた。
「おー、かとっちー」
会話に突然入ってきた彼に、あたしは固まった。さっちんの軽さはもはや崇敬に値するとすら思う。
「なに、なんかヤバい話?」
「ぜーんぜーん。放課後のディスカッショングループのはなし」
「へー、そんなんあるんだ?」
「あるって言うか…やってる」
「どこで?」
「下公」
「あ、なんかこないだ来た変なやつの?」
「そ、めーっちゃ、変! 変わってるよー」
ケラケラとさっちんは楽しそうに笑った。
「俺も行っていい?」
「いーんじゃない?」
え。
加藤、お前もか。
「ようこそ、ようこそ、僕たちの學び舎へ」
一道さんの本日のメニューはカレーパンにコーヒー牛乳だった。コンビニ好きか、この人。
「加藤です。ディスカッションと聞いて、受験対策も兼ねて参加しました」
じゅけ…
この、意識高い系め。
「あははは、ディスカッションなのかなあ、これ」
「じゃあ、なんなんですか」
吉野の突っ込みが鋭い。
「なんなんだろね」
定義、しないんだ。
「まあ、呼び方なんて『學び舎』で十分じゃないか」
吉野は何か言いたげだったけど、呆れたように肩をすくめて席についた。
藤棚のコンクリテーブルは横並びに三つあって、それぞれのテーブルにベンチが向かい合って二つあって、六人座れた。
七人になったので、テーブル二つを使って男性と女性に分かれて座った。
「さてと」
一道さんがみんなをゆっくり見回しながら言った。
「今日は…」
「ウチのバイトの話やんなあ」
ほのか、忘れていなかった。さすが。
「…そうだった、ね」
一道さん、忘れてたな。
なんとなーく白っぽい視線が一道さんに集まる。
「あー、もうええわー。三日も経ったらイライラもおさまってまったやん」
「あああ、それは申し訳ない…」
平謝る一道さん。なんかジワる。
「まーええけど」
ほのかは関西弁モードが開放されて、だいぶしゃべりやすそうだ。こういうキャラだったのか。ああやって遠慮しないの、いいなあ。もっとも、あたしに向かってやられたらちょっとヤかもだけど。
「ほんでほんで? 今日のお題は?」
「さてねえ、何がいいかねえ」
この人、ほんと緊張しないな。
「はーい」
「さっちん、どうぞ」
「なんでー、不公平ってあるんですかー」
「ほう、面白いね」
一道さんが心底面白そうに答える。なんでって…あたしだったらどうしようー、何て答えようー、ってパニックになりそうだわ…。
「具体的に、なにかあったのかな」
「んっとー…」
少し考えてからさっちんは答えた。
「長女って、損じゃないかな、って」
…ん? あれ? さっちんってひとりっ子だよね??
「なんかねー、未来見てるとー」
「え? あたし???」
なんでだ。あたし、不公平な目にあってたっけ??
「いろいろ、普段から我慢してるんだろうな、って感じること多くて」
「いや、いいってばあたしの話なんか」
あたしはみんなの中心にいなくていいんだってば。急にスポットライト当てられて逃げ出したくなってるよ。さっちーん(泣)
「ほらね、自分のことはいつも後回し、みたいなの。なんかさーあ、それって誰かが優先されてるってことで、未来はその分優先されないってことでしょ? なんだか不公平だなって」
こ、この扱いも不公平、ってことにしてほしいんだけど…?
「未来さん自身は、不公平とは感じてないのかな」
一道さんが問うてくる。えー、逃げらんないのこれ…。
「別に、あたしはそう感じたことはなくて…」
そこまで言ってから、(あれ…ほんとにそうかな?)って考え始めた。
不公平…優先…後回し…うぅーん…
「…いや待って…もしかして不公平、感じてきたかも…」
「ほらほらー」
むむむ、と考える。
「…あー…そっか、あたし、生きづらい、息苦しいって感じてきたんだけど、それってもしかして、『自分のことを後回し』にしてきたから、なのかな…?」
「そ! それそれっ」
さっちんから元気のいい同意が飛んできた。えー、そうなの?
「どんな時に、自分を後回しにしてしまうのかな」
「うーん…ええと…」
みんなの視線が自分に集まってるの、なんかやだけど、がんばって考えてみる。
「…あたし、まず『みんなはどうかな』って観察してると思う」
「うん。でさ、未来って思ったことの半分も言えてないでしょ」
うっ、そんなハッキリ言わなくても…。
「んー、どうかな、そうかなあ」
と、ぼかしてはみたものの、さっちんの見立ては正しいと直感的に感じた。そか、あたしって思ったこと言えてないのか。そしたら、吉野から意外なコメントが来た。
「思ったこと言うのって、波風立てるしな」
波風立てるのが得意な吉野らしいコメントだわ、と思わず感心してしまった。
「なんでやー、思ったこと言うの、だいじやろ」
ああ、ほのかって、もともとこういうキャラだったんだろうな、と思った。
「本音を言うこと一つ取っても、人それぞれなんですねえ」
初参加の加藤が感心したように言った。うーん、確かに。…誰かあたしに同意してくれる人、いないのかしら。
「浅田っちは?」
さっちんが振る。
「ええー…いや、どうだろ…本音とか、相手にもよるっスけど…」
「あんまり言えてなさそうやな」
「だね」
「あれ? そうっスか? あれ??」
女子二人にサクッと判定されてるけど、あれたぶん、好きな子の前では…って話なんじゃないのかな…?
「どうして、自分を後回しにしてしまうんだろうね」
一道さんが会話を少し戻す。たしかに、なんでだろ。
「他人なんて、ほっといたらええねん」
「うわー、つよつよじゃん、ほのかさんてば」
浅田が褒めた。
ん? 褒めたのか?
「んー、強いっていうより…みんなも自分のために生きとるんやから、自分も自分のために生きとったらええねん。そうちゃう?」
みんな少し考え込む。そう言われてみればそういう気もするけれど…でもなんでそう割り切って生きられないんだろ?
「自分を優先しろ、って奴が近くにいると、難しいな」
吉野がなんか実感込めて言った。…吉野、なんか実感コメント多くない?
「あーそうか、わがままちゃんがいたら繊細な人は気ぃ使っちゃいそうやなあ」
はて、わがままちゃんなんて、あたしの近くにいたかな?
「いや、未来は『気づいたらそういう役やってた』、とかっぽい」
…ん?
そうなの?
「あー確かに。ミックって優しいし、気ぃ遣いしぃやからなあ」
「…もしかして、あたし褒められてたり、する?」
「褒めてないこともないけど…ミックはそれで苦しくないん?」
はた。
苦しくないか。
それは…
「…あ…あたし、苦しい…」
やだ、涙が滲む。
「ずっと、ずっと苦しい…」
自分が何をしたいのか。何を求めてるのか。人が気になって、ずっとずっと後回し。あたしの番はいつになったら来るの? いつまで待てばいいの? 誰か、あたしはどうなのって聞いてくれないの?
「未来は、ほんとーーーに、優しいんだよ」
さっちんが背中を優しくさすってくれる。ううう、うれしい。ケア「される」側にいられるの、うれしい…。
「優しいからね、いろいろ思って感じても、なんか引っ込めちゃう。もっと未来の本音が聞きたいよー」
あーーーーーそれ、めっちゃ言ってもらいたかったことばだよ、さっちん。ううう、どうしよう。いろいろ決壊しそう…。
「アタシは未来の味方だよーーー」
さっちんが横からハグしてくれた。
やば。
限界。
ぽろ、
ぽろ、
ぽろぽろ、ぽろろろろ…
だめだ、涙が止まんない。さっちんの体温がとってもあったかい。さっちんの制服、涙とかで汚しちゃって悪いな…ごめんねさっちん。こんなあたしの本音を求めてくれて、とってもありがとう。
「ぅあぁ、ぁああーーー…」
言葉にならないうめきが喉の奥から噴き出してくる。あたしたぶん今、人生最高にみっともないことになってるわ。
でも、いい。今はこのぬくもりに浸っていたい。
あたしがぐす、ぐす、と小泣きに落ち着くまで、みんな静かに待っていてくれた。
あーーー、なんかスッキリした…目が腫れぼったい…頭がちょっと痛い…涙でよく見えない…。
「未来は、これからもっと、肩の力抜いて生きられるよ」
そう言ったさっちんの言葉は、まるであたしへの預言のようだった。
「うん…ありがと…」
もう一度だけ、短いハグを求めたつもりだったけれど、さっちんはまた時間をかけてあたしを抱きしめてくれた。うー、さっちんと友だちでほんと良かった…。
「…さて、僕たちは今日、とても美しい瞬間に立ち会えたわけだけど」
一道さんが優しく会話の口火を切った。
「それぞれ、とてもいろんなことを感じたんじゃないかと思う」
吉野が腕組みをしたままうんうん、と頷いている。何を考えてるかは、相変わらずわからないけど。
「ミック、良かったなあ。ウチもうれしい」
「…へへ…」
照れくさくて、ほのかをまっすぐ見れない。
さっちんはまだ背中をさすってくれている。優しい。こころがぽかぽかあったかい。
「…こんなこと、あるんですね…」
加藤が静かに答えた。
「もっとなんか…理屈っぽい会なのかと思ってました…。すごい場ですね…」
「不思議だよな」
吉野が続けた。…あれ、声がなんか普段よりやわらかい?
「人が泣く場面なんて、ケンカか怪我、あとはドラマの中くらいかと思ってたけど…こういうの、なんかいいよな」
ん? 吉野?? あたしが驚いて彼を見ると、いつもの無表情とは少し違う雰囲気をまとっていた。いつもと何がどう違う、とは言葉にできなかったけれど。
「天が、地に来ますように」
突然発せられた、一道さんの謎めいたセリフに、全員が彼を見た。
「僕が日々、祈っている言葉だよ」
「どういう意味?」
さっちんがみんなを代表して尋ねた。
「うん、天ってね」
人差し指を上に向けて、一道さんが静かに、そして穏やかに語り出す。
「誰でも、どんな人でも、ありのまんま愛されているって体験できる場所なんだ」
…じゃあ、あたし今日、『天』を体験した、ってこと…?
「『役割をこなしたから受け入れられる世界』じゃない。誰もがありのまま、そのままで愛され、受け入れられる所なんだ」
一道さんは続けた。
「僕は前回、『みんなを愛の泉の源泉に招待しよう』と言ったね。そう、天こそが、全ての愛の源泉なんだ。そして僕は、その天から遣わされてここにいる」
一人一人、反応は違った。
目を丸くする人(加藤)、目を輝かせる人(さっちん、ほのか)、胡散臭そうに眉根を寄せる人(吉野)、ぽかんとする人(浅田)…
あたし? うーん…よくわかんないけど、いいことっぽいんじゃない? ケアされるの、もっとほしいもん。
でも、天から遣わされてって、何…え? 天使? …まさか、じゃないよね…さすがに。
「それ、アタシもほしい」
身を乗り出しながらさっちんが答えた。
「ウチもー」
「あ、あたしもかな…」
女子は全員乗り気のようだ。
一道さんは嬉しそうにあたしたちを見つめた。
「そう言ってくれると、思ってたよ」
まだよくわんないこともあるけど、さっちんやあたしに起こったことは、絶対にいいことだと思うんだ。
「自分は、まだよくわかんないので、様子見で」
加藤は冷静だ。まあ、初参加でいきなりこっち来られても、嘘っぽいけどね。
「あ…オレも様子見で…」
浅田も右に倣えした。むべなるかな。
「でも、役割って必要でしょ」
おお…さすが吉野、空気読まない。ここまで来ると、むしろ清々しいぞ。
「吉野くん、よかったらもっと聞かせて」
腕組みをした吉野はムスッとした表情で、どう続けようか考えているようだった。なんか、今まであんまり読めなかった吉野の感情が、透けて見え始めたような印象がある。
「…役割も果たさないで、権利だけ享受するなんて、ムシが良すぎやしませんか」
うーん…まあ、あたしはがんばって役割果たす側寄りで生きてきたから、とりあえず同意かなあ…。
「そんなことないよ、誰だって大事にされていいし、されるべきだと思う」
さっちんが反論する。お、なんか今までにない感じで場が動き始めたかも? これがディベートってやつ? あたし、さっちんに一票!
「義務を果たしてこその権利だろ。授業態度が良くないのに推薦だけもらいたい、なんて話、通らないだろ?」
「それはそう、だけど…」
さっちんが言い淀む。うーん、吉野の言ってること、何か違う気もするけど…。
「あの、いいかな」
加藤が割って入る。
「義務と権利はセットだとは思うけれど、一道さんの言ってるのは、もっと根本的な人権とかの話なんじゃないかな」
「それ、あれやん、基本的人権、みたいなやつ?」
ほのかが尋ねた。
あたしも公民の授業で聞いたような気がするけど…なんだっけ。
「うん、そう。人は生まれながらにして平等の権利を有する。幸福の追求、生存権、みたいなの」
「それに、『愛される』も加わる、ってことなん?」
「…わかんないけど…たぶん」
「義務を果たさない奴に、権利なんて無いんだよ!」
え。
吉野、どうした。噴火した?!
うー、こういうの、胃が痛い…助けを求めるように一道さんを見た。
一道さんは微笑みを浮かべ続けて吉野を見てる。けど、他のみんなはさすがに凍りついた表情になってる。
「…そんなん、吉野の理屈やろ! 役割果たし続けて苦しんできたミックが、これからも苦しみ続ければいい、なんて言われへんやろ?!」
ほのかが応戦…いや、援護? してくれる。というか、吉野は誰と戦ってるんだろ。
「ぐっ」と言葉に詰まる吉野。たぶん、吉野がしてるのはあたしの話じゃないんだろうけれど、あたしを引き合いに出されて困ってるっぽい。
「…いや、すまない…別に未来を悪く言うつもりは…」
「…ウチもちょっと強く言いすぎたわ…堪忍な」
おお、収まった…よかった…。
ぽろ
あれ?
ぽろ、ぽろ、
あれれれれ?
「未来、大丈夫?!」
さっちんが心配してくれる。
え、あたし、泣いてる? また?
「…怖かったぁーーー…」
考えるよりも先に口からこぼれた。あ、あたし怖かったんだ…。
「す、すまん櫻井…別におまえに文句があったわけじゃ…」
吉野がしどろもどろしてる。おお、なんかレアなもん見た気がする。
…あれ、あたし、心と頭、なんか分離しちゃってるの?? 考えてることと感じてること、なんかつながってないような…。
「話がだいぶ広がったから、一度まとめようか」
一道さんが口を開いた。たくさんは喋んないけど、この人がいなかったら絶対こんな場にはなってないよね…なにげにすごい人なのかも。
「今回はまず、さっちんの『長女って不公平』という発言から始まったね」
あ…そういえばそうだったっけ…。なんか、今日だけでいろんなことがありすぎて…。
「でもそれは、『未来さんが役割を演じる中で、自分を後回しにして苦しくなってしまう』というのが本質だった。そして、2回目の學び舎で僕がさっちんにしたように、今度はさっちんが未来さんに共感し、そして受け入れてくれた」
おお、まとめた。きれいにまとめた。
さっちんがなんかもじもじして、うれしそう。あたしもうれしいし、親友として誇らしい気持ちになる。
「次に僕が、『天を地に』という祈りの話をして、人が愛され自由にされることを求めている話をした。そうしたら、吉野くんが『義務を果たさずに権利はない』と意見を出してくれた」
そこ、「意見」って言えちゃうの、強くない?! あたしには「ストレスの爆発」にしか見えなかったんだけど。
「吉野くんの発言は、苦しんでいる人に対してというよりも『努力している人こそ報われてほしい』という一般論のように僕には聞こえたけれど、どうかな?」
「あ…うん、そんな感じかな…」
吉野、バツが悪そうなのと、ちゃんと理解されて少し嬉しそうなのと、混ざってるっぽい。目を逸らして頬を人差し指でかいている。
「ほのかさんはそれを、『苦しんでいる未来さん』という具体的な個人の話に戻してくれた。世界の仕組みの話から、目の前の一人の人の話にしたんだ」
「え、ウチなんかMVP的なやつなん?」
「確かに、そうかもしれない。あの時実は、けっこう危うかったんだ」
「どういうことですか?」
加藤が問う。
「うん、あそこでもし『何が正しいか』という議論に入っていたら、僕は対話に割って入って止めるつもりだった」
「あー、確かに『誰の意見が正しいか』になると、言葉の殴り合いみたいになってまうもんなあ」
ほのかの例えは怖くて的確だった。
「うん、正しさだけだと、時に『誰かを傷つけても構わない』となりがちだからね。正しさは愛を、愛は正しさを忘れてはいけないと思うんだ」
む! なんか深いこと言った気がする。
「そして、場の緊張に、未来さんが『怖かった』と感情で答えてくれた。これ、たぶんみんなも大なれ小なれ感じていたんじゃないかな」
「…やー、正直オレも怖かったっス…」
「アタシも…」
「自分も…」
あ、そうなんだ。あたしたけじゃなかったんだ。ちょっとホッとする。
「えっと…いいですか」
「未来さん、どうぞ」
「今、あたし確かに泣いたんですけど、頭はなんか冷めてるって言うか…心と頭がつながってないような感じがしたんです。泣き始めて、『怖かった』って言葉が口から勝手に出て、『あ、あたし怖かったんだ』って初めて気づいた、みたいな感じで…」
「なんやそれ…」
わかってた。思ったことをちゃんと口に出せるほのかには、理解されないだろうって。
「オレ、それわかるかもっス…」
うそ? 浅田が?! それは想定外すぎる。
「浅田くん、聞かせてくれるかな」
「あ、はい、えっとー…。いや、なんか自分、こういう場で喋るキャラとかじゃ全然ないんスけど…」
ほのかから『さっさとしゃべれオーラ』が出てる…。
「…んと、人と気まずくなった時って、なんか『わーどうしようー』みたいになるじゃないスか。そういう時って、自分が何感じてるかとか後回しで、ともかくなんとかしなきゃって必死になるんスけど…」
んー、わかるっちゃーわかるなあ。
「で、落ち着いた後から、怒りとか悲しさとか、その時は感じてなかった感情が静かに湧いてきて…あー、オレ、悲しかったんだ、とか遅れて気づくこと、あるっス」
ん、悔しいけど、わかる。
ん? なんだ? 『悔しい』って…?
「あー、それは自分もあるかも」
「加藤も? まじか」
「うん、勉強はやらなきゃいけない、やった方がいいってわかってるつもりなんだけど、ある時ふと、『これ、本当に意味あるのかな』ってめちゃくちゃ不安になること、時々…」
あたしのとはちょっと違う気もするけど…でも、みんないろいろあるんだなあ。
あれ、なんか
『自分とは違う』って思ってた人とも
意外と似たようなところ、あるのかも。
自分には、けっこうすごい発見かも、これ。
「まだまだ語り足りないとは思うけれど、時間も遅くなってきたし、今日はこれで解散としよう」
いつの間にか、日はとっぷり暮れていた。ちょっと消化不良気味だけど、この日はこれでお開きになった。




