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10章 神様からの、いい子たち

「来てやったよ」


なんでこんなに挑戦的なんだ、この人は。


そして一道さん。今日はカロリーメイトにリポビタンD、アップルパイに飲むプロテインヨーグルトって…お疲れなの…?


「やー、今日は現場のバイトがなかなかハードでねー。あと、お昼食べる時間もなくてね…」


肉体労働やってたのね、今日は。

それでも甘いパンを外さないのは、もはや信念か何かなの。


「まあ、まずは座ろうよ」


突っ立ったままの吉野に一道さんは声をかけた。声色は普段通りだ。

今日も全員そろった。つくづく出席率高いな、この会。


さあああ…

藤棚の下を、爽やかな風が吹き抜けていく。藤の花も終わりに近づいていた。學び舎に初夏の香りが満ちる。ミツバチが時折、藤の花から蜜を吸っている。日も長くなってきたので、この時間でもだいぶ明るい。


一道さんは、目を閉じたまま何も言わない。何を話すのか考えているのかな。


一人一人、何か考えてるのかな。それとも、一道さんが何か言うのを待ってるのかな。


「あんなあ、」


ほのかが会話の口火を切った。


「もしかして、一道さんもなんか鎧、つけてへん?」


ざあっ…!


一瞬、強い風が吹き抜けた。

みんなの視線が一道さんに集まる。


「…ふむ…そう、見えるかい?」


「んー、わからへん。けど、そー言えば、一道さんが感情出すのって、あんま見てへんなあって思って」


おお、そう来たか…んと…どうなんだろ?


「初めて来た頃は、だいぶ喋ってたし、なんか自分に酔ってるのかなー、みたいなテンションだったけど」


と、さっちん談。あー、確かに。なんか怪しい人かと、しばらく思ってたもんなあ。


まあ、今でも怪しいっちゃ怪しいけどさ。


「どうなんスかね、一道さんって、オレらにとって監督みたいなポジションじゃないっスか。あんまり感情的にならない方がいいんじゃないっスかね」


これは浅田談。言われてみれば、確かに。あたしやさっちんと一緒に泣かれても困るしねえ。


「みんなは僕が本心を出してない、と感じているかい?」


「…えっと…」


あたしはおずおずと手を上げた。


「一道さんが本心を出してない、とは思わないんだけど、なんか謎が多すぎ…」


うんうん、と何人かが同意してくれた。よし。


「ん? 僕、謎が多い??」


「せやな」「ですね」「っス」「うんうん」


…自覚、なかったのか…。


「えー、謎って言われても…何か聞きたいこと、ある…?」


「じゃあー、はい!」


元気よくさっちん。


「結婚はしてるの?」


「…してると思う?」


「…ですよね…」


「はいはい」


元気よくほのか。


「この会、なんで始めたん?」


「みんなに本物の学びの場を提供したかったから」


「…せやなー」


答えとしては簡潔で100点なのに、なぜだろう、謎は消えた感じが一向にしないのは。


「はい」


こちらは加藤。


「こういう教え方は、どこで習ったんですか」


おお、確かに気になる。


「どこで…うーん…聖書と…教会…かな…?」


「…じゃあ、この会は宗教なんですか?」


「しゅうきょ…んー?」


一道さんが考え込む。もし宗教だったら、この「なんとなく怪しい」の原因ぽいけど…宗教なのかこれ…?


「…もし僕が『教祖』ポジションに自分を置いたり、もしくは『キリストを信じなさい』って教え始めたら、宗教って言っていい、と、思う」


ふんふん、とみんながうなずいて聞いている。


「でも僕は、『聖書に基づいた価値観や考え方』を、みんなに『体験』として提供している、と思ってる。それが宗教かって聞かれると…たぶん、違うんじゃ、ないかな…。強いて言うなら…生き方、かな…?」


「え、じゃあ一道さんはアタシたちに、聖書を信じてほしい、とか思ってる?」


「うーん…まあ、思っては、いるかな、一応。でも、それを積極的に勧めたいわけでも、勧めてるわけでもないから…まあ、『内心そう思ってるだけ』くらいな感じ、かな。あえて言うなら、『そういう世界があることを知ってほしい』、かな」


うーん、とみんな考え込む。これは宗教って呼んでいいのかな??


「一道さんは、何がしたいんだ」


吉野が口を開いた。やっぱり挑戦的だわ。


「ほんとにそれをやりたいんだったら、世の中の仕組みを変えていけばいいじゃないか。名もない高校生を一握り集めて、広告も打たずにこんなことを細々と、なんでやってるんだ」


吉野らしい思考回路だなあ。けど、広告とか仕組みとかは、一道さんにはなんかそぐわなさそうだ。


「キリストも、そうしたんだよ」


はて。キリストって何した人だったっけ?


「当時の片田舎で『道』を教え始めて、集まったのは元漁師や元税務署員、元過激派とかの、名もない一般人たちだった」


待って、過激派って一般人枠??


「キリストは三年半、寝食を共にして生き方を見せながら彼らを訓練した」


あ、そんなことしたんだキリストって。

三年半か…高校、終わっちゃうな。


「そして、民衆からの人気が出過ぎて、人気を横取りされたと感じた宗教指導者たちから目をつけられるようになった。対立は深まり続け、最後は彼らの陰謀によって殺されてしまった」


「やっぱり権力には勝てなかったか」


吉野が少し残念そうに言った。あれ? なんか吉野、今のはトゲなくない?


「うーん、キリストは元々、権力や構造を直接変えていくことには興味がなさそうだったからね」


「じゃあ、どうしてキリストは歴史に名を残したんですか?」


加藤が尋ねる。さすが、ザ・優秀な人の質問って感じ。


「キリストは、制度でも体制でも、国でもなく、『人』を造り変えに来たんだ」


ん? 人って造り変えられるものなの?


「教えを受けた十二弟子…正確には十一人に減ってしまったけれど、ともかく弟子たちがキリストのしてきたことを継続して行ったんだ。人々が罪から立ち返り、心が変えられて、家庭から地域、町、そしてついには国々をも造り変えて行ったんだ」


わ、また出た、世界を変える話。やっぱ、東大エリート一択じゃなかったんだ。

吉野が目を見開いている。もしかしたら、「そんなやり方もあるのか」って驚いているのかも。


「もちろん、国や権力もそう簡単に変わるわけではないし、変わった後も一発で清く正しくなったわけじゃあない。変わっていく過程で殉教者の血もたくさん流れたし、衝突もたくさん起きた。…それでも、多くの人たちが努力した結果、かつての『奴隷制度や人殺しは当たり前』という世界から、ずいぶん変わって今があるんだよ」


なんか、話が大きくなった。…え、でも、それってつまり…。


「…一道さんが、高校生のあたしたちに時間を使うのは…あたしたちも世界を変えられるって、信じてくれてるから…ですか?」


「うん、信じてるよ」


ざああああ…。風が吹き抜けていく。

即答だった。一片の迷いもなさそうだ。


世界を、あたしたちが…?

…うそお。





「僕ね、キリストに頼まれたんだよ」




「…は?」「え?」「なんて?」


…ど、どゆこと??


「キリストがね、『あの高校に苦しんでいる子たちがいるから、助けてあげて』って」


いや、「って」て言われても…。


「わかるように説明してもらえますか」


加藤が至極真っ当な質問をしてくれた。それ、それ。


「うーん…わかるように、って言われてもなあ…」




「僕ね、お祈りするんだよ」


「クリスチャンなら、するでしょうね」


「で、神様が時々話しかけてきて」


「…待て待て待て待て…待ったって…」


ほのかがエラー起こしたパソコンみたいになってる。いや、あたしもエラー起きてるんだけど。


「神様が、話しかけて、きはるん?!」


「うん」


何を当たり前のことを、みたいな顔で平然と答える一道さん。いや待って、この人やっぱ変だよー。


「それで、いろんなものに縛られて本来の自分を見失っている子たちがいるから、一道助けてあげて、って言われてさ」


いや、言われてさ、って…。


「えーまじヤバい。おもしろー」


ゴッホとも会話したさっちんは何やら面白がってる。我が親友ながら、メンタル強い。


「だからアタシたちと時間過ごしてくれてたの?」


「うん、正直どんな子たちが来るかはわからなかったけれど」


そう言うと一道さんは一人一人を見つめ、そして一呼吸おいてから、こう言った。


「こんないい子たちが来てくれるなんて、思ってもなかったよ」


えっ…あたしたち、褒められてる…?

…ん? 吉野もいい子、なの??


あたしは思わず吉野の方を見た。


吉野はうつむいていて、表情が見えない。


あれ、肩が震え始めた…。


…え…もしかして…?


「…うっ…うっうっ…」


吉野が…泣いてる…?!

どうしよう、なんか信じられないものを見てる気分…。


吉野のしゃくりあげる声だけが、しばらく続いたあと、彼は鼻をかんで顔を上げた。


「…一道さん」


吉野が名前呼んだ! たぶん、初めてじゃないかな?!


「うん」


やさしい眼差しのまま、一道さんは応えた。二人の目が、真っ直ぐに向き合っている。


「俺…小さい頃から、苦しくて…いくら頑張っても、親父は俺のこと認めてくれなくて…ずっと、ずっと苦しかった…」


「そうか…」


なんだろう、男子が人前で泣くって、たぶんものすっっっっごいハードル高いことだと思うんだけど…吉野がついに、生の本音を話し始めた…。


「…親父からは、世界の厳しさ、政治の難しさを嫌と言うほど聞かされてきた。父親に認められたい一心で、新聞や本を読んだりして、自分でも一生懸命に勉強してきた。自分には手の届かない世界のことを、ずいぶん小さな頃から知っていたと思う」


うん、うん、と相槌を打つ一道さん。この人もしかして、カウンセリングとか学んだ人なのかな…。


「でも、知れば知るほど、子ども一人にできることなんてほとんどない、ということもわかってきて…」


ぼた…ぼた…。涙がこぼれる。吉野のこんな一面が、まさか見れるとは。彼は彼で、いろいろ苦しかったんだなあ…。胸がぎゅっと痛くなる。


「でも、知識だけは大量に入ったんで、それを知らないでのうのうと生きてる奴らが劣ってるように見え始めて…それで、勝手に理論武装して、勝手に人に壁を作って…気づいたら、父にも友達にも認めてもらえない、一人ぼっちになってた…」


「吉野くん、今まで本当に孤独だったね…」


吉野の目から再び大粒の涙があふれ出した。


「君はまだ高校生だ。今、手の届く範囲にだけ責任を持てば、それで十分なんじゃないかな」


一道さんが吉野の両肩を抱き、慰める。

押し殺すような泣き声を上げながら、吉野はあふれる感情を注ぎ出した。




吉野が涙を拭き、一道さんをまっすぐに見た。

なんだか憑き物が落ちたような、清々しい顔になっていた。


すると吉野は突然、何とも言えない困ったような表情を浮かべた。


「どうしよう…」


「吉野くん、どうしたの」


一道さんが尋ねる。


「…俺、親父に言っちゃった…ここは危険な場所だ、って…」


『えーーーーーっ!』


みんなの声が一つになって公園内に響いた。

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