9章 話は、両方から
なんか、事件が起きそうな予感がする。
根拠はないよ、ただ、なんかそんな気がするんだ。
うー、今日、がっこ休んじゃおうかな。…熱もないし、できないけど。
かくしてそれは、放課後の學び舎で起こったんだ。
「いくらなんでも、あんまりだ!」
學び舎に着くと、吉野が一道さんに怒っていた。なんだ、何があった。
さっちんとあたしは少し距離を置いて見守ることにした。
「吉野くんは、僕に馬鹿にされたと感じた、ということかな」
応じる一道さんの声は、穏やかだ。
「そうに決まってるだろ! あれが人を小馬鹿にしていないなら、何だって言うんだ!」
「僕は小馬鹿になんてしていないよ。でも、そう感じさせてしまったのなら、そのことは謝るよ。ごめんね」
「謝ったってだめだ! 本当の学びとか何とか言っておきながら、結局は内心こっちを見下してたんだ! この偽善者!」
偽善者って…
一道さんに向かってそれは、いくらなんでもあんまりだよ。
一道さんの両手が軽く開いたまま、こわばっている。普段、平然としているように見えるけど、やっぱりショックなのかな。
「ちょっと吉野っち、少し落ち着きなよ。何があったか知らないけど、それはあんまり失礼じゃない?」
さっちんが見かねて割って入る。が、
「うるさい、お前もだ! 上で戦う人たちがどれだけ傷つきながら苦労してるかなんて、お前にはわからないんだろ!」
うわ、飛び火した。八つ当たりだよ、これ。
「親父と学校に言いつけてやる! この場所は生徒をダメにする危険な場所だって!」
そう捨て台詞を残して吉野は早足に去っていった。
「…びっくりした…一道さん、大丈夫ですか?」
「あ、未来さん。ようこそ。うん、大丈夫だよ」
「吉野っち、何があったの?」
「うん…時間の問題だとは思ってたけどね、相手が僕一人でよかった。あ、さっちんにも流れ弾、当たってたね…すまない」
「ぜーんぜん。吉野、なーんか火薬庫かなーって思ってたけど、ようやくなんか出てきたね」
「何があったんですか?」
一道さんの言うには、こんな感じだった。
発端は、吉野が一道さんに「政治の話をとりあげてほしい」と進言したことだそうだ。
一道さんが「それはその場の参加者と流れで決まるから、必ずしも期待に添えるかはわからない」と答えた。
吉野は「じゃあ自分が流れを作るから、なんとか上手くやってくれ」とお願いしてきたそうだ。
「吉野、政治の話なんかしたかったんだ?」
「あたしはしたくないなあ」
「うん、僕も今のメンバーのでは実生活からの距離が遠くて、頭だけの議論にしかならなさそうだと思ったんだ。だから、そのことを彼に伝えてやんわりとお断りした。そしたら…」
一道さん曰く、「勇気を出してお願いしたのに、なんで聞いてくれないんだ!」と怒り出したそうだ。「ほかの人たちの話したいことは自由に話させるくせに、なんでおれの話だけはダメなんだ! やっぱりあんたも親父や他の大人たちと一緒だ! こっちのためとか言いながら、結局は自分の都合を押し付けてくるだけだ!」
「僕が『そうじゃないよ、吉野くんのことも大切に思っている。そして、みんなのことも。みんなには、今の自分に直結した学びをしてもらいたいだけなんだ』と言うと、『違う! あんたは俺を見下して馬鹿にしてるんだ! 他の人たちと俺を差別してる! いくらなんでも、あんまりじゃないか!』って」
「…と、あとはさっちんたちが来たので、聞いていた通りだよ」
「うーん…完全に、言いがかりですよね…」
「未来さん、僕もそう思う。もっとも、吉野くんからこの件を聞いたら、また違った視点から話が聞けると思うから、僕の話だけで全体像を見たとは思わないようにしてほしいよ」
そう言うとトートバッグからクリームパンとピルクルを取り出した。…虫歯とか大丈夫なのかな、この人…。
「うん、やっぱり甘いものはいいね」
モグモグにこにこと、しあわせそうだ。つくづく、変わった大人だなあ、一道さんて。
「ちーっす」
「こんにちは」
「お、浅田っち、かとっちー。やっほー」
「あれ? ほのかさんは?」
「今日はバイトで休みだって」
「じゃあ、これで全員そろったわけだ」
という一道さんの言葉に浅田が尋ねる。
「あれ? 吉野は?」
「…と言う感じで…」
「…あちゃー、吉野、やっちゃったっスね…」
「…自分、人ごとには思えないなあ…なんか、自分の信じてきた道を否定されたみたいに感じたんじゃないかな」
加藤のコメントには共感と優しさがあった。彼、大人だなあ。
「さっちんと未来さんにも言ったけれど、あくまでこれは僕視点からの話だ。吉野くん自身から直接話を聞けば、また全く違う印象になると思う。どうか、今はまだ全体の半分しかわからない、ということを覚えておいてほしい」
「ええー、一道さんの説明で9割以上合ってるっしょ、絶対」
浅田の信頼は厚いようだ。…まあ、あたしもそう思ってるけどさ。
「いや、逆に、吉野くんから話を聞いたとしたら、おそらく僕はとんでもない人間だ、と多くの人が感じると思う。…幸い、ここにいる君たちは僕のことを知っているから、そうは取らないと思うけれどね。とはいえ、両サイドから話を聞くまでは、どうか早まった判断は控えてほしいよ。」
「なんか、一道さんは公平な人ですね」
思わずコメントしてしまった。…大丈夫だったよね? 変なこと、言ってないよね?
「ははは、ありがとう。できれば誰もが『両者から話を聞く』を実践してくれたら、と願っているよ」
その日のトピックは自然と「吉野について」になった。
ただし、一道さんからの「吉野くんの悪口会だけには絶対にしないでほしい」という条件付きで、だ。
「あいつ、親父が政治家らしいんっスよ」
浅田が教えてくれた。
「なんでも、国会議員にも一回だけなったことあるみたいで、あとは普通に県会議員がメインらしいんだけど」
「あーーーそういえば、吉野なんとかって人、ポスター見たかも」
さっちんが声を上げる。
「そう聞くと、なんかいろいろ、つながってきますね、これまでの彼の言動が」
加藤が言う。確かに…。
「ええと、『義務を果たさない人に権利はない』とか、最初の頃言ってたね…義務、いっぱい背負ってきたのかな…」
あたしは、吉野の怒鳴り声を思い出しながら言った。
「吉野、いつも何かに怒ってる感じだよね」
「そう、かとっち、それな。なんか姿の見えない敵って言うか…んっと、国のしくみとかにも怒ってそう。今日の帰り際、アタシにも『上で戦ってる人がどれだけしんどいか、知らないだろ』みたいなこと、言ってたもん」
「うーん、ひょっとしたら、お父さんの苦しみを、吉野も背負ってるのかなあ」
吉野の顔を思い出しながら、あたしは言った。吉野の顔はあたしにとってもう、「よくわからない、不機嫌な奴」ではなく、「何か、重たすぎるものを抱えて苦しんでいる人」に見えていた。
…いや、もちろん腹は立つよ。もっと空気読めーっても思う。好きかって聞かれたら、控えめに言ってもあんまり近づきたくはない。
けど、それだけじゃなくなっちゃった。できることなら、なんとかなってほしい。そう願う想いも出てきたんだ。
「あ、そう言えばさ、吉野『学校に言いつける』とか何とか言ってなかったっけ。あれ、ヤバいやつ? 大丈夫かな」
不安そうなさっちんが、一道さんに尋ねる。
「うーん、最悪この会、無くなっちゃうかも」
ズッ、とピルクルの残りをストローで吸う。
「え、ヤバいじゃん」
えええ
それは困る…
この場所ってさ、
今まで聞いたこともないことを聞いたり
考えたこともないことを考えたり
知らなかったクラスメートの一面を見たり
あったかく受け入れられたり
逆に受け入れたり
なんて言うか、今までの浅いつながりとは違う、もっと確かなつながりをくれた場所だと思うんだ。
なのに、無くなっちゃうの?!
「やだよ」
あたしはだだっ子みたいに言った。
「やだ」
わめいて地団駄を踏みたい気分だ。
「やだやだやだやだやだやだ」
「アタシもやだよーーー」
「オレも、続いてほしいっス」
「同じく…」
「さて、吉野くんが本当に行動を起こすかどうかはわからないけれど…政治家のお父さんが動いたら、厳しそうだね。あむ」
クリームパンの残りを口に放り込む。なんだろ、自分が一生懸命築き上げてきた場所が潰されるかも、って状況なのに、なんでこんなに緊張感無いんだろう…
…そんでこの人、飲み物よりパンを最後に残す派なのかしら…。
「えーー? そんなことあってん??」
次の日のお昼休みに、教室を離れてほのかとさっちんと話した。
「もしかしたら無くなっちゃうかも、あの場所」
あたしは若干涙ぐみながら言った。
「うーん、一道さん、『両方の意見、聞きやー』って言ってはったんやろ?」
「え? うん」
「じゃ、聞きに行こか」
放課後
「吉野ー、ちょっとええ?」
「…」
いつも通りの調子で声をかけるほのかと、無言で睨み返す吉野。うわあ…やだ、こういうの。
「聞きたいことあるんやけど」
「俺は話したくない」
「そう言わんとー。なんや、ウチのいないうちにモメたらしいなあ。な、あんたがどう聞いて受け取ったか、聞かせてーな」
「聞いてどうする」
吉野の声に体温が感じられない。目線も合わせてくれない。おなかのあたりが冷えてくる気がした。ほのか、よくしゃべってられるなあ。
「なんや、一道さんが言うてたんやって、『片方だけの話を聞いて分かった気になったらアカン、両方の話を聞いてから判断せえよー』、って」
「…あいつも所詮、その辺の大人と一緒だった、それだけの事だ」
「もっと、わかるように説明してんかー」
「…うるさいな、こっちの話を聞きます、大切にします、そう思わせぶりなことを散々しといて、こっちが勇気出して話してみたら結局『それはやめとけ』って押し潰してくるんだぜ。學び舎なんてただの時間の無駄だった」
「んー…あんな、吉野、一道さん、吉野の話もちゃーんと聞こうとしとる、って、ウチには見えとるで」
「どこが?! 俺だって最初は期待してたさ、なかなか他ではできないような話も汲んで深めてくれるからな。だけど、肝心な俺の話は一つも聞いちゃくれなかったさ」
「せやろか…なあ、吉野、もしかしてな、あんたがまだ自分の腹の中を出せてないから、吉野の声も一道さんに届かない、ってことはないやろか」
「…なんだと…」
吉野、またキレるんじゃないか。そうハラハラしながら、あたしはじっと耐えていた。
「あの人な、待っとったと思うんよ」
「…何を」
「あんたの表面のことばが尽きて」
ほのかはそこで息を継ぐと、吉野をまっすぐに見て言った。
「内側の、生の声が出てくるんをな」
「…」
おお…ほのか、すごい表現するなあ。かっこいい。
「あんた、正しさって鎧でガチガチやんか。そんなんやったら傷つかへんかもしれへんけど、誰とも心通わすこともでけへんで」
「…お前に俺の何がわかる…!」
「わからへんよ、ちっとも」
ほのかがキッパリ言ってのける。吉野、ちょっと肩透かしを食らったようなポカンとした顔をしてる。
「あんたが鎧脱いで、ほんとはどんな事が痛かったのか、どんな事が嫌だったのか、どんな事が辛かったのか、言ってくれな、わからへんよ」
吉野はこぶしを握って震えている。
「あの學び舎って、みんな自分の『生の声』を、勇気を出してさらけ出してたんや。あんたも見てたやろ? 知っとるやろ? 同じこと、あんたもしたったら良かったんや」
「そんなこと、できるわけが…」
「それな、ウチもそう思っとったわ。でも、あの場所なら、吉野もできるはずやん。な、さっちんはどうやった?」
「え、アタシ? いや、まさかみんなの前で大泣きするなんてね。自分でもビックリー」
「ミックはどうやった?」
突然振られて言葉に詰まる。
「え? え、えーと…あたし、人前で感情を出すのはもちろん、思ってること喋るのもあんまりできてなかったよ。でも、あの場って…不思議と、自分が引き出されていく感じなんだ。勇気がいる時もあったし、気づいたらなんか喋ってた、みたいな時もあったから、どっちもかなあ」
「せやんな、みんな、別にできるとは思ってへんかった。けど、流れの中で出てきたものを、最後は自分自身で『出そう』って決めたはずやで。…ほんで今は、吉野の番なんやと思う」
「…」
吉野は依然、目を合わせないままうつむいていた。
「あんたが何かを背負って戦っとるの、ウチらなんとなーく気づいとる。なあ、正しさっていう安全な場所からこっちの様子を見とらんで、ほんまは何が怖いんか、何と戦っとるんか、どんなにしんどいんか、話してみたらどうやろ」
「…話したって、お前らにはわかるもんか」
「せやなあ、ウチらみたいな小市民にはちぃーともわからん難しい話かもしれへん。けどな、人としての痛い、こわい、苦しいってあたりなら、たぶんやけど伝わると思うで。…あんたの声を、ウチらは聞きたいと思うとるよ。一道さん、今日もあの場所で待っとるで」
「…お前らは行くのか」
「もちろんや。な、吉野、も少し肩の力抜いて来たらええやねんて。待っとるで」
「わー、吉野ほんとに来てくれた」
さっちんが素直に驚いている。…ちょっとハラハラする…。変なふうに取られてまた爆発されやしないか、って。
「…ふん」
吉野は相変わらずの仏頂面だけど…なんか、前より素の感情が表に出て来ているような気もした。
「ようこそ、學び舎へ」




