閑話.徒花の休日と、不埒な誘惑者
神社での厳しい訓練が終わり、私は大きく息を吐き出した。
手元で青い火花を散らしていた札が、ハラハラと灰になって散っていく。今日も今日とて極限まで集中力を削られ、肩の力を抜くとドッと疲労が押し寄せてきた。
「……はぁー、疲れた……」
思わず弱音を漏らすと、温かいお茶の入った湯呑みがスッと視界に差し出される。
「お疲れ様、花さん。今日も筋が良いね」
微笑むのは、この神社の神職であり、私の訓練に付き合っている東雲聖真だ。相変わらず無駄のない動きと圧倒的な霊力を見せつけられた後だけに、その柔らかい笑顔を見ると妙な敗北感が込み上げてくる。
お茶を一口飲み、喉を潤していると、聖真がどこかソワソワとした様子で私を見つめていることに気づいた。
「……あの、東雲さん? 私の顔に何か付いていますか?」
「あ、いや……そうじゃなくて」
聖真は薄茶色の髪を触ると、意を決したように胸を張り、言葉を紡いだ。
「あのね、花さん。いつも訓練頑張ってるから、たまには気晴らしに街に買い物に行かない?」
(……買い物?)
唐突な提案に私が首を傾げた、その瞬間だった。
「……っていうのは建前で、俺が花さんとデートしたいだけなんだけどね」
「——ふぐッ!?」
口に含んだばかりのお茶を吹き出しそうになり、必死の思いで呑み込む。
ゴホゴホと盛大にむせ返る私を前に、聖真は「大丈夫!?」と慌てて背中をさすってきた。
「な、なにを言っているんですか……っ!」
「なにって、本音だけど……ダメかな?」
首を少し傾げ、真剣な眼差しで覗き込んでくる。
その顔には一切の悪びれた様子がなく、けれどどこか計算されたような、茶目っ気のある笑みが浮かんでいた。
(この男……!! 恋愛に疎いフリして、急に何を言い出すのよ……!?)
前世、恋人である琉弥と過ごした時間は、もっと深遠で、静かに命を確かめ合うような愛だった。
こんな、人間の若者がやるようなストレートで甘酸っぱい「デートの誘い」なんて、私は一度だって経験したことがない。
顔に一気に熱が集まっていくのがわかる。
普段は会社で完璧な社会人を演じているはずの私の仮面が、この男の一言であっさりとヒビ割れていく。
(……なんで私が、この男とデートなんてしなきゃいけないのよ!)
心の中で毒を吐き、断ってやろうと口を開い——かけ、ふと踏み止まる。
(……待って。私、明日休日よね?)
(満員電車に揺られることもなく、会社で愛想笑いを撒き散らす必要もない、貴重な休日……)
チラリと聖真を見る。無駄に顔が良くて、実力は折り紙付きで、私を喜ばせようと必死になっている男。
(……フン。せっかくの休日をアパートで一人過ごすより、美味しいものでも奢らせて、買い物を楽しんだ方がずっと得じゃない)
完全に自分に都合良く解釈を切り替えた私は、溢れ出そうになる不敵な笑みを必死に押し殺し、すました顔で聖真を見上げた。
「……いいですよ。せっかくのお誘いですし、行きましょう」
「本当!? 良かった……! じゃあ、とっておきの場所に案内するね!」
ぱあっと花が咲くように嬉しそうな笑顔を浮かべる聖真。
その純粋すぎる反応に、またしてもドキンと胸が跳ね上がるのを感じながら、私はあえてそっぽを向いたのだった。
迎えた休日。
指定された待ち合わせ場所にやってきた私は、思わず足を止めた。
いつもの白い羽織と袴姿ではなく、落ち着いたトーンのニットにジャケットを羽織った聖真が、柱の横に立っていた。
長めの髪を軽く結び、モデルのように目を引く立ち姿。通りかかる女性たちがチラチラと振り返っている。
(……無駄に顔が良いのよ、本当に)
心の中で毒づきながら近づくと、聖真はこちらに気づき、一瞬ポカンと目を丸くした。
「……花さん。すごく綺麗だね」
ストレートな言葉とともに、モスグリーンの瞳が熱を帯びて私を射抜く。
今日の私は、休日に着るお気に入りのワンピースだ。漆黒の髪を軽く巻き、紫の瞳に合わせて控えめなメイクを施している。
「……ありがとうございます。行きましょう」
照れくささを隠すために歩き出すと、聖真は嬉しそうに私のとなりに並んだ。
最初にやってきたのは、聖真が事前に調べておいてくれたという、緑に囲まれた隠れ家風のカフェだった。
運ばれてきたのは、宝石のように苺が盛り付けられたショートケーキ。
「ここ、女性にすごく人気なんだって。花さん、甘いもの好きかなと思って」
「……いただきます」
フォークで一口すくい、口に運ぶ。
瞬時に広がる上品な生クリームの甘さと、苺の甘酸っぱさ。
「……ッ、美味しい……!」
思わず素の声が出てしまい、頬が緩む。
それを見た聖真は、まるで自分が褒められたかのように満足気な笑みを浮かべた。
「良かった。実はね、境内を出てこうして誰かとカフェに来るの、俺も初めてなんだ」
「えっ……東雲さんも初めてなんですか?」
「うん。ずっと神社の仕事と訓練ばかりだったから。……だから今日、花さんと来られてすごく嬉しいよ」
(な……なんなのよ、この無自覚天然たらしは……!)
まっすぐに自分に向けられる愛おしそうな視線に耐えかね、私は逃げるように二口目のケーキを口に放り込んだ。
カフェをあとにした私たちは、巨大なショッピングモールへと足を運んだ。
休日のモールは家族連れやカップルで賑わっており、気を抜くと人に流されそうになる。
「うわっ……」
後ろから走ってきた子供を避けようとして体勢を崩しかけた瞬間、スッと袖を引かれた。
「危ないよ」
見上げると、聖真が真剣な顔で私の袖の布地をちょこんと掴んでいた。
手首でも、手でもなく、服の『袖』。
(……奥手!! 琉弥なら容赦なく腕を引っ張るか抱き寄せてきたのに、この男、袖……!?)
その絶妙に初々しい距離感に、可笑しさと愛おしさが混ざった妙な感情が込み上げてくる。
「……迷子になりそうだから、離さないでくださいね」
私がそう言うと、聖真は「うん!」と耳まで真っ赤にして頷いた。
モール内の服屋を巡っていると、ふとした拍子に聖真が「お互いに服を選び合わない?」と言い出した。
断る理由もないので、私は気合いを入れてメンズコーナーへ向かう。
(フン、普段はお堅い神職の服ばかり着てるんだから、ちょっとギャップのある服を着せてやろうじゃない)
私が選んだのは、少し抜け感のある黒の革ジャンと、グラフィックTシャツ。
一方、聖真が私に選んでくれたのは、柔らかいアイボリー色のロングニットと、繊細なレースのスカートだった。
試着室から出て、お互いの姿を確認する。
「……どうかな? 正直、こういう服は着慣れないんだけど……」
少し恥ずかしそうに髪をかく聖真。
いつもの爽やかイケメンから一転、少し危険でワイルドな雰囲気が醸し出されていて、心臓が一瞬跳ね跳びそうになる。
(……似合いすぎでしょ、ずるいわね)
「……すごく似合っていますよ。かっこいいと思います」
素直に褒めると、聖真はパッと目を輝かせた。
「本当!? 嬉しいな。花さんの選んでくれた服、買い取っていくよ。……あ、花さんもそれ、すっごく可愛い。可憐で、守ってあげたくなる」
「ま、守るなんて必要ありませんよ、私、強いんですから……」
そう強がりつつも、鏡に映る自分を見る。
そこにいたのは、前世の忌まわしい記憶や、現世の社畜生活の疲れを忘れた、ただの「おしゃれを楽しんでいる普通の女の子」だった。
(……そっか。私、今普通に楽しんでるんだ)
「私、それ買っていきますね。選んでくださってありがとうございます、東雲さん」
「ううん。俺こそ、花さんの新しい魅力が見られて得しちゃった」
そう言って悪戯っぽく笑う聖真に、私はもう降参するしかなかった。
すっかり陽が落ち、夕暮れ時の街並みを歩いてアパートの近くまで戻ってくる。
手に提げた買い物袋の重みが、今日という一日の充実感を物語っていた。
「送ってくださってありがとうございました。今日は……その、楽しかったです」
私がお礼を言うと、聖真は足を止め、じっと私を見つめた。
「花さん」
「はい?」
聖真はゆっくりと距離を詰めると、私の髪にそっと手を伸ばした。
心臓がドクンと嫌なほど大きく鳴る。至近距離にある美貌に、息が止まりそうになる。
「……落ち葉がついてたよ」
指先でハラリと小さな葉を払った聖真は、そのまま離れることなく、真顔で私を見つめ直した。
「俺ね、今日は『気晴らし』って誘ったけど……本当はずっと前から、花さんと二人きりで出かけて、笑い合いたかったんだ」
「……っ」
「だから今日、花さんが楽しそうにしてくれて……本当に幸せだった」
誤魔化しもしない、ストレートな言葉の暴力。
逃げ場をなくされた私の顔は、きっと夕焼けよりも赤くなっていたに違いない。
「……ずるい人ですね、本当」
絞り出すようにそう言うのが精一杯だった。
自分の部屋に戻り、鍵を閉めた瞬間、私はベッドへ倒れ込んだ。
「なんなの……なんなのよ、あの男は……!!」
枕に顔を押し付け、ジタバタと足をバタつかせる。
恋愛に疎いフリをして、あんな殺し文句を不意打ちで叩き込んでくるなんて、反則以外の何物でもない。
ふと見やった鏡の中には、前世の半妖だった頃の私でもなく、会社で仮面を被っている私でもない、赤くなった顔を両手で覆う一人の「女の子」が映っていた。
「……復讐のために、利用してやるだけなんですからね」
口ではそう言いながらも、今日彼が選んでくれた服の入った紙袋を大切そうに抱きしめる。
私の心に、ほんのりと温かい春の風が吹き込んだような、そんな休日の夜だった。




