28.徒花に口づけを
「……花さん。お茶が入ったよ」
拝殿の奥から出てきた聖真は、お盆の上に湯飲みを二つ載せ、静かに縁側へ腰を下ろした。
彼の膝元へ、真っ白な毛並みの『ましろ』が悲しそうに「にゃあ」と鳴きながら寄り添ってくる。
聖真は静かにましろの頭を撫で、隣にぽつんと置かれた、もう誰も飲むことのない温かいお茶を見つめた。
昨夜、千影が吐き捨てた激昂の数々。
「琉弥」「俺たちの無念」「東雲の仇」。
そして、自分を庇って胸を貫かれた花が、涙を流しながら叫んだ言葉。
『東雲さんは仇なんかじゃない! 彼は……私を愛してくれた、私が守りたい大切な人なの!!』
聖真は愚かではない。
花がなぜこの神社にやってきたのか。なぜ時折、あの哀しげで冷たい瞳で自分を見つめていたのか。
そして、床の間の奥から見つかった先祖の古い手記と、狐の妖怪の扇子…恐らく琉弥のものだろう。
それらを繋ぎ合わせれば、答えは一つしかなかった。
(君は……前世の残酷な過ちと憎しみを背負って、俺を殺しに来たんだね)
東雲の先祖が犯した過ちと罪。
花は自分を殺し、復讐を果たすためにやってきたはずだったのだ。
けれど、花は復讐を捨てた。自分を愛し、その命を身を挺して守る道を選んでくれた。
「俺の先祖が……君たちをどれほど傷つけたか。……ごめんね、花さん」
ぽつりと漏れた聖真の呟きが、静かな境内に溶けていく。
真相を察したところで、聖真の心にあるのは憎しみでも怒りでもなかった。
ただひたすらに溢れ出すのは、過酷な宿命を背負いながらも、最後に自分を愛して笑顔で散っていった花への、痛いほどの愛おしさと感謝だった。
聖真は立ち上がり、社殿の奥にある本殿へと向かった。
厳かな祭壇の中央には、花が最期まで手にしていた「琉弥の扇子」が、大切に祀られている。
その扇子の傍らに、境内で摘んできた一輪の白い花をそっと添える。
「君は……咲くことなく散ってしまう『徒花』だなんて、思っていたのかな」
聖真は愛おしそうに目を細め、白花と扇子に向かって静かに腰をかがめた。
そして、花の唇に与えるはずだった最後の愛を重ねるように、そっと白花へ口づけを落とした。
「でもね、花さん。俺にとって君は……一生でたった一人だけの、俺の愛しい人だ」
冷たい風が境内を吹き抜け、祭壇の扇子がかすかに揺れる。
まるで、花が聖真の言葉を聞いて照れくさそうに微笑んだかのように。
「二度と誰も愛さない。俺の心も、魂も、ずっと君だけのものだから」
たとえこの身が朽ち果てようとも、先祖の罪を背負いながら、この神社で永遠に花を愛し続けて生きていく。
朝の光が差し込む神社で、聖真の穏やかな、けれど狂おしいほど深い愛の誓いが、静かに響き渡っていた。




