27.徒花に散る熱
「花……!? おい花、嘘だろ……! なんで東雲を庇うんだよッ!?」
千影の絶叫が、血の匂いの漂う境内に虚しく響き渡る。
自分が放った爪と配下の猛威が花を貫いてしまった事実に、千影は目を見開き、ガタガタと腕を震わせた。
群がる妖怪たちも、仲間であったはずの花の血を前にして動揺し、怯えるように後退る。
私の胸からは温かい血が溢れ出し、視界が急速に黒く染まっていく。
(ああ……これで、よかった……。東雲さん……無事で……)
前世の宿命も、復讐の呪縛も、すべてが遠のいていく。
冷たくなっていく指先を感じながら、私は静かに目をとじようとした。
——その時だった。
「——俺の、花さんに」
鼓膜を震わせたのは、これまで聴いたこともないほど低く、地底から響くような聖真の声だった。
私を抱きしめる聖真の手から、優しさが消え去っていた。
彼の全身から溢れ出したのは、境内の夜闇を一瞬で吹き飛ばすほどの、凄まじく神聖で圧倒的な霊力だった。
「俺の……大切な花さんに……何をしたんだ……?」
聖真が静かに眼光を上げる。
その瞳は普段の穏やかな色ではなく、神気を帯びて蒼白く輝いていた。
「な……なんだ、この圧は……ッ!?」
千影が息を呑み、圧倒的な圧迫感に思わず怯んで後退る。
次の瞬間、聖真が放った凄まじい神気の波動が境内に吹き荒れた。
「「「ギギャアアアッ!!」」」
群がっていた無数の雑魚妖怪たちが、叫び声を上げる暇もないまま一瞬で浄化され、光の霧となって消滅していく。
強大な妖力を持つ千影だけが、その神気の渦の中で歯を食いしばり、踏みとどまっていた。
神気によって皮膚が焼き焦げる痛みに顔を歪めながらも、琥珀色の瞳を血走らせて聖真へ躍りかかる。
「ふざけるな……! 数百年待ったんだ……ッ! お前みたいな人間なんかに、俺の花を奪われてたまるかぁぁあッ!!」
狂気と執着を孕んだ千影の爪が、聖真の神気を強引に切り裂く。
だが、最愛の花を害された怒りに塗れる聖真の踏み込みは一瞬だった。神気を纏った聖真の霊刃が、千影の渾身の強襲を打ち破り、その胸深くを容赦なく穿つ。
「カハッ……!?」
体内に叩き込まれた圧倒的な神気が、千影の命を内部から焼き尽くしていく。
凄まじい衝撃とともに、誇り高き狼の妖怪が地面へと激しく叩きつけられた。
血の海に倒れ伏し、消えかけていく己の身体を感じながら、千影は荒い息を吐く。
(……勝ちたかった……。人間なんかに……負けたく、なかった……)
屈辱と悔しさが胸を焼く。だが、薄れゆく視界の先、聖真の腕の中で横たわる花の姿が見えた瞬間、千影の瞳からぽろぽろと涙が溢れ出した。
(花……俺の、花……。なんでお前まで死にそうなんだよ……。俺が……俺の手で、お前を……)
絶望と悲しみが押し寄せ、千影の胸をぐちゃぐちゃに引き裂く。
けれど——同時に、狂おしいほどの歓喜が腹の底から湧き上がってきた。
(ああ……でも……そうか……。お前も死ぬのか……。なら、また一緒に行けるんだな……今度こそ、俺だけの……)
千影は震える腕を地面につけ、血を吐きながら、涙と血で汚れた顔で這いつくばるように花のもとへ手を伸ばした。
「花……待てよ……一人で、行くな……俺も、すぐ……」
指先が、あと数センチで私の裾に届くというところで。
千影の動きがぴたりと止まり、琥珀色の瞳から光が失われた。
数百年の執着を抱えたまま、彼は二度と動かなくなった。
静寂が戻った境内。
血の海の中で、花の命の火も今にも消えかけようとしていた。
「花さん……! 嫌だ、目を開けてくれ、花さんっ!!」
聖真が私の身体を抱きしめ、必死に自分の霊力を流し込もうとしてくる。
けれど、深すぎる傷からは命がどんどん溢れ出していく。冷え切っていく私の頬に、聖真の熱い涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「死なせない……! 頼むから、俺を置いて行かないでくれ……っ!」
聖真は震える手で私の顔を包み込み、縋り付くように唇を重ねてきた。
血の味のする、痛いほど切ない口づけ。
自分の命を分け与えようと必死に送り込まれる彼の温かい霊力も、もう私の器には留まってくれなかった。
(東雲さん……泣かないで……)
前世の琉弥も、私を守る時にこんな風に微笑んでいたのだろうか。
冷たくなっていく身体の中で、聖真から与えられる最後の熱だけが、愛おしくて、温かくて。
(あたたかい……。あなたを……愛せてよかった……)
最後に一度だけ、私の指先が聖真の頬に触れた。
咲くことなく散っていく徒花の最期に、聖真の深い愛と口づけをもらえたこと。それだけで、私の胸は満たされていた。
「花さん……? 花さんッ!!」
胸の痛みが消え去り、意識が静かな闇の中へと溶けていく。
聖真の腕の中で、私の息はそっと途絶えた。




