22.侵食する体温
目を覚ますと、レースのカーテン越しにやわらかな朝の光が差し込んでいた。
体が軽い。昨夜の激しい頭痛と息苦しさが嘘のように引いている。
……それと同時に、昨夜の記憶が一気に脳裏に蘇り、全身の血が引いていくのを感じた。
(私……東雲聖真にすがって、泣いた……?)
前世の凄惨な記憶に呑まれ、パニックを起こして聖真の胸を叩き、挙句の果てには仇の血筋である彼の腕の中でボロボロと涙を流したのだ。
激しい自己嫌悪と、取り返しのつかないことをしてしまったという焦燥感が胸を焼く。
ふと、リビングの方からトントンと心地よい包丁の音と、出汁の優しい匂いが漂ってきた。
そっとベッドを抜け出し、廊下から覗き込むと、そこには私の部屋のエプロンを身につけた聖真の姿があった。
台所に自然体で立ち、鍋の様子を伺っている。
「あ、おはよう。花さん」
気配を察した聖真が振り返り、いつもの穏やかな笑顔を向けた。
「顔色、すっかり良くなったね。お粥がもうすぐできるから、そこに座って待っていて」
自分の生活領域に当たり前のように溶け込んでいる男の姿に、背筋が寒くなる。
「……どうして、まだいるんですか? もう体調は大丈夫だから、帰ってください」
努めて冷たい声を意識して告げたが、聖真は手際よくお椀にお粥を盛りながら、ちっとも傷ついた様子を見せずに微笑んだ。
「そんな冷たいこと言わないでよ。昨夜あんなに苦しんでいた人を、置いて帰れるわけないでしょう? ……ほら、熱々だから気をつけてね」
目の前に置かれた湯気の立つお粥と、手作りの優しい小鉢。
毒づいて追い払わなければいけないのに、胃を温める出汁の香りに、身体が勝手に安らぎを感じてしまうのが恐ろしい。
私はスプーンを握りしめたまま、うつむいてぽつりと呟いた。
「……昨夜は、取り乱してごめんなさい。……あんな風に暴れて、ご迷惑を…」
早くこの場を終わらせたくて投げかけた謝罪の言葉。
けれど、聖真はふっと目を細めると、愛おしくてたまらないといった風に愛くるしく目を細めた。
「ううん。むしろ……すごく嬉しかったよ」
「……え?」
顔を上げた私の視線に、聖真は身を乗り出し、優しく私の頬に触れそうな距離で囁いた。
「花さん、出会った頃からずっと、俺にどこか不自然な壁を作っていたでしょう? でも最近は……とくに昨夜は、初めて俺の前で感情を剥き出しにしてくれた」
「っ……」
「俺を叩いて、泣いて、縋ってくれた。……だいぶ素を見せてくれるようになったよね」
——ハッとした。
全身の毛穴が開くような衝撃が走る。
私はパニックを起こし、彼を拒絶し、激しく八つ当たりをしたつもりだった。
なのに、この男にとってはそれすらも「自分に心を開いてくれた証拠」として変換されているのだ。
拒絶すればするほど、心を閉ざそうと暴れれば暴れるほど、この男はそれを「甘え」や「信頼」と受け取り、愛着を深めていく。
(逃げられない……)
「今日も会社は休むよう、俺から連絡しておいたから。……今日は一日、僕がずっと側にいるよ」
そう言って満足そうに微笑む聖真の瞳は、どこまでも澄んでいて、どこまでも深かった。
底なしの沼に足を取られたような恐怖に、私は言葉を失ってただ立ち尽くすことしかできなかった。




