2.毒を抱く徒花
「怪我がないなら本当に良かった。……でも、一つ聞いてもいい?」
安堵の息を吐いた後、聖真は首を少し傾げ、不思議そうに私を見つめてきた。その純粋で毒気のない瞳が、まっすぐに私を射抜く。
「君、かなり強い霊力を持ってるよね? それも、妖かしを引き寄せてしまうくらい上質なやつ」
ドクン、と心臓が跳ねた。
動揺を隠し、怯えた被害者のフリを続ける。
「……ええ。昔から、人には見えないものが見えてしまうことはありましたけれど……」
「やっぱり。よく今まで無事でいられたね……」
聖真は本気で感心したように、そして痛ましいものを見るような目で呟いた。
月光の下で私を見つめる、澄んだモスグリーンの瞳。
助け起こすために握られた手に、ほんの少しだけ力がこもり、その白い頬がうっすらと朱に染まっていることに私は気づいた。
(……は)
思わず鼻で笑いそうになった。
仕事柄、無数の人間を観察してきた私には分かる。この男、私に一目惚れしたのだ。
前世の私を死に追いやった男と同じ顔が、いまや私に見惚れて顔を赤らめている。その事実があまりに滑稽で、ぞっとするほど甘やかな愉悦が胸を差し込んだ。
「ねぇ、差し支えなければ名前を聞いてもいい?」
「……野原、花です」
「花さん。……あのさ、もし良かったら、俺の神社に来ない?」
聖真は少し照れたように、肩にかかる薄茶色の髪を撫でながら、まっすぐな言葉を投げかけてきた。
「今の花さんは、高級な肉を抱えて猛獣の檻を歩いてるようなものなんだ。今回は俺が通りかかったから良かったけど、また雑魚に襲われたら危険だよ。……だから、自衛のために、簡単な札の使い方とか霊力の込め方を教えたいんだ」
(お前に……教わる?)
喉の奥から激しい拒絶感がせり上がってきた。
かつて世界を揺るがすほどの妖力を誇っていたこの私に、何を言っている。よりにもよって、愛しい人を殺した男の子孫から、ちっぽけな人間の護身術を教われだと?
ふざけるな。誰がお前なんかに頭を下げて教わりなどするか。
喉まで出かかった罵倒を、私は必死で呑み込んだ。
爪が手のひらに食い込む。
冷たい思考が、急速に脳内を駆け巡る。
(……待てよ)
これは、この男の善意がくれた最悪で最高のチャンスだ。
拒絶するのは簡単だ。けれど、このお人好しな神職の懐に飛び込む絶好の機会を、自ら捨てる手があるだろうか。
東雲聖真は私に一目惚れしている。自衛術を教わるという大義名分があれば、合法的に彼の生活圏——『霞森神社』に入り込み、いつでも彼の隙を狙うことができる。
「自衛、ですか……?」
「うん。俺、君のこと放っておけないんだ。……あ、変な意味じゃなくて! 本当に心配で!」
慌てて手を振る聖真の無防備な姿に、私は心の中で冷たい笑みを浮かべた。
純粋で、まっすぐで、毒気のない男。
だからこそ、破滅させるのは容易い。
私の持つ美しさも、哀れな被害者としての立ち位置も、すべてを利用してやる。
お前が私に恋をしたその瞬間から、お前の地獄は始まっているのだから。
私は伏せ目になり、不安に揺れる哀れな女性の瞳を演じきって、ゆっくりと頷いた。
「……本当ですか? 私、いつも怖くて……。東雲さんが教えてくださるなら、すごく心強いです」
「本当!? よかった! じゃあ、明日さっそく霞森神社においでよ!」
ぱっと満開の輪を咲かせるように笑う聖真。
その毒気のない笑顔に、私はとびきり可憐で、毒を孕んだ笑みを返した。
「はい。よろしくお願いしますね、東雲さん」
(首を洗って待っていなさい。あなたのすべてを、狂わせてあげる)




