1.歪な愛想笑い
人間という生き物を理解するために、私は「人の悩みを一番間近で聞く仕事」を選んだ。
都内のオフィスビルに本社を構える人材会社。そこで働くキャリアアドバイザーが、現在の私だ。
来客ブースで、私は今日も完璧な「親身なカウンセラー」を演じる。
「——なるほど。現職での評価に納得がいかず、ご自身の可能性を発揮できる環境をお探しなんですね」
柔らかく微笑み、相槌を打つ。
相手の男性は満足そうに頷き、会社や上司への不満を捲し立てている。
くだらない、と思う。
周りの顔色を窺い、集団に同化し、他者に認められたくて必死な人間たち。
前世の記憶を持って生まれた私は、幼い頃から子供らしく甘えることもなく、ずっと一人でいた。
今世の両親は、そんな私を心配し、どう接すればいいか惑いながらも注げるだけの愛情をくれたと思う。
けれど、私にとって心から愛せる親は——半妖だった私を守ってくれた前世の母だけだった。
妖かしの父を愛したせいで異端と蔑まれながらも守ってくれた母以外の人間は、全員が敵でしかなかったから。
結局、両親に心を許せないまま、高校生の時に二人は事故で他界した。
引き取られた親戚の家では、可愛げがなく不気味な子だと煙たがられる日々。
未成年の自分が生きていくための最小限の手続きだけは利用してやったが、嫌いな人間に頼る気なんてさらさらなかった。
私には、かつて半妖として生きた矜持がある。
奴らを見下しながら密かにバイトで金を貯め、高校卒業と同時に、捨て台詞一つ残して家を飛び出した。
——人間なんて、やっぱり嫌いだ。
けれど、群れなければ生きていけないのがこの世界のルール。
ならば、敵を知るために観察しよう——そう思って選んだのが、この仕事だった。
「ご安心ください。あなたに合った職場を一緒に探しましょう」
心を殺して紡ぐ偽りの言葉に、人間たちは簡単に心を開く。観察対象としてはあまりに扱いやすく、白けてしまうほどだ。
定刻を過ぎ、PCをシャットダウンしてビルを出る。
最寄り駅へ向かう暗い路地裏に入ると、街灯の影からゆらりと黒い靄が立ち上った。
(……またか)
今世の私には、無駄に強い霊力があった。
幼い頃から、人知れず彷徨う幽霊や、街の暗がりに潜む妖かしの姿が見えてしまう。
前世の記憶があるとはいえ、今はただの人間だ。関わればろくなことにならないと分かっているから、
普段は視界に入っていないフリをして通りすぎる。
幸いにも、これまでは「見えているだけ」で、直接妖怪に襲われるようなことは一度もなかった。
こちらから刺激されしなければ関わらずにすむ——そう高をくくっていたのだ。
だが、今日は違った。
「ひ、ヒヒッ……人間だ、喰ってやる……!」
背後から醜悪な声が響き、影が爆発するように膨らんだ。
振り向く間もなく、鋭い爪を持った異形が飛びかかってくる。
(くっ……ただの雑魚が……!)
一瞬で相手の間合いを見抜き、前世の感覚で即座に迎撃しようと腕を張り出そうとする。——だが、動かない。
爪も牙も、かつて敵を薙ぎ払った妖力すら、いまの華奢な肉体には何一つ備わっていなかった。
首元へ迫る爪。
かろうじて身体を捻り攻撃をかわすものの、背中がコンクリート壁に強く打ちつけられる。
(くそっ……! なぜこんな雑魚相手に、手も足も出ない……!?)
殺される恐怖ではなく、強大だった前世の己とのギャップ、そして無力な「人間」に落ちぶれたという猛烈な屈辱で奥歯が噛み合わさる。
死を覚悟し、不快感に目を細めた——その瞬間。
サッ、と夜風を切るかすかな紙の音が響いた。
「——穢れを拭う。塵芥と消えよ。」
次の瞬間、目の前に一枚の白い『ヒトガタ』が舞い降りた。
紙札は眩い白銀の光を放つと、異形の胸元を鋭く貫いた。
「ギャアアアッ!?」
絶叫を上げた妖かしの身体が、紙札から広がった聖なる炎に包まれ、さらさらと灰になって消えていく。
目を開けると、路地の入り口に一人の男性が立っていた。
凛とした着物姿の男性。
月光に照らされたその顔は驚くほど整っている。そして何より——闇を一切寄せ付けない、恐ろしいほどに澄み切った瞳をしていた。
「あぁ、よかった……! 怪我はない?」
男はハッとしたように表情を崩すと、パタパタと駆け寄ってきて、心底心配そうに屈み込んだ。
差し出された白い手と、その顔。
息が止まる。
胸を突いたのは助けられた安堵でも、彼の美しさに対する熱でもない。
魂の底から湧き上がる猛烈な吐き気と、前世の傷口が再び裂け開くような激痛だった。
(……子孫だ。あの日、愛しい人を殺した男の血筋だ)
こんな雑魚妖怪に後手に回った屈辱の上塗り。
しかも助けてきたのは、自分から全てを奪った男の血を引く人間。
激しい憎悪で血が煮え立つ私を、彼はただの『無力で怯えた可哀想な女性』だと疑いもなく信じ込んでいる眼差しで見つめていた。
「びっくりしたよね。俺、近くの霞森神社で神職をしてる東雲聖真っていうんだ。もう大丈夫だよ」
ふわりと和ませるような、屈託のない笑み。
身勝手に奪っていった、あの先祖と同じような顔なのに、中身は驚くほどお人好しで無害な「善人」だった。
(……ふざけてる)
この無力な身体も、こんな毒気のない男に助けられたことも、すべてが反吐が出るほど不愉快だ。
私は爪が肉に食い込むほど拳を握りしめ、伏せ目になって震える声を絞り出した。
人間を観察して培ってきた、偽物の笑みを浮かべて。
「……ありがとうございます。助けていただいて……東雲さん」
(絶対に許さない。あなたを、あなたの血を、私がこの手で破滅させてやる)




