プロローグ.徒花の芽吹き
視界を染めるのは、冷たい雨と、己から溢れ出る赤い血。
すぐ隣で倒れているのは、私のすべてだった、愛しい人——硫弥
人間からは妖怪だと恐れられ、妖怪からは半妖だとあざ笑われ蔑まれてきた。
どこにも居場所のなかった私を、ただ一人『お前はお前だ』と抱きしめてくれた人の身体から、みるみるぬくもりが消えていく。
『——許せ。これが私の果たすべき役目だ。』
刀を納める男の瞳にあったのは、冷徹な殺意ではなく、酷く静かな苦しみと諦念だった。
勝手だ。そんな顔するくらいなら、最初から刀なんて振るわなければいい。自分たちの都合で、勝手に誰かを「悪」と決めて奪っていくのだ。
人間など大嫌いだ。
異物を見つければ寄ってたかって痛めつけ、排除することしかできない愚かな生き物。
何より許せないのは……その醜い人間の血が、私の中にも半分流れているということだった。
あの男の顔を、あの諦めを含んだ気配を、魂が砕け散ろうと絶対に忘れるものか。
——ハッと息を呑んで、目を覚ます。
視界に飛び込んできたのは、見慣れたアパートの天井。遮光カーテンの隙間から漏れ出る朝陽が、最悪な夢から覚めた自分の滑稽さを浮き彫りにする。
浅い息を繰り返しながら、私は掛け布団から手を出して、そっと頭の上に触れた。
触れられるのは、ボサボサとした人間の髪の毛と、丸くなった爪だけ。
かつてあった犬耳も、感情とともに揺れた尻尾も、夜を切り裂く爪も、小さな牙も……どこにもない。
「……最悪」
鏡に映るのは、私が何より嫌い、心底呪っていた「人間」の姿だ。
機械的にスーツに着替え、鏡の前で張り付けたような愛想笑いを作る。
あんなにも人間を嫌っていた私が、なぜ人間として生まれ変わり、満員電車に揺られて生きているのか。
答えはまだ出ない。けれど、胸の奥に燻る憎悪だけは、名の日から一度も消えてはくれなかった。
咲いても実を結ぶことのない、ただ朽ちていくだけの徒花のように——私は今日も、しぶしぶ人間を演じ続ける。




