20.交わらぬ正義
穏やかな会話も束の間、静まり返った村の空気が一瞬で凍りついた。
(……この威圧感は、何……!?)
夜の闇を切り裂くように現れたのは、白い狩衣を纏った一人の男だった。
手に携えた神刀からあふれ出すのは、息が詰まるほど高く澄み渡った霊力。
この時代を生きる、東雲家の神職だった。
「……遅かったか。村の者が皆、命を落としているとは……」
神職の男は散らばる惨状を見渡し、痛ましそうに深く目を伏せた。
その顔には私怨や悪意など一切存在しなかった。ただ、己の無力を恥じ、命を奪われた人々を悼む静かな哀しみだけがあった。
「……待って! 私たちは捕らわれていた妖かしたちを助け出そうとしただけで——」
私が叫びかけた瞬間、琉弥がそっと私を背後へ庇い隠した。
「無駄だ、花。言葉を重ねるな」
男は静かに刀を抜き放ち、澄んだ瞳を私に向けた。
「事情がどうあれ、これほどの惨劇を引き起こした妖怪を野放しにはできぬ。……我が責務において、ここで討ち果たす」
「……真面目な男だな。だが、この子に手出しはさせん」
琉弥は静かに懐から扇子を取り出すと、優美な所作で一気に振り開いた。
パサッ、と夜気を切り裂く鋭い音が響き、彼の手に握られた扇子が男へ向けて凛と構えられる。
次の瞬間、世界が揺れた。
琉弥の背後から咲き誇るように広がったのは、凄まじい妖気。千影をも凌駕するその威圧感に、大気が悲鳴を上げる。
交わるはずのない二つの正義が激突する。
男が放つ白銀の破魔の光と、琉弥が構えた扇子の一振りから解き放たれる猛烈な蒼い狐火の嵐。
渦巻く蒼炎が村の家屋を焼き払い、夜空が激しく明滅した。
男は全霊を込めて刀を振るい、琉弥もまた濃密な妖気を纏わせた扇子を優美に操りながら、冷徹で隙のない狐火と鋭い扇の一撃を繰り出す。
夜空を揺るがす壮絶な攻防戦。男も卓越した剣術で一歩も引かず喰らいつくが、地力の差は歴然だった。
琉弥の一撃を刀で受け止めた男は、その凄まじい衝撃に押されて地を滑り、ハッ、ハッ、と激しく肩で息をつく。
「……見事な強さだ。だが……退くわけにはいかん!」
男は苦痛に眉をひそめながらも神刀を強く握り直し、霊力を激しく押し上げた。
眼前の強大な妖を討ち果たし、己の責務を全うするための決死の覚悟。男は全身の霊力を限界まで引き絞り、広大な祓いの結界を張り巡らせた。
「琉弥……ッ! もうやめて!!」
駆け寄ろうとする私を、琉弥は背中で遮り、視線すら切らずに言い放つ。
「来るな、花! お前は引け!」
大気を灼く神気と蒼い狐火が激しくぶつかり合う中、琉弥は男の命懸けの術式を正面から破ろうと押し込んでいく。
だが、その攻防の最中——男が放った捨て身の破魔の光の一部が、結界の隙間を抜けて背後にいる私へと一直線に弾け飛んだ。
「花……ッ!?」
琉弥の瑠璃色の瞳が激しく揺れた。
避ければ私が消し飛ばされる。
琉弥は躊躇なく私のもとへ飛び込み、その背で破魔の光を受け止めた。
激しい衝撃と焦熱が琉弥の身体を灼く。だが、私を庇うために一切の防御を捨てたその一瞬こそが、男の狙いだった。
ドスッ、と重い音が響く。
「が、はっ……!」
無防備になった琉弥の背に、その隙を逃さなかった男の全身全霊の神刀が深く突き刺さっていた。
もし私を守るという足枷がなければ、男の刃が届くことなど決してなかったはずだ。
「琉弥——!!」
「……ぐ、ああああっ!!」
琉弥は胸を貫かれ、手にしていた扇子を落としながらも、凄まじい執念で蒼い狐火を爆発させて先祖を蹴り飛ばし、距離を取った。血を吐きながら崩れ落ちる琉弥の元へ、私は膝から崩れ落ちるように抱きついた。
「嘘……嘘でしょ、琉弥! 目を開けて……!」
「……花……っ」
かすれ声で私を呼ぶ琉弥の瑠璃色の瞳が、ゆっくりと私を映す。
最期の瞬間まで、その瞳に宿っていたのは私への愛おしさだけだった。
「……泣くな、花。……生きろ……」
冷たくなっていく指先が、私の頬をそっと撫でる。
「人間を……許さなくていい。……だが、自分を……責めるな……っ」
「琉弥……ダメ、私を一人にしないで……!」
ふわりと哀しく微笑み、琉弥の瞳から光が消えた。
指先から力が抜け、冷たく動かなくなる。
「ああああああっ——!!」
私の悲鳴が夜の闇に響き渡る。
だが、その慟哭を切り裂くように、深手を負い肩で息をする男が、血の滴る刀を手にゆっくりと歩み寄ってきた。
「……見事な愛だ。だが、人間に災いをもたらす半妖を……生かしておくわけにはいかぬ」
男の瞳には痛恨の涙と、神職としての冷酷な覚悟が宿っていた。
振り下ろされる白銀の刃。
「(……絶対に、許さない……!)」
胸を貫かれる痛みのなかで、私は動かなくなった琉弥の手を必死に握りしめた。
私を守るためにその命を落とした琉弥。
そして、その優しさを踏みにじり、私たち二人を殺した東雲の血。
絶望と激しい憎悪が胸の奥で黒く燃え上がる。
次に生まれ変わるのなら、必ず——この手で東雲を、人間を滅ぼしてやる。
冷たくなっていく琉弥の体温を感じながら、私の前世の命も静かに途絶えた。




