18.逃げ場のない愛(東雲 聖真 視点)
(……やっぱりそうか、花さん)
境内で影狼を従えていたあの狼の妖怪……。
あの日、あの男が花さんを見る眼光と、花さんが一瞬見せた動揺。ただの「襲撃者と被害者」ではない妙な空気感を、俺の見落とすはずがなかった。
だから俺は、今日も彼女に会いに会社の前へ向かう際、密かに小さな式神を街角へ解き放っておいたのだ。
神社で見せる強がりな顔も可愛いけれど、仕事帰りの彼女の困った顔が見たい。そう思って広場で待っていた俺の狙いは、思わぬ形で当たることになる。
(……逃げるなんて、ズルいな)
定時を過ぎた頃、式神から伝わってきた情景に俺はひとり口元を緩めた。
彼女は正面エントランスに出てくるどころか、見知らぬスーツ姿の男の手を引いて、裏口から逃げるように走り去っていたのだ。
その男の顔を式神越しに確認した瞬間、胸の奥でドス黒い歓喜と嫉妬が同時に弾けた。
あの狼だ。
人間に化けて彼女のすぐ隣に潜り込み、彼女の手を引いて歩いている。
(……不愉快だな。君のような汚らわしい妖怪が、彼女の日常にまで付きまとっているなんて)
俺はすぐに彼女のマンションへと向かい、先回りして廊下の闇に身を潜めた。
やがて、走ってきたのか肩を上下させながら現れた花さん。
彼女は俺の姿を見た瞬間、まるで蛇に見つめられた蛙のように身をすくませた。
「……よかった。無事に帰ってきたんだね、花さん」
優しい声を装いながら、俺は一歩ずつ彼女との距離を詰める。
彼女の怯えた顔、焦る瞳、必死に隠そうとする秘密。その全てが愛おしくてたまらない。
「あの狼の妖かしに似ている」と鎌をかけた時の、彼女の凍りついた表情。
俺の狙い通り、彼女の意識は今、完全に俺だけで満たされている。
(もっと俺を見て。俺のことだけを考えて、頼ってくれればいいのに)
だが次の瞬間、彼女の瞳から焦点が消え、胸を押し潰されたような顔で苦し気に息を吐き始めた。
過去の何か——俺の知らない「誰か」の影に苛まれているような、絶望的な瞳。
(……誰を、見ているんだ? 俺以外の、誰を——)
嫉妬で胸が焼け焦げそうになると同時に、膝から崩れ落ちた彼女の華奢な身体を、俺は咄嗟に腕の中へ引き寄せた。
「花さん……! しっかりして……!」
焦って声をかけながらも、俺の腕の中で力を失っていく彼女の温もりに、ゾクゾクとするような昏い満足感が背筋を駆け抜ける。
「……やっぱり、君を一人にはしておけないな」
冷たい壁を作って俺を拒絶しようとしても駄目だ、花さん。
君がどれだけあがこうと、こうして倒れてしまえば俺の腕の中に収まるしかないのだから。
君を脅かす妖怪も、君の心を奪う過去の傷も、全て俺が綺麗に排除してあげよう。
俺なしでは生きていけないように、優しく、丁寧に、追い詰めてあげるからね。
意識を失った彼女を抱え上げ、俺は彼女の部屋の鍵を開けながら、誰もいない廊下で静かに微笑んだ。




