18.逃げ場のない愛
「あいつ……ふざけやがって!! 今すぐ俺が首を跳ねてやる……!」
スマホの画面を凝視したまま、千影の身体から怒りで妖気が爆発しそうになる。
私は必死の思いで彼の腕にすがりついた。
「やめて千影! これ以上騒ぎを大きくしないで! 私が自分で対処するから……お願いだから今日は帰って!」
「花、お前……!」
「お願い……私を信じて」
私の強い視線に押され、千影は悔しそうに歯噛みをしながらも、最後には「……何かあったらすぐ俺を呼べ」と言い捨てて夜の闇へと消えていった。
それから必死で電車に乗り、自分のマンションへと急いだ。
鍵を開け、部屋に入ろうとしたその瞬間——背後から静かな足音が近づいてきた。
「……よかった。無事に帰ってきたんだね、花さん」
「……ッ!?」
振り返ると、そこに立っていたのは薄暗い廊下で穏やかに微笑む聖真だった。
彼は私の部屋の前で当然のように私を待っていたのだ。
「心配で追ってきてしまったんだ。勝手についてきてごめんね。……大丈夫?」
どこまでも誠実で、私を気遣う優しげな声。
けれど、そのモスグリーンの瞳の奥には、冷たく澄んだ執着の光が揺らでいる。
「……大丈夫です。ただの疲れですから……東雲さんは、もうお引き取りください」
「ふふ、冷たいな。でも、顔色がすごく悪いよ」
聖真は私の拒絶をふわりと受け流しながら、ゆっくりと一歩踏み込んできた。
そして、逃げ道を塞ぐようにドアの枠に手をかけ、愛おしそうに私を見下ろす。
「そういえば……さっき花さんと一緒に裏口から出て行かれた、あのスーツの男性。どこかでお会いしたことがある気がするんだ」
「……え」
「確か……神社で君を襲い、俺が斬り伏せた『あの狼の妖かし』に、雰囲気がとてもよく似ている気がしてね」
静かな、けれど逃げ場を完全に奪う問いかけ。
心臓が警鐘を打ち鳴らし、全身の血が凍りつく。
聖真は気づいているのだ。あの神社での出来事から、私が妖怪と繋がりを持っていること、そして目の前にいる私が「ただの人間」ではないかもしれないことまで。
(だめ……これ以上、踏み込ませちゃだめ……!)
聖真の「真っ直ぐすぎる執着」に追い詰められ、呼吸が浅くなる。
その時、激しい眩暈とともに、私の脳裏に鮮烈な光景が弾けた。
『——花、逃げるんだ』
月明かりの下、血を流しながら私に瑠璃色の瞳を向け、悲しく微笑んでいた男の姿。
前世の恋人、琉弥。
(琉弥……ッ)
目の前で失った最愛の記憶。
聖真の持つ底知れない「愛」に触れるたび、琉弥を失った時の絶望的な痛みが胸を突き刺す。
もう二度と、大切なものを人間に壊されたくない。誰も信じたくない。復讐を遂げるまでは——。
「……花さん!?」
激しいトラウマと混乱に耐えきれず、私の視界が急激に暗転した。
膝から崩れ落ちそうになった私の身体を、聖真の強い腕が咄嗟に抱き留める。
「花さん……! しっかりして……!」
彼の焦った声が遠く聞こえる。
意識が遠のく直前、私を抱きしめる聖真の瞳に、焦りとは裏腹の昏く歪んだ満足感が宿ったのを、私は確かに見た気がした。
『……やっぱり、君を一人にはしておけないな』
耳元で囁かれたその声を最後に、私の意識は深い闇へと落ちていった。




