14.日常を侵す熱
看病をして逃げるように境内を去ってから、三日が過ぎていた。
私はいつものように会社でPCに向かい、面談に訪れる求職者たちの欲や焦り、醜い本音を冷めた目で見つめながら、キャリアアドバイザーとしての仕事を淡々とこなしていた。
誰にも心を許さず、自分一人の足で立つ孤独な日常。
これでいい。東雲聖真から離れて会社にいれば、あの狂いかけた歯車も元に戻るはずだった。
「……あ、花さん! 下のエントランスに、凄くイケメンな男性が来てるよ? 花さんを訪ねてきたって」
同僚に声をかけられ、私の心臓が跳ね上がった。
慌ててエレベーターで1階へ下りると、そこにはガラス張りの明るいエントランスに佇む聖真の姿があった。
羽織こそ着ていないものの、すっきりとした仕立ての良い服に身を包んだ彼は、通りかかるオフィス街の人々が思わず振り返るほどの佇まいで、ただまっすぐに私を待っていた。
「……東雲さん!? なんで、ここに……」
私が息を呑んで駆け寄ると、聖真は私の姿を認めた瞬間、パッと花が咲くような眩しい笑顔を見せた。
「よかった、会えた。怪我が治ったから、どうしても花さんにお礼と……無事な顔を見せたくて」
「お礼なんて……! 会社にまで来るなんて、非常識です。ここは私が仕事をする場所で——」
「うん、ごめんね。でも、神社にいる時の花さんじゃなくて……こうして頑張って生きている、普段の花さんにも会ってみたかったんだ」
周囲の目を避けるように外へ彼を連れ出すと、聖真は手にした小さな紙袋を嬉しそうに差し出してきた。中には、私が好きな和菓子屋の包みが入っている。
「花さんがふとした時に食べたいって呟いていたお店。今朝、一番で並んで買ってきたんだよ」
「……っ」
指先が凍りついたように動かなくなる。
神社という「復讐の場」に留めておくはずだった男が、私が孤独を守るために作り上げた「日常」の中にまで、当然のような顔で侵入してくる。
突き放したいのに、拒絶したいのに。彼が私の一言を覚えてわざわざ朝から並んでくれたという「純粋な愛」の重みが、胸の奥を激しく締め付ける。
「……迷惑です。こんなこと、頼んでいません」
努めて冷たい声を絞り出す私に対し、聖真は傷ついた顔をするどころか、愛おしくてたまらないといったように澄んだ瞳を細めた。
「頼まれてないよ。俺が、君の喜ぶ顔を見たいから勝手にやったんだ」
そう言って、彼は迷うことなく私の手首を包み込むように握ってきた。
「花さんは『人に頼らず生きる』って心に決めてるみたいだけど……俺の前でくらい、肩の荷を下ろしてよ。君がどれだけ意地を張っても、俺は何度でも君に会いに来るから」
「……っ、東雲、さん……」
首元まで熱が込み上げ、呼吸がうまくできなくなる。
冷徹な復讐者として彼を利用するはずだったのに、私の方が彼の「真っ直ぐな愛情」という底なしの沼に落ちていく。
(だめ……この人にこれ以上踏み込まれたら、私……本当に元に戻れなくなってしまう……!)
握られた手を強引に振り払い、私は背を向けて会社へと走った。
胸の動悸が鳴り止まない。
そして、逃げていく私の後ろ姿を、遠くのビルの陰から昏い琥珀色の瞳が見つめていることにも、私はまだ気づいていなかった。




