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8.甘い毒に灼かれる

千影と再会し、あの歪な共犯関係を結んでから三日後の夜。

聖真の神社へと続く参道は、昼間の賑わいが嘘のように不気味な静寂に包まれていた。


「……これでよし、と」


千影が不敵に鼻で笑いながら指を鳴らすと、深夜の境内に溜まっていた鬱屈した空気に、ドロリとした禍々しい気が混ざり始めた。


「いきなり本気を出しても面白くねぇからな。まずは挨拶代わりだ。あいつがどれほどのモンか、試しに散らせてみるぜ」


千影が合図とともに呼び寄せたのは、山に棲む巨躯の『鬼』と、千影自身が己の妖気を分け与えて生み出した獰猛な『影狼』の群れだった。地響きを立てて迫る鬼の圧倒的な威圧感と、闇に溶けて目にも留まらぬ速さで駆け回る影狼たち。


「頼んだわよ、千影」

「任せとけって。怪我すんじゃねぇぞ」


闇に消えた千影を見送り、私は深呼吸をして意識を切り替えた。

作戦はこうだ。

私は助けなんて絶対に求めない。

ここ数日、神社に通って聖真から訓練を受けていた私は、彼の観察眼の鋭さを知っていた。聖真は私のことを、ただの守られるだけの可憐な女性だとは思っていない。芯が強く、自分の目的のためにはどれほど辛くても弱音を吐かず一生懸命に取り組む姿を、誰よりも近くで見つめてきた男だ。

人に頼ったり、不甲斐ない姿を見せたりするのが嫌いな私の性格を、聖真は痛いほど理解している。


だからこそ——いつも通り意地になって一人で怪異に立ち向かうフリをすればいい。弱音を吐かない私だからこそ、聖真は焦って飛び出してきて、勝手に傷を負ってくれるはずだ。

私は落ちていた木切れを強く握りしめ、襲いかかる影狼の前に立ちはだかった。


「来ないで……っ! 私だって、これくらい……!」


掠れた声を絞り出し、恐怖で膝を震わせながらも、決して背中を見せない演技。

私の放つ緊迫した気配と異様な妖気を察知した拝殿の扉が、激しく開かれた。


「花さん……!? ダメだ、戦っちゃいけない!!」


羽織を翻し、飛ぶような速さで石段を駆け下りてくる聖真。私の背後に蠢く異様な気配に気づくと、彼は迷うことなく懐刀を抜き放ち、私の前へと滑り込んだ。


「下がって、花さん! 君が一人で頑張らなくていいんだ!」


聖真の腕が私を後ろへと庇う。

(ふふ……バカね。助けてなんて一言も言っていないのに……私の『演技』に引っかかって駆けつけてくるなんて……)

私の胸を痛快な復讐の快感が満たす。……はずだった。


「ハッ……!」


襲いかかる影狼を、聖真の刀が一閃で切り裂く。神職としての腕は確かに一流だった。

だが、相手はただの雑魚ではない。千影の強い妖気が混ざった影狼の素早さに加え、巨躯の鬼が容赦なく振るう丸太のような腕が、聖真の逃げ場を削っていく。


(なんなの……? なんで広範囲を祓う術を使わないのよ。それならあの鬼だって吹き飛ばせるのに……)


背後で見守っていた私の前で、聖真の呼吸が乱れていく。

鬼の威圧を牽制しながら、素早い影狼の爪を懐刀一本で受け止め続けるのは、あまりにも無謀だった。


「くっ……!」


影狼の一足が聖真の隙を突き、肩を鋭く切り裂く。

鮮血が吹き飛び、聖真の体がぐらりと揺れて膝が地面につきかけた。


(そうよ、倒れなさい。苦しんで、自分の無力さを知ればいい……!)


心の中でそう呪いかけた瞬間、聖真の足元に、小さな動く影が見えた。

境内に迷い込んでいた、一匹の小さな野良猫だった。怯えてすくむ猫の上に、鬼の丸太のような腕が振り下ろされようとしている。

聖真が大技を使わなかった理由。

そして、自分を犠牲にしてまで一歩も退かなかった理由。

——それは、背後にいる私と、足元にいる小さな命を巻き込まないためだったのだ。


「……あいつ……っ」


聖真は肩から血を流しながらも、泥臭く地面を蹴り、その身を盾にして猫を庇った。


「グアァッ!」

「……ぐ、ぁあっ……!」


鬼の強烈な一撃が、聖真の背中を深く叩き割る。

それでも彼は一切の手緩みを見せず、血を吐きながらも気合一閃、神聖な霊気を刃に宿して鬼の核を一撃で貫き、影狼たちを一気に浄化してみせた。

怪異たちが消え去り、静寂が戻る。

呼吸を激しく乱し、肩と背中から溢れる血で羽織を赤く染めながら、聖真はゆっくりと振り返った。


「……よかった……。無事で……」


自分の激痛など完全に無視して、彼が見せてきたのは、心底安心したような微笑みだった。

その澄んだ瞳に映っているのは、偽善でも、計算でも、見下すような優越感でもない。

ただただ、私が無事であったことへの、まっすぐで純粋な安息だけ。


「な……っ……」


喉の奥が乾いて、言葉が出ない。

幼い頃、私に笑顔で毒を盛り、嘲笑った人間たちの「冷たい偽善」とは、あまりにもかけ離れていた。


「なんで……どうしてですか……っ! 一人で無茶なんてして……ご自分の心配をしてください、バカなんですか……!?」


思わず感情を抑えきれずに叫んでしまった私に、聖真は驚いたように目を丸くし、それからどこか困ったように優しく笑った。


「……だって、訓練の時からずっと思ってたんだ。花さんはどれだけ辛くても『助けて』なんて絶対言わないし、人に頼るのが苦手で一人で抱え込もうとするから……。だから俺が、守らなきゃダメなんだって」


「……っ!?」


「……それに、誰よりもまっすぐで誇り高い……大好きな人の前で、格好悪いところなんて見せられないからね」


頭に血が上るのが分かった。

感謝なんてしたくない。仇の子孫なんかに、庇われたくなんてなかった。

ここ数日の訓練を通して「私がどういう人間なのか」を誰よりも見抜き、受け入れた上で守りに来たという事実と、彼の血の温もりが、私の凍りついた胸の奥を激しく揺さぶる。


(ふざけないで……! なんなのよ、この男は……!!)


復讐の刃を握りしめているのは私の方はずなのに。

まるで私の方が、彼の果てしない「善意」という毒に侵されていくかのように、激しい動悸が止まらなかった。

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