6.歪んだ影は、花を喰む(千影 視点)
(……見つけた。間違いない、あの波長……花だ)
何百年だ? 百年か、二百年か……もう数えるのもやめた。
半妖ゆえに脆く、俺たち純血の妖かしよりも遥かに短い命を散らせたあの日から、俺の時間はずっと止まったままだ。
「半妖の娘一人にそこまで執着してどうする」と周りの妖かしからは嘲笑われた。だが、諦められるはずがない。
どれほど途方もない年月がかかろうと、お前が輪廻の輪を巡って生まれ変わると信じて、俺は泥をすする思いでこの世を彷徨い続けてきたんだ。
だからこそ——闇を割るように境内に足を踏み入れ、懐かしい花の気配と、それ以上に濃厚な「東雲」の不愉快な霊気を察知した瞬間、俺の頭は歓喜と激怒で狂いそうだった。
月光の束を背に受け、境内に佇む花を見つめる。
息が止まった。
(……あぁ、花……っ)
そこにいたのは、前世と何一つ変わらない、息をのむほど美しい顔立ちをしたお前だった。
だが——かつて夜風になびいていた美しい髪はただの「黒」に染まり、頭上にあった愛らしい犬耳も、鋭い爪も牙も、すべて消え失せている。
あいつらに命を奪われた果てに削ぎ落とされてしまった妖かしの証。
面影はそのままだからこそ、お前が「ただの弱々しい人間」として生を受け直さざるを得なかった残酷な現実が、痛々しいほど俺の目に突き刺さった。
前世で俺が守りきれなかったばかりに、なぜこんな無力な姿に落とされている。
狂おしいほどの愛おしさと、溢れ出す殺意で奥歯が砕けそうだった。
だが、それ以上に俺の正気を狂わせたのは——花が、あの男の羽織の裾をギュッと強く掴んでいたことだ。
(触るな……っ! その汚い手で、俺の花に触るな……!!)
東雲聖真。
かつて俺たちの同胞を、お前の前世を無残に殺戮し尽くした血族の末裔。
その男が、まるで花を自分の所有物であるかのように背後に庇い、懐刀を正眼に構える。
「君には、指一本触れさせないから。……絶対に俺が守る」
その反吐が出るほど邪気のない言葉に、俺の毛並みが逆立った。
守る? お前たちの先祖が命を奪い、こんな無力な姿に落としたくせに、今さら何を守るだと?
殺してやる。今すぐあの喉笛を噛みちぎり、その神聖ぶった面を血で染め上げてやる。
咆哮とともに爪を伸ばし、男の首元へと躍り出た。
——だが。
「チッ……!」
刃が奔った瞬間、俺の妖かしとしての本能が狂ったように警鐘を鳴らした。
清烈にして苛烈。神速の一閃。
直撃を避けるために全力でバックステップを踏んだが、迸る霊気が俺の頬を深く切り裂いた。
赤く温かい血が散る。
(強い……っ! こいつ、半端な覚悟で勝てる相手じゃねえ……!)
一瞬で冷や水を浴びせられたように思考が冴えた。
いまここで死ぬわけにはいかない。数百年かけてようやく巡り会えたんだ。
「……待ってろ、花」
俺は頬の血を拭い、湧き上がる殺意を胸の奥底へ押し殺すと、深く暗い境内裏の闇へと身を躍らせた。
神社を飛び出した花の後を、気配を消して追った。
転がるように石段を駆け下りる花の顔は、灯りに照らされて真っ赤に染まっていた。
(……あの男に触れられて、それほどまでに吐き気がしたのか)
(愛おしい俺の花。大丈夫だ、もう二度と誰にもお前を奪わせはしない)
鳥居をくぐり、薄暗い街灯の下へと走り出てきた花の頭上——電柱の影に降り立つ。
「——久しぶりだな、花」
声をかけると、花は足を止め、弾かれたように見上げてきた。
「千影……! 無事だったのね……っ」
しなやかに降り立った俺は、溢れ出る愛おしさを抑えきれず、彼女の華奢な腕を強引に引き寄せてその体を深く抱きしめた。
「……そういえば、今の名前も『花』なんだな」
抱きしめた腕にぎゅっと力が入り、胸の中で嫉妬と怒りが狂ったように渦巻く。
「なんでお前が、あの男と一緒にいる?アイツは、前世でお前を殺した奴らの血筋だろ。あんなに気高かったお前が、なんであんな奴に庇われて、大人しく守られてやがったんだよ!」
吐き出すような俺の激昂に、花が一瞬息をのんだ。
あいつの懐に入り込み、守られているかのような姿を見せつけられたショック。
俺の頭は、裏切られたような絶望と嫉妬で狂いそうだった。
だが——花はゆっくりと首を振り、その瞳にゾクッとするほど冷たく苛烈な光を宿した。
「懐いてなんかいないわ。私はあいつを私に狂わせて、何かもかも奪って地獄に落とすの。あの忌々しい血筋に絶望を刻みつけてやるために……!」
服の上から胸元を強く握りしめ、冷酷な吐息とともに漏らされた憎悪の言葉。
俺は一瞬、目を見張った。
(……なんだ。そういうことだったのか……!)
胸を押し潰していたどす黒い嫉妬が、一瞬で狂おしいほどの歓喜へと変わる。
花はあいつに流されてなどいなかった。あの無垢で美しい瞳の奥で、俺と同じように復讐の毒を研ぎ澄ませていたのだ。
口元が、勝手に歪んだ笑みに追いついていく。
「……なんだ。そうだったのか」
俺はすっと手を伸ばし、嫌がる隙も与えず強引に彼女の顎をつまみ上げた。
自分の傷口から溢れた血が、指先から彼女の頬へ朱を差す。
そのまま爪を滑らせ、熱を帯びた琥珀色の瞳で覗き込んだ。
「なら、俺が手伝ってやる。あいつを……あの神社を、俺たちでグチャグチャに踏みつぶそうぜ。——復讐が終わったら、今度こそ、お前は俺のところに来い」
花は胸の中で満足そうに苦笑し、深く頷いた。俺をただの「血気盛んで強引な頼もしい悪友」だと信じ切った目で見つめ返してくる。
彼女はきっと、俺がどれほど狂った思いで、この途方もない年月をお前だけを求め続けてきたかも知らずに。
ああ、それでいい。今はまだ、気づかなくたっていい。
お前の心の中に渦巻く復讐心も、憎しみも、すべて俺が利用してやる。
手に持った男のお守りを強く握りしめる花を見つめながら、俺は心の中で暗い愉悦に浸っていた。
(そうだ、花。俺と一緒にあいつらを地獄へ落とそう)
(そしてすべてを壊し尽くしたら……二度と逃げ出せないよう、俺の腕の中で死ぬまで抱きしめ続けてやる)
暗闇の中で琥珀色に光る俺の瞳を、花はまだ、ただの「頼もしい味方」の光だと信じ切っていた。




