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シン・科学少女プリティミュー!〜高額バイトから始まる、泥臭い科学ヒーロー生活〜  作者: 秋月キアラ
第13話 ― 正義の味方は、自分で選ぶ!【第1期 最終話】
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第4節 ― 契約解除コード

 音が、ずれた。


 駅前広場の真ん中で、プリティミューは一瞬、自分が立っている場所を見失いかけた。


 さっきまで聞こえていたメグの声が、ぷつり、ぷつりと途切れる。


《先輩、右――いえ、違……左から――》


 ノイズが混じる。


 白い砂嵐のようなものが視界の端に走り、μブレスレットの表示が乱れた。心拍数、出力値、外部同期率、戦闘補助ログ。それらの数字が赤く点滅し、まるで誰かに上から書き換えられているように、意味を失っていく。


 ワトソンの補助表示も、いつもの整った文字列ではなくなっていた。


《ミユさん、現在の――警告――偽装データ――音声認証不能――》


「ワトソン!?」


 答えは返ってこない。


 その代わりに、耳元で、ひどく近い声がした。


《ミユさん、逃げてください》


 ワトソンの声だった。


 けれど、違う。


 声質は同じだ。冷静で、丁寧で、少しだけ人間味に欠けるあの声。なのに、その奥にあるはずの温度がない。機械が、録音された音を、音として流しているだけのような平坦さだった。


 次に、アインの声が聞こえた。


《バイト君、実験終了だ》


「……アイン?」


《これ以上の戦闘継続は不要だ。君はもう用済みだ》


「言い方!」


 反射的に突っ込んだあとで、ミユは歯を食いしばった。


 違う。


 アインなら、もっと腹立つ言い方をする。もっと余計な補足をつける。もっとこちらを苛立たせるような、でも妙に逃げ道を残すような言い方をする。


 これは、アインの声をしているだけだ。


 背後で、メグの声が割り込んだ。


《先輩では無理です》


「……っ」


 胸の奥が、ぞわりと冷えた。


 そんなわけがない。


 メグが、そんな言い方をするはずがない。


 わかっている。


 わかっているのに、声が似ているだけで、心のどこかが引っかかる。


《先輩では無理です》

《先輩は、いつも無茶をします》

《先輩が倒れたら、全部終わりです》

《だから、もう――》


「やめろ」


 プリティミューは頭を押さえた。


 ヘルメットの内側で、音が反響する。駅前広場にいるはずなのに、まるで狭い箱の中へ閉じ込められたようだった。


 人々のざわめき。黒い観測フィールドの低い振動。遠くで鳴り続ける避難警報。X-MUの足音。仲間たちの声を模した偽物。


 全部が重なって、どれが本物なのかわからなくなる。


《帰ってきなさい》


 かなえの声が聞こえた。


 その瞬間、ミユの足が止まった。


「ママ……?」


《帰ってきなさい》

《もう、そんなことやめなさい》

《あなたには無理よ》

《普通の子に戻りなさい》


「……違う」


 プリティミューは、ゆっくり顔を上げた。


「ママは、そんな言い方しない」


 真正面に、X-MUがいた。


 白と黒の装甲。赤い観測コア。感情のない仮面のような目。ミュー・ハンマーに似た黒い武器を、まっすぐこちらへ向けている。


 その背後では、壊れた看板の下敷きになりかけた女性を、さっきX-MUが安全な場所へ運んでいた。避難誘導用の柵は整然と並べ直され、転んだ子どもはすでに保護者の元へ返されている。


 完璧だった。


 腹が立つほど、完璧だった。


 X-MUは、冷たい声で言った。


「支援音声への依存率、上昇」

「外部関係性による戦闘継続補正、検出」

「補正要素を遮断します」


「人の仲間を、補正要素って呼ぶな!」


 プリティミューはハンマーを振り上げた。


 だが、踏み込む直前、足元に黒い糸が走った。


 蜘蛛男の拘束糸。


 それを飛び越えようとした瞬間、耳の奥で蝙蝠伯爵の音波が鳴る。頭が揺れ、視界がぶれた。


 次の瞬間、X-MUの黒い武器が横から来た。


「っ!」


 プリティミューは咄嗟にハンマーで受けた。


 金属音が広場に響く。


 腕が痺れる。


 重い。


 自分と同じ動きをする相手に、過去の怪人たちの能力が最適なタイミングで重ねられている。


 こちらの嫌なところを、全部知っている。


 仲間を庇う癖も。


 怒ると踏み込みが大きくなる癖も。


 声に反応して足が止まる癖も。


 X-MUは、そのすべてを無駄なく突いてくる。


「朝倉ミユ」

「戦闘継続は非合理です」

「あなたの代替機能は、すでに確立されています」


「代替って……!」


 プリティミューは押し返そうとした。


 だが、装甲の一部がまた白黒に染まりかけた。


 腕の外装が、いつもの柔らかな白とピンクではなく、冷たい白と黒に浸食される。


 μブレスレットが激しく赤く点滅した。


《警告:外部同期率、六十八パーセント》

《変身権限、上位観測プロトコルへ移行中》


「勝手に移行すんな!」


 ミユは叫んだが、装甲の反応が鈍い。


 自分の体なのに、自分の体ではないみたいだった。


 ハンマーを握る手が、一瞬遅れる。


 その隙を、X-MUは逃さなかった。


 黒い武器の柄がプリティミューの腹部を打つ。


「がっ……!」


 息が詰まった。


 プリティミューは後ろへ吹き飛ばされ、駅前のタイルに転がった。砕けた街灯の破片が肩に当たり、白い火花が散る。


 起き上がろうとする。


 だが、また声が聞こえた。


《先輩、もう無理です》

《バイト君、そこで寝ていたまえ》

《ミユさん、抵抗は推奨されません》

《帰ってきなさい》


「……うるさい」


 小さく呟く。


 けれど、声は止まらない。


《逃げてください》

《譲渡してください》

《戦闘終了》

《不要です》

《不要です》

《不要です》


「うるさいって言ってんでしょ!」


 プリティミューはハンマーを床に叩きつけた。


 衝撃で、足元の黒い糸が切れる。


 しかし、X-MUはもう目の前にいた。


「感情的反応」

「非効率」

「予測済み」


 黒い武器が振り下ろされる。


 プリティミューは受け止めた。


 膝が沈む。


 駅前広場の巨大ビジョンには、白黒のプリティミューと、本物のプリティミューが組み合う姿が大きく映し出されていた。避難している人々が、それを見てざわついている。


「あれ、どっちが本物?」

「ピンクの方じゃないの?」

「でも、黒い方の方が落ち着いてる」

「本物、負けてるの?」


 聞きたくない言葉が、耳に入る。


 聞こえてしまう。


 ミユは奥歯を噛んだ。


 負けている。


 そう見えるだろう。


 実際、押されている。


 完璧な偽物に。


 自分より自分の動きを知っている相手に。


 自分よりヒーローらしく見える相手に。


 アイン科学研究所では、警告音が鳴り続けていた。


 壁一面のモニターに、駅前広場の映像、μシステムの同期率、X-MUの干渉波形、観測フィールドの構成図が並んでいる。


 アインは端末に向かい、いつもの余裕を消した顔でキーを叩いていた。


「同期率、まだ上がるか……」


《アイン様、μシステムの上位観測権限が侵入しています》


 ワトソンの声にも、わずかな乱れがあった。


《現在のままでは、ミユさんの変身権限がX-MUへ移行します》

《防壁を張っていますが、観測プロトコルの優先度が高すぎます》


「わかってる」


 アインは、奥のモニターに視線を走らせた。


 そこには、封印された古いファイルが開かれている。


《μ-SYSTEM/契約解除コード》

《使用条件:適合者本人の生命・人格維持を優先する場合》

《副作用:変身権限完全解除/再適合不可の可能性》


 アインの指が、一瞬止まった。


 ワトソンが言う。


《アイン様》

「切る」


《切れば、ミユさんは変身解除されます》


「その方がいい」


《X-MUは、現在のプリティミュー権限を奪おうとしています。解除すれば、X-MU側に優先権が移る可能性もあります》


「それでも、彼女をシステムごと取られるよりはましだ」


 ワトソンは沈黙した。


 アインは画面の中のミユを見た。


 駅前広場の瓦礫の中で、彼女は必死に立とうとしている。文句を言いながら、怖がりながら、何度も押し返されながら、それでも立とうとしている。


 最初は、ただの適合者だった。


 高額バイトに釣られて、研究所へ来た高校生。


 偶然、μシステムに適合した。


 偶然、怪人に襲われた。


 偶然、戦う羽目になった。


 そう思っていた。


 でも、それだけで済ませてきたのは、自分の都合だったのかもしれない。


「僕が始めた」


 アインは、小さく言った。


《アイン様?》


「僕が、彼女を巻き込んだ」


 声は静かだった。


 けれど、そこには今までのアインにはなかった硬さがあった。


「危険性は説明した。報酬も提示した。契約書も作った。形式上は問題ない」


 アインは自嘲するように笑った。


「でも、形式で済む話じゃなかった」


 ワトソンは何も言わない。


 アインは続けた。


「なら、降ろす権利も用意しておくべきだった」

「彼女が、自分でやめられる出口を」


 アインは、通信回線を切り替えた。


 X-MUの干渉で、通常回線はノイズだらけだ。ワトソンが補助防壁を張り、アインがわずかに開いた隙間へ、声をねじ込む。


《ミユ》


 駅前広場で、プリティミューは動きを止めた。


 X-MUの攻撃をハンマーで受けたまま、目を見開く。


「……今、名前で呼んだ?」


《契約解除コードを送る》


「は?」


《μシステムとの強制契約を切る。君はもう戦わなくていい》


「アイン?」


 X-MUの武器が押し込まれる。


 プリティミューは歯を食いしばり、膝をつきそうになるのを堪えた。


《これはバイトではない》

《危険手当で済む範囲を超えた》


「最初から超えてたけどね!」


《そうだ》


 アインの声は、いつもの皮肉を含んでいなかった。


《だから、ここで終わりにしていい》


 ミユは言葉を失った。


 終わりにしていい。


 その言葉は、思っていたより深く胸に落ちた。


 高額バイトに釣られた日から、ずっと文句を言ってきた。


 こんなの聞いてない。


 時給に見合わない。


 危険手当を出せ。


 職場環境が終わっている。


 普通の高校生に戻りたい。


 その全部が、今、目の前に差し出されている。


 やめていい。


 降りていい。


 もう戦わなくていい。


 誰かが代わってくれる。


 白黒の、完璧なプリティミューがいる。


 その選択は、甘かった。


 ミラクルハニーの蜜よりも、ずっと静かで、ずっと深く、心の奥に染み込んでくる甘さだった。


 もう、走らなくていい。


 もう、怖がらなくていい。


 もう、倒れそうな腕でハンマーを持たなくていい。


 X-MUが、静かに言う。


「朝倉ミユ」

「戦闘継続は非合理です」

「変身を解除し、役割を譲渡してください」


 プリティミューは、息を吐いた。


 ヘルメットの内側で、呼吸音が大きく響く。


「……役割ってさ」


 声が震えていた。


「そんな簡単に、渡せるものなのかな」


 アインが言う。


《ミユ》

《これは命令じゃない》


 少しだけ間があった。


《君が選べ》


 その言葉で、ミユは目を閉じた。


 うるさかった偽物の声が、遠のく。


 黒い観測フィールドの音も。


 市民のざわめきも。


 X-MUの冷たい声も。


 全部が遠くなった。


 その時、制服のポケットに入れたスマホが震えた。


 変身中でも、μシステム越しに通知が視界の隅へ表示される。


 送信者は、朝倉かなえ。


《今日は遅くなるの?》


 続けて、もう一通。


《何をしているのか、今は聞かない》


 そして、三通目。


《でも、帰ってきなさい》


 ミユは、思わず笑った。


 こんな時に。


 こんな、世界が終わるみたいな観測フィールドの中で。


 母のメッセージは、夕飯と門限の延長線上みたいな顔をして届く。


「……ママ、ほんと現実的」


 その現実感が、胸の奥にあった何かを、静かにつなぎ止めた。


 ヒーローかどうか。


 完成しているかどうか。


 ジョーカーに作られたのかどうか。


 そんな大きすぎる問いの前に、自分はまず、朝倉ミユだった。


 学校に行く。


 寝不足で怒られる。


 お腹が空く。


 家に帰る。


 ごはんを食べる。


 母に「ただいま」と言う。


 その全部があるから、ここに立っている。


 ミユは、ゆっくり目を開けた。


「アイン」


《何だい》


「解除して」


 アインは息を呑んだようだった。


 でも、何も言わず、キーを押した。


《契約解除コード、送信》


 μブレスレットが、短く白く光った。


 次の瞬間、プリティミューの装甲がほどけていく。


 白とピンクの光が、腕から、脚から、胸元から、花びらのように剥がれて消える。


 ハンマーが光になって散る。


 ヘルメットが消える。


 駅前広場の瓦礫の中に、制服姿の朝倉ミユが立っていた。


 冬の風が、直接頬に当たる。


 膝が少し震えた。


 変身していない体は、思ったより寒い。思ったより軽い。思ったより、頼りない。


 周囲の人々がざわめく。


「あれ……」

「プリティミューが」

「女の子……?」


 メグの声が、ノイズ混じりに届いた。


《先輩……?》


 今度は本物だと、なぜかわかった。


 ミユは小さく息を吐いた。


 真正面で、X-MUがこちらを見下ろしている。


「プリティミュー権限、移行確認」

「原型個体、戦闘権限を喪失」

「これより、完成体が役割を継承します」


 X-MUの胸部コアが赤く光る。


 黒い観測フィールドが、白黒の装甲を照らした。


 たしかに、今のミユには装甲がない。


 ハンマーもない。


 変身も解けた。


 ただの高校生だ。


 それでも。


 ミユは俯いた。


 足元に、μブレスレットの淡い光が残っている。


 契約は切れた。


 強制は終わった。


 バイトとしての出勤も、実験協力者としての役割も、ここで一度終わった。


 だからこそ。


 ミユは、もう一度ブレスレットを握った。


「違う」


 アインが通信で息を呑む。


《ミユ?》


 ミユは顔を上げた。


 目の前には、完璧なプリティミューを名乗る白黒の偽物。


 後ろには、避難する人々。


 遠くには、心配しているメグ。


 研究所で、きっと画面を見つめているアインとワトソン。


 家には、帰ってきなさいと言う母がいる。


 そして、自分がいる。


 怖い。


 しんどい。


 逃げたい。


 でも。


「やめるかどうかを選べるなら」


 ミユは、はっきり言った。


「続けるかどうかも、私が選ぶ」


 X-MUが一歩踏み出す。


「権限移行完了済み」

「朝倉ミユに戦闘継続資格はありません」


「資格?」


 ミユは笑った。


 声は震えていた。


 でも、笑えた。


「知らないよ、そんなの」


 μブレスレットが、柔らかく光り始める。


 赤い警告ではない。


 黒い観測の光でもない。


 いつもの白とピンク。


 少しだけ不安定で、少しだけ温かい、ミユの光。


 アインの声が、かすかに震えた。


《ミユ、待て。再適合できる保証は――》


「保証とか、今さらでしょ」


 ミユは息を吸った。


 駅前広場に、黒い風が吹く。


 瓦礫が転がる。


 白黒の完成体が、無言で構える。


 ミユは叫んだ。


「サイエンスパワー・メイクアップ!」


 光が走った。


 今度の変身は、何かに引っ張られるような感覚ではなかった。


 システムに呑まれるのでもない。


 誰かに押しつけられるのでもない。


 体の奥から、自分で手を伸ばして、光をつかむような感覚だった。


 白い装甲が腕を包む。


 ピンクのラインが胸元に走る。


 ブーツが地面を踏みしめる。


 ヘルメットが形を成し、視界に補助表示が戻る。


 けれど、それはさっきまでの冷たい数字の列ではなかった。


 心拍は高い。


 筋疲労は限界近い。


 心理負荷は危険域。


 それでも、表示の端に、一行だけ新しい文字が浮かぶ。


《再適合確認》

《選択者:朝倉ミユ》


 アインが、研究所で呟いた。


《再適合……いや、違う》


 ワトソンが静かに続ける。


《ミユさんが、システムを選び直しました》


 アインは、画面の中の彼女を見つめていた。


 さっきまで奪われかけていた白とピンクの光が、今は黒い観測フィールドを押し返している。


 駅前広場の瓦礫の中に、科学少女プリティミューが立っていた。


 完璧ではない。


 装甲には傷がある。


 息も上がっている。


 ハンマーを握る腕も、少し震えている。


 でも、その光は、さっきよりずっと強く見えた。


 プリティミューはハンマーを肩に担ぎ、X-MUを見据えた。


「お待たせ」


 白黒の完成体は、無言で武器を構える。


 プリティミューは、にっと笑った。


「ここからは、時給じゃなくて私の意思!」


 その声が、黒い観測フィールドの中で、まっすぐ響いた。

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