第2節 ― 完璧な私なんて、気持ち悪い
駅前広場は、奇妙なほど静かだった。
正確には、人の声はあった。
避難を呼びかける声。
誰かを探す声。
スマホの通知音。
駅ビル前の大型ビジョンから流れる、途切れ途切れの警告音。
割れた街灯の下で、幼い子どもが泣く声。
それでも、そこには不思議な静けさがあった。
混乱しているはずなのに、混乱が整列させられている。
ミユはメグと一緒に駅前へ向かう途中、信号待ちの横断歩道で、その光景を見た。
白と黒の影が、広場の中央を駆けていた。
プリティミューに似ていた。
遠目には、そう見えた。
白い装甲。
ピンクに似た差し色。
細身のシルエット。
手にはミュー・ハンマーに似た武器。
けれど近づくほど、それが違うものだとわかる。
ピンクではない。
赤だった。
血のように鮮やかで、けれど温度のない赤。
白い装甲の隙間には、黒いラインが走っている。
目元は仮面のように固く閉じられ、笑うための余白がない。
胸の中心には、ジョーカーの紋章に似た観測コアが埋め込まれていた。
その存在は、倒れた自転車を片手で持ち上げ、下敷きになっていた男性を安全圏へ引きずり出した。
動きに無駄がない。
一歩踏み込む。
瓦礫をどける。
怪我人の呼吸を確認する。
手首を取って脈を測る。
すぐに近くのベンチへ運ぶ。
まるで、最初からそこに倒れる人がいると知っていたかのように。
「こちらへ避難してください」
声は、プリティミューに似ていた。
けれど、ミユの声ではなかった。
抑揚が平坦で、優しさの形だけを正確に模倣している。
「落ち着いてください」
「あなたの安全を確認しました」
「二十メートル先の避難導線へ移動してください」
「怪我の程度は軽微です。歩行可能です」
助けられた人々は、最初は呆然としていた。
だが、白黒のプリティミューが迷わずに次の救助へ移ると、そこにいた何人かが、ぽつりと声を漏らした。
「……あれ、プリティミュー?」
「でも、いつもの子と違わない?」
「こっちの方が、本物っぽくない?」
「わかる。なんか、ちゃんとしてる」
「プリティミューって、いつももっと騒がしいよね」
「いや、騒がしい方が本物だった気もするけど……」
ミユの足が、横断歩道の途中で止まった。
青信号が点滅している。
背後から自転車のベルが鳴った。
「先輩」
メグに袖を引かれて、ミユは慌てて歩き出す。
「今の聞いた?」
「聞きました」
「騒がしい方が本物って何」
「本人確認としては精度が高いです」
「うれしくない!」
ミユは反射的にそう返した。
けれど、声にはいつもの勢いが乗らなかった。
胸の奥で、さっきの言葉がひっかかっている。
こっちの方が、本物っぽくない?
ちゃんとしてる。
その言葉は、思ったより深く刺さった。
ミユは、知っている。
自分がちゃんとしていないことくらい。
変身しても転ぶ。
怒ると大振りになる。
怖いと声が裏返る。
毎回文句を言う。
危険手当の話をする。
敵にツッコむ。
アインに文句を言う。
メグに心配される。
かなえに嘘をつく。
それでも、ここまでやってきた。
やってきた、はずだった。
なのに。
目の前の白黒の影は、まるで「正解」を見せつけるように動いている。
ミユが一度息を吸った時、耳元の通信にアインの声が入った。
《バイト君、対象の識別名が出た》
「今それ聞きたくないけど聞く!」
《最終観測体、X-MU。ジョーカー側の命名だ》
「エックス・ミュー……」
メグが端末を見ながら、眉をひそめた。
「先輩、外部表示にも同じ名称が出ています。駅前ビジョンにも」
ミユが顔を上げる。
大型ビジョンには、黒い背景に白い文字が浮かんでいた。
《最終観測体 X-MU》
《完成されたプリティミュー》
《救助効率:原型比 184%》
《戦闘継続効率:原型比 231%》
《感情ノイズ:削減済》
「感情ノイズって何!?」
ミユが叫ぶと、通行人の何人かがこちらを見た。
メグが小声で言う。
「先輩、声量」
「今、声量を気にする余裕ない!」
《ちなみに、感情ノイズという表現は非常に不快だ》とアインが言った。
「アインも不快なんだ」
《僕の研究倫理基準でも、かなり下だ》
「アインの基準で下って相当だよ!」
白黒の影――X-MUが、ゆっくりとミユの方を向いた。
広場の喧騒が、そこで一段階落ちる。
X-MUは、避難誘導の途中だった市民を安全区域へ押し出すように移動させてから、ミユたちの前へ歩いてきた。
歩幅まで整っている。
一歩ごとに、装甲の赤いラインが淡く発光する。
武器は、ミュー・ハンマーに似ているが、形が違った。
丸みがない。
角が鋭い。
先端は救助用の道具というより、対象を破壊するための兵器に見える。
X-MUはミユの正面で止まった。
「朝倉ミユ」
ミユは息を呑む。
変身していない状態の自分の名前を、怪人でもない何かに呼ばれるのは、やはり気持ち悪い。
「あなたの戦闘効率は低い」
ミユは一瞬、ぽかんとした。
「……開口一番、嫌な自己紹介!」
「救助行動に無駄が多い。感情反応による判断遅延あり。発話量過多。疲労耐性不足。任務遂行中の私語頻度、基準値を大幅に超過」
「人の欠点を箇条書きにするな!」
「事実です」
「事実でも言い方!」
X-MUは表情を変えない。
そもそも、表情があるのかもわからない。
仮面の奥にある目は、ミユを見ているようで、見ていない。
数値を読んでいる。
反応を測っている。
そんな視線だった。
「それでも、あなたはプリティミューの原型です」
「原型って言うな」
「あなたをもとに、完成形が作られました」
その言葉に、ミユの中で何かが跳ねた。
疲れも、迷いも、不安も、一瞬だけ怒りに焼かれる。
「私を材料扱いすんな!」
ミユはμブレスレットを掲げた。
メグが一歩下がる。
周囲の人々が、ざわめきながらスマホを構える。
誰かが小さく言った。
「え、あの子……」
「まさか」
ミユは聞かないふりをした。
今は、それどころではない。
「サイエンスパワー・メイクアップ!」
白とピンクの光が、駅前広場に広がった。
昼とも夕方ともつかない黒い観測フィールドの下で、その光だけがはっきりと温度を持っていた。
制服が光にほどける。
ブレスレットから走ったラインが、腕、肩、胸、脚へと巡る。
白い装甲。
ピンクのアクセント。
ふわりと広がるスカート状の装甲。
手の中に重みを持って現れる、ミュー・ハンマー。
科学少女プリティミューが、駅前広場に立つ。
いつもなら、そこで何か決め台詞めいたことを言う余裕があったかもしれない。
けれど、今日は喉が少し詰まっていた。
目の前にいるのは、敵というより、鏡だった。
ひどく悪趣味な鏡。
X-MUは、黒いハンマーを構えた。
「変身を確認。原型個体、戦闘段階へ移行」
「原型個体って呼ぶな!」
プリティミューは床を蹴った。
駅前広場のタイルが、靴裏で鳴る。
ミュー・ハンマーを右肩に担ぎ、斜め上から叩き込む。
いつもの初手だった。
相手の出方を見る。
威力を測る。
近くに市民がいない方向へ吹き飛ばす。
そのつもりだった。
だが、X-MUは半歩だけ横へずれた。
本当に、半歩。
プリティミューのハンマーは、X-MUの肩をかすめるだけで空を切った。
勢いが余り、ミユの体が前へ流れる。
「っ、やば――」
X-MUの黒いハンマーが、下から跳ね上がる。
腹部装甲に直撃。
「ぐっ!」
プリティミューの体が浮いた。
そのまま駅前のベンチへ叩きつけられそうになる。
だが、寸前でX-MUが片手を伸ばし、ベンチを掴んで横へ退かした。
市民の退避導線を塞がない位置へ。
完璧な判断だった。
プリティミューは背中からタイルへ転がる。
「痛っ……! しかも、救助まで同時にやるの腹立つ!」
《バイト君、無事か》
「無事じゃないけどしゃべれる!」
《それはいつもの状態だね》
「心配の仕方!」
メグの声が通信に割り込む。
《先輩、今の攻撃、読まれていました》
「見ればわかる!」
《いえ、攻撃そのものだけじゃありません。先輩が外した後、体勢を崩す方向まで予測されています》
プリティミューは立ち上がりながら、X-MUを睨んだ。
「なんで私より私の動きわかってるの!?」
アインが答えた。
《第1話から第12話までの戦闘データを使っている》
「個人情報保護法に引っかかれ!」
《怪人組織にそれを期待するのは難しい》
「知ってる!」
X-MUが一歩踏み込む。
プリティミューは反射的にハンマーを構えた。
来る。
そう思った瞬間、X-MUは攻撃しなかった。
代わりに、背後へ飛んだ。
「え?」
プリティミューの背後で、避難途中の女性が足をもつれさせて倒れかけていた。
X-MUはその女性を片腕で支え、もう片方の手で落ちてきた看板の破片を受け止める。
「危険物を排除します」
「移動してください」
「あなたの安全を確認しました」
女性は呆然としたまま、頷いた。
「ありがとう……プリティミュー?」
その呼び方に、ミユの胸が少しだけ痛んだ。
違う。
そいつは私じゃない。
言いたかった。
でも、言えなかった。
助けたのは、事実だったから。
X-MUは女性を避難区域へ送り出すと、すぐにミユへ向き直る。
「救助完了。戦闘再開」
「切り替え早すぎでしょ!」
プリティミューは再び走った。
今度は初手を変える。
まっすぐ行かず、右へ回り込む。
ハンマーを下から振り上げると見せかけ、途中で軌道を横へずらす。
第6話で偽プリティミューを相手にした時、自分がやったような、合理性を外した動き。
だが。
X-MUは、それすら読んでいた。
黒いハンマーの柄が、ミュー・ハンマーの腹を受け止める。
金属音が広場に響いた。
「第7話以降、予測不能行動の頻度が上昇」
「対策済み」
「そこまで読んでるの!?」
X-MUの膝蹴りが、プリティミューの脇腹へ入る。
息が詰まる。
次いで、足元に黒い糸が走った。
蜘蛛男の拘束糸に似たデータだった。
「うそ、ここで蜘蛛!?」
足首が絡め取られ、体勢が崩れる。
そこへ蝙蝠伯爵の音波に似た振動が重なる。
視界が揺れる。
駅前広場のタイルが波打つように見えた。
「ちょ、これ、過去怪人セット!?」
《X-MUは過去怪人能力も最適化している》とアイン。
「説明は助かるけど、助からない!」
プリティミューはハンマーを床へ叩きつけ、拘束糸を衝撃で剥がした。
だが、動きが遅れた。
X-MUの黒い武器が、プリティミューの肩装甲を打つ。
火花が散る。
「っ!」
「感情反応による反撃遅延を確認」
「疼痛反応、許容範囲内」
「戦闘継続可能」
「私の痛みを勝手に許容範囲にするな!」
プリティミューは怒鳴り返す。
その瞬間、自分でもわかった。
怒っている。
でも、ただ怒っているだけではない。
怖い。
X-MUは強い。
ただ強いだけじゃない。
正しいように見える。
効率的で、合理的で、無駄がなくて、助けることまで完璧で。
自分がやってきたことの雑さを、全部、数値で見せられている気がした。
広場の端で、誰かが言う。
「あの白黒の方、すごくない?」
「プリティミュー二人いるの?」
「本物、どっち?」
「いつものピンクの方、押されてる……?」
ミユは聞こえないふりをした。
でも、聞こえていた。
嫌になるくらい、聞こえていた。
X-MUがゆっくりと近づいてくる。
「朝倉ミユ」
「あなたの救助成功率は、仲間からの支援に依存しています」
「単独行動能力は不安定」
「自己犠牲行動の頻度が高く、継続運用に不向き」
「ヒーロー個体として、完成度が低い」
プリティミューはハンマーを握る手に力を込めた。
「だから何」
「あなたは不要です」
X-MUの胸の観測コアが赤く光った。
「プリティミューは、完成しました」
その言葉は、広場全体に響いた。
駅前ビジョンにも同じ文字が浮かぶ。
《原型個体:朝倉ミユ》
《完成個体:X-MU》
《役割移行推奨》
ミユの喉が、ひゅっと鳴った。
もしかして。
本当に。
私より、あっちの方がいいんじゃないの。
ミユが助けたいと思って、必死に走って、転んで、怒って、泣きそうになって、それでもどうにか守ってきたもの。
それを、もっと上手にできる存在がいるなら。
自分がいなくてもいいのではないか。
そう思ってしまった瞬間。
μブレスレットが、赤く点滅した。
「え……?」
腕に熱が走る。
いつもの変身の熱ではない。
内側から別の信号が入り込んでくるような、冷たい違和感。
視界の端に、文字が浮かんだ。
《警告:外部同期率上昇》
《変身権限、上位観測プロトコルへ移行》
《原型個体の出力制御を再設定中》
「なに、これ……!」
アインの声が、通信越しに鋭くなった。
《バイト君、変身システムが奪われる!》
プリティミューの装甲に、黒い線が走った。
白とピンクだったはずの胸部装甲が、一瞬、白黒に染まりかける。
肩のピンクが赤へ変わり、ハンマーの柄に黒い紋様が浮かび上がる。
メグが悲鳴に近い声を上げた。
《先輩!》
「っ、いや……!」
ミユは左手で右腕のブレスレットを掴んだ。
止めようとする。
けれど、止まらない。
X-MUが静かに歩み寄る。
「抵抗は非合理です」
「あなたのデータは、完成形へ統合されます」
「役割を譲渡してください」
ミユは奥歯を噛んだ。
痛い。
怖い。
気持ち悪い。
自分の体なのに、自分のものではなくなっていくようだった。
「ふざけんな……」
声が震えた。
けれど、消えなかった。
「勝手に、人の変身まで持っていくな……!」
赤と黒に染まりかけた装甲の下で、ミユの手がミュー・ハンマーを握り直す。
その手も、わずかに震えていた。




