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第5節 ― リザレクション・ステージ

 黒い羽根が示した先は、ホウジュ区地下物流ターミナル跡よりも、さらに深い場所だった。


 地下物流ターミナルの奥。かつて搬送ベルトが無数の荷物を流していた巨大な空洞の、そのさらに下。古びた業務用エレベーターの跡地を抜け、封鎖板の裏に隠された非常階段を降りていくと、空気の匂いが変わった。


 鉄の匂い。


 薬品の匂い。


 湿ったコンクリートと、古い機械油と、何かを長いあいだ閉じ込めていたような、淀んだ匂い。


 プリティミューは、ミュー・ハンマーを片手に、薄暗い通路を進んでいた。


 隣にはメグ。手には端末。顔色は決してよくない。それでも、目だけは必死に前を見ている。


 後方では、人間アバターのワトソンが音もなく歩いていた。いつもより表情が硬い。彼の視線は、壁や床に走る古い配線、天井裏の監視装置、床下に埋め込まれたセンサーを次々と追っている。


《ミユさん、周辺に複数の怪人反応があります》


「数は?」


《十。いえ、反応の揺らぎを含めると、もっと多い可能性があります》


「うわ、数え直さなくていいやつ」


 冗談めかして返したつもりだった。


 けれど、声が少しだけ乾いていた。


 メグが端末を見つめたまま、低く言う。


「反応パターンは、過去に記録された怪人と一致しています。蜘蛛男、蝙蝠伯爵、レイディスコーピオン、サラセニア・ルージュ、マンティスシザー、カメ・レオン、ミラクルハニー、グレイヴコンドル、ゲッコウリーパー、リザードジェネラル」


「全部入りじゃん」


 プリティミューは、思わず笑った。


 でも、笑いは喉の奥で止まった。


 全部。


 本当に、全部だ。


 自分が戦ってきた怪人たち。


 怖かった相手。怒った相手。ムカついた相手。泣きそうになった相手。倒したあとも、何かが胸に残った相手。


 それらが、もう一度ここにいる。


 いや。


 いる、という言い方は違う。


 いるはずがない。


 倒した。


 終わった。


 終わらせたはずだった。


 通路の先で、重い扉が自動で開いた。


 錆びた駆動音が、低く地下に響く。


 その向こうにあったのは、広い円形の空間だった。


 天井は高く、見上げるほどの高さに、古い照明レールが何重にも走っている。その一部だけが生きており、白く冷たい光が点滅しながら床を照らしていた。


 床の中央には、円形の実験ステージ。


 周囲には、古い手術台。黒い培養槽。破損した拘束具。割れたガラスケース。壁一面には、黄ばんだ怪人設計図が貼られている。人間の骨格図のようなものに、蜘蛛の脚、蝙蝠の翼、蠍の尾、植物の根、蜂の針、死神の鎌のような図面が書き足されていた。


 使われなくなった量産カプセルが、壁際に何列も並んでいる。


 そのいくつかは、まだ中に液体を残していた。


 淡く濁った培養液の中で、何かの影が浮かんでいる。


 プリティミューは、息を止めた。


「……ここ、何なの」


 メグが、震える声で答える。


「旧ジョーカー実験区画。たぶん、コブラさんが言っていた《リザレクション・ステージ》です」


「名前がもう最悪」


 ステージの周囲には、十基の再構成カプセルが並んでいた。


 ひとつ目。


 蜘蛛男。


 黒い甲殻。多関節の脚。拘束糸を吐く口器。


 ふたつ目。


 蝙蝠伯爵。


 黒いマント。白い顔。胸元の壊れたオルゴール。


 みっつ目。


 レイディスコーピオン。


 赤い毒針。鋭いヒール。人を刺すためだけに整えられたような腕。


 よっつ目。


 サラセニア・ルージュ。


 赤紫の花弁。捕虫筒のようなスカート。甘い香気を漂わせる蜜腺。


 いつつ目。


 マンティスシザー。


 銀の鎌腕。黒いコート。切り取られた映像のように揺れる輪郭。


 むっつ目。


 カメ・レオン。


 皮膚の色が絶えず変わり、顔の輪郭が誰かに似ては崩れていく。


 ななつ目。


 ミラクルハニー。


 蜂蜜色の装甲。尾針。幼い笑顔を貼りつけたような顔。


 やっつ目。


 グレイヴコンドル。


 黒い翼。小型の棺。墓標のような胸部装甲。


 ここのつ目。


 ゲッコウリーパー。


 白い死神仮面。三日月の鎌。月光を待つように伏せられた細い身体。


 そして、じゅっこ目。


 リザードジェネラル。


 深緑の装甲。赤いバイザー。砕けた再生カプセルを背負った、軍人じみたトカゲ怪人。


 全部いる。


 プリティミューは、ハンマーの柄を握りしめた。


 手のひらが、汗で滑った。


「……全部いる」


 声に出したら、思っていたよりも重かった。


 メグが、そっと隣を見る。


「全部、復元体です。本物ではありません」


「うん」


「でも」


「わかってる」


 プリティミューは、視線をカプセルから外せなかった。


「見た目は、きつい」


 その時、ステージ中央の巨大モニターが点灯した。


 ノイズが走り、白い画面が黒へ反転する。


 そこに、白いコートの男が映った。


 ドクター・モルス。


 薄い笑みを浮かべ、黒い手袋の指を組んでいる。


《ようこそ、プリティミュー》


「歓迎されに来た覚えはない」


《君の戦歴を並べておきました。懐かしいでしょう?》


「思い出アルバムみたいに言うな」


 モルスは、楽しそうに目を細めた。


《これは慰霊ではありません》


 その声は、静かだった。


 静かで、だからこそ余計に腹が立った。


《これは再現実験です》


「再現?」


《君がどう変わったのか、過去の敵で測り直しましょう》


 プリティミューは、モニターを睨む。


「最低」


《ありがとうございます》


「褒めてない!」


《知っています》


 モルスの口元が、かすかに上がる。


《では、始めましょう》


 再構成カプセルが、一斉に開いた。


 培養液が床へ流れ出す。粘ついた液体が、円形ステージの溝を伝っていく。


 蜘蛛男復元体が、床に四肢をつく。


 蝙蝠伯爵復元体が、ゆらりとマントを広げる。


 レイディスコーピオン復元体の尾針が、赤く光る。


 サラセニア・ルージュ復元体の花弁が開き、甘い匂いが地下に広がる。


 マンティスシザー復元体の刃が、照明を受けて冷たく光る。


 カメ・レオン復元体の輪郭が、プリティミューの姿を一瞬だけ真似て崩れる。


 ミラクルハニー復元体が、蜂の羽音を立てる。


 グレイヴコンドル復元体が、黒羽根を散らす。


 ゲッコウリーパー復元体の鎌に、白い光が宿る。


 リザードジェネラル復元体が、一歩前へ出る。


 十体。


 全部が、こちらを見た。


 その目には、何もなかった。


 憎しみも、怒りも、執着も、誇りもない。


 ただ、命令だけがある。


《復活怪人軍団、第一稼働》


 モルスの声と同時に、蜘蛛男復元体が跳んだ。


「っ!」


 プリティミューは反射的に横へ転がる。直前まで立っていた場所に、白い糸が何本も突き刺さった。糸は床に絡みつき、瞬時に硬化する。


「いきなり絡め取り! 懐かしくなくていいやつ!」


 立ち上がろうとした瞬間、舞台の奥からオルゴールの音が鳴った。


 蝙蝠伯爵復元体の胸元で、壊れたオルゴールが回っている。


 音が空気を揺らす。


 プリティミューの膝が、がくんと落ちた。


「また眠気攻撃……!」


《音波出力は本物の六十二パーセントです》


 アインの声が通信に割り込む。


「数字で安心できる状況じゃない!」


《だが、複数能力との併用で負荷が増えている。距離を取れ》


「距離取ろうにも!」


 横合いから赤い尾針が迫る。


 レイディスコーピオン復元体。


 プリティミューはミュー・ハンマーの柄で受けた。火花が散る。尾針の先から、赤い毒液が飛び、床を焼くように泡立たせた。


 さらに甘い香気がまとわりつく。


 サラセニア・ルージュ復元体の蔓が、足首へ伸びる。


「足! 音! 毒! 香り! 忙しい!」


 プリティミューはハンマーを振り回し、蔓を叩き切った。


 だが、その動きの一部を、マンティスシザー復元体の鎌が切り裂く。


 映像が乱れるように、彼女の視界が一瞬途切れた。


 次の瞬間、背後にカメ・レオン復元体がいた。


 プリティミューそっくりの顔で、無表情に腕を振り上げている。


「自分の顔で殴りかかってくるな!」


 反射的にハンマーを振る。


 当たった。


 けれど、手応えが薄い。


 偽装皮膜が剥がれ、別の位置から本体が飛び出す。


 ミラクルハニー復元体が蜜弾をばらまき、足元がべたついた。グレイヴコンドル復元体の黒羽根が上から降る。ゲッコウリーパー復元体の鎌が影をかすめ、白い三日月の光が床に走る。


 リザードジェネラル復元体が、低い声を出した。


「統率。包囲。圧殺」


「喋り方まで雑!」


 プリティミューは、必死にステージ中央から飛び退いた。


 十体が、少しずつ距離を詰めてくる。


 全部が、過去に見た形だった。


 でも、全部が違った。


 蜘蛛男は、あんなふうに無言で糸だけを吐く怪人ではなかった。


 蝙蝠伯爵は、腹が立つほど芝居がかっていた。


 レイディスコーピオンには、人の痛いところを刺す悪意があった。


 サラセニア・ルージュには、美しさと欲望への執着があった。


 マンティスシザーは、言葉を切ることに快楽を持っていた。


 カメ・レオンは、人を観察していた。


 ミラクルハニーは、甘さの奥に子どもじみた理屈を持っていた。


 グレイヴコンドルは、墓荒らしとしての礼儀のようなものをまとっていた。


 ゲッコウリーパーは、死を数える冷たさを持っていた。


 リザードジェネラルは、量産品としての思想を持っていた。


 嫌だった。


 怖かった。


 腹が立った。


 でも。


 確かに、それぞれ何かを持っていた。


 目の前の復元体には、それがない。


「……違う」


 プリティミューは、息を切らしながら言った。


 メグがステージ脇の端末を操作しながら叫ぶ。


「先輩、本物との違いがあります!」


「どこ!?」


「反応が、全部モルスさんの命令に寄っています!」


「つまり!?」


「自分で選んでいません!」


 ワトソンの声が続く。


《復元体に自律判断はほぼありません。会話は記録再生です。本物にあった迷い、怒り、執着、最後の反応がありません》


「……だよね」


 プリティミューは、ハンマーを握り直した。


 怒りが、胸の奥で熱くなる。


 でも、その怒りは、復元体たちに向いているわけではなかった。


 この姿を作った相手に向いていた。


 この声を使った相手に向いていた。


 終わったはずの戦いを、勝手に掘り返した相手に向いていた。


「じゃあ、余計に終わらせなきゃ」


 復元体たちが、一斉に口を開いた。


 音声が重なる。


「眠りを」


「刺す」


「欲しいものを」


「切り取る」


「本物はどちら」


「子どもでいれば」


「死は数えられる」


「量産は止まらない」


 どれも、聞いた言葉だった。


 でも、どれも違う。


 録音された声。


 切り貼りされた記録。


 意味を失った台詞。


 それでも、プリティミューの胸に、過去の戦いが一気に押し寄せた。


 廃工場の暗さ。


 廃劇場の夜。


 教室の空気。


 甘い香気。


 母の困った顔。


 体育館の視線。


 小さくなったかなえの手。


 黒い羽根。


 月明かりの病院。


 量産ラインのカプセル。


 怖かった。


 ずっと怖かった。


 今だって怖い。


 だが、それをモルスに見られていると思うと、吐き気がした。


「うるさい!」


 プリティミューは叫んだ。


 声が、地下の実験場に反響する。


「あんたたちが本物じゃないのはわかってる!」


 蜘蛛糸が飛ぶ。


 ハンマーで叩き落とす。


「でも、その姿で動かれるのは!」


 蝙蝠音波が揺れる。


 歯を食いしばって踏みとどまる。


「普通に!」


 毒針がかすめる。


 肩の装甲に火花が散る。


「きついんだよ!」


 ミュー・ハンマーが、床を叩いた。


 衝撃波が広がり、周囲の復元体が一瞬だけ後退する。


 モニターの中で、モルスが微笑んだ。


《その反応が欲しかった》


 プリティミューの背中が、ぞくりと冷えた。


 しまった。


 そう思った。


 怒った。


 動揺した。


 吐き出した。


 それすら、向こうの望んだものだ。


 モルスの目は、画面越しでもはっきりわかるほど楽しげだった。


《恐怖。嫌悪。記憶の再刺激による反応速度の変化。声量上昇。攻撃出力の増加。すばらしい》


「……ほんと、最低」


《ありがとうございます》


「だから褒めてない!」


 アインの声が、通信で鋭くなる。


《バイト君、挑発に乗りすぎるな。相手は君の反応を採取している》


「わかってる!」


《わかっていても反応している》


「わかってるってば!」


 メグが端末を抱えたまま、こちらを見た。


「先輩」


「何!?」


「怒っていいと思います」


 プリティミューは、一瞬だけ動きを止めた。


 メグは、震えていた。


 けれど、目は逸らしていなかった。


「怒るのを利用されているのは、わかります。でも、怒らない方がいい事件じゃないです」


「メグちゃん……」


「だから、怒ってください。でも、モルスさんのためじゃなくて」


 メグは、復元体たちを見た。


「終わったはずのもののために」


 プリティミューは、ゆっくり息を吸った。


 胸の奥で、ぐちゃぐちゃになっていたものが、少しだけ形を持つ。


「……うん」


 ミュー・ハンマーを構え直す。


「そうする」


 その時、モルスが手を上げた。


《復活怪人軍団、第二形態へ移行》


 ステージの床に、黒い回路が浮かび上がった。


 復元体たちの胸部で、黒い再構成コアが一斉に光る。


 蜘蛛男復元体の糸が、蝙蝠伯爵復元体の音波に震える。


 レイディスコーピオン復元体の毒が、サラセニア・ルージュ復元体の香気に混ざる。


 マンティスシザー復元体の刃が、カメ・レオン復元体の偽装皮膜を切り貼りする。


 ミラクルハニー復元体の蜜が、ゲッコウリーパー復元体の月光に照らされて白く固まる。


 グレイヴコンドル復元体の黒羽根が、リザードジェネラル復元体の指揮信号に乗って舞い上がる。


 十体が、それぞれ別の怪人ではなくなっていく。


 能力が接続される。


 命令が重なる。


 過去の声が、ひとつの雑音になる。


《プリティミューの限界反応を採取します》


 アインが叫んだ。


《バイト君、まずい。復元体同士が同期を始めた》


「同期するとどうなるの!?」


《怪人軍団が、一つの群れになる》


 ワトソンの声も、いつになく硬い。


《個体ごとの隙が消えます。攻撃パターンが統合されます》


「つまり?」


《とても危険です》


「最初からそう言って!」


 ステージ全体が、低く唸り始めた。


 復活怪人軍団が、同時にプリティミューへ向かってくる。


 蜘蛛の糸が床を縫い、蝙蝠の音が空気を歪め、毒針が赤く光り、香気が甘く沈み、銀の刃が視界を切り、偽装皮膜が位置を狂わせ、蜜が足場を奪い、月光の鎌が影を狙い、黒羽根が頭上を塞ぎ、軍人の声がすべてを統率する。


 十体分の過去が、ひとつの波になって押し寄せる。


 プリティミューは、ハンマーを構えた。


 膝が少し震えた。


 それでも、後ろには下がらなかった。


「……来るなら来い」


 声は、怖がっていた。


 でも、逃げてはいなかった。


「まとめて、ちゃんと終わらせてやる」


 黒い実験場に、復活怪人軍団の足音が響いた。

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