第3節 ― ジョーカー帝都支部、復活実験承認
ジョーカー帝都支部の作戦会議室は、いつもより暗かった。
照明が落とされているわけではない。天井の白色灯はきちんと点いている。壁面モニターも、作戦卓のホログラム投影装置も、警告灯の赤いランプも正常に稼働している。
それでも、部屋全体が妙に暗く感じられた。
理由は、作戦卓の上に並べられた資料のせいだった。
黒い表紙。
銀色の背文字。
赤い識別タグ。
まるで軍事作戦書というより、棺に貼る管理札のようだった。
ゲル大佐は、その中でもひときわ分厚いファイルを前にして、無言で胃薬の瓶を開けた。
机の上には、すでに空になった胃薬の瓶が二本転がっている。三本目の封を切る指先に、いつもの力がない。
戦闘員42号は、ファイルを抱えたまま、作戦卓の端に立っていた。いつもより背筋が伸びている。ふざけているわけではない。むしろ、ふざける余裕がないのだ。
「大佐」
「言うな」
「まだ何も言ってません」
「お前がその厚さの資料を抱えて入ってきた時点で、だいたい嫌な予感はしている」
ゲル大佐は胃薬を口に放り込み、水も飲まずに噛み砕いた。
42号は、抱えていた資料をそっと作戦卓に置いた。
どすん、と音がした。
ゲル大佐の眉間に、深い皺が刻まれる。
「……何ページだ」
「復活怪人軍団計画、概要資料です」
「ページ数を聞いている」
「二百四十ページです」
「復活する前に紙を成仏させろ!」
ゲル大佐の怒号が会議室に響いた。
だが、その声でさえ、今日は部屋の空気を軽くしなかった。
作戦卓の中央には、これまでプリティミューに敗北した怪人たちのデータが並んでいる。
蜘蛛男。
蝙蝠伯爵。
レイディスコーピオン。
サラセニア・ルージュ。
マンティスシザー。
カメ・レオン。
ミラクルハニー。
グレイヴコンドル。
ゲッコウリーパー。
リザードジェネラル。
どの名にも、赤い処理済みマークがついていた。
活動停止。
残骸回収。
能力片抽出。
戦闘データ保存。
心理反応補正済み。
文字だけなら、ただの研究項目だった。
だがゲル大佐には、それが墓石に刻まれた死亡記録のように見えた。
「……モルスめ」
低く呟いたその時、会議室の自動扉が静かに開いた。
白いコートの裾が、滑るように床を撫でる。
黒い手袋。
細い眼鏡。
薄い笑み。
ドクター・モルスは、まるで自分が呼ばれるのを待っていたかのように、会議室へ入ってきた。
「お呼びでしょうか、ゲル大佐」
「呼んでいない」
「では、ちょうどよい偶然ですね」
「貴様の偶然は、だいたい仕組まれている」
モルスは気にした様子もなく、作戦卓の前に立った。
その視線は、ゲル大佐ではなく、卓上に並ぶ怪人データに向けられている。まるで、久しぶりに診察する患者のカルテを見る医師のようだった。
「今回の実験は美しいですよ」
「貴様の美しいは、毎回ろくでもない」
「ありがとうございます」
「褒めていない!」
42号が小声で呟いた。
「大佐、いつもの流れですね」
「黙っていろ。今はいつも以上に胃に悪い」
「はい」
モルスは片手を上げると、作戦卓のホログラムを操作した。
空中に、三つの層が浮かび上がる。
第一層。
残骸回収データ。
第9話――グレイヴコンドルによる、敗北怪人の残骸・能力片・戦闘痕跡の収集。
第二層。
死相反応データ。
第10話――ゲッコウリーパーによる、仮死誘導、恐怖反応、救助優先順位の観測。
第三層。
量産制御データ。
第11話――リザードジェネラルとリザードトルーパーによる、個体差管理、群制御、戦闘データ継承。
三つの層が重なり、巨大な赤い輪を作った。
その中央に、ひとつの文字列が浮かぶ。
《J-12 復活怪人軍団/再構成計画》
ゲル大佐は、目を細めた。
「モルス」
「はい」
「これは復活ではない」
モルスは微笑んだ。
「ええ。厳密には再構成です」
「なら復活と呼ぶな」
「その方が、プリティミューの心理反応が大きくなります」
ゲル大佐の表情が険しくなった。
室内の空調音が、急に大きく聞こえた。
「貴様は、本当に悪趣味だな」
「感情の振れ幅は、貴重なデータです」
「感情を釣るために、死んだ怪人の名前を使うな」
「死んではいません。活動停止です」
「屁理屈を言うな」
「では、より正確に申し上げましょう」
モルスは、黒い手袋の指で空中の怪人名をなぞった。
蜘蛛男のデータが開く。
拘束糸。
奇襲行動。
地下施設適性。
蝙蝠伯爵のデータが開く。
超音波器官。
催眠補助波。
劇場空間制御。
レイディスコーピオン。
毒針片。
言語攻撃反応。
社会的不安誘導。
サラセニア・ルージュ。
蜜腺組織。
欲望反応誘導。
夢幻捕食圏。
マンティスシザー。
裁断刃。
文脈切断。
映像編集適性。
カメ・レオン。
偽装皮膜。
声紋複写。
関係性攪乱。
ミラクルハニー。
幼若化毒針。
生体時間認識干渉。
保護欲・成熟拒否反応。
グレイヴコンドル。
残骸回収棺。
黒羽根タグ。
敗北データ吸着。
ゲッコウリーパー。
三日月鎌。
仮死誘導。
死相マーキング。
リザードジェネラル。
量産制御コア。
再生鱗。
集団戦闘ログ。
それぞれのデータが、切り分けられ、線で結ばれ、別の形に組み直されていく。
「人格の再現は不完全です。記憶も、連続性もありません。ですが、能力、発話傾向、戦闘癖、そしてプリティミューとの接触記録を用いれば、彼女が“倒した相手”として認識するには十分な外形を作れます」
「それを、復活怪人と呼ぶのか」
「はい」
「ただの人形だ」
「非常によくできた人形です」
「……貴様」
ゲル大佐の声が低くなる。
42号は、思わず一歩後ろへ下がった。
ゲル大佐は悪の組織の大佐である。
怪人を作戦に投入し、市街地に混乱を起こし、プリティミューを倒すための策を立てる側の人間である。
だが、彼にとって怪人は、少なくとも“戦力”だった。
失敗すれば叱責する。
報告書を読んで頭を抱える。
作戦に無駄があれば怒鳴る。
だが、怪人を最初から壊れる前提の素材として扱うことだけは、どうしても受け入れがたかった。
モルスは、それを知っているのか、知らないのか。
薄い笑みを崩さない。
「大佐。復活とは、常に不完全なものです」
「そういう哲学を聞きたいのではない」
「完全に戻らないからこそ、反応が取れるのです。プリティミューは、彼らを本人ではないと見抜くでしょう。では、その時どうするのか」
モルスの眼鏡に、赤いモニター光が反射した。
「怒るのか」
「迷うのか」
「それでも倒すのか」
「倒した後に、また傷つくのか」
ゲル大佐は、胃の奥が重く沈むのを感じた。
プリティミューは敵だ。
倒すべき相手だ。
だが、ドクター・モルスの口から出る言葉は、倒すというより、削る、割る、測る、保存する、再利用する、という言葉に近い。
戦場ではなく、解剖台の上の話をしている。
その違いが、ゲル大佐にはどうにも不快だった。
その時、会議室の照明が一瞬だけ落ちた。
壁面モニターがすべて黒く染まり、中央に仮面のアイコンが浮かび上がる。
首領X。
42号が即座に姿勢を正した。
ゲル大佐も、表情を引き締めて敬礼する。
「首領X」
『ゲル大佐』
「はっ」
『復活怪人軍団計画を承認する』
短い言葉だった。
だが、それだけで会議室の空気はさらに重くなった。
ゲル大佐は一瞬だけ、返事を遅らせた。
それを首領Xが気づかなかったはずはない。
けれど、画面の仮面は何も言わない。
「……承知しました」
『プリティミューは、数に押されても個を見た』
「はい」
『ならば次は、過去を返す』
「過去、ですか」
『彼女が倒してきた怪人たちは、彼女を育てた』
その言い方に、ゲル大佐は眉を寄せた。
育てた。
首領Xは、怪人たちの敗北さえ、プリティミューを成長させるための工程として見ている。
それは、これまでの作戦の中で何度も感じてきた違和感だった。
勝つための作戦ではない。
観測するための作戦。
反応を見るための作戦。
そして今は、過去そのものを敵としてぶつけようとしている。
『その過去をもう一度向けられた時、彼女は何を守るか。観測せよ』
「……はっ」
通信は、そこで途切れた。
仮面のアイコンが消え、モニター群に再び怪人データが映し出される。
しばらく、誰も口を開かなかった。
沈黙を破ったのは、モルスだった。
「では、承認もいただけましたので」
あまりにも軽い声だった。
ゲル大佐は、ゆっくりとモルスを見る。
「モルス」
「はい」
「復活怪人を使って、プリティミューを倒す気か」
「もちろんです」
「本音は?」
モルスは、一拍置いて微笑んだ。
「彼女が倒し切った時の反応を見たい」
「やはりな」
ゲル大佐は、椅子の背もたれに体を預けた。
笑う気にもなれなかった。
42号が、小さく手を挙げる。
「あの、大佐」
「何だ」
「今回、かなり嫌な作戦ですね」
「毎回嫌だが、今回は特に嫌だ」
「自分、復活ってもっとこう、盛り上がるものかと思ってました」
「盛り上がる復活は、だいたい味方側だけだ」
「なるほど……」
「納得するな」
モルスは二人のやりとりに興味を示さず、作戦卓へ指示を入力していく。
赤い点が、ホウジュ区の地図に次々と灯った。
廃劇場跡。
駅前広場。
旧美容サロン跡。
宝珠南高校付近。
朝倉家周辺。
旧清掃処理施設。
ロイヤルムーン記念病院跡。
ホウジュ区地下物流ターミナル跡。
それぞれの地点に、復元体の識別名が表示される。
《B-02 蝙蝠伯爵復元体:活動停止》
《S-03 レイディスコーピオン復元体:移動中》
《R-04 サラセニア・ルージュ復元体:待機解除》
《M-05 マンティスシザー復元体:文脈切断準備》
《C-06 カメ・レオン復元体:偽装展開》
《H-08 ミラクルハニー復元体:感情対象へ接近》
《G-09 グレイヴコンドル復元体:最終戦場待機》
《L-11 リザードジェネラル復元体:再構成中》
さらに、画面の隅にひとつだけ、処理中の黒い枠があった。
《X-00 特殊対象:未開示》
ゲル大佐は、それに気づいた。
「モルス。今の黒枠は何だ」
「まだ調整中のデータです」
「答えになっていない」
「第13段階に関わるものです」
「……」
ゲル大佐の目が、わずかに鋭くなる。
モルスはそれ以上説明しなかった。
代わりに、復元体の起動順を読み上げる。
「レイディスコーピオン、サラセニア・ルージュ、マンティスシザー、カメ・レオン。第二群、起動」
モニター上の赤い点が、街の各所で明滅した。
「ミラクルハニー、ゲッコウリーパー。感情反応対象へ移動」
朝倉家周辺とロイヤルムーン記念病院跡に、白と金の反応が灯る。
「グレイヴコンドル、リザードジェネラル。最終戦場へ配置」
旧清掃処理施設と地下物流ターミナル跡の間に、黒緑の反応が重なった。
ゲル大佐は、眉をひそめる。
「最終戦場?」
「ええ。プリティミューには、最後にまとめて見てもらいます」
「何を」
「自分が倒してきたものの総量を」
モルスは、心底楽しそうに言った。
ゲル大佐は、もう一度胃薬の瓶に手を伸ばした。
だが、三本目もほとんど空だった。
「42号」
「はい」
「胃薬を追加で手配しろ」
「通常サイズで?」
「業務用だ」
「了解です」
42号が敬礼し、走り出そうとした時、作戦卓の警告音が鳴った。
廃劇場跡の反応が消えている。
《B-02 蝙蝠伯爵復元体:活動停止》
モルスは、うれしそうに目を細めた。
「早いですね。やはりプリティミューは優秀です」
「倒されたのだぞ」
「はい。だから次に進めます」
ゲル大佐は、声を低くした。
「モルス。忘れるな。作戦の目的はプリティミューの撃破だ」
「承知しています」
「本当に承知しているか?」
「もちろんです。撃破とは、肉体の破壊だけではありません」
モルスは、ホウジュ区の地図を見つめた。
「記憶を疲弊させる」
「感情を揺さぶる」
「守る対象を増やす」
「選択肢を奪う」
「そして、最後に立つ理由を測る」
黒い手袋の指が、プリティミューの戦闘映像に触れた。
「彼女がそれでも立つなら、その理由こそが、最も価値のあるデータです」
ゲル大佐は、何も言わなかった。
言っても無駄だとわかっていた。
モルスは、最後の起動キーを押す。
ホウジュ区全域の地図に、復活怪人反応が赤く灯っていく。
それは、街に散らばる火種のようだった。
あるいは、プリティミューがこれまで越えてきた戦いの跡が、もう一度燃え上がっているようだった。
モルスは、静かに笑った。
「さて、プリティミュー」
その声は、会議室にいる誰へ向けたものでもなかった。
遠く、街のどこかで今も走っている少女へ向けた声だった。
「君の記憶を、街に戻しましょう」




