第7節 ― 量産できないもの
地下量産ラインの音が、少しずつ死んでいった。
さっきまで耳の奥を押しつぶすように鳴っていた搬送ベルトの駆動音も、培養カプセルの循環音も、黒いケーブルを走っていた低い振動も、ひとつずつ途切れていく。
最後に残ったのは、壊れた警告灯の赤い明滅と、どこかで水が落ちる音だけだった。
透明な培養カプセルの中で、未完成のリザードトルーパーたちが沈黙している。鱗の形成が途中で止まった腕。まだ開いていない爬虫類の目。番号だけを刻まれた胸部装甲。
ミユは、変身したまま肩で息をしていた。
ミュー・ハンマーを握る手が、じんじん痺れている。腕が重い。足も重い。喉の奥に鉄みたいな味が残っている。
「……止まった?」
声に出したつもりだったが、自分でも驚くくらい小さな声だった。
メグが膝をついたまま端末を操作している。顔色はよくない。それでも指先だけは、いつものように正確に画面を滑っていた。
「量産ライン、停止しました。現場制御系、搬送系、培養系、すべて沈黙しています」
「完全に?」
ミユは、縋るように聞いた。
メグは一瞬だけ言葉を止めた。
その沈黙だけで、ミユには答えがわかってしまう。
「……完全では、ありません」
「やっぱり?」
「現場の設備は止まりました。でも、さっきの通信光で、量産制御データの一部が外部へ転送されています。転送先は、ジョーカー内部の研究施設。おそらく、ドクター・モルスの研究室です」
ミユは奥歯を噛んだ。
さっきの光。
リザードジェネラルが崩れる直前、地下施設の奥から細く伸びていった、あの嫌な光。
止めたと思ったのに。
また、持っていかれた。
「……ほんと、しつこい」
ミユは、壊れた中央制御コアを見下ろした。
さっきまでそれは、量産型怪人たちを動かす心臓だった。今はもう、黒く焼け焦げた塊になっている。けれど、その奥にあったものすべてを、こちらが完全に壊しきれたわけではない。
「また持っていかれたってことじゃん」
《だが、今回の量産ラインは潰した》
通信越しに、アインの声が入る。
相変わらず冷静だった。けれど、いつもよりほんの少しだけ、声の底が硬い。
《十分な成果だ》
「十分って言われても、向こうはまた作るんでしょ」
《その可能性は高い》
「なら十分じゃないじゃん」
《だから、次も止める》
「簡単に言うな」
《簡単ではない。だから、次も必要なんだ》
ミユは返す言葉を失った。
正論だった。
腹が立つくらい、正論だった。
全部を一度で終わらせることはできない。今回できたのは、この場所を止めることだけ。転送されたデータは向こうに残った。モルスはきっと、また別のろくでもないものを作る。
それでも。
今ここで動き出しかけていた、番号だけの怪人たちは止まった。
街を走り回っていたリザードトルーパーたちの群れも、もう増えない。
少なくとも、今日この場では。
「……ほんと、バイトの業務範囲広すぎ」
《危険手当は検討する》
「検討じゃなくて確定しろ!」
《善処する》
「一番信用ならないやつ!」
いつもの調子で怒鳴ったつもりだった。
けれど、途中で息が切れて、声が少し震えた。
ワトソンが静かに告げる。
《ミユさん、変身維持限界に近づいています。安全圏まで移動後、解除を推奨します》
「安全圏ってどこ。ここ全部、安全じゃないんだけど」
《比較的崩落しにくい出口方向です》
「言い方が怖い!」
ミユはハンマーを肩に担ごうとして、腕が上がらず、結局ずるずると床に下ろした。
メグが立ち上がろうとする。
「先輩、肩を貸します」
「いやいや、逆。メグちゃんもふらふらじゃん」
「でも、先輩の方がもっとふらふらです」
「失礼な。私はまだ三割くらい残ってる」
《ミユさんの現在戦闘継続可能率は、十二パーセントです》
「ワトソン、そこは空気読んで!」
《事実です》
「事実で殴るな!」
それでも、二人は並んで歩き出した。
壊れた培養カプセルの間を抜ける。床には、リザードトルーパーたちが倒れている。粒子になって消えた個体もいれば、まだ装甲の残骸だけが残っている個体もある。
番号だけの刻印が、薄暗い照明の下でかすかに光っていた。
LZ-11。
LZ-12。
LZ-13。
名前ではない。
呼ばれるためのものではなく、管理するための記号。
ミユは、その番号を見ないようにしようとして、でも見てしまった。
「……ねえ、メグちゃん」
「はい」
「あれ、ログに残すの?」
メグは少しだけ迷った。
けれど、すぐに頷く。
「残します」
「名前ないのに?」
「だから、残します」
ミユは黙った。
メグは端末を胸に抱え直した。
「番号しかないから、番号だけで終わったことにされたら、本当にそれだけになります。だから、何があったかは記録します」
「……そっか」
「はい」
「メグちゃん、今回ちょっと怒ってる?」
「怒っています」
「正直」
「正直に記録した方がいい事件でした」
地下物流ターミナル跡を出た時には、夜の空気が妙に冷たく感じられた。
地上では、ジョーカーの反応が消えたことで混乱が少しずつ収まり始めていた。遠くでサイレンが鳴っている。駅前の方角では、誰かがスマホで撮った動画を見返しながら、まだざわざわと話している。
ミユは変身を解いた。
制服姿に戻った瞬間、全身の重さが一気に来た。
「うわ、重っ」
「先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないけど、大丈夫って言う場面」
「では、大丈夫じゃないと記録しておきます」
「記録しなくていい!」
メグは小さく笑った。
その笑い声が、地下で聞いた機械音よりずっと、人間らしくて、ミユは少しだけ安心した。
*
その夜、メグの怪人事件ログには、新しい記事が上がった。
《ホウジュ区各地で確認された同型怪人について》
タイトルは、いつもより少し硬かった。
本文には、リザードトルーパーの目撃情報、出現地点、個体番号らしき刻印、使用された能力の差異が整理されている。
そして、最後に短い文章が添えられていた。
《今回確認された同型怪人は、量産型であった可能性が高いです》
《外見や番号が同じでも、完全に同じ存在ではありません》
《誰かを数として扱うことは、管理には便利かもしれません》
《でも、それはその人を理解したことにはなりません》
ミユはコブラカレーのカウンター席で、その文章を読んだ。
スマホの画面を見つめたまま、しばらく黙る。
「メグちゃん、今回の文章、やっぱり怒ってる」
「怒っています」
「さっきも聞いたけど、やっぱり正直」
「今回は、怒っていい事件だと思いました」
「うん」
ミユはスマホを伏せた。
その前に、コブラが無言で皿を置く。
大盛りカレー。
湯気が立っている。
玉ねぎの甘い香りと、スパイスの辛い香りが混ざって、身体の奥まで染み込んでくるようだった。
「食え」
「またその流れ」
「疲れてる時は食うもんだ」
「戦闘後の栄養補給が毎回カレーで固定されつつあるんだけど」
「問題あるか」
「おいしいから困る」
ミユはスプーンを手に取った。
一口食べる。
辛い。
でも、うまい。
地下施設の消毒薬と鉄の匂いが、少しずつ口の中から追い出されていく。
「……量産型って、なんか嫌だね」
ぽつりとこぼすと、コブラは鍋をかき混ぜながら即答した。
「嫌だな」
「即答」
「兵隊を作るのと、兵隊を道具にするのは違う」
ミユのスプーンが止まる。
メグも顔を上げた。
コブラはいつも通り、背中を向けたままだった。けれど、その声は、いつもの軽いごまかしより少し低い。
「命令で動くやつにも、飯を食うやつにも、帰る場所があるやつにも、ないやつにも、それぞれ始末ってもんがある。数で数えるのは楽だが、楽なやり方ばっか選ぶ組織は、だいたい腐る」
「……おじさん」
「何だ」
「やっぱり昔ジョーカーにいた?」
コブラの手が、ほんの一瞬だけ止まった。
鍋の中のカレーが、ぐつりと泡を立てる。
その沈黙は短かった。
けれど、短すぎるからこそ、答えみたいだった。
「カレー屋はな、辛さの量産には気を使う商売なんだよ」
「ごまかしが限界に来てるよ」
「辛さを均一にするのは難しい」
「話をカレーに戻すな!」
メグが横で小さく言う。
「でも、今のはかなり重要証言に近いです」
「メグちゃん、ログに書かないでね」
「書きません。まだ」
「まだって何!?」
コブラは、二人のやりとりを聞きながら、少しだけ口元を緩めた。
けれど、すぐにその表情は消えた。
「嬢ちゃん」
「何」
「もし次に、昔倒した怪人が出てきても」
ミユは、スプーンを止めた。
さっきまでの辛さが、急に遠くなる。
「……」
「そいつが、本当にそいつだとは限らねえ」
店内の空気が、少しだけ重くなった。
外では、車が通り過ぎる音がする。厨房の換気扇が回っている。鍋の中でカレーが煮える音も変わらない。
それなのに、ミユの背筋だけが冷えた。
「それ、どういう意味?」
「そのうちわかる」
「嫌な予告だけ置いていくのやめて」
「予告じゃねえ。仕込みだ」
「結局カレー用語!」
「食え。冷める」
ミユは文句を言おうとした。
けれど、言葉が出てこなかった。
昔倒した怪人が、また出てくる。
けれど、それは本当にその怪人ではないかもしれない。
第9話のグレイヴコンドルが使った残骸影。
第11話のリザードトルーパーに混ざっていた過去怪人の癖。
その先に、何があるのか。
ミユは考えたくなかった。
でも、考えないわけにはいかなかった。
「……ほんと、最悪の仕込み」
そう言って、ミユはもう一口カレーを食べた。
辛かった。
でも、飲み込めた。
*
ジョーカー帝都支部。
作戦司令室の空気は、今日も重かった。
巨大モニターには、地下物流ターミナル跡の映像が表示されている。停止した量産ライン。破壊された中央制御コア。緑黒い粒子になって消えたリザードジェネラルの残骸。
ゲル大佐は、その映像を無言で見ていた。
机の上には、空になった胃薬の瓶が三つ並んでいる。
戦闘員42号が、気まずそうに報告書を読み上げた。
「リザードジェネラル、活動停止。地下量産ライン、破壊されました」
「またか……」
「ただし、量産データの一部はドクター・モルスの研究室へ転送成功。リザードトルーパー各個体の戦闘ログ、プリティミュー疲労反応、集団戦闘時の市民混乱データも一部回収済みです」
「つまり」
ゲル大佐は、こめかみを押さえた。
「モルスは満足しているわけだな」
「たぶん、すごく」
その言葉の直後、自動扉が音もなく開いた。
白いコート。
黒い手袋。
薄い笑み。
ドクター・モルスが入ってくる。
「十分な成果です」
「貴様の“十分”は、だいたい現場に損害を残す」
「損害ではありません。結果です」
「同じようなものだ!」
ゲル大佐の声が低くなる。
モルスは気にした様子もなく、モニターに映るリザードジェネラルの破壊ログを眺めていた。
「失敗した量産型ほど、改良点が見えます」
「怪人を失敗作呼ばわりするな」
「では、試験終了個体と呼びましょう」
「言い換えても悪い!」
戦闘員42号が小さく頷く。
「たしかに、悪いです」
「お前も頷くな!」
モルスは、楽しげに笑った。
「しかし大佐。今回の成果は大きい。プリティミューは、数に押されても個体差を見た。番号ではなく、特徴で識別した。実に興味深い」
「貴様は本当に、興味深いかどうかでしか物を見んのだな」
「研究者ですので」
「研究者の看板を盾にするな」
その時、司令室の照明が一段落ちた。
通信画面に、黒い仮面のアイコンが浮かび上がる。
首領X。
ゲル大佐は即座に姿勢を正した。
「はっ、首領X」
《ゲル大佐》
「今回の作戦、リザードジェネラルは活動停止。量産ラインも破壊されました。ただし、データの一部は回収済みです」
《良いデータだった》
ゲル大佐の眉が、わずかに動く。
まただ。
また、同じ言葉。
敗北しても、破壊されても、部下が失われても、首領Xは同じように言う。
良いデータだった、と。
「……また敗北しましたが」
《プリティミューは、数に押されても個を見た》
「……」
《量産では、彼女を折れない》
モルスの口元が、わずかに笑みを深めた。
ゲル大佐は、それを横目で見た。
「では、次は」
《過去を返せ》
司令室の空気が止まった。
戦闘員42号が、思わず報告書を抱え直す。
ゲル大佐は、ゆっくりと目を細めた。
「まさか、復活怪人軍団を」
《準備は整った》
モルスが、待っていた言葉を聞いたように一歩前へ出る。
「第十二段階へ移行できます。過去怪人復元計画」
ゲル大佐は低く言った。
「モルス」
「はい」
「復元と称して、死者の皮を被せる気か」
モルスは、少しも悪びれずに微笑む。
「大佐。復活とは常に不完全なものです」
「……貴様」
「完全な再生ではありません。記憶、能力、外形、戦闘反応。それらを戦場に再配置するだけです」
「それを普通、墓荒らしと言う」
「いいえ」
モルスは、首を横に振った。
「再利用です」
ゲル大佐の拳が、机の上で強く握られる。
だが、首領Xの通信画面は消えない。
《続行せよ》
その一言で、ゲル大佐はそれ以上言えなくなった。
「……承知しました」
通信が切れる。
司令室には、しばらく誰も話さなかった。
最初に口を開いたのは、戦闘員42号だった。
「あの、大佐」
「何だ」
「復活怪人軍団って、名前からして嫌な予感しかしません」
「奇遇だな」
ゲル大佐は、空の胃薬瓶を見下ろした。
「私もだ」
*
暗い研究室。
白い照明が、手術台のような金属机を冷たく照らしている。
ドクター・モルスは、黒い手袋をはめた指で、リザードジェネラルの再生鱗片を持ち上げた。
割れた鱗は、深緑から黒緑へと濁っている。表面には、微細なひびが走っていた。量産制御コアの破片は、まだかすかに赤い光を残している。
「よく壊れてくれました」
モルスは、まるで患者に声をかけるように言った。
「壊れ方は、完成度を示す」
彼は、再生鱗片と量産制御コアの破片を透明ケースに収める。
ケースのラベルには、几帳面な文字でこう記されていた。
《J-11 リザードジェネラル/再生鱗片・量産制御コア・集団戦闘データ回収済》
モルスはそのケースを棚に置く。
そこには、これまでのケースが整然と並んでいた。
《蜘蛛男》
《蝙蝠伯爵》
《レイディスコーピオン》
《サラセニア・ルージュ》
《マンティスシザー》
《カメ・レオン》
《ミラクルハニー》
《グレイヴコンドル》
《ゲッコウリーパー》
《リザードジェネラル》
死んだ怪人たちの名前。
倒された怪人たちの破片。
戦いの後に残ったもの。
モルスは、巨大モニターに向き直った。
画面には、過去怪人たちの戦闘映像が並んでいる。
蜘蛛男の糸。
蝙蝠伯爵の翼。
レイディスコーピオンの尾針。
サラセニア・ルージュの赤紫の花弁。
マンティスシザーの銀の刃。
カメ・レオンの偽装皮膜。
ミラクルハニーの黄金の蜜。
グレイヴコンドルの黒い羽根。
ゲッコウリーパーの三日月鎌。
リザードジェネラルの再生鱗。
それらが、ひとつずつ、赤い線でつながっていく。
モルスは、黒い手袋の指で画面をなぞった。
「さて、プリティミュー」
その声は、ひどく優しかった。
優しいからこそ、冷たかった。
「次は、君の記憶を戦場に戻そう」
モニターに、赤い文字が浮かび上がる。
《J-12 復活怪人軍団/再構成準備完了》
研究室の奥で、いくつものカプセルに光が灯った。
その中で、誰かの影が動いた。
それは、かつて倒された怪人に似ていた。
けれど、同じではなかった。




