第6節 ― 数で来るなら、こっちは名前で呼ぶ
地下物流ターミナル跡の天井を、赤い警告灯がゆっくりと回っていた。
古びた搬送ベルトの上に、黒いケーブルが蛇のように這っている。培養カプセルの中では、未完成のリザードトルーパーたちが、閉じた瞼の裏で夢も見ずに眠っていた。番号だけを振られ、名前も、声も、癖も与えられないまま、次の命令を待っている。
その中央で、リザードジェネラルが変わっていく。
背中の再生カプセルが開き、緑黒い装甲の隙間へ、黒いチューブが一斉に突き刺さった。そこから流し込まれるのは、薬液だけではない。
蜘蛛男の拘束糸反応。
蝙蝠伯爵の超音波残響。
レイディスコーピオンの毒性刺激。
サラセニア・ルージュの粘着根。
マンティスシザーの裁断刃。
カメ・レオンの偽装皮膜。
ミラクルハニーの蜜反応。
ゲッコウリーパーの月光残滓。
それらが、リザードジェネラルの身体の上で、不格好に縫い合わされていく。
肩の装甲が膨れ上がる。片目の赤いバイザーが強く発光する。尻尾の先端に骨のような刃が生え、腕の爪は鋏のように割れた。背中には、羽根ではなく、黒い冷却フィンのようなものが展開する。
完成された怪人の美しさではなかった。
けれど、だからこそ気味が悪かった。
失敗を積み重ね、敗北を詰め込み、強引に一体へ押し込んだような姿だった。
「指揮官個体、戦闘形態へ移行」
リザードジェネラルの声は、さっきまでより低くなっていた。金属板をこすり合わせるような音が混じっている。
「量産部隊、再展開」
その一言で、周囲のリザードトルーパーたちが一斉に動いた。
培養カプセルから外に出ていた個体。搬送ベルトの影に伏せていた個体。天井の配管に張りついていた個体。全部が同じように、けれど少しずつ違う動きでプリティミューへ向き直る。
プリティミューは、ミュー・ハンマーを握り直した。
握る手が、少し汗ばんでいる。
「……これ、真正面からやるやつ?」
《やるしかないね》
アインの声が、通信越しに返ってきた。
《退路は塞がれている。量産ラインを止めないかぎり、追加個体が出る》
「ほんと、ブラックバイトすぎる!」
《今回は残業代をつける》
「そういう問題じゃないけど、つけるなら多めで!」
その瞬間、リザードジェネラルが床を蹴った。
重い。
けれど、速い。
プリティミューの目の前に、緑黒い巨体が一気に迫る。彼女が反射的にハンマーを振り上げた瞬間、足元に白い糸が絡みついた。
「うわっ!」
蜘蛛男の糸。
それに気づいた時には、リザードジェネラルの腕から音波が放たれていた。耳の奥を直接揺さぶるような低い振動。視界が歪み、床と天井の境目が一瞬わからなくなる。
「蝙蝠伯爵まで混ぜるな!」
プリティミューは糸を引きちぎろうとする。だが、その手首に赤い針のような突起がかすった。
熱い。
レイディスコーピオンの毒ほど強くはない。けれど、指先の反応が一拍遅れる。
「しびれっ……これ、全部ちょっとずつ嫌!」
リザードジェネラルの爪が振り下ろされる。
プリティミューはハンマーで受け止めた。金属音が地下空間に響き、火花が散る。衝撃で腕が震えた。
「全部盛りの次は量産版全部盛り!?」
《能力の完成度は低い。だが、組み合わせ方が厄介だ》
「厄介って言葉で済ませないで!」
《では、極めて面倒だ》
「言い換えても腹立つ!」
ワトソンの声が、別系統で重なる。
《ミユさん、背後から二体来ます》
プリティミューは振り向くより早く、身体を横へ倒した。
直後、背後からリザードトルーパーの爪が空を切る。もう一体は舌のような粘着ケーブルを伸ばし、プリティミューの肩を狙った。
「数が多い!」
プリティミューは床を転がり、ハンマーを横薙ぎに振るった。
一体目の膝を砕く。
二体目の胴を吹き飛ばす。
だが、倒れたリザードトルーパーの胸から黒いタグのようなものが飛び出し、壁の受信端末へ吸い込まれていく。
ピッ、という電子音。
すぐに別の個体の赤い目が明滅した。
その動きが変わる。
今まで真正面から来ていた個体が、プリティミューのハンマーの振り終わりを避けるように、半歩だけ間合いをずらした。
ミユの背筋が冷えた。
「倒したら学習される。倒さないと襲ってくる。最悪!」
《個体ごとの戦闘結果が即時共有されている》
ワトソンが淡々と告げる。
《敵は個体ではなく、群れとして更新されています》
「群れって言い方、こわい!」
リザードジェネラルが、赤いバイザーを細めるように光らせた。
「理解したか、プリティミュー。個体の敗北は、群れの進化となる。一体が壊れれば、一体ぶん賢くなる。百体壊れれば、百体ぶん強くなる」
「それを、そんな偉そうに言うな!」
「合理的だ」
「合理的なら何してもいいと思ってるやつ、だいたい最悪なんだよ!」
プリティミューはハンマーを振り上げる。
だが、リザードジェネラルは一歩も退かなかった。爪で受ける。衝撃で装甲が割れる。けれど、割れた部分を覆うように、再生鱗が盛り上がった。
一瞬だけ、そこがふさがる。
しかし、完全に治ったわけではない。
継ぎはぎだ。
傷口に無理やり蓋をしたような、粗い補修。
ミユはそれを見逃さなかった。
「……それ、治ってるんじゃない」
リザードジェネラルの動きが、わずかに止まる。
「戦闘継続に支障はない」
「そういうことじゃない」
プリティミューはハンマーを構え直した。
「痛そうなんだよ、それ」
リザードジェネラルのバイザーが、鋭く光る。
「痛覚は不要だ」
「不要って決めたの、誰?」
返事の代わりに、リザードジェネラルが尻尾を振るった。
刃のついた尾が、床の搬送ベルトを裂きながら迫る。プリティミューは跳び上がって避ける。空中で姿勢を崩したところへ、リザードトルーパーが三体、同時に跳んだ。
「ちょ、空中で囲むな!」
《左、音波個体。右、毒個体。下、刃個体です》
ワトソンの声。
その直後、メグの声が重なった。
「先輩、番号で呼ばれている個体に、それぞれ癖があります!」
プリティミューは着地しながら叫んだ。
「名前つける余裕ないよ!」
「名前じゃなくて、記録名です!」
メグは、中央制御端末の影に身を隠しながら、震える指で画面を操作していた。周囲をリザードトルーパーがうろついている。それでも彼女は目を逸らさなかった。
「LZ-21、蜘蛛糸反応が強い。移動前に必ず左肩が沈みます。識別名、糸の子」
画面に小さなタグが立つ。
《糸の子》
「LZ-24、超音波反応。攻撃前に喉元が青く光ります。識別名、音の子」
《音の子》
「LZ-26、毒反応。跳躍姿勢が浅い。識別名、毒の子」
《毒の子》
「LZ-28、裁断刃反応。背後を取ろうとする癖があります。識別名、刃の子」
《刃の子》
「LZ-31、偽装皮膜反応。影が半拍遅れます。識別名、皮の子」
《皮の子》
「LZ-33、蜜反応。足場を汚して動きを止める個体。識別名、蜜の子」
《蜜の子》
プリティミューは、思わず叫んだ。
「メグちゃん、急に詩的!」
「番号よりはマシです!」
その声は、少しだけ怒っていた。
メグも、怒っている。
怖がっている。震えている。けれど、怒っている。
番号で呼ばれ、倒れれば次の材料にされる怪人たちに。
それを当たり前のように運用するモルスに。
ミユの胸の奥で、その怒りが小さく火をつけた。
《識別名を同期タグとして使用します》
ワトソンが即座に補助に入る。
《行動予測を更新。糸の子、右から接近。音の子、正面で発声準備。毒の子、上方から跳躍》
アインも続けた。
《メグ君の識別は有効だ。個体差を誤差ではなく、特徴として拾う。群れの予測精度が上がる》
プリティミューは、歯を見せて笑った。
「名前の使い方が雑だけど、今はそれでいい!」
糸の子が右から来る。
ミユは見ずにハンマーを低く振った。足元から伸びる糸を叩き切る。
音の子の喉元が青く光る。
「そこ!」
プリティミューは床にハンマーを叩きつけ、衝撃波で音波の出だしを潰した。
毒の子が上から落ちる。
彼女は一歩だけ後ろへ引き、着地の瞬間にハンマーの柄で突き飛ばす。
刃の子が背後を取る。
「後ろ!」
メグの声より半拍早く、プリティミューは振り向いた。
ハンマーが刃を受け止める。
「見えてる!」
刃の子の赤い目が、一瞬だけ揺れたように見えた。
いや、そんなはずはない。
量産型だ。
番号だ。
個体差はあっても、心があるわけではない。
そう思おうとして、ミユは息を詰まらせた。
本当に、そうなのか。
名前を与えられなかったものに、心がないと、誰が決めたのか。
「……ほんと、嫌な作戦」
リザードジェネラルが低く唸った。
「番号で管理された兵士に、不要な呼称を与えるな」
プリティミューは、その声へ真正面から言い返した。
「そっちが番号で雑に扱うからでしょ!」
「個体差は誤差だ」
「違う」
メグが端末を抱えながら、はっきりと言った。
「誤差じゃありません。記録です」
リザードジェネラルの赤いバイザーが、メグへ向く。
「記録者。貴様の処理を優先する」
「させるか!」
プリティミューは、メグの前へ滑り込んだ。
次の瞬間、リザードジェネラルの巨体が突進してくる。
蜘蛛糸が床を覆う。
音波が耳を揺らす。
毒針が肩をかすめる。
偽装皮膜で距離感がずれる。
再生鱗が、攻撃を受けるたびに不格好に増えていく。
プリティミューは押された。
ハンマーを受けられる。足を取られる。視界が揺れる。肩が痛い。腕が重い。
けれど、倒れない。
倒れたら、後ろのメグに届く。
「感情は不要」
リザードジェネラルが言った。
「命令だけが兵士を完成させる」
「完成してないじゃん」
プリティミューは、息を切らしながら返した。
「何?」
「そんなに継ぎはぎだらけで、そんなに痛そうで、そんなに壊れそうで、何が完成なの」
リザードジェネラルの爪が、ミュー・ハンマーに食い込む。
「戦闘継続可能であれば、完成だ」
「じゃあ、ヒーローも怪人もいらないじゃん」
プリティミューは、膝を曲げた。
「壊れるまで動く機械だけ作ってればいい」
リザードジェネラルのバイザーが、一瞬だけ赤く明滅した。
その隙を、メグは見逃さない。
「先輩、量産ラインの一斉命令を乱します!」
「できるの?」
「全部は無理です。でも、ズレを広げることはできます!」
ワトソンが端末内で補助線を走らせる。
《識別名同期開始。糸の子、音の子、毒の子、刃の子、皮の子、蜜の子。行動パターン分岐を増幅します》
《バイト君》
アインの声が入る。
《ミュー・ハンマーを調整する。今回の技は、量産信号の同期を切る》
「つまり?」
《群れをバラす》
「わかりやすい!」
《技名はミュー・ディスコネクトブレイク》
「ちょっと長いけど採用!」
リザードジェネラルが咆哮した。
「無駄だ! 個体差は不要! 感情は不要! 命令だけが兵士を完成させる!」
地下空間全体に、赤い命令信号が走る。
リザードトルーパーたちが、また一斉に動き出す。糸の子も、音の子も、毒の子も、刃の子も、皮の子も、蜜の子も、同じ赤い光に塗りつぶされていく。
番号へ戻されていく。
ミユは、ハンマーを握る手に力を込めた。
「命令だけで動くやつに」
白とピンクの光が、ミュー・ハンマーの先端に集まる。
「ヒーローは倒せない!」
プリティミューは、床を蹴った。
リザードジェネラルが真正面から突っ込んでくる。巨大化した爪が振り下ろされる。
ミユは逃げなかった。
ハンマーを床へ、全力で叩きつける。
「ミュー・ディスコネクトブレイク!」
衝撃波が広がった。
ただの破壊ではなかった。
白い光の波が、床を這う黒いケーブルを走り、赤い命令信号の束をほどいていく。番号で縛られていたリザードトルーパーたちの動きが、次々と乱れた。
糸の子が糸を出しかけて止まる。
音の子が喉を光らせたまま動けなくなる。
毒の子が跳躍の途中でバランスを崩す。
刃の子が背後を取ろうとして、足を止める。
皮の子の偽装が剥がれ、蜜の子の足元から流れた粘液が自分自身の動きを封じる。
一斉に動いていた兵士たちが、迷い、止まり、倒れていく。
地下量産ラインの奥で、中央制御コアが激しく火花を散らした。
リザードジェネラルの身体にも異変が起きる。
再生鱗が暴走した。
割れた装甲を埋めようとして、鱗が膨れ上がる。肩が不自然に肥大し、腕の関節を固める。尻尾の付け根にも装甲が盛り上がり、動きを鈍らせる。
「統率が……崩れる……?」
リザードジェネラルの声に、初めて迷いのようなものが混じった。
メグが叫ぶ。
「先輩、中央制御コアが露出しました!」
搬送ベルトの先。
黒いケーブルが集まる場所。
巨大な円筒形の制御装置が、保護カバーを失ってむき出しになっていた。その中で、緑と赤の光が不安定に明滅している。
あれを壊せば、止まる。
でも。
その前に、リザードジェネラルが立ちはだかった。
壊れかけた身体で。
暴走した鱗に動きを奪われながら。
それでも、指揮官個体として、最後の命令を遂行するように。
「量産計画は止まらない」
リザードジェネラルは言った。
「私は失敗しても、次が作られる」
プリティミューは、息を切らしながら前へ出た。
「なら、今日はここを止める!」
「非効率だ」
「知ってる!」
「一度止めても、また作られる」
「それでも止める!」
「何度でもか」
ミユは、一瞬だけ言葉に詰まった。
何度でも。
そんなことを軽く言えるほど、強くはない。
疲れる。
怖い。
できれば勘弁してほしい。
バイト代が出ても割に合わない。
学校にも行かなきゃいけないし、家にも帰らなきゃいけない。母のご飯も食べなきゃいけない。メグを心配させたくない。アインにまたデータを取られるのも嫌だ。
けれど。
目の前で、誰かが番号にされるなら。
壊れる前提で作られるなら。
名前もないまま、次の材料にされるなら。
それは、やっぱり嫌だった。
「できれば勘弁してほしいけど」
プリティミューは、ハンマーを構えた。
「次が来ても、止める」
リザードジェネラルの赤いバイザーが、揺れた。
「非効率な……個体だ……」
「うるさい!」
プリティミューは跳んだ。
リザードジェネラルが最後の力で爪を振るう。
プリティミューはハンマーで弾き、空中で身体をひねる。狙うのは、リザードジェネラルの胸部装甲。そして、その背後にある中央制御コア。
一撃で、両方を叩く。
ミュー・ハンマーが白く輝く。
「プリティ・ワンオフ・インパクト!」
轟音。
ハンマーの一撃が、リザードジェネラルの胸部装甲を砕き、そのまま中央制御コアへめり込んだ。
緑の光が破裂する。
赤い命令信号が断線する。
黒いケーブルが次々と焼き切れ、培養カプセルの光が消えていく。
地下量産ライン全体が、低い唸り声をあげて停止した。
未完成のリザードトルーパーたちは、動かないまま沈黙する。
糸の子も、音の子も、毒の子も、刃の子も、皮の子も、蜜の子も。
番号だけだったものたちが、これ以上、命令で動かされることはなかった。
リザードジェネラルは、制御コアの前に膝をついた。
胸部装甲から緑黒い粒子がこぼれている。再生鱗はもう増えない。暴走した装甲は、ただ重い殻になっていた。
「私が壊れても……次の世代は……」
プリティミューは、肩で息をしながら言った。
「次が来ても、止める」
「何体でも?」
「できれば勘弁してほしいけど」
リザードジェネラルの口元が、ほんの少しだけ歪んだ。
笑ったようにも見えた。
「非効率な……個体だ……」
その身体が、緑黒い粒子になって崩れていく。
最後に残った赤いバイザーが、ぱきりと割れた。
地下量産ラインに、深い静けさが降りた。
「……終わった?」
ミユが呟く。
メグが端末を確認する。
「現場の制御信号、停止しています。量産ラインも沈黙しました」
「よかった……」
プリティミューがその場にへたり込みかけた瞬間、ワトソンの声が鋭く響いた。
《待ってください》
「え」
《地下施設の奥から、外部送信を確認》
アインの声も重なる。
《モルスだ》
壊れた中央制御コアの奥。
まだ生きていた細いケーブルが、青白い光を放っていた。
それは一瞬だけ強く輝き、量産ラインの奥へ、さらにその先の見えない場所へ、細い通信光を伸ばした。
モルスの研究室へ。
量産ラインの一部データが、転送されていく。
プリティミューは立ち上がろうとした。
「止め――」
しかし、光はすでに消えていた。
地下には、焼けたケーブルの匂いだけが残る。
ミユは、ハンマーを握りしめた。
「……また、持っていかれた」
その声は、怒っているのに、少し震えていた。
メグが、静かに言う。
「でも、ここは止めました」
「うん」
ミユは、停止した培養カプセルの列を見た。
番号だけを振られた素体たち。
動かないまま沈黙した、量産型になるはずだったものたち。
「ここは、止めた」
自分に言い聞かせるように、もう一度言った。
遠くで、壊れた警告灯が、最後に一度だけ赤く回った。
それから、地下量産ラインは完全に暗くなった。




