第5節 ― 地下量産ライン
ホウジュ区地下物流ターミナル跡は、駅前から少し離れた再開発予定地の奥にあった。
地上から見ると、ただの閉鎖された搬入口だった。錆びたシャッター。剥がれかけた立入禁止の看板。雑草に埋もれた車止め。かつて大型トラックが何台も出入りしていたはずの広い進入路には、今は雨水の跡と、誰かが踏み荒らした泥だけが残っている。
けれど、その奥からは、かすかに低い振動音が聞こえていた。
止まっているはずの施設が、地下でまだ息をしている。
ミユは、シャッター横の非常階段へ続く扉を見上げた。
「……こういう場所ってさ、普通は閉まってるんじゃないの」
メグが端末を片手に、扉の電子錠を確認する。
「表向きは閉鎖されています。でも、電源が生きています」
「表向きって言葉、最近ほんと信用できない」
ワトソンの人間アバターが、扉の前にしゃがみ込んだ。今日は青年姿に戻っているが、その声だけはいつもの落ち着いた猫型AIのままだった。
《電子錠、旧式です。ジョーカー側があとから別系統の認証を追加しています》
「つまり?」
《普通には開きません》
「そういう時は、もっと希望のある言い方して」
《ですが、アイン様から一時解除コードが送られています》
「最初からそれを言って!」
ワトソンが指先を端末に触れると、扉の奥で古い機械がうなるような音を立てた。数秒遅れて、錆びたロックが外れる。
扉が少しだけ開く。
その隙間から、地下の冷たい空気が漏れてきた。
冷却設備の匂い。古い鉄の匂い。濡れたコンクリートの匂い。そこに、薬品のような鋭い刺激臭が混じっている。
ミユは思わず顔をしかめた。
「うわ。絶対、保健室じゃない匂い」
「保健室だったら、それはそれで嫌です」
「メグちゃん、たまに冷静なツッコミ刺してくるよね」
「先輩ほどではありません」
「比較対象にしないで」
軽口を叩いても、胸の奥の重さは消えなかった。
さっきまで走り回っていた疲労が、脚に残っている。コブラカレーで無理やり食べさせられた大盛りのカレーは、確かに身体に熱を戻してくれた。けれど、肩と腕はまだ重い。ミュー・ハンマーを振り回し続けた筋肉が、じんじんと遅れて痛みを訴えている。
でも、戻れなかった。
ここを放っておけば、またあの番号だけの怪人たちが街へ出る。
倒しても倒しても、次が来る。
それは、これまでの怪人事件とは違っていた。
怖い怪人はいた。腹の立つ怪人もいた。泣きそうになるくらい嫌な怪人もいた。
でも、彼らは一体ずつだった。
名前があり、顔があり、声があり、嫌なほど濃い癖があった。
今度の敵には、それがない。
同じ顔。同じ鱗。同じ番号。
倒されるために出され、倒されたデータを次へ送るために壊される兵士。
ミユは、胸の奥に残る気持ち悪さを飲み込んで、μブレスレットに触れた。
「行こう」
地下へ続く階段は長かった。
壁の非常灯は半分以上消えていて、点いているものも赤く瞬いているだけだった。足元には古い搬送用の番号が白いペンキで書かれている。《B1》《B2》《CARGO LINE》《冷却区画》――その文字の上を、何か鋭い爪で引っ掻いたような跡が横切っていた。
メグが息を潜める。
「先輩、下から怪人反応があります」
「何体?」
「……多いです」
「数で答えてほしくない時に、数で答えないやつだ」
《現時点で反応は三十二。未起動反応を含めると、さらに増えます》
アインの声が通信に割り込んだ。
いつもの淡々とした声だ。けれど、どこか硬い。
《バイト君、今から入る場所は戦闘区域だ。市民はいない。必要なら即時変身して構わない》
「それ、安心していい情報なのかな」
《正体秘匿リスクは低い》
「怪人だらけの地下施設って時点で、別のリスクが高すぎる!」
《同意する》
「同意だけじゃなくて手当も出して」
《危険手当は検討する》
「絶対忘れるやつ!」
そう言いながらも、ミユはブレスレットを掲げた。
地下三階へ降りたところで、前方の防火扉がひとりでに開いた。
その先から、緑色の光が漏れている。
ミユは一度だけ息を吸った。
「サイエンスパワー・メイクアップ!」
白とピンクの光が、暗い階段に弾けた。
冷たい地下の空気を押し返すように、変身光が走る。制服が戦闘装甲に置き換わり、髪飾りが淡く輝き、手の中にミュー・ハンマーの重みが生まれる。
科学少女プリティミューが、防火扉の前に立った。
「よし。地下労働開始」
《業務名としては不適切です》
「戦闘前に労基っぽいこと言わないで!」
プリティミューはハンマーを構え、防火扉の向こうへ足を踏み入れた。
そこは、かつて巨大な配送拠点だった場所だった。
天井は高い。地下とは思えないほど広い空間の中に、古い搬送ベルトが何列も走っている。鉄骨の通路が上層を横切り、吊り下げ式のコンテナが暗い天井からぶら下がっていた。冷却設備の巨大な配管が壁を這い、ところどころから白い霧を吐いている。
だが、配送拠点としての面影は、そこまでだった。
奥には、ジョーカーの仮設研究ラインが組まれていた。
透明な培養カプセルが、いくつも並んでいる。
中には、人間でも動物でもないものが浮かんでいた。
鱗のついた腕。
途中まで形成された爪。
背中に黒いケーブルを挿された未完成の胴体。
顔のないトカゲ型の頭部。
どのカプセルにも、名前ではなく番号だけが貼られている。
《LZ-21》
《LZ-22》
《LZ-23》
プリティミューは、足を止めた。
「これ……工場じゃん」
声が、思ったより小さく出た。
怖いというより、気持ち悪かった。
戦場でも、実験室でもない。ここは、本当に何かを作る場所だった。
ただし、作られているのは商品でも道具でもなく、怪人だった。
メグも隣で息を呑む。
「怪人を、作ってる……」
ワトソンが周囲をスキャンする。
《リザードトルーパー素体、二十七体確認》
「二十七!?」
《未起動を含めれば、もっと多いです。奥の冷却カプセル群にも反応があります》
「数字を増やさないで!」
アインの声が低くなる。
《これが量産ラインか》
プリティミューは、通信越しの沈黙に気づいた。
「アイン?」
《合理的だ》
その言葉は、いつもの分析と同じようで、どこか違っていた。
《過去怪人の能力片を小分けにし、汎用素体へ注入する。個体性能を落として安定性と数を優先する。倒されたデータを次の個体へ反映する。失敗を前提にした学習型の量産システムだ》
「……褒めてる?」
《違う》
アインは、短く言った。
《合理的だ。だから気持ち悪い》
その言い方に、プリティミューは少しだけ黙った。
アインが、科学の話で「気持ち悪い」と言うのは珍しかった。
それだけで、この場所がどれほど歪んでいるのか、わかってしまった。
その時、施設中央の照明が一斉についた。
緑色の光が、搬送ラインの奥を照らす。
高く積まれたコンテナの上に、一体の怪人が立っていた。
深緑から黒緑へ沈む硬質装甲。
軍服のように整えられた肩章型の装飾。
片目を覆う赤い照準バイザー。
背中には小型の再生カプセル。長い尾の先には、刃状の骨装甲が生えている。
他のリザードトルーパーとは違う。
番号ではなく、階級を与えられたような存在だった。
怪人は、低い声で言った。
「よく来た、プリティミュー」
プリティミューはハンマーを握り直す。
「招待状もらった覚えないんだけど」
「貴様の戦闘データが、ここへ道を作った」
「嫌な言い方!」
怪人は、片腕を胸の前に当てた。
「ジョーカー量産怪人計画、試作指揮官個体。リザードジェネラル」
「名前あるんだ」
「指揮官個体には識別名が必要だ」
「下の子たちにもつけなよ」
「兵には番号があれば足りる」
その一言で、プリティミューの眉が動いた。
リザードジェネラルは気にする様子もなく、片腕を上げる。
「量産部隊、展開」
カプセルのひとつが割れた。
続いて、搬送ベルトの奥から、複数のリザードトルーパーが動き出す。
同じような鱗。
同じような腕の刃。
同じような無機質な目。
けれど、よく見ると、少しずつ違っていた。
一体の腕には、蜘蛛糸のような白い腺がある。
一体の喉には、蝙蝠伯爵を思わせる音波器官が膨らんでいる。
一体の尾先には、レイディスコーピオンの毒針に似た赤い突起。
一体の前腕には、マンティスシザーの刃を思わせる薄い銀色の板。
別の個体の皮膚は、カメ・レオンの偽装皮膜のように背景へ溶けかけている。
同じ顔の中に、倒してきた怪人たちの残り香が、少しずつ混ぜられている。
プリティミューは、喉の奥が詰まるような感覚を覚えた。
「これ、倒しても増えるやつだよね」
《そうだ。だから量産ラインを止める必要がある》
アインが即答した。
「どこ壊せばいい?」
《中央制御コアだ》
「わかりやすい!」
《ただし、制御コアを壊すと未完成個体が暴走する可能性がある》
「わかりにくい!」
《だから順序が必要だ。まず統率信号を乱す。その後、制御コアを停止させる》
「作戦が急に難しくなった!」
メグが端末を両手で握り、施設全体の信号を追っていた。
彼女の顔色は悪い。だが、目は逸らしていなかった。
「先輩、個体差を使えます」
「個体差?」
「全部同じに見えますけど、能力の混ざり方が違います。だから、命令信号にズレがあります」
「そのズレを使うと?」
「一斉命令を乱せます」
リザードジェネラルの赤いバイザーが、メグへ向いた。
「無駄だ。個体差は誤差として処理される」
メグは、少しだけ肩を震わせた。
それでも、端末から顔を上げる。
「誤差じゃありません」
「何?」
「そこに残っているものです」
「残っている?」
「元になった怪人たちの癖です」
その言葉に、プリティミューは目を見開いた。
癖。
そう言われた瞬間、見え方が変わった。
リザードトルーパーたちの動きは、ただの量産兵の動きではなかった。
糸を吐く個体は、蜘蛛男のようにしつこく足元を狙ってくる。
音波を放つ個体は、蝙蝠伯爵のように微妙な間を取って、こちらの呼吸を外してくる。
毒針の個体は、レイディスコーピオンのように、攻撃の前にわざと挑発するような身振りを挟む。
蔓状の触手を持つ個体は、サラセニア・ルージュのように、逃げ道を誘導する。
刃を持つ個体は、マンティスシザーのように、言葉ではなく角度で切り込んでくる。
偽装皮膜の個体は、カメ・レオンのように、ほんの少しだけ見えてほしくないところをずらす。
粘着蜜を吐く個体は、ミラクルハニーのように、甘い匂いを残す。
白い反応をまとった個体は、ゲッコウリーパーのように、静かに影へ入り込む。
全部、本物ではない。
劣化コピーだ。
でも、空っぽではない。
何かが、少しだけ残されている。
プリティミューは、気づいた時には呟いていた。
「量産品って言うなよ」
リザードジェネラルが、首をわずかに傾ける。
「何?」
「こんな形にしておいて、番号だけつけて、量産品って呼ぶなって言ってんの!」
リザードジェネラルは、無表情に近い顔でプリティミューを見下ろした。
「理解不能だ。敵性怪人の能力片を再利用した兵士に、貴様は何を見ている」
「私にもよくわかんないよ!」
プリティミューは、ハンマーを構えた。
肩はまだ痛い。脚も重い。さっきまで何体も倒してきたせいで、息も整っていない。
でも、胸の奥の嫌な熱だけは、はっきりしていた。
「でも、番号で雑に片づけていいものじゃないってことくらいはわかる!」
「非効率な感情だ」
「知ってる!」
「ヒーローとしても不安定」
「それも知ってる!」
「ならば、なぜ立つ」
リザードジェネラルの問いに、プリティミューは一瞬だけ黙った。
答えは、きれいにはまとまらなかった。
街を守りたい。
メグを守りたい。
母さんを心配させたくない。
ジョーカーを止めたい。
怪人を量産品扱いするのが嫌だ。
倒してきた敵を、勝手に材料にされるのが嫌だ。
全部、ばらばらだった。
でも、ばらばらなままでも、今ここで立つ理由にはなった。
「ムカつくから!」
リザードジェネラルの赤いバイザーが、わずかに光る。
「感情による戦闘継続を確認。プリティミュー出力、上昇」
「またデータ取ってる!」
「当然だ。貴様は試験項目である」
「その言い方、本当に嫌い!」
プリティミューが床を蹴った。
同時に、リザードトルーパーたちが一斉に動く。
蜘蛛糸が床を走る。
音波が空気を震わせる。
毒針が赤く光る。
偽装皮膜が視界を乱す。
プリティミューは跳び、ハンマーを振るった。
一体の腕を弾き、別の個体の糸を叩き切る。着地した瞬間、粘着蜜が足元に広がった。
「うわ、靴が!」
《ミユさん、左後方から刃の個体です》
「ワトソン、識別早い!」
《メグさんの分類を反映しています》
「メグちゃん有能!」
「褒めるのは後でお願いします!」
メグは、搬送ベルトの陰に身を隠しながら、端末で信号を追い続けていた。彼女の指は震えているが、画面から目を離さない。
「先輩、中央の黒い柱が制御コアです。でも、周囲のリザードトルーパーが命令中継しています」
「全部倒せばいい?」
「倒すとデータ回収されます」
「じゃあ倒さないで止める?」
「それが理想です」
「理想が高い!」
アインが割り込む。
《バイト君、無力化を優先しろ。破壊ではなく関節部への衝撃。個体を停止させれば、即時データ回収は遅れる》
「関節狙いね!」
《できるか?》
「やるしかないでしょ!」
プリティミューは、迫ってきたリザードトルーパーの膝をハンマーの柄で打った。個体が崩れる。次に、尾の付け根。肩の可動部。首の後ろに見えた小さな制御タグ。
叩き潰すのではなく、止める。
その戦い方は、いつもよりずっと難しかった。
敵は襲ってくる。刃は本物だ。毒も音波も、こちらを容赦なく削る。
それでも、壊して終わりにはしたくなかった。
倒したデータを、次の番号へ送らせたくなかった。
リザードジェネラルは、コンテナの上からそれを見ていた。
「非効率。非合理。戦闘時間が延びるだけだ」
「うるさい!」
「ヒーローが数に押される理由がわかった。貴様は敵にまで余計な処理をする」
「処理って言うな!」
「では、完成品を見せよう」
リザードジェネラルが、背中の再生カプセルに手を伸ばした。
カプセルの蓋が開く。
中から、黒いケーブルが何本も飛び出した。
それらが、リザードジェネラルの背中、腕、首、尾へ突き刺さる。
施設全体のカプセルが、一瞬だけ明滅した。
過去怪人の能力片を流し込む装置が、同時に起動する。
リザードジェネラルの装甲が、鈍い音を立てて膨れ上がった。
肩の鱗が分厚くなり、腕の爪が長く伸びる。尻尾がさらに巨大化し、刃状の骨装甲が何枚も重なる。喉元に音波器官が浮かび、背中には偽装皮膜の膜が広がる。片腕の内側に銀色の裁断刃が生え、尾の先には赤い毒針が灯った。
まるで、これまで倒してきた怪人たちの嫌な部分だけを、軍用装甲の中へ押し込めたようだった。
プリティミューは、一歩下がる。
「うわ……」
素直に声が漏れた。
「全部盛りのさらに上、来ちゃった」
リザードジェネラルの声が、低く歪む。
「指揮官個体、戦闘形態へ移行」
床の搬送ベルトが勝手に動き出す。
コンテナが揺れる。
培養カプセルの中の未完成個体が、緑色の光に照らされる。
リザードトルーパーたちが、一斉にひざまずくように停止し、リザードジェネラルへ命令信号を集中させた。
メグが青ざめる。
「先輩、統率信号が一つに集まっています。あれを中心に、全個体が再同期されます」
「つまり?」
「今までより、ずっと動きが揃います」
「最悪の説明ありがとう!」
リザードジェネラルが、巨大な尾を床へ叩きつけた。
衝撃で、古い搬送ベルトが裂ける。
冷却霧が吹き上がり、緑の光の中で怪人の輪郭が揺らいだ。
「プリティミュー」
赤いバイザーが、まっすぐにこちらを見る。
「貴様一体で、何体まで止められるか」
プリティミューは、ハンマーを握り直した。
腕は重い。
足も痛い。
でも、メグが後ろにいる。
街が上にある。
そして、この地下には、番号だけを貼られたまま起こされようとしているものたちがいる。
プリティミューは、唇を引き結んだ。
「大将が出てくるタイミング、早すぎ!」
軽口は震えていた。
でも、ハンマーは下ろさなかった。
リザードジェネラルが床を蹴る。
地下量産ラインの中央で、緑黒い指揮官個体が突進してくる。
プリティミューは、真正面から迎え撃つために一歩踏み出した。




