第3節 ― ジョーカー帝都支部、量産怪人計画
ジョーカー帝都支部の作戦会議室は、いつもより明るかった。
それは、照明が増えたからではない。
壁一面の大型モニターに、無数の戦闘映像と分析グラフが同時に表示されているからだった。
ホウジュ区駅前。
旧北口商店街。
コブラカレー前。
路地裏。
高架下。
コンビニ駐車場。
そこかしこに映っているのは、同じような姿をしたトカゲ型の怪人たちだった。
灰緑色の装甲。
低い姿勢。
腕部から伸びる刃。
濁った黄色の複眼。
そして胸部や肩に刻まれた、簡素な個体番号。
LZ-09。
LZ-11。
LZ-12。
LZ-13。
名前ではない。
称号でもない。
ただの識別番号だった。
会議室中央の長机には、紙の資料が山のように積まれている。
その山を前に、ゲル大佐は、無言で胃のあたりを押さえていた。
机の端には胃薬の瓶がある。
すでに半分ほど減っている。
その横で、戦闘員42号が、さらに分厚いファイルを抱えて直立していた。
「大佐、量産怪人計画の概要資料です」
42号は、妙に真面目な声で言った。
ゲル大佐は、目だけをゆっくり動かした。
「……何ページだ」
「百八十ページです」
「怪人を量産する前に紙を減らせ!」
会議室に、ゲル大佐の怒声が響いた。
42号は肩をびくっと跳ねさせる。
「すみません! ですが、ドクター・モルスによると、紙の厚みは研究の厚みだそうで!」
「その研究で私の胃まで厚くなりそうだ!」
「胃壁が厚くなるのは、よいことでは?」
「医学的な適当を言うな!」
ゲル大佐は、胃薬の瓶をつかみ、ふたを開けようとして、途中で手を止めた。
飲む前から負けている気がした。
だが、飲まなければさらに負ける気もした。
結局、飲んだ。
その時、会議室の自動扉が静かに開いた。
白衣の裾が、薄暗い廊下から滑り込む。
黒い手袋。
磨かれた靴。
無駄のない歩幅。
ドクター・モルスが、まるで病室に回診へ来た医師のような顔で現れた。
「お疲れのようですね、ゲル大佐」
「貴様の資料のせいだ」
「光栄です」
「褒めていない!」
モルスは気にした様子もなく、長机の前に立った。
その手には、薄型の黒い端末がある。
彼が指先で画面を撫でると、壁面モニターの映像が切り替わった。
リザードトルーパーの戦闘記録。
プリティミューとの接触映像。
被撃破時の反応。
周辺市民の避難速度。
動画投稿件数。
通報回数。
怪人出現からプリティミュー到着までの時間。
数値。
数値。
数値。
そこには、誰かが驚いた顔も、逃げ遅れた子どもの泣き声も、コブラカレーの前で青ざめたミユの表情も、すべて同じ種類のデータとして並んでいた。
ゲル大佐の眉が、わずかに寄る。
「……説明しろ、モルス」
「第1世代リザードトルーパー。個体性能は低く、戦闘単位としては既存怪人に劣ります」
「それは見ればわかる。プリティミューに一体撃破されていただろう」
「ええ。撃破されました」
モルスは、嬉しそうに微笑んだ。
「非常に良好です」
ゲル大佐のこめかみが動いた。
「良好?」
「はい。初回接触時点で、プリティミューは通常打撃からミュー・ハンマーの標準出力へ移行。二撃目で装甲を破壊。三撃目で中枢部を停止させています」
「それが何だ」
「その敗北データが、周辺個体へ即時共有されました」
モルスが画面を操作する。
次の映像が表示された。
一体目のリザードトルーパーを倒した直後、プリティミューの前に二体目が現れる。
その二体目は、プリティミューの初撃を半歩だけ早く回避していた。
完全ではない。
だが、明らかに先ほどの個体より動きがよくなっている。
モルスは満足そうに言った。
「倒された個体のデータは、次の個体へ送られる。つまり、敗北するほど賢くなる」
42号が、思わず小さく声を漏らした。
「おお……なんか便利ですね」
ゲル大佐が睨む。
「便利で済ませるな」
「すみません!」
ゲル大佐は、モルスへ視線を戻す。
「怪人を捨て駒にする気か」
「捨て駒ではありません」
モルスは首を横に振った。
「使い捨ての観測端末です」
「もっと悪い!」
ゲル大佐の拳が机を叩いた。
資料の山が震え、42号が慌てて押さえる。
モルスは微笑んだままだった。
「大佐。従来型怪人は、個性が強すぎました。蜘蛛男には蜘蛛男の癖があり、蝙蝠伯爵には美学があり、レイディスコーピオンには感情があった。サラセニア・ルージュも、マンティスシザーも、カメ・レオンも、ミラクルハニーも、ゲッコウリーパーも」
「それが何だ」
「個体差は美しい。しかし、計測にはノイズです」
ゲル大佐の目が冷えた。
「貴様、今までの怪人たちをノイズと言ったのか」
「いいえ。症例です」
「言い換えても悪い!」
モルスは一歩も引かない。
「第1世代リザードトルーパーは、意図的に個性を削っています。余計な感情、過度な自我、独自の美学、不要な執着。それらを排除し、戦闘反応と学習効率のみを残した量産型です」
「名前もか」
ゲル大佐の声が、低くなった。
モルスは、少しだけ目を細める。
「名前は管理上、非効率です。個体番号で十分でしょう」
「……」
42号が、そっと自分の胸を見下ろした。
戦闘員42号。
番号で呼ばれている自分が、今さら何かを言える立場ではない。
それでも、彼はなぜか、少しだけ背中が寒くなった。
「大佐」
42号は、小さく言った。
「あの、量産型って……戦闘員とは違うんですよね?」
ゲル大佐は、42号を見る。
「違う」
「でも、番号しかないですよ」
「違うと言っている」
ゲル大佐の声には、珍しく迷いがなかった。
「お前たちは命令で動く兵だ。失敗もする。余計なことも言う。資料のページ数も読み上げる。胃薬も買いに行く。つまり、面倒だが個体だ」
「褒められてます?」
「半分くらいはな」
「ありがとうございます!」
「喜ぶな」
モルスは、興味深そうに二人を見ていた。
「なるほど。現場指揮官らしい情緒ですね」
「情緒ではない。組織運用の基本だ」
「では、こちらも組織運用の話をしましょう」
モルスは、次のデータを開いた。
画面に、ひときわ大きな影が映る。
リザードトルーパーよりも背が高い。
装甲は深緑と黒。
頭部には角のような突起。
両腕には湾曲した刃。
尾は太く、鞭のようにしなる。
そして肩部には、量産型にはない赤い識別ラインが刻まれていた。
リザードジェネラル。
その名前が、モニター下部に表示される。
ゲル大佐は目を細めた。
「指揮官個体か」
「ええ。第1世代量産型の運用効率を上げるための統率ユニットです」
「待て」
ゲル大佐の声が、さらに低くなった。
「この戦術パターン……私の過去作戦ログを使っているな」
モルスは、悪びれずに頷いた。
「ええ。現場指揮モデルとして、ゲル大佐の過去作戦ログを参考にしました」
「勝手に使うな!」
「優秀でしたので」
「褒めれば許されると思うな!」
42号が、画面のリザードジェネラルとゲル大佐を見比べた。
「大佐、量産型の大佐みたいですね」
「やめろ。縁起でもない」
「でも胃痛はなさそうです」
「そこを基準にするな!」
モルスは端末を操作し、リザードジェネラルの模擬戦闘映像を表示した。
複数のリザードトルーパーが、街の交差点を取り囲む。
一体が市民を追い立てる。
一体が監視カメラを破壊する。
一体がわざとプリティミューの攻撃を受け、データを送る。
その背後で、リザードジェネラルが無言で指示を出している。
攻めているのではない。
測っている。
倒されることさえ、戦術に組み込まれている。
ゲル大佐は、画面から目を離さなかった。
「……気に入らんな」
「でしょうね」
「わかっていて見せたのか」
「現場指揮官の反応も、重要な参考値です」
「私まで測るな」
その時、会議室の照明がふっと落ちた。
モニターの光が暗転し、中央に仮面のアイコンが浮かぶ。
首領X。
ゲル大佐は即座に姿勢を正した。
42号も慌てて敬礼する。
モルスだけが、静かに片手を胸に当てた。
《ゲル大佐》
「はっ。首領X」
《量産怪人計画を続行せよ》
ゲル大佐は一瞬だけ沈黙した。
ほんの一瞬。
だが、その沈黙に、42号は気づいた。
「……承知しました」
首領Xの声は、いつも通り感情が薄かった。
《プリティミューは、死を前にしても今を守ることを選んだ》
「はい」
《次は、数に押し潰された時の反応を見る》
「数、ですか」
《一人のヒーローが、何体まで守れるか。何度まで立てるか。どこで限界を認めるか》
ゲル大佐は黙った。
モルスは、わずかに口角を上げた。
《量産型は、その観測に適している》
「……首領X。市街地への投入規模は」
《段階的に拡大せよ》
「一般人への被害制御は」
《必要最小限》
必要最小限。
便利な言葉だった。
だが、現場ではいつも、その言葉がもっとも厄介だった。
どこまでが必要か。
どこからが過剰か。
その線を引くのは、いつも後から報告書を読む者ではなく、現場にいる者だ。
ゲル大佐は、拳を握った。
「承知しました」
《よいデータを期待している》
通信は途切れた。
会議室に、モニターの駆動音だけが残る。
42号は、息をするタイミングを見失ったように立っていた。
ゲル大佐は、ゆっくりと椅子に座り直す。
「モルス」
「はい」
「プリティミューを倒す気があるのか」
その問いに、モルスは少しだけ首を傾げた。
「もちろんです」
「なら、なぜ倒すより観測を優先する」
「大佐」
モルスは、穏やかに笑った。
その笑みには、敵意がない。
怒りもない。
だからこそ、冷たかった。
「倒すだけなら、一度で終わってしまうではありませんか」
ゲル大佐は、胃薬の瓶を開ける手を止めた。
42号は、何も言えなかった。
モルスは続ける。
「プリティミューは、極めて興味深い適合体です。恐怖に反応し、友人に反応し、母親に反応し、敵の残骸に反応し、死に反応した。ならば、次に測るべきは限界です」
「限界を超えたらどうする」
「その時は、その時の反応を記録します」
「……貴様とは、本当に話が合わんな」
「研究者と現場指揮官ですから」
「違う」
ゲル大佐は、静かに言った。
「貴様は、現場を見ていない」
モルスの笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。
その時、別のモニターが自動的に起動した。
画面には、リザードジェネラルの姿が映る。
低く、硬い声が会議室に響いた。
《量産部隊、第二段階へ移行。市街地分散配置、完了》
リザードジェネラルの背後には、ずらりと並ぶリザードトルーパーたちが見えた。
LZ-21。
LZ-22。
LZ-23。
LZ-24。
LZ-25。
その胸に刻まれた番号が、無機質な光を返している。
《次は、プリティミューの疲労限界を測定する》
モルスは満足そうに頷いた。
「よろしい」
彼は端末に指を置いた。
ホウジュ区の地図が、モニターいっぱいに表示される。
赤い点が、いくつも灯った。
駅前。
商店街。
学校近く。
住宅街。
歩道橋。
コブラカレー周辺。
アイン科学研究所から少し離れた道路。
逃げ場を塞ぐように。
休む暇を奪うように。
赤い点は、ゆっくりと街へ広がっていく。
「数で押してください」
モルスは静かに言った。
「彼女が、守ることを諦めるまで」
ゲル大佐は、無言でその地図を見つめていた。
倒すための作戦ではない。
壊すための作戦でもない。
折れるまで、測る作戦。
その気味の悪さが、会議室の空気を重くしていた。
42号が、小さく尋ねる。
「大佐……この作戦、成功するんでしょうか」
ゲル大佐は答えなかった。
ただ、胃薬の瓶を机に置き、低く命じた。
「42号」
「はい」
「現場部隊に通達しろ。市民への直接被害は最小限に抑えろ。リザードトルーパーどもが暴走するようなら、こちらで止める」
「了解です!」
42号が走り出す。
モルスは、それを横目で見ながら微笑んだ。
「優しいですね、大佐」
「黙れ」
「その優しさも、いずれ計測しましょう」
ゲル大佐は、モルスを睨んだ。
「貴様が私を測る前に、私の胃が限界を迎える」
「それは困りますね。まだ大佐には、現場指揮官として働いていただかねば」
「貴様に言われると腹立たしい」
モルスは一礼し、会議室を出ていく。
白いコートが扉の向こうへ消えた後も、ゲル大佐はしばらく動かなかった。
モニターには、ホウジュ区の地図が映り続けている。
赤い点が、一つ、また一つと増えていく。
それはまるで、街に発疹が広がっていくようだった。
ゲル大佐は、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
「……量産型か」
名前のない怪人たち。
倒されることを前提に作られた兵器。
敗北するほど賢くなる観測端末。
その先に何があるのか、彼にもまだ見えていなかった。
ただ一つだけ、確かなことがある。
この作戦は、プリティミューだけではなく、ジョーカーという組織そのものの形を変え始めている。
ゲル大佐は、もう一度胃のあたりを押さえた。
「……本当に、ろくでもない段階に入ったな」
画面の中で、リザードジェネラルが無言で顔を上げた。
その背後で、番号だけを持つ怪人たちが、一斉に動き出した。




