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第2節 ― 量産品には、名前がない

 翌朝のホウジュ区は、いつも通りの顔をしていた。


 駅前の信号は、いつも通りに赤から青へ変わる。

 通学途中の学生たちは、いつも通りにスマホを見ながら歩き、会社員たちは、いつも通りに眠そうな顔で改札へ吸い込まれていく。

 コンビニの前では配送トラックが止まり、店員がパンの箱を抱えて店内へ走っていた。


 いつも通り。


 けれど、ミユには、その「いつも通り」が薄いラップみたいに感じられた。

 ぺらっとめくれば、その下に、昨日までなかったものがうじゃうじゃ潜んでいるような気がした。


「……眠い」


 宝珠南高校へ向かう通学路で、ミユは小さく呟いた。


 昨夜、アイン科学研究所から帰ったのは、日付が変わる少し前だった。

 ゲッコウリーパーの一件が終わったばかりなのに、今度は量産型怪人。

 しかも、相手は一体ではない。

 番号が振られ、同じ姿で、同じように現れ、同じように壊れ、同じように次が出てくる。


 考えただけで、胃のあたりが重くなる。


「先輩、寝不足ですか?」


 隣を歩くメグが、心配そうに覗き込んできた。


 メグはいつもの眼鏡に、いつものノート、いつものスマホ。

 ただ、そのスマホ画面には、昨日からひっきりなしに届く怪人目撃情報が表示されている。


「寝不足っていうか、もう寝た記憶が薄い」

「睡眠時間は何時間ですか」

「聞かないで」

「三時間以下ですか」

「聞かないでって言ったよね?」

「では、二時間台ですね」

「推理力をそういう方向に使わないで」


 メグは真面目な顔でノートに何かを書いた。


「先輩の睡眠不足、怪人事件ログの補助項目に入れておきます」

「入れなくていい! 私の生活崩壊まで記録しないで!」


 そう言いながらも、ミユの視線は、自然と周囲へ向いていた。


 歩道橋の上。

 自販機の影。

 閉まったままのシャッター。

 駐輪場の隅。


 いつもなら気にもしない場所が、今日は妙に怪しく見える。


 昨日、研究所でアインが言っていた。


《量産型は、一体倒せば終わりというものではない》


 あの声が、まだ耳に残っている。


 教室に着くと、空気はすでにざわついていた。


「また怪人出たんだって」

「昨日だけじゃなかったの?」

「朝も駅の裏で見たって投稿あったよ」

「同じやつ?」

「いや、なんか、似てるけど違うっぽい」


 席に着いたミユは、鞄を置く手を止めた。


 女子たちが、机を寄せてスマホを見ている。

 画面には、遠くから撮られた短い動画が映っていた。


 雑居ビルの裏手。

 薄緑色の鱗。

 低く伏せた姿勢。

 腕の外側から伸びる短い刃。

 爬虫類のように左右へ揺れる頭。


 リザードトルーパー。


 ミユは、喉の奥がきゅっと詰まるのを感じた。


「これ、昨日のと同じじゃない?」

「でも場所違うよ。これ、北口の駐車場じゃん」

「こっちは商店街の防犯カメラ」

「え、じゃあ何体もいるってこと?」

「量産型ってやつ?」


 その言葉に、教室の空気が少しだけ冷えた。


 量産型。


 ゲームやアニメなら、そこまで怖い言葉ではない。

 同じ敵がたくさん出てくる。

 倒しても倒しても出てくる雑魚敵。

 画面の向こうなら、それで済む。


 けれど、現実の街にそれが出ると、意味が変わる。


 どこにいるかわからない。

 何体いるかわからない。

 倒したものと、次に現れたものが同じなのか違うのかもわからない。


 名前のない敵が、街に増えていく。


 ミユは、机の下でこっそりスマホを開いた。


 メグから、すでに共有フォルダのリンクが届いていた。

 怪人事件ログの臨時フォルダ。

 タイトルは、


《LZ系列目撃情報まとめ》


 その事務的な名前が、妙に怖かった。


 昼休み。


 ミユとメグは、校舎裏の人気のないベンチにいた。

 メグは弁当を膝に置いたまま、食べるより先にスマホとノートを広げている。


「食べなよ、メグちゃん」

「食べています」

「それ、卵焼きが三分前から箸に挟まれたままなんだけど」

「情報整理中なので」

「卵焼きにも鮮度ってものがあるよ」


 ミユが呆れると、メグはようやく卵焼きを口へ運んだ。

 それからすぐに、また画面へ目を戻す。


「先輩。今日の午前中だけで、リザードトルーパーらしき目撃情報が十七件あります」

「十七……」


 ミユは、持っていたパンを思わず握りつぶしそうになった。


「ただし、全部が本物とは限りません。見間違い、過去動画の再投稿、いたずら投稿も混ざっています」

「まあ、ネットってそういうのあるよね」

「でも、少なくとも六件は信頼度が高いです。映像、位置情報、怪人反応の残留報告が一致しています」

「六体はいるってこと?」

「正確には、六回出現した、です。同一個体か別個体かはまだ不明です」


 メグは、画面に複数の画像を並べた。


 駅裏の駐車場。

 細い路地。

 商店街の防犯カメラ。

 公園のトイレ裏。

 工事現場のフェンス付近。

 そして、コブラカレーに近い裏通り。


 どの画像にも、似たようなリザードトルーパーが写っている。

 どれも同じに見える。

 いや、同じに見えるからこそ、気持ちが悪い。


「これ、全部同じ顔じゃん」

「顔は同じです。でも、装甲の傷と刻印が違います」

「刻印?」


 メグが画像を拡大した。


 肩の装甲部分。

 そこに、小さく白い文字が刻まれている。


《LZ-11》


 別の画像には、


《LZ-12》


 また別の画像には、


《LZ-13》


 ミユは、その文字を見た瞬間、眉を寄せた。


「……名前じゃないんだ」

「はい。個体番号だと思われます」

「怪人なのに?」

「量産型ですから」


 メグの声は冷静だった。

 けれど、その指先は少しだけ止まっていた。


 ミユは、画面を見つめたまま黙る。


 これまで戦ってきた怪人たちの顔が、頭の中に浮かんだ。


 蜘蛛男。

 蝙蝠伯爵。

 レイディスコーピオン。

 サラセニア・ルージュ。

 マンティスシザー。

 カメ・レオン。

 ミラクルハニー。

 グレイヴコンドル。

 ゲッコウリーパー。


 みんな、嫌な相手だった。

 怖かった。

 腹が立った。

 許せないこともたくさんした。


 でも、名前があった。


 変なこだわりがあった。

 変な口調があった。

 変な美学があった。

 倒したあとに、何か言葉を残すやつもいた。


 敵だった。

 でも、ただの物ではなかった。


 ミユは、ぽつりと言った。


「敵なのに、名前がないの、なんか嫌だ」


 メグが顔を上げた。


「先輩」

「いや、変なこと言ってるのはわかってるよ。敵だし、倒さなきゃいけないし、名前があったらいいって話でもないんだけど」


 ミユは、パンの袋をくしゃっと握った。


「でもさ。番号だけって、なんか……最初から壊れる前提みたいじゃん」


 メグは、少しだけ目を伏せた。


「はい」


 その短い返事が、いつもより重かった。


 その時、ミユのスマホが震えた。


 アインからの通信だった。


《バイト君、聞こえるかい》

「学校の昼休みに平然と呼ぶな。今ちょっと重い話してたんだけど」

《ホウジュ区内でリザードトルーパーの反応が増えている》

「空気読まないね、ほんと!」


 ミユは、慌てて校舎裏のさらに奥へ移動した。

 メグも弁当をしまい、隣についてくる。


《モルスは、プリティミューの反応だけでなく、市民の混乱反応も集めている》

「怪人が出た時の街の反応まで?」

《そうだ。避難速度、通報件数、動画投稿数、戦闘継続時間。全部データになる》

「街を丸ごと実験室にするな」


 自分の声が、思ったより低く出た。


 アインは一拍だけ黙り、それから続けた。


《量産型の厄介さは、戦闘力だけではない。出現頻度そのものが、街の神経を削る》

「つまり、弱くても何度も出れば怖いってこと?」

《そうだ。誰もが毎回プリティミューを待てるわけではない。警察も消防も通常業務を圧迫される。病院も、学校も、交通も乱れる》

「で、その乱れもデータ?」

《おそらくね》

「ほんと最悪」


 ミユは、校庭の向こうを見た。


 授業前の生徒たちが、何も知らない顔で笑っている。

 その普通の笑い声さえ、どこか遠く聞こえた。


 放課後になる頃には、ホウジュ区の空気はさらに不安定になっていた。


 駅前では、警備員が増えていた。

 商店街の店先には「怪人出没時は店内へ避難してください」という張り紙が貼られている。

 コンビニの入口では、客同士がリザードトルーパーの動画を見せ合っていた。


「また出たらしいよ」

「え、どこ?」

「駅裏」

「さっきは南口じゃなかった?」

「倒されたんじゃないの?」

「知らない。同じやつなのか違うやつなのか、わかんないんだって」


 ミユとメグは、人混みを避けるように裏道へ入った。


 メグのスマホには、怪人事件ログへの投稿が流れ続けている。


《同じ怪人が何回も出てる?》

《倒されたはずなのにまたいた》

《プリティミュー間に合ってないじゃん》

《量産型ってマジ?》

《次どこに出るかわかる人いますか?》


 メグは、歩きながら情報を分類していく。

 位置。

 時刻。

 映像の有無。

 怪人反応の強度。

 個体番号の確認可否。


「メグちゃん、歩きスマホ危ない」

「すみません。でも、今止めると流れます」

「情報の波に溺れる前に電柱にぶつかるよ」


 そう言った瞬間だった。


 商店街の方から、悲鳴が上がった。


 ミユとメグは同時に顔を上げた。


「今の」

「コブラカレーの方向です」


 二人は走り出した。


 夕方の商店街は、買い物帰りの人や学校帰りの学生でそこそこ賑わっていた。

 その流れが、一箇所だけ不自然に崩れている。


 コブラカレーの前。


 店の入口付近で、客たちが慌てて逃げていた。

 倒れた看板。

 転がった自転車。

 こぼれた買い物袋の中身。


 その真ん中に、リザードトルーパーが立っていた。


 薄緑色の鱗装甲。

 無機質な黄色い目。

 腕の外側に生えた短い刃。

 首の横で、小さな機械音が鳴っている。


 肩には刻印。


《LZ-14》


 そして、その前に、コブラが立っていた。


 いつものエプロン姿。

 片手には、お玉。

 もう片方の手は、腰に当てている。


「おじさん、逃げて!」


 ミユが叫ぶ。


 コブラは振り返らずに答えた。


「こいつらは客じゃねえ」

「そういう問題じゃない!」


 リザードトルーパーが、ぎぎ、と首を傾けた。

 それは生き物の仕草というより、カメラの角度を変えたような動きだった。


 コブラは、その姿をじっと見ていた。


 鍋を見る時とも、客を見る時とも違う目。

 ほんの一瞬、過去の何かを見たような、鋭い目。


「……量産型か」


 ミユは、思わず足を止めた。


「今、何て言った?」


 コブラは、ようやくこちらを見た。


「カレー屋の独り言だ」

「独り言で出てくる単語じゃないでしょ!」


 リザードトルーパーが動いた。


 低く地面を蹴り、一直線にコブラへ向かう。

 腕の刃が、夕方の光を鈍く反射した。


 考えるより先に、ミユの身体が動いていた。


「メグちゃん、下がって!」


 商店街の柱の影へ飛び込む。

 μブレスレットを掲げる。


「サイエンスパワー・メイクアップ!」


 白とピンクの光が、細い路地裏を一瞬だけ照らした。


 次の瞬間、科学少女プリティミューが、コブラとリザードトルーパーの間に飛び込んだ。


 ミュー・ハンマーが、金属の刃を受け止める。


 がきん、と硬い音が響いた。


「店先で刃物振り回すな! 営業妨害どころじゃないでしょ!」


 プリティミューは、力任せにハンマーを押し返した。

 リザードトルーパーの身体が後ろへ滑る。

 だが、倒れない。

 低い姿勢のまま、すぐに体勢を立て直す。


 その動きに、ミユは眉をひそめた。


「昨日のやつより、反応早くない?」


《バイト君、そいつは昨日の個体とは違う》

 アインの通信が入る。

《肩部刻印、LZ-14。データ更新個体だ》

「つまり?」

《昨日倒した個体の戦闘ログが反映されている》

「学習してるってこと!?」

《そうだ》

「早すぎない!?」


 リザードトルーパーが、再び突っ込んできた。


 今度は、プリティミューがハンマーを横から振るうタイミングに合わせて、低く伏せる。

 ハンマーの軌道をくぐり、足元へ刃を滑り込ませてきた。


「うわっ、嫌な避け方!」


 プリティミューは慌てて跳んだ。

 着地の瞬間、片足が滑る。

 コブラカレーの店先に置かれたメニュー看板へぶつかりそうになり、ぎりぎりで踏みとどまる。


「看板壊したら弁償?」

「壊すなよ」


 背後からコブラの声。


「今それ言う!?」

「店の備品は大事だ」


 リザードトルーパーの首が、また小さく揺れた。

 まるで、今の会話まで記録しているように。


 ミユはぞっとした。


 こいつには、癖がない。

 怒らない。

 笑わない。

 挑発してこない。

 名乗らない。


 ただ、見ている。

 覚えている。

 次へ送っている。


「ほんとに気持ち悪い……!」


 プリティミューは、ハンマーを握り直した。


「だったら、覚える暇もないくらい雑に叩く!」


《バイト君、それは作戦かい》

「勢い!」


《だろうね》


 アインの呆れた声を聞きながら、プリティミューは前へ出た。


 一撃目は、わざと大きく振る。

 リザードトルーパーは当然、低く避ける。

 そこへ、プリティミューはハンマーを途中で止め、膝で地面を蹴った。


 身体ごと横へ滑り込み、ハンマーの柄でリザードトルーパーの足を払う。


「よいしょ!」


 気の抜ける掛け声と裏腹に、リザードトルーパーの姿勢が崩れた。


 その瞬間、プリティミューはハンマーを反転させる。


「プリティ・インパクト!」


 ぴこっ、という電子音。


 直後、衝撃がリザードトルーパーの胸部を打ち抜いた。

 装甲がひび割れ、内部の赤い回路が火花を散らす。


 リザードトルーパーは、声も上げずに倒れた。


 その身体が、黒と緑の粒子になって崩れていく。


「……終わった?」


 プリティミューが息を吐きかけた、その時。


 路地の奥で、がしゃり、と金属音がした。


 もう一体。


 同じ姿のリザードトルーパーが、ゆっくりと現れた。


 肩の刻印は、


《LZ-15》


「うそでしょ」


 プリティミューの声が、少し裏返った。


 LZ-15は、さっき倒されたLZ-14の残骸を踏み越えるように前へ出た。

 そして、最初から低い姿勢を取った。


 さっき、プリティミューが足を払った動きを警戒している。


《学習している》

 アインが言った。

《倒された個体のデータが、近くの個体に即時反映されている》

「いや、だから早すぎるって!」


 ミユは、背中に冷たい汗を感じた。


 一体倒しても、終わらない。

 むしろ、倒した分だけ次が賢くなる。


 名前のない敵が、番号を増やしていく。


 コブラが、低く呟いた。


「これは、やっちゃいけねえやつだ」


 その声は、いつもの飄々としたカレー屋のものではなかった。


 ミユは、ハンマーを構えたまま、ほんの少しだけ振り返る。


「おじさん」


「前見てろ」


「あとで聞くからね!」


「生きてたらな」


「縁起でもないこと言うな!」


 LZ-15が跳んだ。


 プリティミューは、今度は下からではなく、真正面から受け止めた。

 腕に衝撃が走る。

 重い。

 昨日の個体より、確実に力のかけ方がうまくなっている。


「ほんと、量産型のくせに成長しないで!」


 プリティミューは歯を食いしばり、ハンマーの出力を上げた。


 ぴこぴこぴこ、と電子音が鳴る。


《出力上昇。周囲の民間人、退避完了》

 ワトソンの声が入る。

《メグさんが誘導しました》


 見れば、メグが店の脇で、逃げ遅れた客たちを路地の外へ誘導していた。

 震えている人に声をかけ、スマホで避難経路を示し、怪人事件ログの通知まで使って周囲へ警告している。


「メグちゃん、ほんと頼りになるけど危ないからね!」


「聞こえています! 褒め言葉だけ受け取ります!」


「都合よく切り抜かないで!」


 そのやりとりの隙を狙って、LZ-15が刃を振り上げる。


 プリティミューは、ハンマーを縦に立てて受けた。

 火花が散る。

 そのまま一歩踏み込む。


「同じ顔でも、同じに倒されると思うなよ!」


 ハンマーの先端を、装甲の隙間へ押し当てる。


「プリティ・インパクト、もう一回!」


 衝撃。


 LZ-15の身体が吹き飛び、コブラカレーの向かいのシャッターへ叩きつけられた。

 金属音が大きく響く。


 リザードトルーパーは、崩れかけながらも、最後まで声を出さなかった。


 ただ、肩の刻印部分だけが赤く点滅し、その光が空中へ送信されるように消えた。


 アインが短く言う。


《データ送信を確認》

「止められなかった?」

《一部はね》

「またそれか……!」


 プリティミューは、歯を食いしばった。


 倒した。

 でも、終わっていない。

 むしろ、今の戦いもどこかへ送られた。


 誰かが見ている。

 誰かが学習させている。

 誰かが、次の番号を用意している。


 戦闘が終わった商店街に、少しずつ人の声が戻ってくる。

 遠くでサイレンが聞こえた。

 メグが、息を切らしながら戻ってくる。


「先輩、けがは」

「たぶん平気。精神的にはちょっと削れた」

「記録しておきます」

「しなくていいってば」


 プリティミューは、変身を解くタイミングを見計らい、人目のない路地へ移動した。

 制服姿に戻ると、膝にどっと疲れが来る。


 コブラカレーの店先では、コブラが倒れた看板を直していた。

 まるで、怪人が二体も出た直後とは思えない落ち着きだった。


 ミユは、ふらふらと歩いていく。


「おじさん」


「何だ」


「あれ、知ってるんでしょ」


 コブラは、看板の角度を直したまま答えなかった。


 ミユは、もう一歩踏み込む。


「量産型って言った。工場とか、学習とか、そういうの、普通のカレー屋は言わない」


「言ったかねえ」


「言った!」


 メグも隣で頷く。


「私も聞きました」

「ほら、証人いるよ」

「眼鏡の嬢ちゃんは耳がいいな」


 コブラは、やっと看板から手を離した。

 それから、店の中へ戻りながら言う。


「嬢ちゃん。あれは、倒せば終わる怪人じゃねえ」


 ミユは息を呑んだ。


「どういう意味?」


「工場を止めなきゃ、何度でも出る」


「工場……」


 ミユの頭に、ずらりと並んだリザードトルーパーの姿が浮かんだ。

 番号を振られて、順番に起動していく怪人たち。

 倒されることも、データを送ることも、最初から役目に組み込まれているような敵。


 ミユは、胸の奥が重くなるのを感じた。


「おじさん、やっぱりジョーカーのこと――」


 コブラは、鍋の前に戻った。

 カレーをかき混ぜる音が、店内に静かに響く。


「カレー屋はな、仕込みの段階で味を見る商売なんだよ」


「今回、言い訳としても雑!」


「雑でも味が整えばいい」


「整ってないよ! 説明が!」


 ミユが食い下がろうとしたその時、メグのスマホが震えた。


 画面に、新しい投稿が表示される。


《また出た》

《南口地下通路》

《緑の怪人》

《さっき倒されたやつじゃないの?》


 添付された画像には、薄緑色の背中が写っていた。


 肩の刻印。


《LZ-16》


 ミユは、言葉を失った。


 さっき二体倒した。

 でも、もう次が出ている。


 コブラは、鍋をかき混ぜながら言った。


「だから言ったろ」


 その声は、ひどく静かだった。


「工場を止めなきゃ、何度でも出る」


 ミユは、スマホの画面を見つめたまま、拳を握った。


 敵なのに、名前がない。

 倒したのに、終わらない。

 番号だけが増えていく。


 街そのものが、少しずつ削られていく音がした。


「……アイン」


 ミユは、通信を開いた。


「工場、探すよ」


《ようやくその話になると思っていた》


「待ってたみたいに言うな!」


《実際、待っていた。リザードトルーパーの出現地点をつなぐと、ある区域へ誘導されている》

「どこ?」


 アインの声が、わずかに低くなった。


《ホウジュ区東端の旧物流センター跡地》

「また嫌な場所」

《現在は民間倉庫として登録されているが、電力使用量が異常だ》

「つまり」

《おそらく、そこに量産ラインがある》


 ミユは、深く息を吸った。


 怖い。

 面倒くさい。

 お腹も空いた。

 できれば今すぐカレーを食べたい。


 でも、放っておけば、LZ-17が出る。

 LZ-18が出る。

 番号だけの怪人が、街に増え続ける。


 ミユは、店のガラス越しに外を見た。

 夕方の商店街を、まだ怯えた顔の人たちが歩いている。


「量産品には、名前がない」


 ぽつりと、ミユは言った。


 メグが、静かにこちらを見る。


 ミユは続けた。


「だからって、いくらでも壊していいわけじゃないし、いくらでも出していいわけでもない」


 コブラが、何も言わずに鍋をかき混ぜる。


 ミユはスマホを握りしめた。


「工場ごと止める」


 その声に、もう迷いはなかった。

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