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第3節 ― ジョーカー帝都支部、偽装作戦開始

 ジョーカー帝都支部の作戦会議室には、今日も胃に悪い空気が満ちていた。


 壁一面に並んだモニター。

 黒い金属で作られた長机。

 天井を走る配線。

 低く唸る空調音。

 それらは、いかにも悪の組織の本部らしく重々しい。


 しかし、その中心に座るゲル大佐だけは、重々しさよりも疲労をまとっていた。


 彼の前には、厚い報告書が積まれている。


 表紙には、銀色の文字でこう記されていた。


《J-05 マンティスシザー作戦報告書》

《配信妨害・文脈裁断作戦》

《敗北後影響分析》

《プリティミュー関連世論推移資料》

《切り抜き動画拡散後の好感度変動》


 ゲル大佐は、その最後の表紙を見た時点で、こめかみを押さえた。


「なぜ、敵の好感度分析を私が読まねばならんのだ……」


 答える者はいない。


 いや、一人いた。


 戦闘員42号である。


 彼は、いつもの黒い戦闘員スーツ姿で、両腕いっぱいにさらに新しい資料を抱えていた。仮面の奥の表情は見えないが、立ち姿だけで「報告しづらいことがあります」と全身で主張している。


 ゲル大佐は、その姿を見た瞬間、机の引き出しから胃薬を取り出した。


「……42号」


「はい、大佐」


「お前が持っているその紙束は何だ」


「前回の配信分析です」


「まだやるのか」


「はい」


 42号は、妙にまっすぐな声で言った。


「プリティミューさんの好感度、一部で回復傾向です」


 ゲル大佐は、胃薬の瓶を握りしめたまま固まった。


「なぜ回復する!」


 会議室に怒号が響いた。


「切り抜きで追い詰めたのだぞ! 社会的信用を削る作戦だったのだぞ! なぜ、そこで好感度が回復する!」


「元動画を見た人が増えたようです」


「全文を読むな、人類!」


 ゲル大佐は、机を叩いた。


 だが、机の上の報告書が崩れかけたので、慌てて押さえた。

 悪の幹部としての威厳と、書類整理能力が同時に試されている。


 42号は、気まずそうに続けた。


「特に、《怖がりながらも逃げなかった》というコメントが一定数拡散されまして」


「誰だ、そのようなポエムを書いたのは」


「怪人事件ログの管理者です」


「またあの眼鏡の小娘か!」


 ゲル大佐は、胃薬を二錠出してから、少し迷い、もう一錠追加した。


「大佐、用量は守った方が」


「私の胃が守られていないのに、用量だけ守れるか!」


「申し訳ありません」


 42号は、ぺこりと頭を下げた。


 ゲル大佐は胃薬を水で流し込み、深く息を吐いた。


 悪の組織の作戦会議室で、幹部が胃薬を飲む。

 その光景は、あまりにも現場感があった。


 彼は椅子に深く座り直し、モニターに目を向ける。


 そこには、マンティスシザー作戦の最後の映像が停止していた。


 切り抜かれた映像片。

 白とピンクの光。

 ミュー・ハンマーから広がる同期波。

 壊れる編集コア。

 そして、画面越しに言葉を届けようとするプリティミュー。


 ゲル大佐は、険しい顔でそれを見つめる。


 何度見ても、勝ち筋はあった。


 マンティスシザーの作戦は悪くなかった。

 むしろ、現代的で効果的だった。直接殴るより、言葉を切り取り、社会的信用を削る。プリティミューの弱さを突くには、かなり有効な手だった。


 それでも負けた。


 しかも、プリティミューは沈黙しなかった。


 ゲル大佐は、報告書の一節を指で叩いた。


《対象は、反論よりも文脈再接続を優先》

《支援者・高梨メグの記録行動により、元データ復元》

《アイン科学研究所側の音声・映像同期技術により、切断効果減衰》

《結論:対象周辺の支援者を軽視すべきではない》


「……まったく、厄介な小娘どもだ」


 それは苛立ちだった。


 しかし、同時に、現場指揮官としての評価でもあった。


 ゲル大佐は、プリティミューを侮る気はもうなかった。

 第一作戦の蜘蛛男以来、彼女は毎回不格好に、泥臭く、それでも突破してくる。


 偶然ではない。


 未熟ではある。

 だが、伸びる。


 そして、周囲を巻き込みながら、なぜか戦力を増やしていく。


 敵としては、非常に困る種類の成長だった。


「42号」


「はい」


「今回の作戦準備は」


 42号は、抱えていた資料を机の上に置き、姿勢を正した。


「偽装配置、校内通信妨害、教師データ改竄、避難誘導プラン、すべて予定通り進行中です」


「戦闘員の配置は」


「校舎外周に第一班。非常階段と裏口に第二班。体育館周辺に第三班。校内には偽装皮膜を装着した潜入班が入っています」


「本物の教師と生徒は」


「被害を抑えるため、段階的に体育館へ誘導する予定です。ただし、カメ・レオンの判断で一部を偽装フィールド内に残す可能性があります」


 ゲル大佐の眉が動いた。


「それは聞いていない」


「はい。自分も、今朝の追加指示で聞きました」


「カメ・レオンめ……」


 ゲル大佐は、低く唸った。


 その時、会議室正面の大モニターが暗転した。


 黒い画面に、一本の線が走る。

 やがて、そこに映像が浮かび上がった。


 白い教室。


 教卓。


 そこに立つ獅堂レオン。


 いや、カメ・レオン。


 彼は、教師らしい穏やかな笑顔でこちらへ向かって一礼した。


《ごきげんよう、ゲル大佐。学校という場所は、実に興味深いですね》


「勝手に教育現場を楽しむな」


《誰もが名前を呼ばれ、席を与えられ、日々同じ顔として扱われる。本人確認の儀式としては、なかなか洗練されています》


「貴様の観察趣味を聞いているのではない。作戦進行状況を報告しろ」


《順調です》


 カメ・レオンが指を鳴らす。


 モニターの映像が切り替わった。


 そこには、廊下の監視映像が映っている。

 生徒たちが不安げに動き、教師が避難指示を出している。


 次の画面では、同じ教師が二人映っていた。


 一人は本物。

 もう一人は、偽装皮膜をまとったダミー。


 さらに画面が切り替わる。


 今度は、高梨メグのアカウントログ。

 通学路にいるメグと、情報端末室にログインしたメグの記録が、同時刻に並んでいる。


 42号が、思わず声を上げた。


「同じ人が二人います」


「そういう作戦だ」


「わかっていても怖いですね」


「現場で怖がるな」


 さらに、モニターに実験映像が映し出された。


 白い背景の検査室。


 中央に立つカメ・レオンの身体が、ざわりと揺らぐ。

 皮膚の表面を、虹色の微細な粒子が走る。


 輪郭が変わる。


 まず、教師。


 獅堂レオン。


 次に、宝珠南高校の女子生徒。

 髪型、身長、制服の着崩し方まで再現されている。


 次に、朝倉かなえ。


 柔らかい目元。

 少し疲れた笑い方。

 エプロン姿。

 手首の動かし方。


 ゲル大佐の表情が、少しだけ険しくなる。


 次の瞬間、映像の中のカメ・レオンは、戦闘員42号の姿になった。


《大佐、報告があります!》


「自分です!」


 42号が思わず叫ぶ。


「見ればわかる」


《プリティミューさん、今日も元気でした!》


「自分はそんな報告しません!」


「似ているぞ」


「似てますか!?」


 次に、カメ・レオンはゲル大佐の姿へ変わった。


 軍服。

 鋭い目つき。

 整った姿勢。

 そして、なぜか胃を押さえている。


《なぜ毎回、反省会資料の方が作戦書より厚いのだ……》


「大佐が二人います!」


「私の姿で勝手に胃を押さえるな!」


 ゲル大佐の怒声に、モニターの中の偽ゲル大佐は、にやりと笑った。


 その笑い方は、ゲル大佐本人より少しだけ粘ついていた。


 だからこそ、偽物だとわかる。


 ゲル大佐は、その違いを見逃さなかった。


「……精度は高い。だが、完全ではないな」


《ええ。完全ではありません》


 カメ・レオンは、自分自身の姿へ戻った。


《顔、声、歩き方、癖、通信記録、端末履歴。そこまでは複写できます。ですが、どうしても残るものがある》


「関係性か」


《その通り》


 カメ・レオンは、嬉しそうに笑った。


《本人に近い者ほど、小さな違和感に気づく。味噌汁の濃さ、笑う間、名前を呼ぶ時の温度。そういう、数値化しづらいものです》


「だから朝倉かなえに接触したのか」


《母親は、もっとも美しい鏡です》


 ゲル大佐の目が細くなる。


「カメ・レオン」


 声が低くなった。


「一般人への過剰被害は避けろ。特に朝倉かなえには手を出しすぎるな」


《ええ、もちろん》


 カメ・レオンは、胸に手を当てて一礼した。


《私は誰も殺しません。少しだけ、本人を本人でなくして差し上げるだけです》


「その言い方が一番信用ならん」


《人は、顔と声が同じなら信じます。少し違っても、信じたい相手ならなおさらです》


「貴様の哲学は聞いていない」


《では、作戦上の話をしましょう》


 カメ・レオンの背後に、宝珠南高校の立体マップが表示される。


 校舎。

 体育館。

 昇降口。

 非常階段。

 第一会議室。

 情報端末室。

 放送室。


 それぞれに、赤い点と青い点が浮かんでいた。


《赤が偽装配置。青が本物。現在、本物と偽物の認識差は、平均二・三秒です》


「二・三秒?」


《人が違和感を言葉にする前に、次の偽情報を入れれば、その違和感は流れます》


 42号が、小さく「うわ」と呟いた。


 ゲル大佐は、聞こえていたが咎めなかった。


 彼自身も、同じ感想を抱いていたからだ。


《朝倉ミユは、すでに私を怪人と認識しました。ですが、変身できませんでした》


「なぜだ」


《周囲に生徒の声を配置したためです。本物か偽物かわからない声。あれはよく効きますね》


「……」


《正体秘匿。友人保護。母親への不安。自分自身への不信。彼女はすでに四方向から引かれています》


 カメ・レオンは、楽しそうに指を鳴らした。


 画面に、先ほどの第一会議室の映像が映る。


 白い消火器の粉に包まれながら、ミユが窓から脱出する瞬間。


 その手を引く、高梨メグ。


《ただ、やはり眼鏡の子は厄介ですね》


「高梨メグか」


《記録する者は、偽装にとって天敵です。もっとも、彼女にも弱点はある》


「何だ」


《自分は支える側だと思っている。だから、自分の偽物に“隣へ立つ側”を演じさせると揺れるかもしれません》


 ゲル大佐は、しばらく黙った。


 その考え方は、戦術としては理解できる。


 だが、妙に不快だった。


 相手の戦力を分析する。

 弱点を突く。

 正体を暴く。

 それは悪の組織として当然のことだ。


 しかし、カメ・レオンのやり方は、そこから一歩、内側へ踏み込みすぎている。


 顔や声だけでなく、その人間が自分をどう思っているかまで利用する。


 ゲル大佐は、悪である。

 それを否定する気はない。


 だが、作戦には作戦目的がある。

 部下には部下の役割がある。

 一般人を巻き込むにしても、必要以上に壊すべきではない。


 そこを踏み外す者は、現場を混乱させる。


 ゲル大佐は、低く言った。


「カメ・レオン。作戦目標を忘れるな」


《もちろんです》


「今回の目的は、プリティミューの正体暴露ではない」


 42号が、資料をめくりながら補足する。


「正体に近づき、生活圏を揺さぶり、判断力を低下させること。さらに、偽装状況下での行動選択を観測すること、です」


「その通りだ」


 ゲル大佐は頷いた。


「学校を破壊するな。生徒に重傷を出すな。朝倉かなえを過度に利用するな。プリティミューを追い詰めるのは構わんが、作戦目標を越えるな」


《大佐はお優しい》


「現場管理だ」


《では、そういうことに》


 カメ・レオンは、また一礼した。


 その態度が丁寧であればあるほど、ゲル大佐の胃は重くなる。


 その時、会議室の照明がふっと落ちた。


 モニターが一斉に暗転する。


 42号が反射的に姿勢を正した。


「通信、来ます」


 黒い画面の中央に、仮面のアイコンが浮かび上がった。


 首領X。


 その名を口にする者はいない。

 ただ、空気が変わる。


 ゲル大佐は立ち上がり、右手を胸に当てた。


「はっ、首領X」


 42号も慌てて敬礼する。


 モニターの奥から、加工された声が響いた。


《ゲル大佐》


「はっ」


《マンティスシザーの結果は確認した》


「……はい」


 ゲル大佐の胃が、また重くなった。


 敗北報告のたびに、この声を聞くのは心臓に悪い。


 しかし、首領Xの声に怒りはなかった。


 いつも通り、冷たい。


 感情の温度がない。


《プリティミューは、言葉を切られても沈黙しなかった》


「はい」


《彼女は、誤解を解くことではなく、届ける相手を選んだ》


「……そのように分析されます」


《次は、本人を揺らせ》


 ゲル大佐は、わずかに顔を上げた。


「本人、ですか」


《隣にいる者が本物とは限らない。その時、彼女は何を根拠に信じるか》


 首領Xの声が、会議室の奥まで染み込むように響く。


《顔か。声か。記録か。記憶か。関係か》


 モニターに、プリティミューの戦闘映像が順に映った。


 蜘蛛男戦。

 蝙蝠伯爵戦。

 レイディスコーピオン戦。

 サラセニア・ルージュ戦。

 マンティスシザー戦。


 どれも、敗北した怪人の映像だ。


 だが、首領Xはそれを失敗として扱っていない。


 観測記録として見ている。


 ゲル大佐は、そのことにずっと違和感を覚えていた。


 今回も同じだった。


《正体を守るために疑うのか》


 首領Xは言った。


《守りたい者を信じるために踏み込むのか。観測せよ》


「……はっ」


 ゲル大佐は、短く答えた。


 しかし、その胸中には、苦いものがあった。


 まただ。


 倒せ、ではない。


 殺せ、でもない。


 捕獲せよ、でもない。


 観測せよ。


 首領Xは、プリティミューを敵として見ているのか。

 実験対象として見ているのか。

 あるいは、もっと別の何かとして見ているのか。


 ゲル大佐には、そこが見えない。


 そして、見えない命令ほど、現場指揮官にとって扱いづらいものはなかった。


 モニターの片隅に、カメ・レオンが映っている。


 彼は首領Xの言葉を聞きながら、楽しそうに微笑んでいた。


《ご安心ください、首領X。私は彼女に、もっとも身近な不安をお届けします》


《過度な破壊は不要だ》


 首領Xが言った。


《必要なのは、選択の瞬間だ》


《心得ております》


 カメ・レオンは深く頭を下げた。


《人は、自分の顔をした他人に出会った時、何を本物と呼ぶのか。たいへん興味深い》


 首領Xの仮面アイコンが、わずかに明滅する。


《進めろ》


 それだけ言って、通信は切れた。


 会議室の照明が戻る。


 モニターの一つが、再び宝珠南高校の校内映像を映し出した。


 ゲル大佐は、しばらく黙っていた。


 42号も、何も言わなかった。


 悪の組織の会議室に、機械音だけが響く。


 やがて、42号が小声で言った。


「大佐」


「何だ」


「今回は、作戦が本気っぽいですね」


「毎回本気だ!」


 ゲル大佐は反射的に怒鳴った。


 だが、42号は珍しく引かなかった。


「でも今回は、なんというか、嫌な本気です」


 ゲル大佐は、42号を見た。


 戦闘員42号は、優秀とは言いがたい。

 よく慌てる。

 報告資料の厚みを間違える。

 撤退時だけ妙に動きが速い。

 だが、現場の空気を読む感覚だけは、不思議と鋭い時がある。


 ゲル大佐は、ため息をついた。


「……それは私も思っている」


「大佐もですか」


「カメ・レオンの作戦は有効だ。だが、有効すぎる手段は、しばしば制御を外れる」


「制御を外れたらどうしますか」


「そのために私がいる」


 ゲル大佐は、モニターへ向き直った。


「現場指揮官とは、勝つために命令する者ではない。負けても組織が崩れないように、線を引く者だ」


「大佐……」


「メモを取るな。今のは報告書に書くな」


「はい」


 42号は、出しかけていたメモ帳を引っ込めた。


 ゲル大佐は気を取り直し、指示を飛ばす。


「第一班、校舎外周の封鎖を維持。第二班、非常階段側の失態を取り戻せ。第三班、体育館誘導を急げ。偽装班は、本物との接触時間を三分以内に抑えろ。長く話せば違和感が出る」


《了解》


《了解です》


《非常階段側、粉まみれですが任務続行します》


「粉を払ってから行け!」


 通信先の戦闘員が、慌てて「了解」と返す。


 42号が別のモニターを見た。


「大佐、朝倉ミユと高梨メグが校舎裏で合流。かなえ名義の偽メッセージに気づかれました」


「気づくか」


「高梨メグが送信元を追跡しています」


「やはり厄介だな」


「排除しますか?」


 42号が尋ねる。


 ゲル大佐は、すぐには答えなかった。


 モニターには、校舎裏に立つミユとメグの姿が映っている。


 ミユは青ざめている。

 だが、逃げてはいない。


 メグは震えているようにも見える。

 だが、端末を手放していない。


 ゲル大佐は、低く言った。


「排除ではない。分断だ」


「分断」


「プリティミューの周囲を壊すな。切り離せ。支援者がいるから彼女は立つ。ならば、一人にした時の反応を見る」


「首領Xの観測目的に沿いますね」


「そうだ」


 言いながら、ゲル大佐は自分の言葉にわずかに眉を寄せた。


 首領Xの目的に沿う。


 それは正しい。


 だが、正しすぎる。


 悪の組織の幹部として、命令に従うことに疑問はない。


 それでも、最近の作戦は、勝利というより、プリティミューという少女を一枚ずつめくっていくようだった。


 戦闘力。

 日常防衛反応。

 悪意への反応。

 欲望への反応。

 言葉を切られた時の反応。

 そして、本人を揺らされた時の反応。


 首領Xは、何を完成させようとしているのか。


 ゲル大佐の胃が、また重くなる。


 その時、カメ・レオンの通信が割り込んだ。


《大佐》


「何だ」


《次段階へ移行します》


「偽装配置の安定を確認してからだ」


《安定していますよ。むしろ、本人が揺れている今が最適です》


「勝手な判断をするな」


《ご心配なく。作戦目標は理解しています》


 モニターに、新しい映像が映った。


 校舎の廊下。


 そこに、一人の少女が立っていた。


 制服姿。

 肩までの髪。

 寝不足のない、すっきりした顔。

 背筋は伸び、表情は明るい。


 朝倉ミユ。


 いや、朝倉ミユの姿をした偽装体。


 偽ミユは、廊下のガラスに映る自分の姿を確認し、髪を軽く整えた。


 その仕草は、ミユ本人よりずっと落ち着いていた。


 笑顔も自然だった。


 ミユが照れ隠しで崩してしまうような場面でも、この偽ミユはきっと上手に笑えるだろう。

 母に心配をかけず、クラスメイトに不審がられず、教師に怒られず、メグにも優しく、誰に対しても無難にふるまえる。


 それは、ある意味で「理想の朝倉ミユ」だった。


 42号が、ぽつりと言った。


「……本物より、ちゃんとしてますね」


 ゲル大佐が睨む。


「敵への感想を正直に漏らすな」


「すみません」


 しかし、ゲル大佐も同じことを思わなかったわけではない。


 だからこそ、嫌だった。


 偽物とは、粗悪な模倣であるべきだ。

 見ればわかる紛い物であれば、まだ壊しやすい。


 だが、本物より整った偽物は危険だ。


 周囲がそれを望んでしまうからだ。


 カメ・レオンの声が、楽しげに響く。


《では、次は本人に会わせてあげましょう》


 偽ミユが、廊下の奥へ歩き出す。


《自分より上手に朝倉ミユを演じる、朝倉ミユに》


 ゲル大佐は、モニターの中の偽ミユを見つめた。


 そして、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。


「……やりすぎるなよ、カメ・レオン」


 偽ミユは、その言葉など届かない場所で、明るく笑った。


 まるで、本当に朝倉ミユであるかのように。

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