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第6節 ― ノーカットで届ける言葉

 スタジオの空気が、刃の形をしていた。


 壁一面のモニター。

 床に走る編集タイムラインのような光。

 天井から吊られた照明機材。

 空中を漂う、切り抜かれた映像片。


 それらすべてが、プリティミューを囲んでいる。


 画面の中には、何人もの自分がいた。


 怒っている自分。

 怖がっている自分。

 文句を言っている自分。

 泣きそうな顔で、それでもごまかそうとしている自分。


 どれも、嘘ではない。


 けれど、そのどれもが、自分の全部ではなかった。


 マンティスシザーは、銀色の鎌腕をゆっくり広げた。


 深緑と黒の装甲。細長い首。緑がかった複眼。背中の薄い翅状パネルには、切り抜き動画の断片が次々に投影されている。


 怪人体となった彼は、以前よりもずっと冷たく見えた。


 人間態の時にあった穏やかな笑みは、まだ残っている。

 だが、それは優しさではなく、相手の発言を待つ編集者の笑みだった。


「それでは、審理を始めましょう」


「だから勝手に始めるなって言ってるでしょ!」


 プリティミューはミュー・ハンマーを構えた。


 その瞬間、マンティスシザーの鎌腕が横に走る。


 空気が裂けた。


 プリティミューは反射的に身を引いた。銀色の斬撃が頬のすぐ横を通り過ぎ、背後のモニターを斜めに切る。切られた画面は割れず、代わりに映像だけがずれた。


 上半分には、プリティミューの顔。

 下半分には、別の戦闘時の足元。

 まったく違う場面が、ひとつの映像としてつなげられている。


「うわ、気持ち悪い編集!」


「お褒めいただき光栄です」


「褒めてない!」


 プリティミューは床を蹴った。


 狭いスタジオ内で、派手に動けば母に当たるかもしれない。メグも近くにいる。配信機材も、何が罠になっているかわからない。


 思いきりハンマーを振れない。


 それを、マンティスシザーはわかっている。


「動きが鈍いですね」


「ここ、物が多すぎるんだよ!」


「では、片づけて差し上げましょう」


 マンティスシザーの鎌腕が、天井の照明を切った。


 ライトが落ちる。


 プリティミューはハンマーの柄で受け止め、横へ弾いた。鉄の塊が床に落ち、火花を散らす。


 かなえが息を呑む気配がした。


 プリティミューは振り返りそうになって、必死にこらえる。


 今、母の顔を見たら動きが止まる。


 動きが止まれば、次は本当に誰かが切られる。


「ミユ……?」


 かなえの声が、モニターのざわめきの向こうから聞こえた。


 胸が痛んだ。


 けれど、プリティミューはその名前に反応できない。


 反応すれば、つながる。


 ミユとプリティミューが。


 マンティスシザーの複眼が、面白そうに光った。


「おや。大切な方のお声ですか」


「関係ない!」


 言った瞬間、彼の鎌腕が空中を切った。


 プリティミューの声が、薄い映像片となって空中に浮かぶ。


《関係ない!》


 すぐにモニターのひとつへ貼りつけられる。


 字幕がついた。


《市民の声を拒絶》


 配信コメントが一斉に流れ始めた。


《言い方きつ》

《関係ないって言った?》

《助ける気あるの?》

《やっぱ性格悪そう》

《これ本物の配信?》

《正義の味方とは》


 プリティミューの喉が詰まった。


「違う! そういう意味じゃ――」


 また鎌腕が走る。


《違う!》


 その言葉だけが切り取られ、別のモニターに拡大表示される。


《疑惑を否定》


《言い訳開始》

《違う違うって言えば済むと思ってる》

《説明まだ?》

《切り抜きじゃなくて本人言ってるじゃん》


 プリティミューは、ハンマーを握る手に力を込めた。


 言えば言うほど、悪くなる。


 わかっていた。


 頭ではわかっていた。


 でも、目の前で自分の言葉が別の意味にされていくと、反射的に否定したくなる。


 違う。

 そうじゃない。

 聞いて。

 前後を見て。


 その全部が、また素材にされる。


 マンティスシザーはゆっくり歩いた。


「説明すればするほど、素材が増えます」


「最悪!」


「その反応もいただきます」


 ちょきん。


《最悪!》


 今度は、それだけが大きく切り出される。


 字幕。


《配信を見た市民へ暴言》


「市民じゃなくて、あんたに言ったの!」


 また、切られる。


《あんたに言ったの!》


 字幕。


《怪人被害者へ威圧》


 プリティミューは思わず口を閉じた。


 息が荒い。


 心臓がうるさい。


 戦闘で削られているというより、言葉を奪われていく感覚が苦しかった。


 通信が入る。


《バイト君、言い返すな》


 アインの声だった。


《相手は発話を素材化している。君が感情的に反応するほど、向こうの編集材料が増える》


「じゃあ黙って殴ればいいの!?」


《それでは、切り抜き動画の印象は残る》


「どうしろっていうの!」


《それを考えているところだ》


「考えてから指示して!」


 アインの声の向こうで、機械音が激しく鳴っている。新研究所で解析を進めているのだろう。


 ワトソンの声が重なった。


《ミユさん、マンティスシザーの能力は、映像そのものの偽造ではありません》


「じゃあ何!?」


《文脈の切断です》


 プリティミューは、横から飛んできた映像刃をハンマーで弾いた。


 弾いた瞬間、映像片が砕け、無数の字幕が紙吹雪のように散る。


《時給制》

《逃げたい》

《普通の生活》

《怪人なんて》

《関係ない》


 その文字たちが、床に落ちる前にまた集まり、新しい悪意ある文章を作ろうとする。


 ワトソンは続けた。


《ならば、切られた文脈を再接続する必要があります》


「再接続って、どうやって!」


《メグさん》


 スタジオの端で、メグが顔を上げた。


 彼女は照明機材の陰に身を隠しながら、タブレットを操作していた。片耳にはイヤホン。眼鏡のレンズに、無数のログが映り込んでいる。


「はい。過去ログ、照合中です」


 メグの指が速く動く。


「蜘蛛男戦、一般投稿映像三件。蝙蝠伯爵戦、音声ログ二件。レイディスコーピオン戦、イベント会場監視映像の公開部分。サラセニア・ルージュ戦、私の記録映像とワトソンさんの戦闘ログ。全部、時間軸に並べます」


《こちらで音声同期を補助します》


 ワトソンが言う。


《ただし、配信側から妨害が来ています》


「わかっています。SCISSOR CLIPの編集コアが、元データの前後を切断しています。……先輩、スタジオ中央の銀色のサーバー、見えますか!」


 プリティミューは視線を走らせた。


 床の中心。


 編集タイムラインの光が集まる場所に、銀色の柱のような装置が立っている。配信サーバーというより、巨大な裁断機に見えた。内部で映像片が回転し、切られた言葉が吸い込まれている。


「あれ?」


「はい。あれが編集コアです。あそこに切り抜き素材が集まっています!」


 マンティスシザーが、ゆっくり振り返った。


「記録する子は厄介ですね」


 その声に、メグの肩がびくりと震えた。


 マンティスシザーの鎌腕が、メグへ向く。


「ですが、記録も切ればただの破片です」


「メグちゃん!」


 プリティミューは床を蹴った。


 鎌の斬撃が飛ぶ。


 メグは端末を抱えて身を伏せたが、間に合わない。斬撃は彼女自身ではなく、タブレットの画面を斜めに切り裂いた。


 物理的な傷ではない。


 画面に表示されていたデータが、ばらばらに分断された。


 タイムラインがずれる。

 音声波形が途切れる。

 同期していた映像が、前後に飛ぶ。


「データが……!」


 メグの顔が青ざめる。


 プリティミューはメグの前に滑り込み、次の斬撃をハンマーで受け止めた。


 金属音が鳴る。


 腕がしびれる。


「メグちゃんに手を出すな!」


 その言葉も、空中に切り出されようとする。


 だが、今度は違った。


 切り抜かれかけた音声が、空中で青白く光る。


《音声連続性、保護します》


 ワトソンの声。


 プリティミューの言葉が、前後ごと保護膜に包まれる。モニターに表示されかけた字幕が、途中で弾かれた。


 マンティスシザーの複眼が細く光る。


「なるほど。猫型の解析機ですか」


《猫型ではありません。高性能支援AIです》


「自称ですね」


《記録します》


「言い返してる場合!?」


 プリティミューは思わず叫んだ。


 その声は切られなかった。ワトソンの保護が間に合ったのだ。


 アインの声が通信に割り込む。


《バイト君、準備ができた》


「早く言って!」


《ミュー・ハンマーの音波出力を、映像同期信号に変換する》


「また変なこと言ってる!」


《簡単に言えば、切られた動画を無理やりつなぎ直す》


「最初からそう言って!」


《技名はミュー・ノーカットブレイク》


「今回はかなりわかりやすい!」


《珍しく高評価だね》


「今そこ喜ばない!」


 プリティミューのミュー・ハンマーが、いつもと違う光を帯びた。


 ピンクの光の中に、細い白いラインが走る。まるでフィルムのコマとコマをつなぐ目印のような光だった。ハンマーの先端から、かすかに電子音が鳴る。


 ピコ、ピコ、ピコ。


 いつもの間抜けな音に、今回は規則正しい同期信号のような響きが混ざっている。


 マンティスシザーは、わずかに姿勢を低くした。


「つなぐつもりですか」


「切られっぱなしは趣味じゃないから!」


「全文など、誰も見ませんよ」


「かもね!」


 プリティミューは走った。


 編集コアへ向かって。


 床の光が、行く手を遮るように赤く変わる。空中の映像片が刃となって降り注ぐ。


 彼女はハンマーを振るった。


 一枚目を弾く。


 そこには《時給制》の文字。


 二枚目を砕く。


 《やりたくてやってるわけじゃない》


 三枚目が肩をかすめる。


 《普通の生活が欲しい》


 装甲に火花が散る。


 その言葉たちは、全部自分から出たものだった。


 だから、痛い。


 嘘ではないから、避けられない。


 でも、止まらなかった。


「やりたくてやってるわけじゃないって、言ったよ!」


 プリティミューは叫んだ。


 マンティスシザーの鎌腕が動きかける。


 だが、ワトソンの保護信号が走り、メグの端末から元映像が呼び出される。


 モニターのひとつに、初変身直後の映像が映る。


 蜘蛛男に追い詰められ、半泣きでミュー・ハンマーを握るプリティミュー。


 彼女は文句を言いながら、それでも逃げる人たちの前に立っていた。


 切り抜かれた《やりたくてやってるわけじゃない》の前後が、映像と音声でつながる。


 ミユの叫びが、別の意味を取り戻していく。


「時給制とも言った!」


 別のモニターが光る。


 アインに文句を言いながらも、倒れた人を確認し、怪人の前に戻るプリティミュー。


「普通の生活が欲しいとも言った!」


 サラセニア・ルージュ戦の地下温室。


 甘い幻の中で、普通の制服姿の自分に手を伸ばしかけた少女が映る。けれど、次の瞬間、彼女はメグの方へ走り出す。


「でも、そのあと、置いていかなかった!」


 プリティミューは、映像刃を叩き割りながら前へ進んだ。


 配信コメントが揺らぎ始める。


《え、前後あるじゃん》

《これ切り抜きだったの?》

《でも本人の発言なのは変わらなくない?》

《いや、意味だいぶ違う》

《全部見るの長い》

《でも助けに行ってる》

《怖がってるだけじゃん》

《怖がってても行くのすごくない?》


 完全にひっくり返ったわけではない。


 まだ疑う声もある。

 冷笑する声もある。

 面白がる声もある。


 けれど、一枚岩ではなくなった。


 見たいものだけを見ていた流れに、小さな継ぎ目が生まれている。


 マンティスシザーは、初めて笑みを薄くした。


「無駄です。すべての誤解を解くことなどできない」


「知ってる!」


 プリティミューは息を切らしながら答えた。


 編集コアまで、あと少し。


 だが、その前にマンティスシザーが降り立った。


 長い鎌腕が、十字に構えられる。


「あなたが何を言っても、人は都合よく見る」


 彼の背中の翅状パネルに、無数のコメントが映る。


《信用できない》

《演出でしょ》

《元動画も編集では?》

《結局ヒーローごっこ》

《正体隠してる時点で怪しい》

《全部見ても無理》


「ならば、黙っていた方が傷つかずに済む」


 その言葉は、刃より深く入ってきた。


 プリティミューは足を止めた。


 黙っていた方が、傷つかずに済む。


 それは、少しだけ本当だった。


 言わなければ、切られない。

 見せなければ、歪められない。

 何も出さなければ、材料にはされない。


 秘密を抱えるミユは、ずっとそれを選んできた。


 母に言わない。

 クラスメイトに言わない。

 自分の怖さを、冗談でごまかす。

 本当に大事なことは、喉の奥にしまい込む。


 そうしないと、誰かを巻き込むから。

 そうしないと、日常が壊れるから。


 でも。


 かなえが、モニターの光の中で立っている。


 母は震えていた。

 怖いのだと思う。

 混乱しているのだと思う。

 何を信じていいかわからないのだと思う。


 それでも、逃げずに見ていた。


 メグも、端末を抱えて必死にデータをつないでいる。画面が切られても、指を止めていない。


 ワトソンが音声を守っている。

 アインがハンマーの出力を調整している。


 誰かがつなごうとしている。


 だったら、自分だけ黙っているわけにはいかない。


「そうかもね」


 プリティミューは言った。


 マンティスシザーの複眼が、かすかに動く。


「認めるのですか」


「うん。たぶん、全部の誤解は解けない」


 プリティミューはハンマーを構え直した。


 両手が震えている。


 でも、声は出た。


「全部の人に届かなくてもいい」


 彼女は、かなえを見た。


 かなえも、こちらを見ていた。


 正体を知ったかどうかは、わからない。

 でも、今のプリティミューの声を、聞こうとしてくれている。


「今、届けたい人に届けばいい」


 マンティスシザーが鎌腕を振り上げた。


「では、切りましょう」


 銀の刃が走る。


 プリティミューは、逃げなかった。


「怖いし、逃げたいし、普通の生活も欲しい!」


 声がスタジオに響く。


 マンティスシザーの刃が、その言葉を切ろうとする。


 だが、メグが叫んだ。


「今です、ワトソンさん!」


《音声連続性、最大保護》


 青白いラインが、プリティミューの声を包み込む。


 メグの端末から、復元された映像が一斉に流れ込む。


 蜘蛛男戦。

 初めての変身に戸惑いながら、それでも逃げ遅れた人をかばうプリティミュー。


 蝙蝠伯爵戦。

 正体がバレる恐怖に震えながら、メグを助けるために舞台袖へ飛び込むプリティミュー。


 レイディスコーピオン戦。

 悪意ある言葉に傷つきながら、言い返すのではなく、止める言葉を選ぶプリティミュー。


 サラセニア・ルージュ戦。

 普通の生活への欲望を認めながら、それでも地下温室の根へ向かうプリティミュー。


 その映像が、切り抜きではなく、時間の流れとしてつながっていく。


 アインの声が響く。


《同期信号、最大化。バイト君、今だ》


 プリティミューはハンマーを振りかぶった。


「でも!」


 声が、映像と一緒に走る。


「目の前で誰かが困ってたら!」


 ハンマーの光が強くなる。


「私はたぶん、放っておけない!」


 ミュー・ハンマーが床を叩いた。


「ミュー・ノーカットブレイク!」


 ピコッ。


 いつもの間抜けな電子音が鳴った。


 その直後、スタジオ全体を白とピンクの音波が駆け抜けた。


 音ではなく、つながりの波だった。


 切り取られた映像片が、震える。

 バラバラの字幕がほどける。

 途切れていた音声が、前後と結び直される。

 モニターに貼りついていた悪意あるタイトルが、ノイズを起こして剥がれ落ちる。


《時給制の正義》が、前後の会話を伴った映像に戻る。

《市民より正体隠しを優先》が、メグ救出の場面に戻る。

《普通の生活が欲しいと発言》が、「でも置いていくのは違う」という言葉につながる。


 映像刃が次々に砕けた。


 マンティスシザーの鎌腕に、ひびが入る。


「全文など、誰も見ないはずなのに……!」


 彼の声に、初めて苛立ちが混じった。


 プリティミューは走った。


「全部見なくても、わかる人はいる!」


 マンティスシザーが迎え撃つ。


 ひび割れた鎌腕が、最後の力で振り下ろされる。


 プリティミューは真正面から踏み込んだ。


 怖い。

 刃が近い。

 コメントはまだ流れている。

 誤解は全部消えていない。


 でも、母が見ている。

 メグがつないでくれている。

 ワトソンが守ってくれている。

 アインが支えている。


 自分の言葉は、ひとりでは弱い。


 だから、つないでもらった。


 つないでもらった言葉なら、届くかもしれない。


「プリティ――」


 プリティミューは跳んだ。


 編集コアの上へ。


 マンティスシザーが振り返る。


「やめなさい。それを壊せば、配信も記録も――」


「切り抜き用の記録でしょ!」


 ハンマーが光る。


「そんなの、いらない!」


 ミュー・ハンマーが、編集コアへ叩き込まれた。


「コンテクスト・インパクト!」


 衝撃が、銀色の柱を貫いた。


 内部に詰まっていた映像片が、一斉に弾ける。切られた言葉、悪意ある字幕、つぎはぎの音声、歪められた場面。それらが光の破片となって舞い上がり、白いノイズに包まれて消えていく。


 マンティスシザーの身体が大きく揺れた。


 背中の翅状パネルが割れる。

 鎌腕の銀色の刃が砕ける。

 深緑の装甲に亀裂が走る。


「人は……見たいものだけを、見る……」


 マンティスシザーは膝をついた。


「それでも……あなたは、届けると言うのですか」


 プリティミューは息を切らしながら、ハンマーを下ろした。


「うん」


 短く答える。


「届かないこともあるけど」


 スタジオのモニターが、一枚、また一枚と消えていく。


「届くことも、あるから」


 マンティスシザーは、しばらく彼女を見つめていた。


 そして、ほんの少しだけ笑った。


 それは、これまでのような編集者の笑みではなかった。


 何かを切り損ねた者の、薄い苦笑だった。


「実に……非効率な正義ですね」


「時給には見合わないよ」


「でしょうね」


 彼の身体が、銀色の粒子となって崩れ始める。


 床には、折れた鎌腕の刃片と、ひび割れた編集コアの破片が残った。


 モニターが最後に一度だけ明滅する。


《LIVE》の赤い文字が消える。


 配信は停止した。


 スタジオに、急に静けさが戻った。


 機械の駆動音も、コメントの流れる音も、切り抜き動画の声もない。


 あるのは、誰かの荒い呼吸と、壊れた照明が小さく揺れる音だけ。


 プリティミューはゆっくり振り返った。


 メグが、その場に座り込んでいた。端末を抱えたまま、力が抜けたように肩を落としている。


「メグちゃん!」


「大丈夫です……端末は、たぶん大丈夫じゃないですけど」


「そこはあとでアインに請求しよう」


《聞こえているよ》


「聞こえるように言った!」


 ワトソンの声が、静かに入る。


《配信停止を確認しました。ミラーサーバーへの拡散も、現在は沈静化しています》


 アインが続ける。


《完全消去はできない。だが、元データと照合情報を同時に流したことで、少なくとも一方的な印象操作は崩れた》


「……全部は消えないんだ」


《消えない》


 アインは、珍しく茶化さずに言った。


《だが、君の言葉も残った》


 プリティミューは、少しだけ黙った。


 そして、モニターの光が消えたスタジオの端を見た。


 かなえが立っている。


 母は、何も言わずにこちらを見ていた。


 その顔には、恐怖もある。混乱もある。けれど、さっきまでのような断絶はなかった。


 何かを、聞いた顔だった。


 何かを、見た顔だった。


 プリティミューは一歩、踏み出しかけた。


 だが、その瞬間、自分がまだ変身した姿であることを思い出す。


 足が止まる。


 かなえの唇が、かすかに動いた。


「あなたは……」


 プリティミューは、息を止めた。


 その先の言葉を聞くのが怖かった。


 だが、かなえはすぐには言わなかった。


 ただ、疲れたように目を伏せる。


 その沈黙が、今はありがたかった。


 プリティミューは、メグを支え起こしながら、小さく息を吐いた。


 切り抜き裁判は終わった。


 でも、切られたものがすべて元通りになったわけではない。


 言葉は残る。

 誤解も残る。

 秘密も残る。


 それでも、少なくとも今夜。


 届けたい人に、少しだけ届いた気がした。

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