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第2節 ― 切り抜き動画は、教室にも届く

 翌朝の宝珠南高校は、いつもより少しだけ騒がしかった。


 校門をくぐった瞬間、ミユはそれに気づいた。


 生徒たちの声の量は、普段と大きく変わらない。笑い声もあるし、眠そうな顔で歩く生徒もいる。自転車置き場では、いつものように誰かが鍵をなくして鞄をひっくり返している。


 けれど、空気が違った。


 視線が、スマホの画面に集まりすぎている。


 誰かが動画を見せる。

 隣の誰かが覗き込む。

 短い笑い声が起きる。

 そのあとで、少し低い声のひそひそ話になる。


 ミユは、鞄の持ち手をぎゅっと握った。


 昨日、ネオ・アキバタウンの街頭ビジョンに流れた映像。


 あれが一晩で消えてくれるほど、世の中はやさしくない。


 むしろ逆だ。


 一度拡散されたものは、朝には別の場所へ届いている。

 誰かのスマホへ。

 誰かの会話へ。

 誰かの悪気ない笑いへ。


 ミユは靴箱で上履きに履き替えながら、深く息を吐いた。


「……普通の月曜日って、どこに売ってるんだろ」


 もちろん、売っていない。


 売っていたら、いま全財産をはたいてでも買いたかった。


 教室に入ると、その話題はもう真ん中に置かれていた。


 窓際の席で、女子生徒たちがスマホを囲んでいる。男子も数人、斜め後ろから画面を覗き込んでいた。動画の音は小さいが、字幕が大きく出るタイプらしい。


《正義の味方、時給制発言》


 その文字が一瞬見えただけで、ミユの胃がきゅっと縮んだ。


「え、プリティミューってバイトなの?」


「じゃあ、正義の味方っていうより、金もらって暴れてる人?」


「でも怪人倒してるんでしょ?」


「それも編集じゃない? ほら、最近こういうの多いじゃん」


「いや、でも本人が言ってるし」


「怪人に言ってること、けっこうひどくない?」


「ツッコミは面白いけど、正義の味方としてはどうなのって感じ」


 誰かが笑った。


 悪意のある笑いではない。


 ただ、動画を見て、流れてきた印象をそのまま口にしただけ。


 それが、ミユにはいちばんきつかった。


 真正面から悪口を言われたなら、怒れる。

 明らかな嘘なら、否定できる。


 でも、これは違う。


 彼女たちが見ている映像に映っているのは、確かにプリティミューだった。

 流れている声も、確かに自分の声だった。


 時給制、と言った。

 怪人にツッコミを入れた。

 怖い、とも言った。

 普通の生活が欲しい、とも言った。


 嘘ではない。


 けれど、真実ではない。


 ミユは自分の席に座り、鞄を机の横にかけた。


 反論したかった。


 それ、前後が違う。

 その時は人を助けようとしてた。

 怖かったけど逃げなかった。

 時給制って言ったのは、変な研究者に巻き込まれてるからで、金目当てで怪人と戦ってるわけじゃない。


 喉の奥まで言葉が上がってくる。


 でも、言えない。


 朝倉ミユが、そこまでプリティミューの事情に詳しい理由は何か。

 なぜそんなに必死にかばうのか。

 なぜ動画の前後を知っているのか。


 そう聞かれたら、答えられない。


 だからミユは、教科書を机の中へ入れるふりをした。


 黙るしかなかった。


「ミユ、おはよ」


 隣の席のクラスメイトが声をかけてくる。


「おはよ」


「ねえ、これ見た? プリティミューのやつ」


 スマホの画面がこちらに向けられた。


 ミユは、顔の筋肉が固まるのを感じながら、無理やり笑った。


「あー……ちょっとだけ」


「本物なのかな」


「どうだろうね」


「ミユ、こういうの詳しそうじゃない?」


「なんで?」


「いや、なんか、ツッコミの系統が似てるから」


「似てない!」


 反射的に声が大きくなった。


 周囲の数人が振り返る。


 ミユは慌てて咳払いした。


「いや、似てないと思うなーって。うん。全然」


「そう?」


「そう」


「でも、プリティミューの『その作戦名長いしダサい!』ってやつ、ミユ言いそう」


「言わない」


 言った。


 実際に言った。


 ミユは机の下で拳を握った。


 冗談みたいに流れていく会話の中で、自分の正体に少しずつ線が引かれていく気がした。誰も本気で疑っているわけではない。けれど、軽いひと言が積み重なれば、いつか形になる。


 マンティスシザーの刃は、画面の中だけにあるわけではない。


 人の会話の中にも入り込んでくる。


 ミユは、窓の外へ視線を逃がした。


 校庭では、体育の授業の準備をする生徒たちが集まっている。冬の空気は冷たく、空はよく晴れていた。


 こんなに普通の朝なのに。


 自分の言葉だけが、どこかでばらばらにされている。


     *


 昼休み。


 ミユは購買で買ったパンを持って、校舎裏に近い中庭へ向かった。


 教室にいると、どうしても切り抜き動画の話が耳に入る。聞かないようにしても、単語だけが刺さってくる。


 時給制。

 暴言。

 編集。

 プリティミュー。

 本当なのかな。


 中庭の端には、古い花壇とベンチがある。冬なので花は少ないが、人も少ない。ミユがそこへ行くと、すでにメグがベンチに座っていた。


 膝の上にノート。

 左手にスマホ。

 右手にタッチペン。

 横には小型のモバイルバッテリーと、なぜかイヤホンが三種類。


 完全に作業態勢だった。


「メグちゃん」


 ミユが声をかけると、メグは顔を上げた。


「先輩。お昼は食べましたか」


「これから。メグちゃんは?」


「食べながら解析しています」


「それ、食べたうちに入る?」


 メグの膝の横には、開封済みの栄養補助バーが一本置かれている。半分だけ齧られていた。


「時間効率を優先しています」


「高校生の昼休みに出てくる言葉じゃないんだよなあ」


 ミユは隣に座った。


 パンの袋を開けようとして、手が少し止まる。


 メグのスマホ画面には、プリティミューの切り抜き動画が表示されていた。


 自分の姿。


 自分の声。


 それだけで、胸が重くなる。


「……見てたんだ」


「はい」


 メグは短く答えた。


 怒っているのか、冷静なのか、ぱっと見ではわからない。けれど、指先は速かった。動画のタイムラインを細かく移動し、音声波形のような画面を切り替えている。


「先輩、この動画、音声波形が不自然です」


「音声波形?」


「声の大きさや周囲の音をグラフにしたものです。ここを見てください」


 メグはスマホをミユに向けた。


 画面には、動画の音声が波のような線で表示されている。ミユには正直、細かい山と谷にしか見えない。


「ここで『税金じゃない』、その直後に『時給制』がつながっています。でも、この間の背景音が途切れています」


「背景音?」


「駅前イベント会場のざわめきです。普通は声の後ろに連続して入ります。でも、この部分は一瞬だけ無音が挟まっています。編集で詰められています」


「そこまでわかるの?」


「怪人事件ログを続けていたので、元映像と比較できます」


 メグはノートを開いた。


 そこには、びっしりと手書きのメモが並んでいる。


 日付。

 場所。

 怪人名。

 目撃投稿の時刻。

 動画の発信元。

 投稿者の位置推定。

 音声の特徴。

 プリティミューの発言。


 ミユは思わず黙った。


 メグは、ずっと記録していたのだ。


 ただ追いかけていたわけではない。

 ただ憧れていたわけでもない。

 怖い目に遭いながら、傷つきながら、それでも出来事を残していた。


「これ、全部メグちゃんが?」


「はい。間違っている部分もあると思いますが」


「いや……すごいよ」


 ミユの声は自然に出た。


 メグは少しだけ目を瞬いた。


「ありがとうございます」


 それから、すぐに真面目な顔に戻る。


「今回の切り抜き動画は、少なくとも過去四件の戦闘映像から作られています」


 メグは画面を切り替えた。


「まず蜘蛛男戦。プリティミューさんが、初変身直後に混乱して叫んでいた声が使われています」


 ミユの顔が少し熱くなる。


「あれは……初回だったから」


「はい。状況から見て、混乱して当然です。でも切り抜きでは、怪人に対して無責任に叫んでいるように見せています」


 次の映像。


 暗い廃劇場。

 蝙蝠伯爵。

 自分の声。


《見られたら、終わるじゃん……》


 ミユは唇を噛んだ。


 あの時、メグが連れ去られそうになっていた。

 変身すれば正体がバレるかもしれない。

 でも、変身しなければ助けられない。


 その恐怖の声だった。


 動画では、そこが切り取られ、「市民より正体を優先した」と字幕がつけられている。


「次はレイディスコーピオン戦。ツッコミ部分が多用されています」


「あれは相手が煽ってきたから……」


「わかっています。ただ、前後を切ると、プリティミューさんが一方的に怪人を侮辱しているように見えます」


 ミユはパンを膝の上に置いたまま、食べる気になれなかった。


 さらに、サラセニア・ルージュ戦。


《普通の生活、欲しいよ》


 あの言葉。


 ミユの胸の奥を、もう一度何かが掴んだ。


 それは、確かに本音だった。


 普通の生活が欲しい。

 怪人と戦わなくていい日常が欲しい。

 母に嘘をつかなくていい毎日が欲しい。


 でも、あの後で、自分は選んだ。


 メグを置いていくのは違う、と。


 そこがない。


 切られている。


「私」


 ミユは、低い声で言った。


「私、こんな意味で言ってない」


「わかっています」


 メグは即答した。


 その速さに、ミユは少しだけ救われた。


 でも、同時に苦しくもなった。


「でも、動画だけ見たら、そう見える」


「だから危険なんです」


 メグは画面を閉じ、ノートにペンを置いた。


「この動画は、完全な偽物ではありません。だから広がりやすいんです。全部が嘘なら、検証すれば崩せます。でも、本当の発言を使っているので、見た人は『本人が言っている』と思ってしまいます」


「……最悪」


「はい。かなり悪質です」


 メグの声は静かだった。


 けれど、その奥には怒りがあった。


 いつもの興奮した調査モードではない。

 もっと硬く、冷えた怒り。


「プリティミューさんをかばうために、こちらも都合のいい切り抜きを作ることはできます」


「え?」


「たとえば、助けた瞬間だけを集める。感動的な音楽をつける。悪い部分を映さない。そうすれば、印象を少しは戻せるかもしれません」


 メグは首を振った。


「でも、それでは同じです」


 ミユはメグを見た。


 メグはまっすぐ画面を見つめていた。


「私は、プリティミューさんを守りたいです。でも、嘘で守りたくはありません。都合のいい部分だけを見せるのではなく、全部の流れを戻したいんです」


 その言葉に、ミユは何も言えなくなった。


 全部の流れ。


 切られた部分を戻す。


 ミユ自身も、それを望んでいた。

 でも同時に、怖かった。


 全部を見せたらどうなるのか。


 プリティミューは完璧なヒーローではない。

 怖がるし、怒るし、文句を言うし、正義の味方という言葉にまだ慣れていない。


 それを見た人は、どう思うのだろう。


 がっかりするだろうか。

 笑うだろうか。

 もっと叩くだろうか。


 ミユは、ようやくパンの袋を開けた。


 でも、一口目を噛んでも味がよくわからなかった。


     *


 午後の授業は、いつもより長く感じた。


 黒板の文字が頭に入ってこない。


 先生の声も遠い。


 ミユはノートを開いているのに、書いている内容が途中から怪人の名前になっていた。


 マンティスシザー。


 SCISSOR CLIP。


 切り抜き。


 文脈。


 自分の言葉。


 途中で我に返り、慌てて消しゴムで消す。


 斜め前の席の生徒が、小さな声で話している。


「プリティミューの新しい動画、昼休みにまた上がってた」


「マジ?」


「今度は『怪人なんて迷惑』ってやつ」


「いや、怪人は迷惑でしょ」


「でもヒーローが言うと感じ悪くない?」


「ヒーローっていうか、あの子ほんとに何者なんだろうね」


 ミユはシャープペンシルを強く握りすぎて、芯を折った。


 ぱきん、と乾いた音がする。


 小さな音なのに、妙に大きく感じた。


 授業が終わるチャイムが鳴ると、教室は一気にざわめいた。


 ミユは机に伏せたくなるのをこらえて、荷物をまとめる。すると、廊下側のドアからメグが顔を出した。


 後輩なので、本来なら別の教室にいるはずだ。


 それでもメグは、真剣な顔で小さく手招きした。


 ミユは鞄を持ち、廊下へ出る。


「どうしたの?」


「先輩、少し時間ありますか」


「アインのところ?」


「それもあります。でも、その前に」


 メグはスマホを見せた。


 怪人事件ログの画面だった。


 ミユは一瞬、嫌な予感がした。


 その予感は、当たった。


 コメント欄が荒れていた。


《プリティミュー擁護アカウント》


《身内なんじゃないの?》


《元動画出せないなら嘘》


《正体知ってるなら晒せ》


《眼鏡の追っかけが印象操作してるだけ》


《プリティミューもこいつも信用できない》


 ミユの中で、何かがかっと熱くなった。


「何これ」


「コメントです」


「それは見ればわかる!」


 声が大きくなりそうになり、ミユは慌てて廊下の端へ移動した。


 下校中の生徒たちが周囲を通り過ぎていく。笑い声や部活の呼び込みが混ざる中で、スマホ画面の文字だけが異様に黒く見えた。


「メグちゃん、これ消せないの?」


「消せます。でも、消したら『都合の悪いコメントを消した』と言われます」


「じゃあ無視?」


「無視しても、広がれば同じです」


「じゃあ言い返す!」


 ミユは反射的に言った。


 メグはすぐに首を振る。


「今回は、言い返すだけだと相手の思う壺です」


「でも、こんなの放っておけないでしょ!」


「私も腹は立っています」


 メグの声は静かだった。


 静かすぎて、ミユは言葉を止めた。


 メグは画面を見つめながら続ける。


「でも、相手は怒らせたいんです。反応させたい。反応した言葉を、また切り取るつもりです」


 ミユは息を呑んだ。


 そうだ。


 マンティスシザーは言葉を切る。

 怒って言い返せば、その怒りすら素材になる。


 ミユのツッコミも。

 メグの反論も。

 全部、都合よく並べ替えられる。


「じゃあどうするの」


 ミユは声を絞り出した。


 メグはスマホを閉じ、ノートを胸に抱えた。


「元データを探します。切られた部分を戻します」


「元データって、そんなのあるの?」


「あります。完全ではありませんが」


 メグは指を折りながら説明を始めた。


「まず、一般の目撃者が投稿した未編集に近い動画があります。画質は悪いですが、音声の連続性は残っています。次に、私の怪人事件ログに保存していた短い記録映像。あと、アインさんとワトソンさんが戦闘データを持っているはずです」


「アイン、絶対持ってるね」


「はい。むしろ勝手に全部記録していると思います」


「そこは信頼できるのが腹立つ」


「それらを照合すれば、少なくとも切り抜かれた前後は戻せます」


「でも、見てもらえるかな」


 ミユは思わず言った。


 メグが顔を上げる。


「元の動画を出しても、長いとか、都合悪いとこ隠してるとか、また言われるんじゃない?」


 自分で言って、胸が重くなった。


 全部見せれば解決する。


 そんな簡単な話ではない。


 人は、見たいものを見る。

 信じたいものを信じる。

 面白い方へ流れる。


 昨日の街頭ビジョンの声が、耳に残っている。


《あなたが見ている正義は、誰かが見せたい正義かもしれません》


 あの声の狙いは、プリティミューだけではない。


 見る側の疑いも刺激している。


 一度疑い始めた人は、何を出しても「それも編集では」と言うかもしれない。


 メグは少し黙った。


 それから、ゆっくり言った。


「それでも、切られたままにはできません」


「メグちゃん……」


「全部の人に信じてもらうのは、たぶん無理です。でも、確認したい人が確認できる形にはできます」


 メグの声は、震えていなかった。


「記録は、誰かを無理やり信じさせるためのものではありません。後から見直せるように残すものです」


 その言葉に、ミユは胸を突かれた。


 メグは小柄で、眼鏡で、時々暴走する。

 プリティミューの追っかけみたいに見える時もある。


 でも、今のメグは違った。


 記録を守ろうとしている。


 切り取られたものを、もう一度つなごうとしている。


「……すごいね、メグちゃん」


「すごくはないです」


「いや、すごいよ。私だったら、たぶん怒って変なコメント返して、さらに燃えてる」


「先輩は、そういうところがあります」


「否定して」


「難しいです」


「そこは即答しないで!」


 ほんの少しだけ、いつもの空気が戻った。


 その時、メグのスマホが震えた。


 通知音は短かった。


 だが、メグの表情が一瞬で変わった。


 ミユはそれに気づく。


「どうしたの?」


 メグはスマホを見つめたまま、動かない。


 ミユは一歩近づいた。


 画面には、ダイレクトメッセージが表示されていた。


《全部見せれば、人は信じると思いますか?》


 ミユの背筋が冷えた。


 次のメッセージが、すぐに届く。


《人は、見たいところだけを見るのですよ》


 送信者名。


《SCISSOR CLIP》


 廊下のざわめきが、すっと遠くなった。


 ミユはスマホ画面を見つめた。


 昨日の街頭ビジョン。

 銀色のハサミ。

 黒いコートの男。

 チョキン、という音。


 今度は、メグに直接刃が向いた。


 メグは唇を引き結んだ。


 怖がっていないわけではない。


 スマホを持つ指先が、わずかに震えている。


 それでも、彼女は画面から目を逸らさなかった。


「先輩」


「うん」


「相手は、こちらを見ています」


「うん」


 ミユは小さくうなずいた。


 怒りが湧いてくる。


 だが、それをそのまま言葉にしたら、きっとまた切られる。


 だからミユは、一度だけ深く息を吸った。


「じゃあ、こっちも見る」


 メグがミユを見る。


 ミユは、廊下の窓の外へ視線を向けた。


 放課後の校庭には、部活へ向かう生徒たちの姿がある。

 普通の日常が、まだそこにある。


 それを切らせたくなかった。


「切られたところ、探そう。戻せるところから戻そう」


 メグは、ゆっくりうなずいた。


「はい」


 スマホの画面では、SCISSOR CLIPのアイコンが銀色に光っていた。


 まるで、次の一手を待っているかのように。

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