表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/56

第5節 ― 毒舌対決、プリティミュー炎上す

 視界が赤く揺れていた。


 駅前広場の人波。

 大型ビジョンの光。

 汗ばんだ顔。

 スマホを構える手。

 逃げようとしている人と、怖いもの見たさで立ち止まっている人。


 その全部が、熱に溶けてにじんで見える。


 ミユは左腕を押さえた。


 制服の袖は裂けている。

 その下の皮膚に、細い赤い傷があった。


 ただのかすり傷のはずだった。


 なのに、傷口から流れ込んだ熱は、腕だけでなく胸の奥まで広がっていく。心臓が速い。呼吸が浅い。頭の奥で、誰かの声が何度も跳ね返る。


 見られるのが怖いのね。


 レイディスコーピオンの声。


 その通りだった。


 怖い。


 ミユは怖かった。


 怪人が怖い。

 痛いのが怖い。

 正体がバレるのが怖い。

 それ以上に、見られて、好き勝手に言われるのが怖い。


「先輩!」


 メグの声がした。


 その声で、ミユはどうにか意識をつなぎ止めた。


 メグは人混みの中で、拡声器を握ったままこちらへ駆け寄ろうとしている。けれど、広場は混乱し始めていた。熱と毒で苛立った人々が、出口へ向かう流れと、怪人を見ようとする流れでぶつかっている。


「下がって!」


 ミユは叫んだ。


 声がかすれていた。


「でも――」


「いいから!」


 叫んだ瞬間、自分の声の鋭さにミユ自身が傷ついた。


 違う。

 メグを責めたいわけじゃない。


 なのに、言葉がうまく出ない。


 熱が頭にのぼる。

 焦りが声を尖らせる。

 心配が怒鳴り声になる。


 レイディスコーピオンが、ステージの上で美しく笑った。


「まあ。優しい子ほど、よく刺さる」


 ミユは唇を噛んだ。


《バイト君》


 μブレスレットから、アインの声が聞こえた。


《毒の拡散が速い。変身しろ。今の状態で長く動くのは危険だ》


「わかってる……!」


《人目を気にしている余裕はない》


「それも、わかってる!」


 わかっている。


 わかっているのに、足がすくむ。


 ここは駅前広場だ。


 隠れる場所なんてほとんどない。

 人も多い。

 カメラもある。

 スマホもある。


 けれど、このままではメグも、周囲の人たちも巻き込まれる。


 ミユは歯を食いしばった。


「メグちゃん!」


 ミユはメグに向かって叫んだ。


「人を駅ビル側に逃がして! 私は、ちょっと裏に回る!」


 メグは一瞬だけ目を見開いた。


 それから、何かを察したようにうなずく。


「はい!」


 聞かない。


 今は、聞かないでいてくれる。


 それがありがたくて、胸が痛かった。


 ミユは広場の端へ走った。


 足元がふらつく。


 毒の熱で膝が笑う。

 息を吸うたび、喉の奥が乾いて焼ける。


 それでも、走る。


 イベント会場の裏手には、スタッフ用の搬入口があった。赤いテントの裏。段ボール箱。飲料ケース。折りたたみ椅子。仮設電源のケーブル。


 人目を避けるには、そこしかない。


 ミユは搬入口の陰に飛び込んだ。


 背後では、レイディスコーピオンの声が広場に響いている。


「逃げてもよろしいのよ。隠れてもよろしいのよ。だって、怖いものは怖いですものね」


 その言葉に、周囲のざわめきが重なる。


「さっきの子、怪人に狙われてた?」

「逃げた?」

「撮れた?」

「誰か動画上げて」

「プリティミュー来ないの?」

「正義の味方なら早く助ければいいのに」


 言葉が、背中に刺さる。


 ミユは袖をまくった。


 μブレスレットが、熱の中で白く光っている。


 ミユは深く息を吸った。


 呼吸が震えていた。


「……やるしかないじゃん」


《変身シークエンス、起動可能です》


 ワトソンの声がした。


《ミユさん、毒の影響で心拍が上昇しています。無理は――》


「無理する仕事でしょ、これ」


《否定できません》


「じゃあ、行く」


 ミユは左手首を掲げた。


「サイエンスパワー・メイクアップ!」


 光が走った。


 白とピンクの粒子が、熱を裂くように広がる。

 制服が光に包まれ、科学少女の装甲へと組み替わっていく。胸元のエンブレムが点灯し、ブーツが仮設床を踏みしめる。


 ミュー・ハンマーが手の中に形成される。


 可愛らしい形。

 場違いなほど明るいピンク。


 でも、今のミユには、その重みが少しだけ頼もしかった。


 科学少女プリティミューは、搬入口の陰から広場へ飛び出した。


 その瞬間、シャッター音が鳴った。


 一つではない。


 いくつも。


「プリティミューだ!」


「出た!」


「今、裏から来なかった?」


「近い近い!」


「撮って撮って!」


 スマホが一斉に向けられる。


 ミユは一瞬、足を止めそうになった。


 見られている。


 顔は見えないはず。

 正体は隠れているはず。


 でも、視線は装甲を貫く。


 自分の動き、声、立ち方、迷い。

 その全部を見られている気がする。


 大型ビジョンの片隅に、SNSの投稿が流れ始めた。


《プリティミュー来た》

《近くで見るとちっさ》

《またピコハン》

《動き必死すぎ》

《本当にヒーロー?》

《税金でやってんの?》


 プリティミューは思わず叫んだ。


「税金じゃない! 時給制!」


 叫んだ直後、自分でもしまったと思った。


 周囲から笑いが起きる。


「時給制なんだ!」

「今の撮った?」

「切り抜き確定」

「バイトヒーローじゃん」

「かわいい」

「いや、かわいそう」


 大型ビジョンに、すぐ新しい投稿が流れる。


《税金じゃない時給制w》

《プリティミュー、労働者だった》

《時給いくら?》

《怪人退治でバイト代出るの草》


 ミユの頬が熱くなる。


 毒のせいか、恥ずかしさのせいか、わからない。


 レイディスコーピオンはステージの上で口元を押さえた。


「ほら、刺さっているでしょう? 人の言葉は、針より深く入るのですわ」


「うるさい!」


 プリティミューはミュー・ハンマーを構えた。


「人の言葉を勝手に武器にするな!」


「あら。言葉はもともと武器ですわ。私が少し、形を整えて差し上げているだけ」


 レイディスコーピオンの尾針が赤く光る。


 同時に、大型ビジョンに流れていた投稿が、赤い文字になって浮かび上がった。


 それらは画面から剥がれるように立体化し、細い針の形へ変わっていく。


《ちっさ》

《ダサい》

《本当にヒーロー?》

《目立ちたいだけ》

《正体誰?》

《ヤラセ?》


 文字の毒針が、プリティミューへ飛んだ。


「っ!」


 ミユはハンマーを振るって弾いた。


 ピコッという電子音が鳴り、いくつかの針が砕ける。


 だが、全部は弾けない。


 細い針が肩に、腕に、脚に当たる。装甲に傷はほとんどない。けれど、内側に響く。


 痛い。


 物理的な痛みではない。


 胸の奥がきゅっと縮むような、嫌な痛みだった。


《バイト君、挑発に乗るな。相手は言語刺激を毒に変換している》


 アインの声が飛ぶ。


「じゃあ黙って殴ればいいの!?」


《それも一案だけど、今回は周囲の市民がいる》


「最悪!」


《しかも、君が強い言葉を返すほど、毒性反応が増す》


「私の主武装、ハンマーじゃなくてツッコミなんだけど!?」


《だから相性が悪いと言った》


「もっと早く、もっと優しく言って!」


 レイディスコーピオンが笑う。


「まあ、賑やか。あなた、本当に刺しがいがありますわ」


 彼女はステージから跳んだ。


 赤いヒールが石畳を蹴る。

 信じられない速度で距離を詰めてくる。


 プリティミューは反射的にハンマーを振った。


 だが、身体が重い。


 毒で体温が上がりすぎている。

 視界の端が熱で揺れて、距離感がずれる。


 ハンマーは、レイディスコーピオンの肩をかすめただけだった。


「甘い」


 鋏状の腕部装甲が、プリティミューのハンマーを受け流す。


 尾が横から迫る。


 プリティミューは身をひねって避けた。

 尾針が地面をかすめ、石畳が赤く焼ける。


「危なっ!」


「戦場でかわいい悲鳴ですこと」


「かわいくない!」


「その格好で言う?」


 レイディスコーピオンが笑った瞬間、周囲の投稿がまた針になる。


《その格好で言う?》

《ピンクで怒ってるの草》

《かわいくないは無理ある》

《必死すぎ》


 針が飛ぶ。


 プリティミューはハンマーで叩き落とした。


「いちいちコメント拾うな!」


「あなたが反応してくださるから、拾いやすいのですわ」


「その作戦名、長いしダサい!」


「ヴェノム・ヒート・キャンペーンのことかしら?」


「そう、それ!」


「でも、あなたの技名も大概ではなくて?」


「それは私も思ってる!」


《バイト君、敵に同意するな》


「だって事実!」


 言えば言うほど、周囲の空気が熱くなる。


 人々のスマホが光る。

 投稿が増える。

 大型ビジョンが赤く点滅する。


 レイディスコーピオンの尾針が、さらに鋭く光る。


 ミユはようやく気づいた。


 これは、会話ではない。


 餌を与えている。


 自分の言葉が、相手の毒を強くしている。


 黙らなきゃ。


 そう思うのに、黙れない。


 怒りが喉まで上がってくる。

 恥ずかしさが、言い返したい気持ちに変わる。

 怖いから、強い言葉で押し返したくなる。


 プリティミューはハンマーを握りしめた。


 広場の端では、メグがまだ避難誘導を続けていた。


「駅ビル側へ移動してください! 診断アプリは閉じてください! 画面を見続けないでください!」


 メグの声は、少し枯れている。


 それでも、はっきり届いていた。


 同時に、彼女は予備端末を操作している。

 避難誘導をしながら、投稿の発生源を追っているのだ。


 ミユは一瞬だけそちらを見る。


 メグはステージ裏に設置された制御端末へ近づいていた。大型ビジョンや診断アプリ、会場内の温風装置を管理しているらしい仮設システムだ。


 彼女の目が画面を走る。


「……匿名コメントの一部が、大型ビジョンに直接同期してる」


 メグは小さく呟いた。


「表示じゃなくて、増幅装置……?」


 指先がキーボードに触れる。


 その瞬間、レイディスコーピオンの目がメグを捉えた。


「あら」


 声が、急に冷たくなった。


「あなた、また余計なことをしているのね」


 尾針がメグへ向く。


 ミユの心臓が跳ねた。


「メグちゃん!」


 レイディスコーピオンは微笑む。


「あなたも刺してあげる。親切な子ほど、折れると綺麗なの」


 赤い尾針が伸びた。


 速い。


 メグは反応できない。


 プリティミューは考えるより先に飛び出した。


 身体が熱で重い。

 視界が揺れる。

 それでも、足は動いた。


 メグと尾針の間に、プリティミューは滑り込む。


「させるか!」


 尾針が、プリティミューの胸部装甲に突き刺さった。


 装甲が火花を散らす。


 衝撃が身体の中心へ入る。


「ぐっ……!」


《ミユさん!》


 ワトソンの声が割れる。


《毒性反応、急上昇!》


 ミユはメグを背に庇ったまま、膝をついた。


 尾針そのものはすぐ引き抜かれた。

 だが、何かが残った。


 熱ではない。


 もっと冷たいもの。


 心の奥に、細い針を刺し込まれたような感覚。


 広場の音が遠ざかる。


 スマホのシャッター音。

 大型ビジョンの投稿。

 人々のざわめき。


 すべてが、ゆっくりと溶けていく。


 気がつくと、ミユは教室にいた。


     *


 宝珠南高校の教室。


 夕方の光。

 机。

 黒板。

 窓際のカーテン。


 でも、何かがおかしい。


 全員が、ミユを見ていた。


 クラスメイトたちが、スマホを持っている。

 画面にはプリティミューの動画。


 ミユは制服姿だった。


 変身していない。


 でも、みんなの目は知っている。


 知っていて、見ている。


「プリティミューって、目立ちたいだけでしょ?」


 誰かが言った。


 別の誰かが笑う。


「友達を助けたのも、自分に酔ってるんじゃない?」


「正義の味方って言われたいだけじゃん」


「本当は怖いくせに」


「怖いならやめればいいのに」


「でも、やめたら助けられないんでしょ?」


「かわいそう」


「かわいそうって言われるの、好きそう」


 言葉が、四方から飛んでくる。


 ひとつひとつは、刃物ほど大きくない。

 でも、細い。


 細くて、数が多い。


 ミユは耳をふさごうとした。


 手が動かない。


 机の間に立ったまま、身体が固まっている。


 教室の後ろに、メグが立っていた。


 メグもこちらを見ている。


 その顔は、いつものメグではない。


 悲しそうで、少しだけ遠い。


「先輩」


 メグが言う。


「私のこと、本当に友達だと思ってますか?」


 ミユの息が止まった。


「思ってる」


 すぐに答えたかった。


 でも、声が出ない。


 秘密にしている。

 嘘をついている。

 ごまかしている。


 それでも友達だと言えるのか。


 自分の中の迷いが、言葉を塞ぐ。


 メグの姿が、少しずつ遠ざかる。


「先輩は、いつも大事なことを隠します」


「違う……」


 ようやく声が出た。


 けれど、かすれていた。


「違うの。言えないだけで……」


「言えないことと、言わないことは違いますか?」


 その言葉は、メグの声で、メグではない誰かが言っていた。


 ミユは足元を見る。


 床に、赤いサソリの影が広がっている。


 教室の窓に、レイディスコーピオンの笑顔が映る。


「あなたの正義は、誰かに褒めてもらわなければ立てないのかしら」


「違う……」


「あなたの優しさは、自分が傷つきたくないだけではなくて?」


「違う!」


「本当に?」


 教室中の視線が、ミユに突き刺さる。


「本当にヒーロー?」

「本当に友達?」

「本当に助けたいの?」

「本当は、自分が嫌われたくないだけでしょ?」


 ミユは膝をついた。


 息ができない。


 胸が痛い。


 涙が出そうなのに、出ない。


 全部が熱い。

 でも、心の奥だけが冷えている。


 違うと言いたい。


 でも、少しだけ当たっている。


 嫌われたくない。

 怖がられたくない。

 普通のままでいたい。

 でも、助けたい。


 その全部が自分の中にある。


 どれが本物なのか、わからなくなる。


     *


 現実の駅前広場で、プリティミューは膝をついていた。


 ハンマーを支えにして、かろうじて倒れずにいる。


 メグが背後から声をかける。


「先輩! 聞こえますか、先輩!」


 その呼び声も、今のミユには遠い。


 レイディスコーピオンは、赤い尾針をゆっくり持ち上げた。


 大型ビジョンには、毒を帯びた投稿が流れ続けている。


《プリティミュー膝ついた》

《負けそう》

《やっぱ弱い?》

《さっきの子かばった?》

《友達アピール?》

《正義薄くない?》


 レイディスコーピオンは、プリティミューの前に歩み寄った。


 赤いヒールが、石畳を叩く。


 こつん。


 こつん。


 彼女は膝をついたプリティミューを見下ろし、甘く囁いた。


「あなたの正義、ずいぶん薄いのね」


 その言葉が、最後の毒針のように、ミユの胸の奥へ沈んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ