陽織、復帰?
9月に入り綾人が戻ってきた。
軽井沢のお土産は先日、レイリーの送迎に来た時に渡した。絵梨花はいま、実家に戻っているらしい。
祈梨は美咲と祈梨の母親が交互に行って、世話をしている。悠人たちのお土産は、美咲に頼んで持って行ってもらった。
「家族旅行かー、良いなー。」
と悠人に言われたが、これからどうなるかわからない。
陽織からの了解を得たので、家の改築も始めた。
元々3階はほとんどがバルコニーとガーデンテラスだったので、その分を小さくして2部屋増築する。
鷹人がいま物置にしている子供部屋のおもちゃは、そのうちの一つに入れて、いずれはその隣が鷹人の部屋にしよう、と考えている。
これで、2部屋確保できた。
「はじめからたっくんのおもちゃを処分すれば、もう一部屋確保できるじゃない。」
と陽織に言われだが、怪獣たちを処分するなんてありえない、と2人で抗議した。
「それなら、外に物置でも作れば?」
と言われて、趣味専用の部屋も良いかも、と、本気で考える。
陽織の趣味?のお茶や着物は、元は美咲の趣味なので、全て母屋にある。羨ましい。
母家に黎人の部屋もあるが、元々あった本に加えて、さらに本が増え、とてもではないが他のものを入れる余地はなくなった。
中間決算期で忙しくなり、毎日バタバタしているなか、陽織は相変わらず、毎日のんびり姫花と過ごし、黎人は毎日帰りが遅い。
ただ、リフォーム中、どうしても工事でうるさくなるため、昼間陽織と姫花は母家に避難していた。
陽織は、姫花の世話に昼食の準備、美咲が祈梨のところに行っている間の留守番をする。特に、祈梨のところへ行っている時は、夕飯の支度と掃除もした。
その間、鷹人の七五三の着物と一緒に、陽織の着物も届けてもらう、と言った対応も迫られ、陽織的には神経を違うこともあった。
それでも、特に変化のない日々の中、黎人とは毎日楽しく過ごしていた。
忙しい時も、そうでない時も、黎人は陽織のことを大切にする。
たぶん黎人さんが望んでいた毎日なのかなー。
そう思いながら。
その中で、陽織はレイリーから中間決算の監査を頼まれた。代表だから。
その日、陽織は姫花と一緒に笹神の車で、久しぶりに出かけた。
本当に半年以上ぶり!
レイリーでは、0歳児のためのクラスはないが、さすがプロの保育士ばかり、陽織が姫花を連れて行っても、ほとんど問題がなかった。
陽織が中間報告の書類を見ている間、保育士たちが、交替で姫花の相手をする。姫花のオムツも替えてくれる。むしろ、途中で姫花の授乳タイムは、珍しいモノ見たさで、幼稚園の先生も、見に来ていた。
お昼寝もさせてもらった。
陽織は一通り確認が終わると、監査のところに名前を書くが、良いのだろうか?なんの仕事もしてないが?
と、疑問に思った。
その後、まだ姫花が寝ているので、夢子と2人、今後の給食についての話もした。
半年ぶりの仕事らしい仕事。陽織は正直自分の知識が不足しているように思えて、不安になった。
その後、もう一度授乳して、落ち着いた頃、笹神に迎えに来てもらった。
鷹人が窓から手を振っているのが見えた。
帰宅して、夕飯の支度をすると、陽織は勉強をした。自分が今までに学んだこと。これから必要になるかもしれないこと。忘れないように。
そして、それは数日後。現実のものになった。
数日後、健康食品コシロから、陽織の内辞が出た。
4月に入社した一般社員と同じように。
正式な部署は「食品開発部 第二食品開発課」幼児食担当だ。昨年、神橋が言っていた新規事業だった。
ただし、部長1人、課長2人、一般社員は陽織を含めて4人という、小規模なモノだ。とはいえ、社長の肝入り、グループ会社の会長の肝入り、ということで、それなりに、優秀な人材のみが集められていた。
辞令が出たため、陽織は10月1日に出社してしなければならない。しかし、元々行きたかった部署だ。やりたかった仕事だ。さらに、この部署は希望があればリモートでの仕事が認められた。出社は週一または、月一も可能。
そのため、陽織はできれば早く、仕事を再開したいと黎人に相談した。黎人は、リモートで家にいながら、さらに育児時間を前後2時間ずつ取ることを条件に、11月、育児休職6ヶ月での復帰を認めてくれた。
はじめは渋っていた美咲も、家で仕事をするなら、と色々条件付きで認めてくれた。
10月1日。
陽織は、久しぶりにスーツを着て、会社に出社した。就活ぶりのスーツだ。
まだ育休中なので、辞令をもらったら帰る、と言う条件付き。それでも嬉しくて颯爽と着たものの、
「黎人さん、陽織、胸がきつい。」
と、一言。
あ!と、その理由に気づいたが、もう時間はなかった。
「仕方ない、そのまま前は開けていくしかないね。」
「えー?だらしないと思われるよー!」
もう、涙が出そうだ。
ブラウスは、元々胸はブカブカだったので、ちょうどいい。でも、ジャケットが!!
久しぶりに出勤したところ、人事の人から、8月の初めに本社に出社した記録の確認があった。陽織は出社した覚えがなく、疑問が浮かぶ。
周りには同じ、新入社員と、移動で辞令を受ける人が集まっている。
「デンマークのアイラー社との、通訳で本社に呼ばれましたよね?あと、契約書の作成で。」
と言われて、ああ、と思い出した。
デンマーク?と、周りの人が陽織を見る。
「はい。英語と、日本語と、デンマーク語の3カ国語全部で書類を作りたいと言われて。」
と、陽織はもじもじした。
「えー、神代さん、ドイツ語だけじゃなくて、デンマーク語もできるの?」
突然声をかけられて驚き、後ろを振り向くと、秘書課でお世話になった千葉がいた。
「あ、えと、はい。お久しぶり、です。」
陽織はビクビクしながら答える。
お世話と言っても、男性なので、ほとんど陽織は話しかけていない。時々話しかけられたが、結構怯えていた記憶がある。
千葉は今回の辞令で、なんと陽織と同じ食品開発部に移動になる。
え、嫌だなー。と思ったが、口にはしない。
「あとは?あとは何語?アラブ語とかエジプト語とか?」
なんで?暑い国?
「い、いえ、その、ロシア、語、ですが。」
と答えたら、周りにいた他の人も、目を丸くしている。イヤイヤ、単に寒い国しかスケート、用がなかったから。
「あ、でも、挨拶、程度です、よ?普通の、会話、くらい、です。」
その時、少し離れたところにいた、海外事業部の新部長に内定した島田、と言う年配社員がツカツカやってきて.陽織の両肩をガッと掴んだ。
「う、ぎゃーっ!」
そのまま、陽織は絶叫した。
え?
何?
そして、真っ青になってしゃがみ込んだ。
周りが、立ちすくむ島田と、しゃがみ込む陽織を交互に見る。
千葉は唖然としている。
やっちゃった!やっちゃった!どうしよう!
そして、頑張って立ち上がると
「すみません、すみません。」
と、頭を下げた。
「イヤイヤ、こちらも突然肩を掴んだら、驚くよなー。ワハハ。」
と笑ってくれた。
良い人?かも。
もう、恥ずかしくて、陽織は真っ赤になった。
(なんだったんだろう。あの、ゴキブリを見つけたかのような、絶叫は?)
千葉はあまりの面白さに、後ろを向いて笑っている。
辞令が渡されたあと、陽織はお役御免だったが、とりあえず新部署ということで、簡単に顔合わせと自己紹介があった。
神橋は陽織が半年で復帰すると聞いて驚いたが、その代わりの育児時間についても、きちんと了解してくれた。
始業は10時半、終業は3時半、その代わり給与は2割カットになる。育児休暇が4割カットなので、それより少し良いくらいだから、みんな育休取るのに、と言われたが、やっぱり少しは感を鈍らせたくなかった。
部長と課長の1人、そして担当の2人は男性。女性は課長1人の桜井恭子、第一食品開発課の管理栄養士、鳴神佐和子と、陽織の3人だ。桜井も鳴神も既婚者で子持ちのため、陽織が育休中ということをしっかり理解した上で、配属を受け入れてくれたらしい。
さらに、陽織がジャケットの前を開けていることに気づき、もう1人の課長から指摘されると、理由を知って庇ってくれた。
「だいたい、本間課長、そういうことを口にしたら、セクハラですからね!」
と鳴神に言われ、本間と呼ばれた課長はバツが悪そうだった。
「まあ、もう少しで、島田さんに横取りされるところだったしね。」
部長の杉野も笑っている。
横取り?
「それじゃ、改めて来月からよろしくね。」
杉野と、本間が陽織に近寄ってきて、握手を迫られた。ここでまた悲鳴をあげたら、まずい!と、頑張って耐える。
が、しばらくして、立ったまま意識を失った。
立ちすくむ陽織に気づいた千葉が、
「大丈夫?」
と顔を覗き込むと、陽織は顔が真っ青だった。
ハッと意識を取り戻し
「は、はい、大丈夫、で、す。よろしく、おながい、します。」
と言って、ガチガチになりながら、お辞儀をし、帰宅した。
千葉が、林田から陽織が男性恐怖症と聞いたのは、その後だった。




