陽織、氷の上に立つ
明日の午前中は試験。今日は合宿唯一のオフ。
陽織は庭を散歩している時、あまり会いたくない人に会ってしまった。
わたし、神月陽織は花嫁とか運命の人とか、そういったロマンチックな言葉を信じていない。
だいたい、自分の人生を他人に決められるのも、他人に委ねるのも、性に合わない。
わたしは、わたしの力で生きる!
なのに、なぜだっ!この人は!
「そうなんですね。お仕事お疲れ様でした。兄たちの非礼は詫びましたので。では、わたしたちはコレで。もう、朝食の時間なので。」
陽織はそう言って、黎人に背を向けた。
逃げてやる!絶対に誰かが決めた、そんな制度から。
「あ、はい。勉強頑張って、ください。」
黎人は行き場を失った両手で宙を切りながら、答えた。
朝食の後、陽織はバスの時間を調べて出かける。長袖、長袖。陽織は長袖を探したが、学校のジャージしかない。かなり恥ずかしい。
陽織はバスを降りると、建物の中に入り、受付でチケットを買った。
「高校生、一枚、貸靴。」と。
陽織は受付で靴を借りて中に入った。
「さっすが長野!どこにでもあるんだよね。こういうところ。」
陽織は数ヶ月ぶりに、リンクに足を下ろした。
ひんやりした空気か気持ち良い。
半年近く履いてないのに、なんとかなる。
自分の靴ではないので、履き心地はイマイチだけど、しかも、フィギュア用って言いながら、ブレード全然磨けていない。
と思いながら、氷の上に立つ。
氷の感覚を足の裏で捉える。まだ朝だからか、それほどひどくない。
「ちょっと滑るだけ。滑るだけ。」
陽織は自分にそう言い聞かせて足を踏み込む。
あ、初心者教室かな?小さい子が滑っている。
そこはね、体重をこうやって移動するんだよ。
そこのターンは、こうするとキレイに決まるよ。
手はね。足はね。
10年以上も身体に染み付いた動きは、半年くらいじゃ忘れない。
腕が自然と上がる。
「あのお姉さん、キレイ。」
小学生くらいの子の声がした。
あ、カップルだ。良いなー。
男の子が女の子の手を引いている。
わたしも好きな人と、あんな風に滑りたかった。
誰だろう。
湊人くん?イヤイヤ千織に怒られる。
葉鳥くん?あ、良いかもー。
翔太、ナイナイ!
‥‥‥黎人?さん?
無理無理無理!
あはは。
ちょっとだけ回ってみた。
あ、まだ回れる。
「すごっ、あの子のスピン速っ!」
「どこ高?」
「ジャージ着てる。」
「メイオウ?聞いたことない。」
飛んでみた。
あ、飛べる。
一回転。二回転。
転ばない!
「きみっ、ここはジャンプ禁止だ、よ?」
「ネェ、あれって。」
いつのまにか、リンクの上、人が少なくなってる?
「え?でもなんでここに?」
四回転サルコウ!
着地、っ、できた?
「陽織っ!」
突然、知った声がして、わたしは着地と共に、我に帰った!やばいやばいやばい!
飛んじゃった!
バレたバレたバレた?
「どうしてここに?」
いや、わたしこそどうしてここに?
「あ、すみません。」
気がつくと目の前にカップに入ったお茶が出されていた。
「ご両親が挨拶しに来たけど、あなた、全然電話でてくれなかったから。」
陽織はずっと下を向いている。
「てか、着拒っ、してるでしょ!」
あ、どうもすみません。
「え、と、どう説明していいか、わからなくて。」
目の前の人は、大きくため息をついた。
「あなたのコーチ引き受けた時、ある程度事情は知ってたわよ!」
コーチにそう言われて、陽織は初めて顔を上げた。
「良かったじゃない。力戻ったんでしよ?」
知ってるの?
「気持ち悪く、ない、ですか?」
陽織は思わず聞き返した。
「そりゃあね、何も知らない人からしたら?霊が見えちゃう、とか、変な力使えるーとか。漫画かよって思うよね。」
コーチはワハハと笑った。
「コレでも、世界行ってんだよ?そりゃ、オカルトちっくなホテルに泊まったことだったあるんだから!」
とふんぞりかえる。
「で、元気だった?」
と聞いた後、なぜか興味津々に
「で、どんなことできるの?」
と食いついてきた。
陽織はちょっとのけぞって、手のひらの上に氷を出した。
「うおーっ、コレってすごく便利じゃない!」
「一応、この部屋、冷凍庫にも、できます。」
「あ、それはいいや。」
そういいながら、陽織の手のひらの上の氷をキラキラした目で見ている。
「でも、これじゃ確かに滑ってる最中、転倒防止とか氷を使ってできちゃわよね。」
そして、ふむふむと納得している。確かにアスリートとしては不正になるかも、と。
「ちなみに風も出せますよ?」
と違う手で風を出すと
「うわー、自家製扇風機!」
と喜んている。
「コーチは今、どうしてるんですか?」
と聞くと
「一応、新しい子を育てている。あとは、陽織の引退をどう誤魔化すか、かなー。何かない?お父さんは家の都合上、絶対医学部に行かせたいから、高校生からは勉強専念でいいって。」
確かに陽織のうちってみんなお医者様だよね。
うわーっ。横暴な親、ってなりそうだけど、一番説得力ありかな。
そう聞いて、陽織も「ではそれで、」となった。
医者になる気はないけど。
「でもね、それなら今日みたいに、息抜きでリンクに立つ陽織ちゃん、見ました!って人がいても、一番問題ないかもしれないね。」
コーチと父が言ってくれた提案に、陽織は大きくうなづいた。そしてやっと、何かから、解放されたような、そんな気がした。
「でも、万能少女の陽織ちゃんはリンクの外でも万能でした!ってなりそう。」
コーチの言葉に陽織は乾いた笑いで返事をする。
コーチはまだ新しい子を発掘する、と言ってリンクに戻った。陽織は深く頭を下げて、その後ろ姿を見送る。




