陽織、排斥運動?(就職編)
木曜日の夕方、美咲が外出をする、ということで、湊人が鷹人を連れてやってきた。
鷹人は字を覚え始めたので、その日は本を読んであげると、自分の絵本をもってきていた。
読んでくれるのはいいけれど、言葉がたどたどしいうえに、区切りがめちゃくちゃで、聞いているほうは面白い。本人は真剣に読んでいるのだが、湊人がだんだんと笑ってしまって、最後は大笑いをしていた。
「ちょっと湊人、失礼だよ。」
陽織が怒るが、湊人はお腹を抱えて笑っている。
その様子が面白すぎて、つい陽織も笑ってしまった。
他愛もないことだったけれど、それが楽しくて、つい笑っている。
ドアをノックしようとしたら、中から陽織と湊人の笑い声が聞こえた。
その時、陽織が
「千織はいいな。」
という言葉も一緒に。
「なんでだよ。」
と湊人が言うと
「だって、毎日笑って過ごせる!」
と答えている。
「はあ、まるで俺がバカみたいじゃん。」
と湊人が言うと、
「え、違ったっけ?」
と陽織が言って、2人で笑っている。
そのうち、鷹人が「ママ」と来たので
「もうすぐ、黎兄が来るから俺帰る。鷹人はパパと帰れよ。」
という声が聞こえたので、黎人は慌てて隠れた。
湊人の姿が見えなくなったので、再度ノックしようとしたら、陽織の泣く声が聞こえた。
それにかぶるように
「助けて、湊人」
「辛いよ。」
という言葉が聞こえた。
黎人はしばらく、ドアを開けられなかった。
さらに十分くらいたっただろうか
「パパ遅いね。」という陽織の声に、ハッとしてドアをノックして中に入った。
陽織はいつものように、笑って迎えてくれた。
「鷹人だれと来たの?」
と聞いたら「みなちょ」と答えた。
千織はいいな。
助けて、湊人
辛いよ。
その言葉の意味は聞けない。
しかし、それを忘れることができず、結局、夜家に戻ったけれど眠れなかった。
そして、翌日、寝不足とイライラと、うまく行かない知財の案件に腹を立てて、少し?荒れた。
少しのつもりだったけど、周囲にはそう見えなかったようだ。
金曜日の夜、前の日のことを気にしながらも、陽織の部屋に行く。入院してから、一日中点滴をされているからか、陽織もずいぶん顔色が良くなった。
「早く、家に帰りたい。」
いつものように、キスをすると、そう言ってしがみついて来た。
「病院にいるのは、辛い?」
と聞いたら、うなづいた。
前の日の辛いって言うのは、そのこと?
それとも、悪阻のこと?
それとも、別の何か?
聞いてみたかったけど、また、聞けなかった。
ただ、一つだけ。
「陽織が辛いことがあったら、一番に助けて欲しいのは誰?」
と聞いてみた。すると、迷わず
「黎人さんだよ?」
と答えてくれた。そう言って甘えられると、やっぱり嬉しいし、可愛い。
ても、それなら、どうして昨日は湊人だったんだろう。
土曜日、羽織が佳織と日緒理を連れてやって来た。
日緒理は、顔色がかなり良くなった陽織を見て安心している。
「来週、1週間様子見て、お休み明けから、大丈夫だと思う。」
そう、陽織が答えた。
ちゃんと話ができるくらい元気になった。
「もう、フラフラしてない?」
と聞かれて、大丈夫と答えている。
その時、羽織が急に思い出したように、話を変えた。
「うちの研究室に、舞香、陽織覚えてる?」
「覚えてるよー、3年間前の席だったもん。」
「そう、その、舞香のお姉さんがいるんだよ。院生で。」
「へえー、そうなんだ。」
「で、ちょっとこの前、相談されたんだけど。」
で?なぜここで、舞香?舞香のお姉さん?
「それがさー、舞香、この頃幸穂と一緒に依頼受けてるんだけど。」
羽織の言葉が、濁る。
?
「良いことじゃないの?黎人さんも、術者が足りない、って困ってるし。」
「んー、そうなんだけど。なんか無理してるって言うのか。ほら、舞香もだけど、わたしも巫女の力手に入れるまでは、普通の術者だったじゃない。しかも駆け出しの。普通のって、割とチカラないんだよ。幸穂は巫女だからいいけど、それと自分を比べちゃうみたいで。」
「そうなの?」
と陽織は不思議そうな顔をする。
「わたしも、結構千織や美織と比べて、自分が劣っているなー、って気になったこと、あったもん。」
まあ、陽織は陽織で、あり過ぎて死にかけてたけど。
「陽織、意味わかってる?」
と聞くと泣きそうになる。あ、わかってない。
「だって、自分でできること、やるしかないんじゃないの?」
「まあ、ごめん。相談する相手、間違ったわ。」
そう言って話しをやめると、ハオちゃんずるい、と言い出した。
陽織は、チカラの封印を解かれてからと言うものの、持て余すくらいのチカラがあった。
今もそれくらいのチカラはあるけど、その代わり減るのも早い。燃費の悪い車だね。
何もなければいいけど、今のように、お腹に命を抱えてると、そちらが半分持って行くと言う。
それが毎日つづくのだから、あっという間に空っぽになる。そのため、陽織は毎日黎人から、霊力を補給してもらわないと、大変なことになる。
簡単に言うと、枯れてしまう。
普通の人間にはない悩みだ。
しかし、それは一般的な術者も同じで、自分の力に応じた分だけ、胎児は持っていく。
だから、必ずバランスの取れた相手との婚姻以外は、不可能になるのだ。
「ハオちゃんだって、他人のこと言えないからね!美織たちによく聞いておかないと、大変なことになるから!」
「だから、ごめん、って。とにかく、陽織がたっくん産んでから、絶対的なチカラがある人が、いなくなっちゃったのは、事実なんだよね。陽織、ほとんど仕事できなくなったじゃない。まあ、仕方ないんだけど。」
陽織は、うんうん、とうなづく。
「で、合わせて黎人さんも、ほとんど受けてないし。」
「仕方ないよね。」
と、佳織も口を挟む。
「そこに、今、大神や、黎人さんたちが、老害排斥運動始めちゃったから。」
?何それ?
「ほら、お正月の。」
羽織が言いかけて、
「待って、ハオちゃん、キクリたちもいるんだよ!それ、一般人に聞かせて良い話じゃないから!」
「あ、」
と羽織は気づいた。
つい、いつもの調子で、千織、美織、と一緒の気分で話を始めようとしてしまった。
「すみません。それ以降は、その、またの機会に。」
と、羽織は陽織に頭を下げる。
その日の夜、黎人が一人でやって来たので、さりげなく羽織から聞いた話を振ってみた。
「うーん、いつまでも、年寄り主導で若手が出てこないのはまずいから。だから、この前の大規模な全国結界は、全部若手でやったんだけど、大変だった。」
陽織も、あの山登りのような神社へ行ったことを思い出す。
「大丈夫?その、色々と黎人さんたちが困ることにならない?」
「最初は、大変かもしれない。でも、やっぱり、この前みたいに、くだらない自己主張ばかりで、他人の意見を聞こうともしない重鎮たちには、そろそろ退席願おうと思っている。その手始めが、天神だったんだから!」
やっぱり、と、陽織は遠い目をした。
そして、どうして悪阻で入院中の自分が、そんな心配をしなければならないの?と、少し怒になった。
「とにかく、鷹人たちが大人になるまでに、負の遺産を少しでも軽くしたい。」
「負の遺産?」
「そうだよ!知ってる?季節ごとの会合で、一体いくらかけてるか!そのほとんどは、僕や陽織が受けてる依頼費の一部だよ!年貢みたいに、とってるんだ。自分たちは、何もしないくせに!」
「それって、年金みたいな考え?」
「年金制度よりもタチが悪い。一番、僕たちにとって大切な神鬼さんなんか、蚊帳の外だからね!」
黎人が珍しく、神家のことで怒っている。
「この前の天神のことでもわかったと思うけど、彼らはただ、自分の家のことしか、考えていない。だから、花嫁とか、巫女とか、そう言ったことも、平気で無視して、強引に婚姻を結ぼうとして、うまく行かないと、全て女性や相手のせいにしてたんだよ?」
そんなことがあったのかー。と、思いつつ、陽織は先ほどから、どうしてこんな話を聞かなければならない、とちょっと機嫌が悪くなる。
自分が振った話であることも忘れて。
「でも、黎人さんはお仕事もしているのに、そっちまでやるなんて、大変じゃない?」
と、陽織が聞くと
「陽織は心配しなくていいよ。」
と、キスで誤魔化された。
黎人は陽織に知られたくないことや、聞かせたくないことを、こうやって誤魔化すことがある。
陽織は、それが嫌だった。
そのまましばらく、黎人の腕にしがみついて、ただ目を閉じている。
大丈夫、大丈夫。
もう少し、がまんできる。
少しずつ、陽織の額に脂汗が浮かぶ。
「気分悪いなら。」
と、言われると悲しい。
「やだ、少しでも、一緒に、いたい。」
と、言ったけど、やっぱり、気持ち悪くなる。
そのまま、トイレに駆け込んで、夕飯で食べたものを、戻してしまった。
数日前よりは良くなったけど、まだ食べた後は、しばらくすると、気持ち悪い。
誰かがいると我慢できるのに。
緊張が緩むと、また。
トイレから出て、洗面所で口を濯いで、そのまましゃがみ込んだ。立てない。
全然良くなってない。
大丈夫なんて、嘘。
いつになったら、大学に戻れるんだろう。
早く家に、帰りたい。
その様子に、黎人が近寄り陽織を抱き上げて、ベッドに横たえようとすると、
黎人と離れたくなくて、しがみついて泣く。
「早く、お家、帰り、たい。」
早く家に帰りたくて、頑張って食べている。
市原に言われたことが忘れられなくて、
東山に言われたことが怖くて、
頑張って食べてるのに、全然良くならない。
毎朝、赤ちゃんの心音を聴かせてもらって、やっと安心する。
また、死んじゃったらどうしよう。
このまま、大学戻れなかったらどうしよう。
就職、ダメになったら、どうしよう。
不安で、不安で、誰かと笑っていないと、
心が折れてしまう。




