陽織、寝たら起きない(就職編)
翌日は、いつもよりは体が楽だったので大学に行き、ゼミの人に迷惑をかけたことを謝罪する。
陽織の髪型が変わったことに、少し驚かれたが、長すぎて邪魔、と言うと納得してくれた。
金曜日の夕方、図書館から借りて来たた本を返しに行くと、廊下で和嶺とすれ違った。
和嶺は陽織を見ると一瞬、人形供養の時のことを思い出した。まさかとは思ったが、陽織がただ邪魔だから切った、と言ったら納得した。
(なんで、髪くらいでみんな騒ぐんだ!)
ちょっと眉間に皺が寄っていた。
だいたい、陽織が髪を長くしてるのは、こまめに美容院に行く時間とお金がもったいないからなのに!
図書館に一緒に行った先輩は、和嶺と話しができたことを喜んでいるが、陽織にはそれも疑問だ。
去り際に、和嶺が
「あ、陽織。」
と呼び止められる。
「陽織が落ち着いたころ、美織と挨拶に行くって、黎人さんに伝えておいて。」
と言われた。
あ、いよいよなんだ!
そう思うと、ちょっとにやけてしまった。
美織ちゃん、約束守ってくれたんだ!
『和嶺様が国家試験終わったら、わたしも結婚して、陽織ちゃんとママ友になる!』
そんな昔の約束を思い出して。
本を返して新しい本を借り、そのまま、また研究室に戻る。また、調べ物を続けていると、5時近くなった。
その時、研究室の扉がノックされた。
「はい。」
と、佐伯が扉を開けると、黎人がいた。
「失礼します。神代と申します。」
黎人が礼儀正しく入室した途端、先輩たちの、声にならない黄色い悲鳴が聞こえた。
奥から神薙笙子が出てくると
「お久しぶりです。神薙さん。」
と、黎人が声をかける。
「あらー、黎人くんご本人が来るなんて。」
と、神薙は奥の応接スペースへ案内する。
黎人が持って来た菓子折りを受け取る。そして院生の先輩に、お茶を入れてみんなが帰る前にいただくように、とその菓子折りをわたした。
「もちろん、お客様のお茶が先よ。」
そう言われて、先輩たちが、我も我もとお茶を入れ始めた。うん、黎人の顔面偏差値は和嶺の比ではない。
「神代さん、ちょっと。」
陽織は呼ばれて初めて、黎人が来たことに気付いた。
「?どうしたの?」
ソファーに座る黎人に言った第一声が、それだった。
毎日見てれば、何も感じない?
神薙に、隣に座るよう言われて、黎人の隣にちょこんと腰掛ける。
「神薙さん、色々とご迷惑をおかけし、申し訳ありません。」
あ、そうか、黎人は謝罪に来てくれたんだ。
陽織も一緒に頭を下げた。
「いいのよ。花嫁の身を守るのは神家の仕事だもの。」
それを聞いて神薙も、神家の1人と初めて気付いた。
「だいたい、あの長ったらしいお正月の会合を終わらせてくれたのだって、陽織様が捻挫したおかげなんだから!」
その時、ちょうど先輩が、お茶とお菓子を持って、3人の前に置く。
ん?捻挫?
「あ!あれは、その。」
陽織は思い出して赤くなる。正座をずっとしていたために痺れていたところ、無理矢理高樹に立たされて足を挫いてしまったこと。
「高樹も、相変わらずよねー。」
と、神薙が呆れた声で続ける。
「父を、ご存じなんですか?」
「ご存じも何も、中高の同級生よ。蓮也くんや宗吾くんも。」
それを聞いて、陽織だけでなく、黎人の顔色も変わる。恐るべき神家。
みんな、子供の頃からのお付き合い。
「陽織様。わたしは立場上、みんなの前では言わないけど、あなたはちゃんと自分の責任を果たそうとしているの。だから、何も恥じることも、遠慮することもないのよ。美咲や陽香からも、言われているでしょう?特に、美咲からは。」
確かに‥。思わず陽織が遠い目をする。
神薙もそれを知っているのか、苦笑いしている。
「さて、そろそろ時間だし、キリのいいところなら、今日は終わりにしましょう!わたしも金曜日だから、早く帰りたいわ。わたしだって、子持ちよ!」
そう言って、神薙が立ち上がった。
そして、パーテーションの向こうにいる学生に、
「今日は早く帰りなさい!ここはカフェじゃないのよ!おしゃべりしたかったら、下のカフェに行きなさい!」
と声をかけた。
陽織が荷物をまとめる間、黎人は日緒理と話している。雨宮が神代に内定が決まったらしい。
「陽織のことで、これからも迷惑をかけると思うけど、よろしくね。」
と言っている。
「黎人さん、わたし迷惑かけること、必須ですか?」
と、ちょっと膨れると、違うの?と、聞かれた。
うっ。
そのまま、黎人が抱き上げようとするので、慌てて降りる。
「ちょ、なんで!わたし歩けますけど!」
「えーっ、この前和嶺には抱き上げられたって聞いたから。」
「あの時は、立てなかったんです!今日は、まだ歩けます!」
そう言って、黎人から離れる。そして
「お先に失礼します。」
と言って、プンプン怒りながら、部屋を出て行った。
扉が閉まると、また日緒理を中心に先輩たちがワラワラと集まる。しかし
「だから、今日は早く帰りなさい!」
という神薙の一言で、院生を含めた学生は、みんな研究室を出た。しかし出たら出たで、日緒理は先輩たちに、一階のカフェに連行された。
陽織は黎人の車に乗った途端、気持ちが悪くなってグッタリする。
「ほらー。だから抱いてあげようと思ったのに。」
「まだ、家に着くまで、大丈夫、です。」
シートベルトの締め付けも気持ち悪い。
翌日も病院で点滴。とにかく、点滴で栄養を取る。前回と同じだ。成長しない。
「こればかりは、慣れってないしね。」
と、看護師に笑われた。
「そうなんですね。」
「でも、体質もあるから、平気な人は平気なのよ。」
と言われると、平気な人が羨ましい。
「でも、前よりは楽なんですよね。」
「2回目だからかなー。もしかしたら、男女の違い、って言うのもあるのよねー。まあ、こればかりは、絶対はないから。」
看護師はしっかり点滴管の確認が終わると、じゃあ2時間後と、違う患者の方に行った。
この看護師も、臨地実習の時に、見かけたことがある人だ。よく病棟の食事をとりに来てた。
黎人はその間、神鬼のところに行って時間を潰している。
点滴をやっている部屋には、同じような人が何人かいる。みんな悪阻で食事が充分にできず、栄養が足りない人のようだ。
中にはその間も、吐いてしまう人もいて、本当に辛そうだ。
隣の人と話している人、目を閉じている人、本を読んでいる人。色々いるらしい。一応カーテンで仕切られているので、隣の人の様子が直接わかるわけではない。陽織はぼーっとしていた。
最近は、針がナイロンなので動いたり座ることも可能。でもここにいる人のほとんどは、そんな余裕がないので、みんな横になっている。
前の時は入院したし、先日は緊急で祝日に来た。
今日は土曜日なので、結構たくさんの人がいた。
(みんな同じなんだー。)
そう思うと、なんか安心した。
そしてそのうち、うつらうつらして、陽織は眠ってしまった。
「神代さん、終わりましたよ。」
看護師が声をかけるが、陽織は起きない。
寝たら起きない、モードになってしまった。
ゆすられても、頬を軽く叩かれても起きないので、看護師が慌てて医師を呼ぶ。
そのうち神鬼のところに連絡が入り、神鬼と黎人がやって来た。
「あの、麻酔とか入ってないんですが!」
とにかく看護師が慌てている。
神鬼は知っているらしく
「あー、完全に寝ちゃってますねー。」
と、笑ってる。
「すみません。特に問題はないので。」
黎人も、看護師と東山に頭を下げる。
「寝たら、なかなか起きないんです。自転車から落ちたり、階段から落ちても、寝てたので。」
と言ったら、驚かれた。
仕方ないので、点滴だけ抜いてもらい、陽織を抱き上げて、会計をし、車に乗せて帰宅した。
それでも起きない。
(夜、あんまり寝られなかったんだなー。)
夜中に起きて、トイレで吐いていたのは知っていた。
やっぱり眠れなかったらしい。
目が覚めたら、家のベッドの上だった。
?
誰もいない。
一体何時?
時計を探したら3時を過ぎてる。
病院にいたのは確か朝の9時ころ。
やっちゃったー!
むっくり起きると、いつの間にか寝巻き兼の部屋着を着ていた。
人の声もしないので、とりあえず階段を降りてリビングに入った。
誰もいない。
?
どこに行っちゃったんだろう?
点滴のおかげか、わりと元気になったので、陽織は夕飯の支度を始めた。
すると、玄関が開いて、黎人と鷹人が帰って来た。
中に入ると、陽織がキッチンに居たので、鷹人が喜んで飛び込んで来た。
「ママー!だいじょーぶ?」
どうやら近くの公園で遊んで来たらしい。
「鷹人、手を洗ってうがい!」
黎人に言われて洗面室に行く。
2人は手洗いとうがいを済ませると、キッチンに入って来た。
「お夕飯、何がいい?」
と陽織が聞くと、黎人が心配して
「大丈夫?」
と聞いて来た。
「んー、なんか点滴と寝たからか、わりと楽。」
と答えると安心したのか、背中からギュッと抱きしめて来た。すると
「パパ、たっくんもー!」
と、2人でくっつく。
「ちょっと、ママ動けない。たっくん、お夕飯何がいい?」
と聞くと
「んとね、おいもー。おいもの、熱いのー。ふーふーするのー。」
?黎人には、意味がわからない。が
「たっくん、グラタンがいいの?」
と、陽織はわかるらしい。
夕飯はグラタンとサラダとスープ、ご飯という組み合わせ。が、結果、陽織は作った後、気持ち悪くなってしまい、一口も食べられなかった。
「もう、無理するから。」
そういわれて、結局ベッドの中で、うずくまっている。
「明日は高嶺さんのところで、点滴してくれる、って言うから。」
「無理、そこまで車、乗れない。酔っちゃう。」
黎人ははあー、とため息を吐いて、電話をしていた。
そのまま、また夜中、途中から気持ち悪くなり、トイレに行ったまま、出られなくなる。
朝までに、もう、吐くものもない、と、真っ白な顔になる。
朝になって、水分は取るものの、後からすぐに気持ち悪くなる。前と同じ。
そんなことを考えたけど、大学や鷹人のことを考えると、入院はありえない。
もう、なんとか半分は頑張った。後半分。
そんなことを、ぼーっとしながら考えていると、誰かがやって来た。
黎人が部屋に高嶺と高樹を連れて入ってくる。
「?父様と兄様?」
2人が点滴台をベッドの横に置くと、そこに輸液を下げる。
「どれくらい?」
「昨日、2時間やったそうです。」
「じゃあ、今日は4時間やるかー。」
点滴バッグが2つさげられる。
「陽織、腕出して。どっちが良い?」
?そんなの選べるの?
「父上、腕から?手の甲使う?」
手の甲?何それ!ヤダヤダ!
「左手ダメなら右手でいいだろう。」
よくわからないけど、陽織は右腕に針を刺される。
そのまま、針が抜かれてナイロン針だけになる。
「陽織、トイレ行きたかったら、腕曲げても大丈夫だから。これ持ったまま入って。」
そのうち、下から梓沙と子どもの声が聞こえた。
下で鷹人が大地と遊んでいるようだ。
「それじゃ、4時間がまんしてね。」
そう言うと、高嶺と高樹は出て行った。
下からは美咲の声も聞こえる。
黎人だけが残って、自分の机に向かって、仕事をしているようだ。
今日、日曜だよね?
やっぱりワーカーホリックだー。
気づくと、また眠くなって来た。
まずい!
昼夜逆転になる。
そう思い、意を決して体を起こすと、机の方に歩いた。
「どうしたの?」
急に起き出して机の方にやって来た陽織に、黎人が驚く。
「ただ寝てる、だけは、もったい、ないから。勉強、する。」
そう言って、机に向かうと、国家試験の問題集を開き出した。
「寝てるだけって、右腕に針刺さってるんだよー。あんまり動かしちゃダメなんじゃないの?」
あ、と陽織は、腕を見たが、ただペンを持つくらいなら、と座って勉強をし始めた。
お昼近くに美咲が様子を見に来て、2人とも机に向かっているのを見て唖然とする。
黎人はともかく、陽織は点滴中なのに。
「お昼だけど、食べられる?」
黎人はパソコンを閉じて、立ち上がった。
「陽織は?どう?」
と言われて、初めて自分が置かれている状態に気がついた。
「あ、はい。少しなら。」
そう答えると、
「それじゃ、持ってくるわね。」
と、美咲が下に降りて行った。
美咲が降りてしばらくすると、高嶺が上がって来た。
「陽織、腕見せて。」
ん?
「いくら動かして良いって言っても。」
どうやら陽織が勉強している、と聞いて、針が動いていないか心配になったらしい。
「左腕にすればよかった。」
そう言いながら、針がずれていないか見て、大丈夫そうと、確認する。
「そんなに、動かして、ないと思うから。」
「とりあえず、ご飯食べたら左腕に刺し直そう。」
そう言って、呆れた顔で、部屋を出て行った。
お昼を食べたら、しばらくして、また気持ち悪くなる。点滴は左腕になったけど、それはあまり関係なく、トイレにしばらくこもっている。
もう、吐くものない、となってやっと勉強を再開したが、水分を取ると、また気持ち悪い。
明日は大学に行きたい。
勉強したい。
とにかく、体力だけでも残しておかなければ。
そう思い、諦めてパソコン片手にベッドに入った。
パソコンを開くと、神薙に指摘された、論文の中身を精査する。
データのグラフや、分布図を見ながら、しばらく画面を見ていたら、だんだんと気持ちが悪くなった。
(うー、ぎぼぢわるーいー。)




