陽織、次の選択(就職編)
なかったことに、と言われて東山は絶句した。
「もう、本当に色々妨害されまくって、なんとか取った内定なんです。もし、妊娠なんて知られたら、わたし、就職浪人です。」
陽織は前とは違う意味で泣いている。
「なかったことが無理なら、延期とか。」
何言ってるの?この子。と言いたくなる。
出産を延期って。
「神代さん、なかったこと、の意味わかる?」
陽織はわかってるのだろうか?
「え、えと、その、中絶?とかって言う、の、ですか?」
その答えを聞いた、若い看護師が、今にも顎が外れそうになりながら驚いている。
「その、よくわからない、けど、なかったことに、できるんですか?」
と。
「そんな、簡単なことじゃないのよ。あなたは、前に流産したことがあるんだから、少しはわかるでしょ?」
と、言うと、うつむく。
「その、命を、無くしちゃう、って、ことです、よね。」
「そうよ。簡単なことじゃないの。」
それに、以前、そう言った子たちの霊から、東山を守ったこともある。
そう言う子が浮かばれないのも、知ってるはず。
簡単にはできない。
条件がある。
と、説明して、しばらく考えるように、と、カンファレンスルームに案内した。
黎人が仕事中、明王大学附属病院の東山元子から電話が入った。
「?東山、先生?」
意味がわからないなりにも、何か重要なことだろうと、電話に出た。すると
「あ、明王大学附属病院の東山です。」
と落ち着いた声が聞こえた。
「ご無沙汰しております。」
と、黎人が答えると、
「あの、今奥様が、いらしているのですが。」
「え?陽織が?」
黎人はそんなこと一言も聞いてない。
鷹人の時は、1人は嫌だと、黎人が休める日まで頑張っていた。今回は、確かに変なことは言っていたけど。
「それが、その、中絶、したい、と。」
中絶?中絶?いや、その前に!
「ちよ、ちょっと待ってください。やっぱり、子どもできてたんですか?」
黎人は、周りに他の社員がいるのを忘れて、立ち上がって聞いてしまった。
「ご存知なかったのですか。」
「最近、貧血気味だとは。」
東山はやはり、と言う言い方だ。
「あの、今はとりあえず、条件があって簡単にできないことを説明しているところなのですが。」
黎人は、神柴に目配せすると、
「すぐに、行きます。」
と、言い上着を着た。
「すまない、ちょっと出てくる。すぐ戻る。」
黎人の顔も、声も、完全にお怒りモードになっている。部屋にいる社員は、怯え出した。
それから、30分後。
黎人は今回ハクを使わず、とにかく急いで病院の玄関を入った。
そのあと、とにかく階段を駆け上がり、産科に向かう。産科の受付で
「す、すみませ、ん。神代、です。」
と名乗ると、看護師が陽織のいる、カンファレンス専用の部屋へ案内してくれた。
陽織は黎人に連絡したことを知らなかったらしく、部屋に入ると真っ青になった。
「なんで?なんで、黎人さん、ここに、いるんですか?仕事中、ですよ、ね!」
黎人はとにかく、怒っている。
「陽織、どう言うこと?」
陽織は黙っている。返事をしない。ただ、拳を握りしめていた。
「今日は、どうして、病院に来たの?」
陽織は俯いている。
「なんで?」
と言うと、
「歩いて。」
と、聞いてないことを答える。
「何しに、来たの?」
と言うと、逆に
「黎人さんこそ、どうして、ここにいるんですか?」
と、陽織は言い返した。そして、陽織は東山の方を見る。東山が知らせた、と言うことに、気づいたのだろう。
「陽織、ちゃんと説明して。」
陽織は、今はまだ子どもはいらない、と言っていた。
就職するから。不本意な仕事だけど、頑張ろうと決めていた。なのに、これでは、結局、周りの思うツボになってしまった?
「わたし、言ってたのに。」
陽織が、話し出す。
「わたし、就職、したいって。」
黎人がため息を吐く。
黎人はそこまで、と正直思っていなかった。
「開発部。」
陽織は、下を向いたまま、そう言う。
「行きたいのに!わたし、仕事したいのに!」
陽織の声が悲鳴に変わった。
「応援してくれるって!わたし、仕事していいって!就職して良いって!嘘つき!」
陽織はそういうと、しゃがみ込んで泣き崩れた。
確かに言った。どこか軽い気持ちで。
きっと子どもが好きな陽織のことだから、2人目ができれば、諦めるだろう、と、気が変わるだろう、と思っていた。
陽織が望んでいた研究職じゃないなら、きっと諦めがつくだろう、と。
「普通の生活がしてみたい。」
それだけが、陽織が就職したい理由だと思っていた。
「働いてみたい。」
ただそれだけだ、と思っていた。
「仕事してみたい!」
「わたし、就職したかったのに!頑張って、単位とって、、資格の勉強、頑張ってしてたのに!国家試験、受けられるって!!!嘘つき!わたしは、花嫁なんかに、なりたくなかった、のに。」
陽織は、部屋のドアから出て行った。
また、言ってしまった!
黎人が一番傷つく言葉。
でも、つい口に出てしまった。
花嫁なんかになりたくない。
そう思っていた、どこかまだ残っていた気持ち。
今度こそは最後まで!
黎人は、陽織の言葉に、呆然とする。
確かに頑張っていた。
羽織たちと一緒に卒業したい!
一緒に、国家試験受けたい!
夜遅くまで、勉強もしてた。
「神代さん。」
東山が黎人の後ろから声をかける。
「以前、相談された時、お話し、しましたよね?ちゃんと奥様が納得されてから、お二人目を考えて下さい、と。」
陽織は気づくと、病院の玄関を飛び出していた。
(もう、やだ!!どうして、どうして?スケート、辞めさせられて、医学部、受けさせられて、家の中に閉じ込められて!なんで、わたし、やりたくないことばっかり!自分が好きなこと、やりたいこと、やらせてもらえない!?)
陽織の後ろには、どこからか来た救急車がとまる。
担架には、血だらけの妊婦さんが乗せられている。
そばに、男性が付き添ってた。
妊婦さんが、交通事故に巻き込まれた、らしい。
あー、この人、もうダメなんだ。
陽織には、その姿が見えた。
今回は助けられない、
それでも、赤ちゃんは頑張っていた。
そんなことを、漠然と考える。
赤ちゃん、どうするんだろう。
そんなことを考えてたら、いつのまにか黎人が背中から、抱きしめていた。
「とりあえず、帰ってちやんと、話をしよう。」
そう言われて、陽織は、小さく頷く。
黎人は職場に電話をして、そのあと休みを取っていた。緊急で、戻れなくなったと。
(そんなに急ぐことじゃないのに。)
陽織は今日は、大学に戻るつもりだった。
頭がぼーっとしたまま、黎人の車で家に戻る。
会社から車で急いで来たんだー。
鷹人、お迎え、行かなくちゃ。
陽織は、働かない頭で考える。
家に入ると、黎人はリビングに座った。
陽織はただぼーっとしている。
「座って。」
と言われて、前に座った。
隣はなんか嫌だ。
「東山先生の話だと、予定日は5月下旬だそうだ。」
「うん。」
「産前休業は6週前から取れるから、4月の半ばまで、仕事ができる。」
「でも。」
「これは労働者の権利なんだから、手続きをしておく。」
「いい、の?」
「うん、僕が、神橋さんに、話す。」
陽織は、だまった。
安心したのかな?
喜んでいないみたいだけど。
「嫌?」
「嫌、じゃ、ないけど、嫌、かも。」
「どっち?」
「わから、ない。」
「でも、わたし、これから、大学、休めない。最後の実習、あるし。論文も。」
「最後の実習は、ウチでやろう。レイリー。そのために作ったんだから。」
「そう、なの?」
「うん。いずれ陽織が仕事できる場所に、したくて、作った。」
陽織の目が少しだけ和らいだ。
「でも、また、悪阻、入院とかになっちゃったら。」
「僕が、協力する。だから、頑張ろう。」
少し考える陽織は、それでも、と口を開く。
「どうやって?がんばるって、ほんとに、辛いんだよ?!食べられない、し。飲んでも、すぐに。気持ち悪く、なるし。立って、られない、し。すぐ、倒れちゃうし、寝てても、すぐ、吐きたく、なっちゃう、し。集中できないし!」
陽織が泣きながら、訴える。
「黎人、さんは、自分のこと、じゃない、から!」
黎人は言葉が出なかった。
確かにそうだ。
前回は、それで命も危なかった。
我慢して、我慢して、限界を超えていた。
「東山先生に、相談して、入院しなくてもできるようにしよう。とにかく、昼間は大学とか、実習とか行ける、ように。」
そんなこと、可能だろうか?
在宅ケアについて、調べてみようかな?
できるのかな?
「ダメなら、病院の臨地に入れないか、相談しよう。同じ場所なら、陽織も楽だし。」
「それは、無理だよ!患者さんが、臨地なんて。それに。明王はもうやったし。」
陽織は黎人の無理矢理な考えに苦笑する。
でも、それでも、黎人は一生懸命考えてくれた。
頭ごなしに諦めろって言わなかった。
「だって、陽織は、ほんとは、やなんでしょ?中絶なんて、陽織はそんな簡単に人の命を、粗末にする子じゃない。」
そうだ。かつて、彼女は流産しただけで、自分を責めて、心を壊した。壊して、そして、神鬼が、記憶を奪った。
そのあと、2年前に流産した時も。
自分のせいだって、言い続けた。
その時のことがあったから、無責任に妊娠することを怖がっていた。
今回だって、もし、そんな選択を認めたら、きっと、後で後悔して、後悔して、そして。
「だから、僕ができることは、なんとかする!絶対、陽織を守る。何回でも言う。陽織は僕の、唯一無二だから。」
陽織は、黎人に縋って泣いた。
鷹人と同じように、この子を愛せるのだろうか?
今の自分は、この中にいる命を、愛せるのだろうか?




