陽織、コーチと再会(就職編)
高道優佳とは、陽織が3歳の時に出会った。
当時高校生だった優佳のスケートを見て、陽織はフィギュアスケートというものを知った。
その後、何度か試合を見に行ってファンになって、陽織は彼女が所属するクラブの幼児教室に入った。
優佳が現役を辞めたのは大学4年の春だった。
もう少しで世界の頂点に手が届く、というとき。
練習中の怪我が原因で、現役を引退せざるを得ない状態になった。
そんな優佳にコーチをして欲しい、と頼んだのが陽織だった。
陽織は7歳だったけど、同じクラスではダントツで、しかもお嬢様で、わがままだけど、スケートに対しては真摯で努力家だった。
優佳は陽織の専属のコーチにしてもらえたことで、一緒に世界の頂点を目指す夢をもう一度叶えることができる、そう思った。
ドイツやカナダ、北欧。
陽織は必要とあれば、どこにでも留学して技術を学んだ。優佳と、父親がつけた栄養士の大神節子はいつも一緒だった。
そして、陽織が中2の時には、ジュニアの世界で、その夢が叶った。
次はシニア!という、中3の終わり、卒業式の直前に陽織はリンクに来なくなった。
学校にも行ってない。
連絡もつかない。
陽織の母、陽香から一身上の都合、と言う連絡が来たが、詳しいことはわからないまま。
途方に暮れる優佳は、協会からその実績を見込んで、有能なノービスの子を見てほしいと、打診された。
その後、1回だけ陽織と再会した。
長野のリンクに、陽織が突然現れた。
相変わらず、綺麗なスケーティングだった。
声をかけると、陽織は驚いたか、きちんと理由を話してくれた。
その後、連絡を取ることはなかった。
陽香とは、何に数回、やり取りをしていた。
その翌年、マギーから陽織が結婚する、という話を聞いた。陽香に聞くと、生まれた時から決まっていた相手、ということだった。
それなら、どうしてスケートなんかやらせたの?
いつも、ここしか居場所がない、なんて陽織に言わせてたの?
正直、陽織が心配だったが、陽織は結婚式はおろか、結婚したことも、本人からは、何の連絡もなかった。
2回目にコーチを受けていた子が、14歳の時、怪我をした。
もしも自分のように引退になったら!
しかし、その時に出会ったスポーツドクターの治療が功を奏して、現役に戻ることができた。
その後、ドクターとは何度か会ううちに、優佳は彼と結婚することになった。
もう、35歳を目前にしていた。
彼も40歳近くまで、仕事一筋だったので、これもう運命かも、と思い結婚を決めた。
陽織は?
生まれた時から決まっていたって。
陽織の奥様姿は、一度だけテレビで見た。
ものすごいイケメン男性に寄り添って、幸せそうだった。お嬢様だった陽織が、生まれた時から決められていた相手なんて、どんな男だろう、と思っていたが、すごく優しそうな人だった。
そして、優佳は35歳の冬、子どもができた。
妊娠してはリンクに立てない。
ずっと見て来た子は、すでに外国人コーチをつけた。
あとは、週一で教えている、小学生のクラス。
その時、陽香から陽織がアルバイトしたいと言ってるけど、周囲が許さない、という話を聞いた。
確かに、普通のアルバイトなら、陽織は難しいだろう。でも、スケートのコーチ、なら?週一でいい。
場合によっては、月一でもいい。
そう思い、優佳は一月の末、陽織の家を訪れた。
今の名前を言ってもわからない、と、門についている呼び鈴を押す時、旧姓を言った。
一瞬、間が空いたが、小さな声で
「少々お待ち下さい。」
と言うと、左手にある小さな玄関がカチッと開いた。
扉を押して中に入ると、その奥に2つの家屋が見えた。奥には大きな日本家屋。
そして手前に、新しい洋風の3階建ての建物があった。
どちらも、大きい、とよく言われる家よりも、はるかに大きい。
手前の建物の扉が開くと、中から陽織が出て来た。
「お久しぶりです。」
と優佳が挨拶をすると、陽織は頭を下げて
「ご無沙汰しております。」
と返して来た。
少々めんくらったが、これが今の陽織なのだろう。
そう、優佳は思った。
玄関を入ると、そのまま一階のリビングに通された。
リビングの床で、小さな男の子が遊んでいる。
陽織からソファーにかけて、お待ちください、と言われたが、奥のサイドボードの上に飾られた写真が気になり、そちらを見ていた。
結婚式の写真がいくつか並んでいた。
子どもの写真。陽織が同世代の女の子と撮った写真。
高校の卒業式の写真。
どれも楽しそうだ。
陽織がお茶とお菓子をもって、入って来た。
男の子を抱き上げて、
「たっくんはお茶で良い?」
と聞いている。
「あ、あの。コーチも、どうぞお座り、下さい。」
とすすめる。
陽織は向かいのソファ輪に座り、子どもを膝の上に乗せる。
「あの、ごめんなさい。突然押しかけて。」
優佳が頭を下げると
「い、いいえ、私の方こそ、何の連絡もせずに。あの、よくお分かりになりましたね。」
そう、聞いて来た。
「あ、陽香さんから。」
とこたえると、驚いていた。
「そうですか。母が。」
と。
「あ、あのね。私も結婚したの。今年。」
と言うと
「申し訳ありません。何も存じあげなくて。」
と答えられて、一体目の前にいる、この子は誰?と、優佳は考えてしまった。
6年前の夏に会った時の陽織、その前の陽織とは、まるで別人だった。
所作も、言葉遣いも。
それだけ、良い家の奥様としての立ち振る舞いを、覚えさせられたのだろう。
「陽織は、今忙しいの?」
と優佳が聞くと、首を傾げて
「忙しい、といえば忙しいですが、試験も終わって春休みに入りましたので。今日は子どもも保育園をお休みして、わたしと遊んでいるくらいですから。」
と、笑う。
膝に抱いた子が、お菓子に手を出して
「ママ、たっくん、食べたい。」
と言った。
「あ、あの、わたしも、子どもができたの。」
と、優佳が言うと、陽織は目をキラキラさせて
「おめでとうございます。」
と破顔する。
相変わらず、子どもが好きなようだ。
「ママも、アーン。」
と言われて、陽織が口を開ける。
「あ、すみません。あの、コーチもどうぞ。」
と、勧めてくる。
「それで、スケートできなくなってしまって。」
と言ったら、なるほど、と呟いた。
「それで、わたしの代わりに、週一、月一でも良いの。子ども教室のコーチをお願いできないかしら。」
そう言ったら、初めは目を見開いて、嬉しそうにした。しかし、しばらくすると
「ごめん、なさい。わたし、今、そのことでちょっと。色々。」
と、目を逸らす。
「その、黎人さん、あ、主人が、一人で外出ることに、うるさい、と言うか、何と言うか。」
陽織はそこまで言うと、顔をあげて
「その、門のところに黒いスーツの女性、パンツスーツの。お二人。」
あー、そう言われれば、まるで危ない系の家みたいだな、とは思ったけど。
「あのお二人は、わたしのボディガード、なんです。」
ボディガード!?
優佳がびっくりした顔をすると、陽織があははと笑う。
「わたし、ぽややんってしてるって、その、祖父に言われて。大学で、二回、誘拐、されちゃって。」
誘拐?
ぽややん?
「それで、ちょっと主人が前から、過保護なところあったんですけど、どんどん過保護なところが、アップしていて。わたしは、就職とか、アルバイトしたいって言ったんですが、その、なかなか。」
陽織の目が泳いでいる。
「その、いつのまにか、盗聴機、とか、防犯カメラとかも、色々とついていたみたいで。」
盗聴機?
防犯カメラ!?
「だから、本当はすごくアルバイトって、してみたいんですが。許してもらえないんです。特に、その、主人のお母様から。」
陽織の話を聞き、優佳は疑問を持つ。
本当に、陽織は幸せなのか?
何か無理していないだろうか?
「たっくん、ママお仕事してもいい?」
と、子どもに聞くと、
「ママ、メ!」
と言われて、苦笑いしている。
きっと子どもは好きだから、こうやって過ごすのは楽しいのだろう。でも。
「そういえば、陽織は男の人、苦手だったよね?」
といきなり優佳が聞いて来た。
きっと、どうして結婚してるのだ、と、聞きたいのだろう。しかも、子どもまで。
「え、と。その。」
陽織は言いづらそうな顔をする。
「苦手、です。今でも。ただ、その。黎人さんは、違う、って言うか。特別って言うか。祖父は、騙されたって、言っていますが。」
そうか、黎人さんって言うんだ。
「でも、やっぱりお付き合いしている時と、その、結婚してからって、色々違うって、わかって来ました。それで、今、ちょっと怒って、ます。」
え?怒ってるの?
その後、陽織は無理だと思う、と言いながら、連絡先を交換した。
子どもと手を繋いで、門の外まで見送ろうとした時、陽織は真凛に止められ、中から見送った。




