陽織、お弁当を作る(新婚編)
大学の夏休みが始まった。
湊人は一年のうちにたくさんバイトしたい!
と、言い出した。
普段は、大学病院で臨床の雑用を週に2日行っている。
そこで、夏休みだけ黎人の会社で週3日、事務のバイトをすることになった。
「家庭教師とかすれば良いのに。」
とみんなから言われたが、向いてないと言う。
陽織は高校の時の勉強会のことを考え、結構向いているのでは?と思うのだが。
黎人の会社での事務は、はっきり言って事務という名の雑用だ。ただ、先日の大学での案件が、あまりにもひどかったので、少し事務的なこととか、周りをよく観察することとが、大人の中でうまく立ち回ることを学んでもらいたい。黎人はそう思ったらしい。
湊人が黎人の会社でバイトの初日、2人は電車で出かけた。陽織は、朝2人分のお弁当を作って、それぞれに渡した。
玄関で、黎人が陽織にいつものように、行ってきますのキスをする。
電車に乗ると、黎人は眼鏡をかけて本を読んでいる。湊人は、スマホで音楽を聴いていたが、ふと「黎兄」といつものように、声をかけた。すると
「神代くん、会社では、きちんとした呼び名を使うように。私も父上を会長と呼んでいるからね。」
と、釘を刺された。
そう言われて
「す、すみません。」
と萎縮する。
せめて、電車の中くらい、良いのに。
そう、湊人は思ったのだが。
会社の玄関を入ると、入り口でセキュリティのためのIDを渡された。そこには、自分の名前と顔写真が入っていて、学生証みたいだ。
黎人は入ると同時に、色々な社員から挨拶をされている。家でも、もう一つの仕事でも見たことがない、兄の姿は新鮮に映る。
入ってすぐ、40代くらいの男性が黎人のそばに近寄って来た。黎人は男性と一言二言話しをすると、湊人を手招きする。
湊人が頭を下げながら近づくと、
「研究開発室の新城です。湊人くんですね。今日から、よろしくお願いします。」
と手を差し出された。どうやら、湊人がバイトをするところの上司らしい。
「神代湊人です。よろしくお願いします。」
と湊人も頭を下げる。
その時には、すでに黎人の姿はなかった。
午前中、研究開発室にいる直接先輩になる、徳永という若手社員に、色々な仕事を教えてもらった。今回湊人が担当するのは、薬の治験のデータ入力だ。
もちろん、個人情報は一切わからないようになっていて、ただひたすら数字を入れていく。
お昼休みになると、徳永が休憩していいと言うので、陽織に作ってもらったお弁当を持って、社員食堂に来た。
飲食可能なスペースが、各階のラウンジと社員食堂と言われたため、こちらに来たが、なんとなく疎外感を感じる。
すると、奥の方で見知った顔を見つけた。
宏輝と姉の神岡梢絵だ。
「宏輝?」
と声をかけると、宏輝も驚いて振り向く。
どうやら、彼も1日前から、ここでバイトをしているらしい。
湊人は梢絵に
「こんにちは。お久しぶりです。」
と挨拶して、宏輝の隣に座った。
そこで初めて、梢絵がここの知財部にいることを知った。宏輝もそこで、雑用のバイトをしている。
湊人が弁当を出して広げると、宏輝が覗き込む。
「良いなー、お母さん作ったの?」
「いや、陽織。」
と答えると、2人が目を丸くする。
「え?良いな!陽織の料理ってめちゃくちゃ美味しくて、霊力上がるって言ってるやつだろー!」
と言って、宏輝は勝手に卵焼きをとって口に入れた。代わりにトマトをやる、と言うので、カツを一切れ奪う。
「まじ、スッゲー。もう、翔太に自慢されて。俺一度も陽織と、お泊まり案件受けたことないんだもん!」
と大声で言うので、恥ずかしくなった。
その時、食堂の入り口が騒がしくなり、黎人と神柴が現れた。2人はそれぞれが、愛妻弁当片手に、壁側の席に座った。
湊人と宏輝は背中を向けているが、黎人からは2人の後ろ姿が丸見えだ。
「社長、愛妻弁当ですか?」
社員に聞かれて、黎人は「そう」と、ニッコリ笑う。
中身は湊人と同じだが、広げると小さな手紙が入っていた。手紙には
「Alles Liebe HIORI」
と一言。それを見た神柴が、
「今日は、ドイツ語ですか?」
と苦笑する。黎人は幸せそうに笑う。
「昨日は、スウェーデン語でしたっけ。」
陽織のお弁当には、毎回色々な国の言葉で、黎人へのメッセージが入っている。もし、その意味がわからなかったら、泣かれるか、軽蔑されるか。
周りの視線も気にせず、さっさとお弁当を食べると、2人は給湯室入った。
「え?社長、お弁当箱、洗うんですか?」
と、中にいた他の社員が驚いていた。
「え?だって作ってくれた人に、それくらいやらなきゃ失礼でしょ?」
と答えていた。
そのまま、洗い終わったお弁当箱を保冷バッグにしまい、すっと湊人の後ろに移動していた。そして徐に上からコツンと頭を叩く。
「お前も、弁当箱、洗ってから返せよ。」
宏輝との話に夢中になっていた湊人は、驚いて振り向き様にいつものように、
「はあ?当たり前じゃん!」
と答えてしまった。そして、黎人から睨まれた。
6時になりバイトの時間が終わると、湊人は新城から帰りに社長室に挨拶してから帰るよう言われた。
渋々、社長室の部屋の扉をノックすると、神柴がドアを開けてくれた。
まだ仕事をしているようだった。
眼鏡の奥から、睨まれたが、一応
「お先に失礼します。」
と言うと、
「お疲れ様。」
と返された。そして、黎人はまたパソコンに目を戻していた。
玄関まで行くと、宏輝も帰ると言うので、途中まで一緒に帰ることにした。
「なんか、一日でスッゲー疲れたんだけど。」
と、湊人は愚痴った。
屋敷の門をくぐり、まず黎人たちの家に寄る。チャイムを押すと、すぐに陽織が出て来た。
「おかえりなさい!どうだった?」
と聞かれて
「ご馳走様、めちゃくちゃ疲れた。」
と弁当箱を返すと、クスクス笑われた。
「明日は、黎人さん車だから、お弁当お母様のところに、届けておくね。」
と言われ、車に乗せてくれるつもりは、ないと言うことが、よくわかった。
湊人が帰ると、黎人は新城に電話をかけていた。
「真面目に頑張っていましたよ。」
と新城が答えると、黎人はホッとしたような顔をした。
湊人は真面目だ。たぶん、黎人自身よりもはるかに。ただ、それ以上に子どもすぎる。世間を知らなすぎる。それは陽織や和嶺と似たようなところがあり、おそらく末っ子ゆえの特徴かもしれない。
悠人は真面目なようで、結構うまく立ち回っている。器用なところがある。しかし湊人には、そう言うところはない。
知らないうちに、兄たちに守られていた。
でも、これからは自分で積極的になんでもやって欲しい。決断してほしい。そうでないと、たぶん周りの友人たちに、追い抜かれて行く。
翌週の頭、湊人は病院のバイトで、黎人の会社には来ていない。
黎人は朝から全く興味が持てない会議で、はっきり言って時間の無駄遣いに嫌気がさしていた。
(少しずつこう言うものは、減らしていこう。)
そう思った時、突然白桃が召還された気配を察知した。
(おかしい!今日、陽織は家で大人しく家事をしているはず!)
「?社長!?」
隣に座っていた総務部長が、気づくまもなく、黎人の姿は消えていた。
「陽織?」
庭から上を見上げると、陽織が宙を浮いて、家の3階の窓の外にいる。
なぜ!?
突然声をかけられ驚いたのか、バランスを崩して3階から、陽織が落ちてくる。
黎人は咄嗟に受け止めて、抱き抱えた。
「なんで、お家に?」
「いや、陽織こそ、なんであんなところに?」
2人とも、目が大きく開かれていた。
「え、と、窓をお掃除していたら、外側が汚れていたので、その、ハクの力借りて、窓の外に出て。」
黎人は、それを聞きギョッとした。
いくら白桃が陽織の身体を宙に浮かせることができる、と言っても、それにはかなりのチカラが必要だ。さらに、陽織のお腹はもうすでに大きい!バランスを保つのも難しい。
しかも、窓の汚れ??
「陽織、あんな危ないことやらないで!もう、心臓止まるかと思った!」
陽織はおろしてもらいながら、ごめんなさいと下を向く。そんな陽織も可愛くて、思わずキスをする。
「とにかく、ハクを使うと、すぐ僕に伝わるんだから!無茶なこと、しないで。」
と言ったところで、スマホが鳴った。また!
「社長!つまらない会議だからと、サボらないで下さい!」
神柴だ。
「黎人さん、お仕事。」
陽織に怒られて、黎人は名残惜しそうに、会社に戻った。




