第11話 二つの名
※挿絵はAIイラストを使用しています
首都エルグランに入るたびに、レイは空を確認する。
いつ来ても、灰色だ。
石造りの建物が多い首都は、外縁よりはましな状態を保っているが、ひび割れた壁の補修が追いついていない箇所が増えた。
移動者の数だけが増え、インフラの維持は後手に回り続けている。
レイは案内を断って、廊下を一人で歩いた。
ここへは何度も来ているから、道は分かっている。
執務室の扉を、二度叩いた。
「開いている」
低い声がした。
扉を開けると、ノヴァが書類の山を前に座っていた。
二十三歳にしては目の下が暗い。
前に来たときより頬が削げている。
レイは部屋に入りながら、まずそれを確認した。
「来たか」
ノヴァは書類から目を上げた。
「お疲れ様。ちゃんと食べてる?」
「……現状報告が先だろう」
「食べてないってことね」
ノヴァは手元の書類をそろえ直した。
図星を指されたときの癖だ。
◇
向かいの椅子に座って、レイは足を組んだ。
「無法地帯の様子は?」
ノヴァのほうから切り出した。
「ラグドラの動きが広がってる。ただ、あいつらが動いてるうちは、他の連中は大きく動けない。今はそれで、どうにか均衡が保たれてるのよ。……なのに上は、鎮圧しろの一点張り」
レイは、半ば吐き捨てるように続けた。
「頂点を潰せば、抑えの利かない連中が一斉に解き放たれる。それだけのことが、机の上でしか現場を知らない連中には分からないの」
ノヴァが、静かに引き取った。
「それくらいは、私も分かっている」
「あなたはね」
レイは短く息を吐いた。
上が同じように頷いたことは、一度もなかった。
「無法地帯はそんな感じ」
レイは一度、言葉を切った。
「それより、あなたに見てほしいのは区域のほうよ」
ノヴァが目を上げた。
「外縁の地区は、もう資源が尽きかけてる。第七地区の外れなんて、燃料も薬も末端まで回ってこない。だから人が動く。上は〝第三地区へ移れ〟と勧告を出すけど、その第三地区だってとっくに受け入れ限界。あぶれた者は結局、リメン・ゲートに流れ着く。それがもう、当たり前になってるのよ」
「報告書で読んだ」
「報告書と現場は違うわ」
レイはそれだけ言った。
ノヴァは目を伏せ、続きを待った。
「動ける家族は、早いうちに出ていく。残るのは、動けない人たち。足の悪い老人、寝たきりの病人。移れと言われても動けない者が、空になった村に取り残されるの。配給はもう来ない。数字には出てこない話が、あそこには積み重なってる」
レイは、膝の上で指を組んだ。
「私の隊が通りかかったって、運べる人数にも、積める物資にも限りがある。見捨てて進むしかない村も、あった。……どうにもできないことのほうが、多いのよ」
レイは顔を上げ、ノヴァを見た。
「何か手を打つつもりなら、まず現場を見ておくことね」
「だから呼んだ」
ノヴァは書類を一枚取って、レイの前に置いた。
「リメン・ゲートあたりに、打つ手を固めるつもりだ。まだ動かしてはいない。……現場を見てきた姉上の目で、先に穴を突いておいてほしい」
レイは書類に目を落とした。
数字と図面が並んでいる。
雨水の再利用、廃棄物のリサイクル、小規模な自立型エネルギー。
区画ごとに小さな農園を設ける構想。
物資の分配に明確な基準を設け、移動者と地元民の協働で回す仕組み。
段階的な拡大を前提に、まず最小単位から始める設計になっていた。
理想だけで作られた計画ではなかった。
それぞれの項目に、データが添えてある。
出所を確認すると、見慣れない記載があった。
「……地球調査報告書?」
「ああ」
「――これが」
レイは書類から目を上げた。
「あなたが地球へやった、あの子達の報告書ね」
「彼らが送ってきたものだ。地球を視察して、循環型システムのデータを集めてきた。雨水の再利用も、廃棄物のリサイクルも、向こうで実際に動いている仕組みを参考にした」
レイはもう一度、書類に目を戻した。
「リアナス家の」
「あぁ。ライト殿のお子たちだ」
ライト殿、と聞いて、レイの手が止まった。
エルグラン家とリアナス家は、百二十年の対立がある。
その相手の子どもたちが書いた報告書が、この計画の根拠になっている。
レイは、その事実をうまく飲み下せなかった。
「……それだけじゃないわね」
後半のページに目を移す。
「物資の分配に基準を設けて、人員を配置する? 計画と別の話では」
「そうだ。衣服の循環についても、向こうで学んだと報告があった。物資は都合よく回るものではない。仕組みがあって、それを動かす人間がいて初めて循環する。その考え方も計画に反映した」
(そう、都合よくは回らない)
レイは、その言葉を頭の中で繰り返した。
現場で見てきたものと重なる。
無法地帯の掃討でゲートのすぐ隣まで行ったとき、足を延ばして中を覗いた。
狭い路地は人であふれ、配給の列はいつも伸びきっていた。
順番をめぐる小競り合いが絶えず、そのたびに子供の泣き声が上がった。
最善であろうと作られたはずの受け入れ態勢が、機能しきれないまま人だけを吸い込み続けていた。
報告書を書いた子どもたちが、地球でそれを学んだのだとしたら。
「人員の募集も計画に入ってる?」
「ああ。現地で動かす人間がいなければ絵に描いた餅だ。移動者も含めて、運用に参加できる形にする」
「形づくり……」
「報告書にあった。ただ渡すだけでは人々に循環しない。受け取る相手が使える状態にして初めて届く、と」
レイは書類を持ったまま、しばらく黙っていた。
遠い星まで行って、土を触り、物資を仕分けし、データを集めて送ってきた。
それがここで、図面と数字になっている。
(現場に届く形にして、持って帰ってきたのか)
手の中の書類が、さっきより重くなった気がした。
「なるほど。大体はわかった。ただ、現場を置いてきぼりにしないで。それだけは頼むわ」
書類をテーブルに戻して、レイは言った。
「移動者は不安定な立場にある。運用の人員を集めようとしても、定着させるには時間がかかる。途中で次の場所に移る者も出る。そういう前提で計画を組んでいる?」
「織り込んでいる。だからこそ小さく始める。点が線になれば、次の形が見えてくる」
「旧派は」
「抵抗している。毎日のように会議がある」
「そう。あなたが倒れる前に通るといいわね」
ノヴァは何も答えなかった。
◇
書類について一通り話してから、ノヴァがふと顔を上げた。
「ラムダは元気か」
レイは間を置いてから、笑った。
「元気よ。最近、走るのが好きみたいで。止める間もなく転ぶ」
「そうか」
「あなたにそっくりな顔で転ぶのよ。笑えないわ」
「私はそんなに転ばなかった」
「転んでたわよ。忘れてるだけ」
顔をほころばせながら言う姉に、ノヴァは目を細めた。
◇
話が一段落したところで、扉が叩かれた。
「失礼します」
若い部下が入ってきた。
「レイ様。当主様よりご伝言をお預かりしております」
レイは立ち上がった。
「結構」
「あの、お話だけでも――」
「結構と言った」
部下が口をつぐんだ。
レイはもう扉の方を向いていた。
父ヘリオスに会う気はなかった。
会うたびに、この家の名前を思い知らされるからだ。
特にロアンのことを、体裁の悪い話として扱われる。
それでもエルグランの名を名乗り続けているのは、ラムダがいるからだ。
赤目と金髪の、あの子が。
この名前がなければ、あの子の立場がなくなる。
その一点で、名乗り続けている。
「次期当主もいいけど」
部下が退室してから、レイはノヴァに向き直った。
「早くいい伴侶でも見つけてもらいたいものね。私一人じゃ荷が重いわ、この家は」
「無理難題を言うな」
「あなたならできるわよ。この星を再生するんでしょう? そっちのほうが断然楽よ」
ノヴァは椅子の背に体を預けた。
レイはケープを整えながら、扉に向かった。
「報告書は後で正式に送るわ。実証実験の件、旧派をどうするかはあなたに任せるけど、現場を置いてきぼりにしないでよ」
「分かっている」
「あと、ちゃんと食べなさい」
「……分かった」
扉に手をかけたまま、レイは言った。
「身体に気をつけなさいよ、ノア」
ノヴァは口を開きかけて、やめた。
その代わりに、片手を上げた。
扉が閉まる。
◇
ノヴァは、閉じたばかりの扉をしばらく見ていた。
書類の山に目を戻しても、手は動かなかった。
『ノア』とその名で呼ぶのは、昔から姉ひとりだ。
いい加減やめてくれと思う。
思うのに、やめさせる気にはならない。
その名で呼ばれたのが、何年ぶりだったか。
ノヴァは短く息を吐いた。
書類の一枚目をめくる前に、何か食べておくか、と柄にもなく思った。
地球から上がって来た報告書についての話は、本編の「地球編3と4」で取り上げられています。
ご興味あればこちらも併せてみていただけると、どういう内容の報告書がきたかがわかると思いますのでぜひ。
https://ncode.syosetu.com/n9593lf/
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