第12話 拮抗のあとに
――リアナス家、執務室。
召集状が届いたのは、まだ日も昇りきらない時間だった。
ライトは執務机の上でそれを一度読み、端に置いた。
それからまた手に取って、もう一度読んだ。
中身は変わらない。
「読んでも、行かないと変わらないわよ」
背後から声がした。
振り向くと、クララが扉に寄りかかって立っていた。
「今日はどうも本調子じゃなくてね。もう少し休んでから――」
「毎回そう言うじゃない」
笑いながら、でも引かない声だった。
「知ってるでしょう。ピカルたちの提案が、今日の議題なんだから」
ライトは黙った。
知っている。
知っているからこそ、行きたくなかった。
(ピカルとは定期的に連絡を取っているから、提案の中身も大方は把握済みだ。分かっているからこそ、あの場でどう扱われるかも、想像がつく)
クララが近づいて、ライトの肩に手を置いた。
「あなたが行かなきゃ、あの子たちの声は届かないわ」
「……分かっている」
「毎回帰ってきたら熱を出すのに、それでも行くのがあなたでしょう」
クララの声は柔らかかったが、肩に置かれた手には、力がこもっていた。
ライトはため息をついて、立ち上がった。
机の引き出しから、守冠を取り出す。
これをつけると、いつもの自分ではなくなる。
議場に着いてからでも間に合うのに、いつも屋敷を出る前につけてしまう。
そうしないと、扉を開ける気になれない。
頭に載せると、こめかみに冷たい重みが食い込んだ。
ものの見え方が、少しだけはっきりする。
話すべきことが、自分で考えるより先に、頭の中で順序立っていく。
普段の自分なら、こうは喋れない。
「行ってくる」
クララがケープの襟を直した。
指の動きが、いつもより丁寧だった。
◇
議事堂は、いつも通り冷えていた。
広間は、はっきりと三色に分かれている。
ヘリオスを囲む一角。ノヴァと若い議員たちの一角。
そして、ライトの席。
この席に着く瞬間だけは、いつまで経っても慣れない。
守冠をつけても、そこだけは均されないままだ。
両隣に味方はなく、背に控える議員団もない。
広間の隅に、椅子がひとつ据えられているだけだ。
(本当なら、とっくに退きたい)
当主の座をピカルに譲り、あとは資料と書物に囲まれて、好きなだけ読みふけっていたい。
それが偽らざる本音だった。
(だが、今のこれを、そのまま渡すわけにはいかない)
この張りつくような緊張も、圧倒的に不利な一議席も、丸ごと息子に背負わせるのは違う。
譲るのなら、せめて味方をひとり増やしてからだ。
子に手渡す家の形を、少しでもましにしておく。
それくらいは、親としてしてやりたかった。
「――では、リアナス家より提出のあった、実証実験計画について」
議長役の声が響いて、広間の空気が張った。
ヘリオスが最初に口を開いた。
「机上の空論だ。地球とやらの、聞いたこともない土地の話を、この星に当てはめるつもりか」
「机上ではありません」
ノヴァが答えた。
「データがあります。実証も、最小単位から始める設計です」
「誰が集めたデータだ」
ヘリオスは、ライトの席の方を見なかった。
「最小だろうと、始めれば止まらん。お前はそれを知っているはずだ」
「止めるべきものならば、止めます。ですが今のままでは、リメン・ゲートは崩れます」
「崩れる崩れると、お前はいつもそれだ」
ヘリオスの声が低くなった。
「現に崩れていないだろう」
「崩れる前に手を打つのが、政ではありませんか?」
ノヴァも引かなかった。
広間の空気が、拮抗したまま止まった。
議長がライトに目を向けた。
「リアナス卿。ご意見を」
ライトは席を立った。
「――エルグラン卿。あなたの懸念は、無秩序に対するものだ。理解できる」
声が、いつもより通った。
「だが、目の前の書類は無秩序を防ぐための設計だ。段階を踏み、影響範囲を限定し、失敗した場合の撤退点まで明記されている。これは博打ではない。実験だ」
「実験と博打の違いを、誰が保証する」
ライトは、すぐには答えなかった。
守冠の分析でも、言い切れる保証などない。
ないからこそ、賭けるしかない場面がある。
「――保証はありません」
広間がざわついた。
「保証はない。だが、撤退点はある。それだけが、博打との違いです」
ヘリオスは顔をしかめた。
「言葉遊びだな」
「言葉遊びで済むなら、あなたの席で説明させてもらう。だが数字は言葉遊びでは動かない。あの書類の数字は、実際に地球で運用されていた仕組みから来ている」
広間が静かになった。
ライトは続けた。
「現に崩れていない、とあなたは言った。だが書類の三枚目を見ていただきたい。リメン・ゲートの受け入れ数は、想定の上限をとうに超えている。崩れていないのではない。まだ数字が追いついていないだけだ」
ヘリオスが、初めてライトの席へ目を向けた。
「反対するなら反対でいい。だが、代案があるのか。現状維持がそれだと言うなら、上限を超えたまま置いておくと言うのと同じだ。ないなら、最小区画に限った試験だけでも、通す価値はある」
しばらく、誰も口を開かなかった。
「……最小区画なら」
ノヴァの側の席から、若い声が上がった。
「試すだけの価値は、あるかと」
同意の声が、いくつか続いた。
大きくはない。
だが、ヘリオスを囲む一角は静かなままだった。
ヘリオスが、忌々しげに息を吐いた。
「――最小区画に限る。それ以上は、また議題に上げよ」
「承知しました」
ノヴァが短く答えた。
拮抗が、わずかに動いた瞬間だった。
◇
議事堂を出て、ライトは冠を外した。
こめかみの重みが消えると、さっきまで勝手に並んでいた言葉が、順序を失っていく。
いつもの自分が、遅れて戻ってくる。
後ろから声をかけられたのは、そのときだった。
「少し、よろしいですか」
振り向くと、ノヴァが立っていた。
公式の場での硬さが、まだ抜けていない。
「まだ何か議題が」
「いえ」
ノヴァは一度言葉を切った。
「今日は、礼を申し上げたかった」
「礼、とは」
「親和派への譲歩を、ライト殿が後押ししてくださいました。家としてではなく、私個人として、礼を申し上げたい」
言って、ノヴァは頭を下げた。
思いもよらない行動に、ライトは慌てた。
「え……いや、頭を上げてくれ。次期当主に、そんな真似をされては。何よりも他の人に見られたらまずい。ただでさえ、家同士の――」
「家の話ではありません」
ノヴァは頭を上げないまま言った。
「これは、私個人の話です」
ライトは、しばらく何も言えなかった。
言葉より先に、喉の奥が詰まったような感覚があった。
やがてノヴァが顔を上げた。
「それと、もう一つ」
「もうひとつ?」
「ピカル殿たちの派遣を、許可してくださったことにも、礼を申し上げたかった」
ライトは、眼鏡の位置を指で押し上げた。
「――ああ、あれか」
「反対の声もあったと聞いています。それでも、通してくださった」
「......反対したのは、私の妻の方が大きかったよ」
ライトは笑った。
「昔、崩落事故であの二人を失いかけたことがあってね。あれ以来、妻は子どもたちを目の届く範囲から出したがらない。見知らぬ土地へ行かせるなど、とんでもないと」
あのときの妻の顔は、今でもよく覚えている。
「それでも、行かせてよかったと思っている。記録だけでは分からないことが、たくさんあった。土を触って、人と話して、初めて分かることがある。あの子たちが持ち帰ったものは、書類の数字よりも重い」
ノヴァは何も言わなかった。
「だから、礼を言うのはこちらの方だ。あの報告書がなければ、今日の議題もなかった」
「――そうですか」
ようやく、公式の場の硬さが抜けた声だった。
「では、ありがたく預かります」
それだけ言って、ノヴァは踵を返した。
ライトはしばらく、その背中を見送っていた。
(味方をひとり増やしてから、そう思っていた)
譲るのは、隅の椅子が隅でなくなる目処を立ててからにしよう。
ずっとそのつもりだった。
だが今日、先に頭を下げたのは向こうの方だ。
家の垣根を越えて、私個人の話です、と言った。
自分が一議席で踏ん張っているあいだに、次の世代はもう、こちらへ歩み寄りはじめている。
ピカルたちは海を越えた。
ノヴァは頭を下げた。
あの子たちが座に着く頃には、あの広間も、今の並びのままではないのかもしれない。
(案外......私が気を揉むより早く、あの子たちが変えてしまうのかもしれないな)
そう思うと、肩のあたりが、少しだけ軽くなった。
◇
屋敷に戻ると、クララが出迎えた。
「思ったより早かったわね。どうだった」
「なんとか、通ったよ」
クララは息を吐いて、肩の力を抜いた。
「良かった……。今回は、熱出さないでよ」
「今回は、出ない気がする」
クララが、目を見開いた。
そして、これまで見たことがないくらい、やわらかく笑った。
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